⑦
「アデリナが、本当にリーベンのお母さんだった……?」
「同胞を増やすためにわざと施設に保護させて、養子として外部に送りだしたのね」
キョロキョロするグンターは、やや混乱しているようだ。
バルーも首を傾げている。
「え?アデリナさんはまだ子どもなのに、お母さんなの?同じ歳くらいに……」
「……バルーは黙ってなさい」
アデリナは二人のやり取りを聞いて、突然笑い出した。
全員ぎょっとする。
「人類全員が子どもの姿に見えていると、リーベンの最後の手紙で察したわ」
「あら。犯人だと認めるのね?」
女同士、睨み合う。
「誤魔化しは効かないでしょう。この施設にあなた達が来た瞬間から、私はみんなを利用して嘘ばかりついていたし、エルマを殺すために扉の前に立って、血呪いを使ったこともバレてる。それに」
アデリナは歯を剥き出しにして仇を見上げた。
「息子を殺されたという動機もあるしね」
ナーデルはここで疑問が浮かび、首を傾げた。
「おまえはどうしてエルマを殺したの?そんなに憎いならバルーを直接殺すべきだわ」
「……ダンピールは吸血種を狩る吸血種。獲物である私が真っ向勝負で勝てる算段なんて無い」
冷静さを欠いているように見えて、状況をしっかり分析して犯行に及んでいたようだ。
「だったら、その男が『保護対象である後天性吸血種を殺してしまった』ことにすればいい。みんなで協力して新たな証拠品を捏造し、ダンピールを犯人に仕立てあげ、ジルヴァ教に処分させれば、脅威は消える!」
「なるほどね。……エルマの死は、その為の尊い犠牲だったとでも言いたいのかしら?」
アデリナの表情が苦痛に満ちる。
吸血種は、自分が血呪いを与えた者に対して執着とも言えるような愛情を抱いてしまう。
エルマを殺すのは、彼女にとって身を裂くような苦しみを伴ったはずだ。
「私は……、直接手を下すことで責任を取った!」
「そんなのただのエゴでしょう?」
前に歩み出ようとするアデリナの前に、施設長のモーリッツが割り込む。
「……モーリッツ?」
『あいつもう九十近いジジイのはずだぞ。……まさか』
映像越しにマルクがそう言うのを聞きながら、ナーデルは彼の動きをよく観察した。
モーリッツが動く。
本来の彼は杖が無ければ動くこともままならないような老人だが、後天性吸血種となったことで、本人の限界を超えて動くことが可能になっているのか、素早い速度でバルーに向かってタックルしてくる。
バルーは床をしっかりと踏みしめ、向かってきた彼を抱きしめた。
幾分か衝撃はあったが、一歩も後ろには下がらなかった。
「みんな!そのダンピールを足止めしなさい!」
アデリナは後天性吸血種たちに、伸ばした腕で触れながらそう命令した。
「くっ」
命令された子どもたちはバルーの元に駆け寄り、噛みついた。
「うげ!味濃すぎ!」
「我慢して!倒さないと殺されちゃう!」
慣れない動きで脚や腕に噛みつこうとする彼らは、恐らく今まで一度も自分で人の血を飲んだことが無いのだろう。
それは唯一の救いにも思えた。
アデリナが、持っていた瓶をバルーに投げつける。
その中にはわずかだが、エルマを殺した水銀が残っていたようで、割れてバルーの手に掛かり、火傷を作った。
『あいつ逃げる気だぞ!ナーデル!』
「分かってるわよ!」
ナーデルは緩く編んでいた三つ編みを解いて、部屋中の至るところに髪の毛を伸ばした。
髪は子どもたちやモーリッツを拘束し、アデリナの足にも届く。
「とりあえず後天性吸血種たちは保護を――」
バキバキと凄まじい音がして、そちらの方に振り返る。
音の発生源はモーリッツ。
拘束された身体の骨を折りながら、銀に焼かれながら、痛みをもろともしないような凄まじい力で、ナーデルの髪の毛を引きちぎっている。
「なっ……」
「モーリッツ!やめて!そんなことをしたら死んでしまう!」
アデリナの足も銀で焼けているが、そんなことはお構い無しに手を伸ばし、必死にモーリッツに命令する。
しかし、触れられても何故か彼は動くのをやめようとせず、とうとう銀の髪を引きちぎってしまった。
彼はボロボロの身体で血を流しながら、アデリナを捕らえている髪を掴み、こちらもバキバキと音を立てて破壊する。
この工程をこなすのに掛かった秒数はたったの五秒。
『後天性吸血種は、人間だった頃より少しだけ身体能力は上がるが、身体が若返ったりするわけじゃない。こんなのは今まで見たことがないぞ』
マルクが感心しているのを、ナーデルはあんまり真剣に聞いていなかった。
自身の最大の武器である髪の毛が、いとも簡単に破壊された。
しかも、吸血種ではなく後天性吸血種に。
このことは彼女のプライドをもズタズタに引き裂いた。
「ナーデル!」
アデリナの手が巨大化し、拳を振ってくる。
バルーが反射的に子どもたちの輪から抜け出し、愛する少女人形の身体を抱きしめて攻撃を回避した。
「モーリッツ!どうして言うことを聞いてくれないの!」
「ナーデル!大丈夫!?」
今度は子どもたちに絡みついた銀糸を破壊している。
その光景を見て、自分の弱さに直面したナーデルの気分は、最底辺まで堕ちていた。
バルーは身体のあちこちから血を流しながらも、ショックを受けてまともに動けなくなっている相棒の名を呼び続けている。
攻撃を回避した時にトランクと距離が開いてしまった。
抑制剤入りの血液を摂取しなければ、そのうち失血で飢餓状態になり、保護対象である子どもやモーリッツのことも殺してしまうかもしれない。
バルーがトランクに近づこうと身体を動かしたのを、アデリナは見逃さなかった。
何故か言うことを聞こうとしないモーリッツに呼びかけながらも、伸ばした巨大な手でバルーを殴りつけてくる。
解放された子どもたちは、逃げようと部屋の外に出た。
彼らは殺してもいけないが、逃がしてもいけない。
『ナーデル!しっかりしろ!千切れた髪を使え!』
少女人形はハッとして、部屋の外にいた子どもたちに向けて髪の毛を飛ばすと、そのまま手足を縛り付けた。
縛られた四人の子どもたちはその場にバタンと倒れてもがいている。
銀糸がかなり痛いだろうが、しばらく耐えてもらうしか無い。
他の千切れた髪を使って、全ての扉を閉めていく。
自分たちのいる部屋の鍵も閉め、バルーとナーデル、モーリッツとアデリナの四人のみが残った。
ここにはエルマの遺体もある。
出来ればこれ以上この場を荒らしたくはない。
「おまえも仲間を傷つけたいわけじゃないでしょう。これ以上の抵抗はやめなさい」
またしてもアデリナの前にモーリッツが立つ。
杖は折れ、骨も折れ、血だらけなのに、その視線には必ず彼女を守らないといけないという意思を感じる。
『アデリナも気づき始めているかもしれないが、あの爺さんはリーベンの血呪いで後天性吸血種になったんだろう』
「……それなら先に匂いで気づきそうなものだけれど」
『そこはまだ研究不足だが、人間の血の匂いに敏感な分、吸血種の血の匂いは感じにくいのかもしれない。後天性吸血種は人間の血も持っているから、そちらに反応していたんだろう』
ナーデルはそれを聞いて、少し考えた。
「既にリーベンは死んでいる。アデリナの言うことを聞かないとなると、リーベンは彼女が自分よりも弱いというのが分かっていて、早い段階で母親の護衛として、モーリッツを後天性吸血種にしたのね」
その考えは的を射ていると、マルクは思った。
「ぐ……」
『ナーデル。バルーがあいつの血の匂いにあてられている』
「バルー!」
ナーデルの髪がトランクを掴もうとするが、それをモーリッツが身体を前に出して食い止めた。
銀糸が突き刺さった腹から、焼ける臭いがする。
「……お父さま……。モーリッツの討伐を許可して頂戴」
『命令した吸血種は既に死亡。上位種と見られる吸血種は居ない。そいつは……バルーを殺すまで止まる気が無いだろう』
「守らないと…………」
バルーからはマルクの声が聞こえない。
何とか必死に彼に噛みつかないように、息を荒げながら耐えている。
『教会にとってダンピールは大切な武器だ。万が一にも失うわけにはいかない。俺が責任を取る。殺れ!』
ナーデルはその言葉を合図にバルーの首にしがみついた。
「ナーデル!?」
「許可が下りたわ。二人を狩るわよ」
「……っうあッ!」
愛する女性に首を噛みつかれた青年は、一瞬恍惚の表情を浮かべた後、ガクッと下を向いた。
瞳が赤く染まり、カソックが上半身を拘束する。
丸眼鏡は犬の口輪の形に変形し、直接噛みつけない状態になった。
『まずはモーリッツから片付けろ』
「分かってるわよ!」
唸り声をあげるバルーは、殺戮を楽しむ怪物のようにモーリッツに飛びかかる。
彼を守るように巨大な拳がダンピールの横面を殴りつけようと迫ってきたが、片手であっさりとそれを止めた。
真っ赤に染まった髪を長剣に変形させたナーデルは、バルーの首に噛みついたまま巨大な拳にそれを突き立てる。
「ぎゃっ!」
アデリナの悲鳴に呼応するかのように、モーリッツが拳の後ろから跳躍してきて、バルーの身動きが取れない腕に噛みついた。
「グァウッ!!」
犬のように唸りながら身体を捻るが、老人にどんどん血を吸われていく。
ナーデルも血を吸っている影響で、このままではバルーが失血死してしまう可能性もある。
マルクは独断で、バルーの腕の拘束具を遠隔操作し、解いた。
解放された腕から繰り出された右ストレートは、確実にモーリッツの心臓をぶち抜いた。
口からあふれ出た血が、バルーの口元に滴る。
それを美味しそうに舐め取る姿は、どこか妖艶だ。
心臓に穴を開けても、銀が含まれていない攻撃ではすぐに再生が始まってしまう。
老人の治癒力に上乗せされた程度では、回復速度はそこまで早くはないだろうが。
ナーデルは髪の長剣をモーリッツに向け、連撃の準備をした。
しかし、アデリナの伸びた腕が巻き付いてきて、動きが止まってしまう。
バルーの拳はモーリッツの背中から飛び出たままで、ナーデルも身動きが取れない。
全員の動きが一時停止した。
『口輪を外すべきだ』
「それはだめよお父さま!」
飼い犬を制御する自信を失ったナーデルは、叫ぶようにそう言った。




