⑧侯爵
サプナの右手が震えている。
明らかにバルーたちを傷つけることを恐れている様子だが、それでも手を下ろそうとはしない。
しかし、それを見た車椅子の男が手を挙げる。
「やめなさい。自分はそんなことを望んではいない」
男は呼吸を荒げながら、苦しそうにそう言った。
「しかし、侯爵さま……! ダンピールはあなたを殺しに来たんですよ!」
隣の男がそう叫ぶように言うが、車椅子の男は再び手で制止した。
「よくぞここまで来てくれた。自分はレオ・アウザーヴェルテ。吸血種の上位種である、通称『血呑みの貴族』の『侯爵』だ」
「……サプナがラファエラのことを伯爵と呼んでいた。お前はあいつの仲間なのか?」
マルクの質問に、レオは首を横に振った。
「『血呑みの貴族』は、血呪いを自由自在に操れる上位種を指すだけの、ただの強さの指標に過ぎない。決して仲間というわけではない」
男は青白い顔のまま優しい笑顔をこちらに向けてくるが、目的が分からないままの状態で警戒を解くことは出来ない。
彼はまだ若そうだが、血色の悪い唇に、黒くぼさついた髪、前髪も目に掛かるほど伸びている。
今にも死にそうなのに、周りの人間に噛みついて回復しようとしないのには、何か理由があるのだろうか。
「もしかして」
バルーが口を開くと、周りの人達が武器を構え直した。
「バルーお兄さんに殺してほしい人がいるのかな?」
その質問を聞いたレオが穏やかに微笑んだ。
「バルー? 何のことだ?」
「黒豹の血を飲むにつれて、力が強化されているような感じがあったから、変だなって」
そう言いながら手を握ったり開いたりする。
「それに、サプナさんの靴からレオくんと同じ匂いがする。ここまでずっと助けてくれたサプナさんのことを、敵だとは思えない」
それを聞いて感極まったサプナの頬に、涙が流れた。
「レオくんは強くなったバルーお兄さんに、殺してほしい吸血種がいるんじゃないの?」
「聡い方だ」
レオは穏やかな表情でそう言った。
「いくつか頼みごとがあって、ここまで連れて来てもらった。勿論、自分が殺される覚悟は既に出来ている」
「……その割には、歓迎ムードではなかったけれど?」
ナーデルのその言葉に、レオは眉をぴくりと動かした。
「どういうことか、聞いてもいいかね?」
「罠のせいで分断されたり、高いところから落とされたりして、危険な目に遭ったのだけれど?」
レオは周りにいる者たちに向けて、叱るような視線をやった。
「お言葉ですが侯爵様……。オレたちは全員、ここにダンピールを招くことを反対していました。まァ、サプナはどうだか知りませんが」
「エイブ。サプナは自分の為に命を張って彼らを導いてくれたのだ。そのような言い方をするな」
エイブと呼ばれた金髪碧眼の、口元に傷のある男は、サプナに対して憎しみのこもった視線を投げながら黙った。
「すまない。この者たちを守るために元々罠は設置していたのだが、君たちを呼ぶにあたって撤去させたつもりでいた。不徳の致すところ、本当に申し訳ない」
レオが頭を下げる。
エイブがそんな彼の身体を支えるのを、サプナは複雑そうな顔で見ていた。
「自分はもうじき死ぬ。その前に説明をしておきたい。あれを持ってきてくれないか」
エイブが何か言いたげな顔のまま、指示された物を持ってきて、バルー達の前に置く。
それは、分厚い手記と幾つかの薬品のようなものだった。
「ここまで吸血種を倒してきてもらったのには、先程君が言っていた、殺してほしい人物の話とは別の、重要な理由があるのだ。その手記を軽く読んでもらえるかね」
「なッ……、これは……」
手記を開いたマルクが声を上げた。
「『後天性吸血種の血清の作り方』……だと?」
「なんですって!」
ジルヴァ教の悲願のひとつが、『後天性吸血種を人間に戻すこと』だ。
その方法が記された手記が目の前にあることに緊張したマルクは、手を震わせた。
「『血呪いが複数蓄積した状態のダンピールの血液が必要』……って」
レオが軽く頷く。
「質問なのだけれど、……何故、吸血種であるおまえが、後天性吸血種を人間に戻したがっているの……? 吸血種は繁栄への欲求が、本能に染み付いているんでしょう?」
「君の言うとおりだ。自分も勿論例外ではなく、常にここにいる者たちを後天性吸血種にしてしまいたいという欲求に蝕まれている」
民衆から「それであればなんなりと!」などと声が上がったが、レオは諦めたようにため息をつくだけだった。
「ダンピール君。……どう呼べばいいかな?」
「バルーお兄さんって呼んでくれたら嬉しい」
「ああ、分かった」
ナーデルは怪訝そうな顔でレオを真っ直ぐ見た。
「バルーオニイサンには、自分が血呪いで改造した吸血種と戦ってもらい、血呪いを蓄積してもらった。最後に戦ってもらったのは子爵だ。捕獲して利用させてもらった」
マルクは仲間に対する非道な扱いへの恐ろしさに、ごくりと生唾を飲む。
反対にナーデルは、バルーへの呼び方があまりに不自然なことに笑いを堪えている。
「バルーオニイサンの血は、血清を作るための立派な材料になったはずだ。是非役立ててほしい」
「……レオくんがどうして後天性吸血種を治したいのか、まだ答えてもらってないよ?」
「それはすまない。あまり会話が得意でなくてな」
レオは少しだけ記憶を思い出すような素振りを見せた。
「自分の大切な村民たちが公爵に後天性吸血種にされ、誘拐されてしまった。以降、吸血種に嫌悪感を抱いているのだよ」
彼はそう言いながら悲しそうな顔をした。
「自分では彼の居場所すら特定出来ない。見つけて、連れ帰って治療してやってほしいのだ」
サプナはそれを聞いて小さく頷いた。
バルーが口を開く。
「あなたは飢えた状態なのに、とても理性的に見える。手段さえあれば、バルーお兄さんではなく、あなたが助けに行くこともできたんじゃないかな」
彼は首を横に振ってそれを否定した。
「自分は……村民たちの輸血で何とか生きているだけの状態だが、そんな風にしてまで生きていていい生物では無いと、公爵の行いを目の当たりにして、思い知らされた」
レオはそう言いながら頭を抱える。
「自分は清廉潔白などではない……。幼く、何も知らない頃は、平気な顔をして、他の吸血種と同様、愛すべき人間を殺していたのだ……」
この世の終わりだとでもいうような悲惨な顔で、彼はそう語った。
「だから、君たちに全てを託して、ここで死ぬ。頼みごととは言うが、これは取引ではなく、遺言なのだよ」
サプナはレオに縋り付いて、頭を横に振りながら泣き出した。
しかし、彼はまるでその姿を気にする様子もなく続ける。
「……そして、これが最期のお願いなんだが、ここにいる人達をジルヴァ教で保護してやってほしい」
それには周りの人たちも抵抗するように声を上げた。
「……な、何をおっしゃいますか!」
「そうですよ! 侯爵さま!」
村民たちはヘルターを信仰している。
当然受け入れられるはずもない。
「ヘルター様の御子である侯爵様から離れるなど……!」
「それは勘違いだ。自分は崇められるような存在ではない。君たちを殺す怪物なのだよ」
そう言い切ったレオは、息を荒げながら車椅子にもたれ掛かる。
それをサプナが泣きながら支え、何とか体勢を戻す。
「彼らは異教徒で、扱いが難しく、受け入れ難いかもしれないが、それでも教区民だ。どうか頼む」
レオはまるでそのまま殺されてもいいとでも言うように、首を晒すような体勢で頭を下げた。
バルーがスッと前に歩み出る。
周りの者たちは恐怖に震えながらも武器を構え、彼の一挙手一投足を観察するように眺めた。
バルーはトランクを開き、中から血液バッグを取り出して、レオの目の前に置いた。
吸血種の男は、驚いた顔でダンピールを見上げる。
「レオくんが開発した後天性吸血種の血清が、本当に効くのか分からない。もしかしたら毒かもしれない」
「はァ!? 毒なわけねェだろうが!」
エイブが反論するのを、バルーは無視して続ける。
「村民の誘拐も本当のことだか定かじゃないし、ここの人たちも信用に値するか分からない」
これには村民たちも非難を浴びせた。
あちこちからバルーに向けて、悪意のある言葉が投げられる。
それでもバルーは全てを無視した。
「だから、あなたをジルヴァ教で拘束する。そして、血清の製造を手伝ってもらう」
いつもの頼りない雰囲気ではなく、凛とした空気を纏いながら、バルーはハッキリとそう言った。
村民たちが急に静かになる。
「え……、それって……」
「侯爵さまを保護してくれる……ってことか?」
「殺さずに……?」
「ダンピール野郎に騙されてんじゃねェ! コイツは吸血種を殺す生物なんだぞ! オレたちの知らねェところに連れて行って殺す気だ!」
ヒソヒソ話す村民たちの間から、エイブが大声を出したが、仲間たちはそれに賛同する様子を見せなかった。
普段の態度のせいで、周りの信用がないのだろう。
『教皇、枢機卿、が、侯爵、協力、する、言った』
サプナがそんな銀文字を宙に浮かべ、マルクが驚いた表情を浮かべる。
そのことは初耳だったのか、レオ本人も驚いている様子だ。
「教皇と枢機卿が、自分のことを知っている……?」
『私、彼ら、理解不能。しかし、直々、呼び出し、協力、言った』
困惑するレオに、バルーは微笑みかけた。
「だったら尚更、あなたを生きた状態で連れて行かないといけない。ジルヴァ教がレオくんのことを必要としているってことなんじゃないかな」
レオは、震える手で床に置かれていた血液バッグに手を伸ばした。
それを見たサプナが代わりに取って、手渡す。
『司祭、ありがとう』
彼女はバルーに向かって祈るように礼を言った。
他の村民たちもそれに続き、バルーは照れくさそうに笑う。
エイブだけはその光景を、面白くなさそうに見ていた。




