④死刑囚の愛の囁き
二種類の葡萄の匂い。
それが何を意味しているのか二人にはまだ理解出来なかったが、こちらにとっていい意味でないことだけは理解出来る。
赤黒い黒豹は、ゆっくりとこちらに視線を投げ、飛びかかろうと姿勢を低くした。
「どうする? ……噛む?」
そう言いながらカソックの襟を捲ろうとするバルーを、ナーデルが手で制止する。
「相手の出方を見て決めましょう。一時的にでも失血するわけだし、この後も戦うでしょうから、身体に負担を掛けない方がいいわ」
「分かった。でも圧されるようならすぐ……、噛んで?」
ナーデルとバルーの視線がかち合う。
彼は赤い顔で、何かを期待するような艶っぽい表情をしている。
「変態」
「……!」
バルーは自分が何を懇願したのか気づき、動揺して片手で口を押さえた。
ナーデルは人形の為、血が通っていない。
このままでは血をエネルギーとする『血呪い』を使用できない為、バルーのトランクから血液バッグを一つ貰って飲む。
少しずつ銀色から赤く染まっていく髪を、長剣の形へと変える。
「なるほど。さすがにバルーの血じゃないとパワー不足かもしれないわね」
ナーデルはそう言いながら、自分の髪の毛を見た。
バルーの血を使用すれば、これよりも頑丈に作れるだろうし、先日編み出した砲丸攻撃も、この血だけでは放つことが難しそうだ。
ダンピールの血の恩恵に感謝しつつ、ナーデルは黒豹を真っ直ぐ見た。
獣は後ろ足で立ちながら腕を振りかぶり、少女人形目掛けて振り下ろす。
ナーデルは攻撃をするりと素早く避けつつ、腹部の辺りに潜り込んで、髪の剣を突き立てた。
「ギャウ!」
刺された腹部から血を流しながら、黒豹はナーデルがいた場所に改めて攻撃を繰り出す。
「バルー。二種類の葡萄の匂いと言っていたけれど、詳しいことを教えてくれるかしら?」
「あ、うん! 上位種の血の匂いをハッキリ感じるんだけど、奥の方に普通の吸血種の血の匂いが混ざってるような感じかな……」
あまり自信は無いようだが、バルーは感じたことをそのままナーデルに伝えた。
何度も繰り出される攻撃を避けながら、ナーデルは思考を巡らせる。
「二種類の血……。血呪いの蓄積……」
バルーも参戦しようと、トランクを左手に持ち、黒豹の眼前まで飛び出た。
そのまま右腕を後ろに振りかぶり、完璧な右ストレートをその顔面に叩き込む。
「ぐうッ」
一瞬黒豹が白目を剥き、倒れかける。
「この子、力はとても強いみたいだけど、こっちの攻撃もちゃんと通るね」
そんなことを言いながら、真下から左後ろ脚で蹴り上げる。
フィジカルが強すぎるバルーにとっては軽い攻撃だったが、黒豹は天井まで軽々とふっ飛ばされた。
そこにナーデルも跳躍し、髪をワイヤー代わりにして黒豹の身体全体を髪の長剣でザクザクと斬りつける。
かなり有効な攻撃だったが、当然敵も黙ってはいない。
落下しながらもネコ科の生き物らしく器用に身体を捻り、バルーに飛び掛かるような姿勢になった。
バルーは一瞬その攻撃を身体で受け止めようかとも思ったが、先程黒豹の攻撃を受けて抉れてしまった床を思い出し、ジャンプで攻撃を躱す。
大きな音を立てて落下してきた黒豹の、下にあった石材がひび割れて陥没する。
普段のバルーであれば、吸血種の攻撃を喰らったとしても後ろに下がりすらしないが、この黒豹の攻撃に関しては真正面から喰らうのは危険かもしれない。
「攻撃は通っているけれど、どうして手応えが無いのかしら……」
「確かに、弱ってる感じがしないよね」
再度ナーデルが黒豹の身体を斬りつける。
血は出ているのに、痛みを感じていないのか、黒豹の攻撃は止まない。
「そもそもなんだけど、この生き物は何なんだろう……。動物の姿をした吸血種って居るの?」
「今まで聞いたことがないわ。……まあ、上位種の存在も最近判明したばかりだから、知らないだけで居る可能性はあるけれど……」
二人は繰り出される爪の攻撃を華麗に避けながら話す。
黒豹の方は全ての攻撃を避けられて、苛ついているようにも見えた。
「殴った感触も、何となく『質量』を感じないような気がして……」
ナーデルはそれを聞いて何か閃いたのか、髪の形状を長い槍のような物に変えた。
「バルー、手を貸しなさい」
「うん! 何でも言って!」
青年は少女人形に命令されるのが心底嬉しいといった様子でそう言った。
「この生き物は二層構造に……、表現が合っているかは分からないのだけれど、なっている気がするのよね」
「二層構造……?」
黒豹は唸りながらナーデルに噛みつこうと突進してきた。
それを避けつつ槍で腕を突き刺すが、やはり動きは止まらない。
「内側に、わたしの心臓のような、中心となる吸血種が居るのではないかしら」
「え! それって……吸血種が黒豹の毛皮を着てるってこと?」
「……さすがに毛皮じゃないわよ。おまぬけ」
爪の攻撃がバルーに向かって繰り出される。
彼は何でもないような顔でそれを避けながら、左手に持ったトランクで思い切り黒豹を殴りつけた。
ダメージはあるようで、吹き出た鼻血が顔に飛んでくる。
バルーは本能に従い、それを美味しそうに舐め取った。
その姿が妙に妖艶で、ナーデルは目を逸らす。
「バルー、この黒豹から感じる上位種の吸血種の匂いって、サプナの靴やこの城でよく感じる匂いと同じでしょう」
「うん! そうだよ!」
彼女はその返事を聞いて核心を得たようだ。
「それなら、中に居る吸血種を心臓にして、別の上位種が血呪いを使い、黒豹の姿にしているとみていいでしょうね」
バルーはナーデルの知恵を賞賛するように、攻撃を避けながら拍手した。
「つまり、どうやって倒すの?」
「おまぬけ。心臓を破壊するのよ」
人形は髪の槍を改めて構えた。
「匂いで心臓の場所を突き止めて。バルーにしか出来ないことよ!」
「!」
バルーは愛する人の期待に応える為に、鼻を動かした。
「ここだ!」
青年は真っ直ぐに黒豹の喉元へと突っ切り、殴り抜ける。
「刺して!」
血を浴びながらにこやかに言う彼の真上に、人の顔のようなものがある。
「たす、け」
ナーデルは槍でその吸血種を刺した。
途端に黒豹は力なく、ぐったりと床に倒れこんだ。
「ふぅ、……よくやったわ」
「……」
バルーは何も言わず、突っ立っている。
「バルー?」
喉仏がごくりと上下する。
「ナーデル……、はぁ……、飲んでもいい……かな?」
「……」
バルーは誰もがうっとりするような艶めかしい表情で、黒豹を見下ろしていた。
「……待て」
バルーは涎が溢れそうになるのを堪えながら、懇願するような表情を見せる。
この男の手綱を握っているのだと自覚したナーデルは、内心ドキドキしながらその様子を見ている。
「良し」
合図と同時に男は黒豹の喉元に齧りついた。
バルーは飢餓状態の時以外は基本的に血液バッグからしか血を飲まない為、理性的な時に吸血種の血を求めるのは珍しかった。
「はふ……は、ぁ、ゴクッ」
「これは、目に毒だわ……」
綺麗な顔の男が、恍惚の表情で喉を鳴らし、息を荒げ、美味しそうに血を飲んでいる。
ナーデルは髪の毛に集めていた血が顔に集まるのを感じながら、出来るだけその姿を見ないよう、目を逸らした。
その視線の先に、血文字を見つける。
『その鉾にて、災厄を退けよ』
小首を傾げ、壁に書かれたその文章の意味を考える。
「バルー、この文の意味が分かるかしら」
「ん」
顔を上げた彼の口周りは真っ赤に染まっている。
「『鉾』?武器なんて落ちてないよね」
バルーは襟元を緩めながらそう言う。
「……どうしたの?」
「え……、ああ、なんか、暑くて」
ナーデルは急いでバルーの額に手を当てた。
「おまえ、熱が出ているじゃない!」
「んん……。急過ぎる……と思うんだけど……」
息を荒げるバルーを見ながら、まさか黒豹の血に毒でもあったのかと、その遺体の方を見る。
「……あ、れ?」
その声を聞いてもう一度バルーを見ると、先程まで赤かった顔が急速に元に戻っていた。
本人も手を握ったり開いたりしながら、不思議そうな顔をしている。
「なんだったんだろう……?」
「大丈夫なの? 無理だけはしないで、お願いだから」
そう言って抱きついてくるナーデルの頭を撫でる。
「問題ないよ。熱も引いたみたいだし、何故かさっきよりも力が湧いてくる感じがするんだ」
「それならいいけれど……。おまえに何かあったら耐えられないわ。……問題が起きたらすぐに言いなさい」
バルーはそんなことを言うナーデルの唇に人差し指を押し当てて黙らせた。
「……そんなことを言っていたら、僕のこと殺せなくなるよ」
「……」
自分の存在理由をちゃんと理解しているつもりだったが、ここに来て当人からそう言われたことで、ナーデルの気持ちはあからさまに暗くなった。
バルーを殺す為に生まれてきた。
その事実が重くのしかかる。
「死ぬならあなたの腕の中がいい」
バルーは耳打ちするように小さな声で囁いた。
それはいつ死ぬか分からない死刑囚から執行人に対して、真っ直ぐな愛の告白のようでもあった。
「あ……」
「だからしっかりして。ナーデル」
本人に愛を伝える意図があったかは分からないが、年頃の女性の心を持つ彼女は、人間と同じように鼓動が跳ねる感覚を味わっていた。
頭がぼんやりする。
自分が人形でなければ、彼がダンピールでなければ、素直に受け入れるのに。
「……ナーデル?」
「あ、いや、ごめんなさい。先に行くわよ!みんなのことも心配なんだから!」
動揺を誤魔化しながら、最初に黒豹が出てきた大きな部屋の中へと入る。
部屋の奥から通路が続いているのが見えた。
「ここ以外、道はないわね」
そう言ったタイミングだった。
スタッと音を立てて目の前に黒髪の女性が降り立つ。
「……サプナさん!?」
バルーが彼女の名前を呼び、サプナは軽く頭を下げた。
ナーデルはマルクの件もあって、まだ彼女に対して苛立っているのか、自分からは声を掛けようとしない。
『無事、良かった』
「本当にそう思っているのかしら」
空気がピリッと張り詰める。
『当然』
サプナはいつものジトリとした視線で抱えられているナーデルを見つつ、今までと同じように通路を先行し始めるのだった。




