②犬と飼い主
「町長さんのお家に戻ろうと思ってたけど、ちょっと予定変えちゃおう」
「えっ?」
「バルーお兄さんもミオさんのお父さんとお母さんに会っておいた方がいいと思うんだ!」
バルーが朗らかな様子で提案するのを、素直に肯定出来ない。
両親が捕まるのは嫌だ。
やはり両親と町長のことを話すべきではなかったかもしれない。
ミオは震えながら俯き、司祭の襟に付いているピンを指差した。
「それ」
「ん?」
宵がやって来て、金色に見えていたそれが、本来の銀色に戻っていく。
「それを付けてる聖職者の人は、悪い人を逮捕するんでしょ?」
指先が震える。
銀色の目のピンを襟元に付けている聖職者は、犯罪者を逮捕することが出来る。
それを分かった上で話したのに、いざとなると尻込みしてしまう。
「証拠も無いのにいきなり捕まえたりしないよ!」
そう明るく言われて、急に力が抜けてしまった。
冷静に考えれば当たり前のことだ。
バルーが優しく頭を撫でてくるのを、少女は黙って受け入れた。
「……それなら、一緒に帰る」
「うん!そうしよう!」
青年が辺りをキョロキョロと大げさに見渡して、にっこりと微笑んだ。
「さて! ミオさんのお家はどこかな?」
「あ! こっち……」
町長の家の近所にあるミオの自宅は、本当にすぐそこだった。
白い壁。綺麗に整えられた庭。
特に大きな問題を抱えている様子もない、至って普通の家だ。
そんな自宅に到着する。
重そうなトランクを持ったバルーを玄関のところに立たせたままミオが先に部屋に上がり、リビングで過ごしていた母親へと声をかけた。
「おかえりなさい。お父さんもミオを心配して今日は……」
「……フリーデルさんのお葬式をする神父様が、お父さんとお母さんに会いたいって言って来てるんだけど」
「あらまあ!」
ミオの母親は慌てた様子で玄関に駆け寄った。
暇をつぶしているのか、バルーは玄関に置いてある家族写真を、ニコニコとした表情で眺めている。
「あらっ……、お母さま……ですかね?」
「はい! ミオの母です! すみません! 散らかっていて!」
「いえいえ! お嬢さんはそのくらい元気な方がいい」
「はい?」
何となく話が噛み合っていない。フォローするべく、ミオは母親の耳元に口を寄せた。
「この神父様ちょっと変わってて……、多分天然だと思う……」
「えー、っと、あー、そうなのね! はい!」
明らかに母の表情が強張った。
別に引いたからではない。
宗教国家――、この国において人々から敬われ、ある程度の地位を持っている聖職者に対し、極力失礼な態度を取らないよう、気を引き締めたのだろう。
母の親友に、少し抜けた感じの人がいるのをミオは知っている。
その人は天然ゆえに、思い込みで暴走することがあるらしい。
だからこそ、この美しき司祭に勘違いであっても、嫌な思いをさせたくないのかもしれない。
「お母さんと二人でお話させてもらえるかな?」
「えっ」
「大丈夫。少しお話するだけだよ」
母は少し不安そうな顔をしつつも、彼を客間に通した。
扉が閉められ、やることがなくなったミオは自分の部屋に行こうかとも思ったが、今後の両親の行く末を思い、客間の前へと一旦戻った。
「さい……、……さんは、……をた……か?」
「あ、……え。な……、……がわ……って」
扉越しでは何を言っているのか分からず、苛立ったミオは仕方なく、階段上の奥にある自分の部屋に行く。
「お腹空いてきた……。林檎の匂いしてたし……、あとで貰おうかな」
そんな風に考えながらベッドの上で横になる。
どのくらい時間が経ったか分からない。
突然自室の扉がノックされ、少しだけ目を開ける。しかし、かなり眠い。
「ミオさん。起きてる?」
「……んー、ちょっとだけ……」
扉を開けないのは失礼かもしれないが、眠気でそれどころではない。
「今夜はお父さんお母さんと、お兄さんのおともだちにも相談して、ここに泊めさせてもらうことになったよ」
「えっ?」
お兄さんのおともだち。
恐らく他の修道士にも相談したということだ。
あの銀色の、目の形をしたピンを付けた修道士が、町長の家に何人いたか分からないが、自分がバルーに相談したことで問題が大きくなっている。
両親は町長と揉めていた。
それは、町長の孫とミオが喧嘩して揉み合いになり、互いにまあまあな怪我を負ったからだ。
それでどっちが悪いとか、女の子なのに傷が残るとか、治療費がどうとかで言い合っていたのを見てしまった。
悲しくて、気がついたら家を飛び出していた。
あの日の真っ暗な空は、大きな魔物みたいで怖かった。
「隣の部屋をお借りするね」
そう言ってバルーが扉の前から離れていくのが、足音で分かる。
「あの時……、あの子にちゃんとボール貸してあげれば良かった……」
そうしておけば、今みたいな不安に苛まれることは無かったのかもしれない。余計に気持ちが落ち込んでいくようだった。
二度目の覚醒。
喉の渇きと飢えを感じる。
林檎を食べようと思っていたのに眠気に抗えず、気づけば二度寝してしまったらしい。
立ち上がったミオは、寝ぼけたまま林檎の匂いを辿って歩き始める。
扉から出て、次の扉を開く。
「すごいいい匂い〜……」
ふらふらとした足取りで林檎に近づき、掴もうと手を伸ばした。
その時、フッと背中に気配を感じる。
「おまぬけ。それはわたしの犬よ」
綺麗な少女の声。
幽霊でも出たのかと思ったミオは、驚いて跳ねた。
その隙に、得体の知れない何かが身体を雁字搦めに縛り付けてきた。
全く身動きが取れない。
「えっ……? えっ!」
首も苦しい。
そのまま謎の力で床に思い切り叩きつけられ、苦しげな呻き声を上げる。
「はあ……甘すぎるのよ。最初から全部分かっていた癖に」
小さな何かが、鳩尾の辺りに乗っている。
「な、なに……?」
何とか首を動かそうとするが、びくともしない。
眼球だけでそちらを見ると、銀色の髪でミオを縛り付けている、美しい球体関節人形がそこに立っていた。
外見は六、七歳くらいの少女にも見えるが、大きさは人形らしく四十センチ程度しかない。
長い銀髪の大半は、後ろで緩く一本の三つ編みにしてまとめているようだが、何本か解いた髪を紐のようにして、床にミオを縛り付けているようだ。
深海を思わせるような暗い青の瞳は、こちらを見下すような冷たさを纏っている。
修道服を元にしたような黒いゴシックドレスと、修道女が被るベールにフリルをあしらったようなものを被っていて、この人形はジルヴァ教と関係がある品物なのだろうと分かった。
しかしそれ以前の話。
人形が喋り、動いているという怪奇現象に驚いたミオは、これがただの夢であると信じたがっていた。
「なにをしようとしていたのか、自覚がないようね」
少女人形から放たれる怒りの感情。
このまま憑き殺されるのではないかと、不安になってくる。
「離して! あたしお腹が空いてただけなの……!」
「おまえがなにを口にしようとしていたのか、その目でよく見なさい」
巻き付いた髪で引っ張られて、頭が無理矢理動かされる。
視線の先に、穏やかな表情で眠りこけているバルーがいた。
「えっ!? 神父様!?」
「起きなさい、バルー。おまえが放置なんかするから、こうして問題が起きるのよ」
少女人形は、ミオを縛っているものとは別の髪束を動かして、バルーの服の襟元を掴むと、ぐんと強く上に引っ張った。
動かしている間は、髪の長さも伸縮しているように見える。
どういう原理なのか分からず、ミオは目を瞬いてその光景を見ている。
伸びた銀髪が器用に青年の身体を支える。
無理やりベッドに座らされたバルーは、むにゃむにゃと可愛らしく口をもごもごさせてから、腕をびよーんと天井に向けて伸ばす。
そして、眼鏡を掛け、近くにあったオイルランタンに明かりを灯し、辺りの様子を伺った。
「あらっ! ナーデル!」
美しき司祭は、恋する少年のように頬を紅潮させて、ナーデルと呼ぶ少女人形を見た。
ナーデルはそれに満足したように、ふふんと鼻を鳴らし、チラリと自分が捕まえた少女を見下ろす。
「会いに来てくれたの!?」
「いつも通りおまえのトランクに入っていたじゃない」
ミオが倒れている位置からは確認出来なかったが、司祭の持ち物の中では、この人形の言う通り、あのトランク以外運ぶ手段はないだろう。
しかし、このバルーという司祭は、自身のトランクの中身を把握していないのだろうか。
謎は深まるばかりだ。
「でも出てきてくれたってことは、僕に会いに来てくれ……、あらっ! ミオさん!?」
人形に抱きつこうとしていたらしいバルーは、その下で無理矢理縛り付けられているミオに気づき、驚愕の表情を浮かべた。
「……どうも」
半分はこれが夢だと思っているからか、ミオの心はかなり冷静になっていた。
反対に司祭の方がかなり驚いているように見える。
「バルー。おまえなら匂いで分かったはずよね。正体」
「うん! 最初に会ったときからもちろん分かってたよ! 褒めて!」
「おまぬけ! そういう時はすぐに捕まえないと、被害が大きくなるかもしれないじゃない!」
青年は、うーんと首を横に傾げた。
「ナーデル。半分は美味しそうな匂いがしたけど、我慢してパスタで誤魔化せた僕を褒めてくれないの……?」
「うっ……」
ミオは床の上で、彼らが何の話をしているのか理解しようと努力したが、途中から無駄だと理解した。
そんなことよりも、夢だろうが何だろうが、ここから早く逃げないとまずい気がする。
「こら!あばれるのはよしなさい!」
少女は腕を無理矢理動かそうと力を込めたが、強烈な痛みに歯を食いしばることしか出来ない。
「ミオさんは自分に何が起きているのか分からないんじゃないかな?」
「それはわたしも理解しているわ」
「そしたら、そんなにイタイ思いをさせたら可哀想だよ。ねー?」
この状況でも幼児に話しかけるような態度は変わらないようで、ミオの苛立ちが再発する。
「ああもう。バルーは少しおだまり」
彼はナーデルの命令に忠実なのか、反抗する様子もなく顔を赤らめ、うっとりとした表情で少女人形を見守っている。
その姿はまるで飼い犬を思わせた。
ナーデルはミオを静かに見下ろした。
「フリーデル町長を襲ったのはおまえね?」
その視線は鋭く、貫く。




