⑥
『そうじゃない?……どういう意味だ』
「どうか、もうそれ以上は聞かないで頂戴」
ナーデルはバルーに背中を向けている為、マルクが見ている映像からは表情が上手く読み取れないが、娘が何を考えているのかは何となく分かってきた。
『お前、バルーが他の女のことも大人の女性だと認識したら困るってことか?』
「……っ!」
『……はいはい。お熱いことで』
ナーデルはあくまで機械人形に過ぎない。
それが感情を模倣するだけでなく、明確に意思を持つようになったというのは、技術者として喜ぶべきなのか否か。
マルクは改めて映像を確認した。
普段見ているナーデルと、バルーが見ている彼女の姿に違いはない。
バルーがナーデルの何を見て『大人』と判定しているのか、マルクにはよく分からなかった。
『どちらにせよ、本人が苦しんでいるなら治療はしてやった方がいいんじゃないか?』
「普段であれば問題ないの。ただ、今回は場所がよくなかっただけ」
バルーから聞こえないようにするためか、彼女は小さな声でそう言った。
『……というと?』
「認識機能だけでなく、記憶の方にも一部異常があるの。でもそれがかえって辛いことを忘れさせてくれているし、元々子ども好きだから、悪いことばかりでもないみたい」
父親は口を挟まず、静かに聞いている。
「もし、治療してシラフに戻ったら、自身に対する不遇な扱いについて、不信感が生まれるでしょうね」
ナーデルの言うことには一理ある。
教会は彼の人権を明らかに無視して、任務以外では常に拘束し、監視しているのだから。
バルーがこれまで怒らなかったのは、子どもたちのおままごとに付き合っているだけだという認識があるからで、どんなに苦しめられても、不都合な記憶を忘れられるからなのかもしれない。
しかし、今回はバルーにとってトラウマとなってしまった『児童養護施設』が現場になってしまったせいで、過去の出来事を思い出してしまっているのだろう。
『そういうことなら分かった……。とりあえず今はバルーの無実を証明しないとな』
「バルー」
「ん?どうしたの?」
ナーデルが振り返ると、バルーは既に別のことに気を取られているようで、職員たちのデスクを見回りながらニコニコとしていた。
「まったく……」
彼の足元まで近寄る。
ナーデルがマルクと話していたことをもう忘れているようだ。
「見て!このお手紙、送り主のところにリーベンくんの名前が書いてあるよ!」
「……連絡を取り合っていた職員がいるということね」
髪の毛を床に突き刺し、伸ばして机の位置まで身体を浮かせ、そこに置いてある手紙を見る。
机の上にあるブックスタンドの間に本がたくさん立てられていた形跡があるが、本に挟まっていたであろう手紙を無理矢理引っ張ったのか、倒れて散乱している。
「……偶然該当のものだったからいいけれど、勝手に人のものを見るのは今後やめておきなさい」
「ごめんなさい……。リーベンくんの匂いがしたから……」
ナーデルはバルーの頬を撫でながら手紙を開く。
「ナーデルは見てもいいの?」
「リーベンのだから見てもいいの」
中身を一通り読んだ彼女は、静かにため息をついた。
「わたしたちの動きが全部筒抜けだったみたいね」
「ん?」
「後でみんなの前で説明するわ」
散らかる机の上にオカルト雑誌を見掛けて覗き込む。
表紙には『ヴァンパイア伝説が現実のものに!?』と書かれていた。
「お父さま。職員と児童の情報を聞かせて頂戴。もう既に誰が犯人かは分かっているけれど、念押しで情報を聞いておきたいの」
『おう』
ナーデルとマルクが話しているのを、少し寂しい気持ちでバルーはのんびりと眺めていた。
「少しよろしいかしら」
扉の前に立っている人たちに向かって、少女人形は高圧的にそう呼びかけた。
「何だ」
モーリッツが厳しい声音で答える。
「エルマを殺した犯人が分かったわ」
「え!誰!?」
「……二人きりになる時間があったのはそこの司祭だけだ。信用出来るわけがないだろう」
冷たい声。
でもナーデルは怯まない。
「あら。わたしはトランクの中から見ていて、バルーが殺していないのは分かっているわ。勿論教会とも連携を取っているわよ」
後半はほぼブラフだったが、モーリッツは少女人形の話を信じたようで、静かに扉が開かれた。
「おまえたちが気になっているのは殺人トリックでしょうから、まずはその話をしていきましょうか」
ナーデルはエルマが亡くなっている部屋までバルーを引き連れて入っていった。
その後ろからもぞろぞろと他の者がついてくる。
幸いなことに、事件現場は荒らされたり、証拠を消されたりなどの細工はされていなかった。
「犯行は、バルーが扉を開けたあと、子どもたちとここで話している最中に行われたのよ」
「えっ……、でも、お部屋の中に誰かが入ってきたらすぐに分かるよ!窓から入ったのかな?」
バルーが小首を傾げると、ナーデルは彼の推理を否定するように、呆れた表情を浮かべた。
「まず、犯人は他の子どもたちと一緒に扉の前に立っていたの。それで、バルーが他の者に絡まれている隙を見て、『血呪い』を自分の腕に使用し、床を這わせるようにして蛇のように室内のエルマに近づいた」
ナーデルは床に残されている赤い線を指さした。
「これはその時の跡ね」
「あらっ!そうだったんだ!」
「それから、伸びた腕で口の周りをぐるぐると絞めつけて声を出せないようにさせつつ、手で首を絞めたようね」
バルーはエルマが死んだことに気がつかなかった。
死ぬ前に声を上げられなかったからだろう。
「ただ、エルマは後天性吸血種なのだと思うわ。吸血種なら血呪いで対抗出来るし、この程度で気絶するかも微妙ね。犯人が気を失わせてから、わざわざ水銀を飲ませたのを見ても確かだわ」
「あ、そっか!もう片方の手に水銀の入った容器を持っていたとしても、床を這わせなければ血呪いの痕跡を残さずに室内に伸ばして飲ませられそうだね!腕が疲れそうだけど!」
少女人形はどこか自慢げに微笑んだ。
「背の高いバルーが手の跡と同じように正面からエルマの首を絞めていたとしたら、死体が後ろ側に倒れるのが自然だと思うけれど、そうではないのは床から直接手が押し上げるような形で伸びてきたからだわ。無理矢理上を向かせるなりして水銀を飲ませたあと、解放した時に手が下に戻るのに釣られて、前のめりに倒れたのでしょう」
「あっ、手の形もバルーお兄さんのより小さいね!」
「……また忘れてたわね?まったく」
ナーデルは軽く辺りを見回した。
「水銀が入っていた容器は落ちていないようね。まだ犯人が持っているか、もう既に処分したかも」
「探す?」
「見つけられれば重要な証拠品にはなるでしょうけれど、今は一旦いいわ。続けましょう」
バルーはその言葉に対してしっかりと頷いた。
「犯人は、扉の前にいた者の中にいる。つまりモーリッツ以外ね」
「そんなわけない!」
オリーブ色の三つ編みのヴァネッサが泣きながら言った。
しかし、ナーデルはそれを無視する。
「……犯人はここにわたしたちが来た時から、既に罠を張り巡らせていたし、バルーの秘密にも気がついていたようだった。でも、どうやって情報を得ていたのか、さっきまで分からなかったの」
そう言いながらナーデルは三通の手紙を懐から取り出した。
「でも、これを読んで合点がいったわ」
「あれ!リーベンの名前が書いてあるじゃん!」
黒い短髪のグンターがそう言いながら指をさしてくる。
「最初の手紙には、『母さんがルクス園のみんなを後天性吸血種にした時のことを参考に、ミオに血呪いを使ってみた』と書いてあるわ」
バルーはそれを聞いてビクリと肩を震わせた。
「この手紙を信じるなら、……犯人以外全員、リーベンの母親に後天性吸血種にされているということね」
「そんな……!?」
「吸血種として子分たちに命令して、自分がついている嘘に付き合わせているのよ」
バルーは難しい顔のまま、斜め上を向いている。
「二通目の手紙には『教会からダンピールが吸血種退治に派遣されてるって噂が雑誌に書いてあった。母さんも気をつけて』とあるわね」
「うーん」
頭が冴えないままのバルーは、その美しすぎる顔の下に右手を添えながら、自分なりの推理を組み立てようとしている。
「最後の手紙には、自分が殺した養父の葬式のために派遣されてきた聖職者についての情報が書かれているわ。この段階では誰がダンピールなのかリーベンは知らなかったようね」
「僕のこと、何か書いてある?」
頷く飼い主を見て、考えるのを諦めた青年は、犬のように好奇心旺盛な態度を示した。
「『あの司祭は鼻が利くかもしれない。オレが血呪いを使ったミオと食事に行きやがった』……、って怒り狂った字で書いてあるわね」
「……」
「まあ、きっとこの情報を元に、葡萄で何かを作って、自分たちの血の匂いを誤魔化そうということになったのでしょう。あとこうも書いてあるわ」
ナーデルは便箋を捲りながら説明を続ける。
「『修道士たちがあの司祭について妙な愚痴を呟いてた。オレだけじゃよく分からないから、聞いたまま書くけど、『あの女の子(多分ミオのこと)は子どもだからいいけどさ。相手が大人だっったらあの態度は誤魔化しが効かないよな』『その時は俺たちがフォローするんだよ』『面倒くせえな』だって。あの司祭と戦う可能性もあるし、何か意味が分かったら情報共有しよう』」
読み上げが終わり、ナーデルは手紙を畳んだ。
この手紙を送った後、リーベンはバルーに殺されたのだ。
相手は間違いなく敵だが、言葉の分からぬ獣ではない。
胸にチクリとトゲが刺さるような気持ちになった。
「ここに居る者以外に、施設関係者はいないということも分かっているわ」
「え?どうして?」
「お父さまが施設関係者を調べてくれたからよ」
バルーは感心したように手を叩いた。
「ここに勤めている職員は三人。亡くなったエルマ・メルダース。施設長のモーリッツ・ホイヤー。そして」
ナーデルは髪の先端で長い黒髪の女性を指し示した。
「リーベン・ラスカーの母親。アデリナ・ラスカーよ」
この言葉には本物の子どもたち四人も驚いた様子だった。




