第二話 悪女の娘
コリーン・アリステッドは憂鬱だった。
女帝であり,彼女の母親であるアルセリーナを見ると胸がムカムカし,眩暈が起きるのだった。
アルセリーナはまるで意地の悪い女神のように振る舞い,自覚はないくせに,母親ぶって上から話しかけた。つりあげられた目,さまざまな悪事を犯してきた肉付きの良い腕。
いわゆる「中年太り」の時期であった。
40になっても女帝は美しく,若い頃の輝きは永遠に失われてしまったが,むしろ肥満が彼女の肌にツヤを生み出している。―当たり前だ。コリーンは思った。
少ない国庫を美容で赤字にしてしまった女帝なのだから。
また新しく購入した美容液の匂いをまるで自慢するかのようにプンプンさせながら女帝はまだ少女っぽいコリーン・アリステッドに近づいた。コリーンは立ち止まって母親を見上げた。女帝は話しかけずに彼女の頭の先から足の先まで満足いくまで見つめた。
コリーンは苛立ってきた。
いつまで私の体を見るのかしら。毎日見ているくせに……。
やっと女帝が口を動かした時には,コリーンはそっぽを向いていた。
「お母様を見なさい!コリーン!!
貴女はいずれこの国を継ぐのですよ!そして今日は民に初めて洗練された貴女を見せ付ける日です!
貴女は分かっているのでしょうね?コルッセント公妃に言われませんでしたか?」
コリーンはそれには答えず,ふくれっ面で自分のドレスを指差した。
もちろんそんなことは分かっている。だからこそ今日はちゃんと皇女として正装しているのだ。
わざわざ聞かなくてもよいことを聞かれて,コリーンは余計苛立った。
白い生地に金色の糸でデザインをつくり,その上にボリュームたっぷりのレースをかぶせる。金色のデザインがレースの下にうっすらと映ってとても美しい。まるで甘いケーキのようなふんわりしたドレスは少女なら夢見るものかもしれないが,コリーンは気に入らなかった。
なにせこのドレスは彼女より少し小さいのだ。
コルセットだけでも彼女の腰をきつく締めすぎて,彼女は息切れ寸前だった。
しかしこれは女帝のせいであった。
女帝はいつまでも彼女を幼い子供だと思っている証だった。いずれ自分を抜かすほど美しくなるであろうコリーンを恐れている象徴でもある。すでに13歳のコリーンにはうすうす気付いていた。
女帝は鼻で笑った。
「そうね…でもそのドレス,貴女にはもったいないんではなくて?
少し小さい気もするし……」
ののしっている。女帝の目を見れば一目瞭然だ。コリーンはきっと目を上げて言い返した。
「そのとおりですわ!!アルセリーナ様!このドレス,私にはとても小さいんですの」
女帝は一瞬ひるんだが,不機嫌そうな顔をしてコリーンを睨んだ。
そしてくるりと背を向けながら言った。
「なら新しくすれば良いでしょう。お金ならいくらでもあるんですからね」
ええ,借金ならね!!コリーンは去ってゆく母の後姿にこの言葉をぶつけたかった。
すでに国庫が空っぽ寸前であることは知っている。そしてナルセーシュタイン王家には借金がとめどもなくなだれ込んでいるのも知っている。だから彼女は我慢していた。実はずっと前から女帝にドレスが小さいことはいっていたが,女帝は知らぬフリをしていたのだ。
国庫が危機的状況であることを知ったコリーンはそれ以来女帝には何も言わなかった。
今になって私のドレスを小さいだなんて!!
コリーン・アリステッドは自分にお辞儀をしていく貴婦人や宮廷人を無視しながら私室へ戻っていった。
角を曲がる直前だった。その恐ろくて,忌まわしい声が飛び込んできたのは。
角の近くに,グランティリエ公爵とヘルセル伯爵夫人,ブラッティン公妃が話していたのだ。
影と,そして声を聞けば皇女に分かった。先に言ったのはグランティリエ公爵だった。
「あの娘……コリーン・アリステッド殿下は…今日の祝祭にでるのかね」
それにヘルセル伯夫人が答えた「ええ。」
「なんでも正装して出席なさるのよ。それもサイズが小さいっていうのにね」
それと同時に笑い声が上がった。コリーンはサイズの合わない自分のドレスを見て赤面した。
そのあと,ブラッティン公妃がクスクス笑いながらイタズラっぽく言った。
「それだけじゃないわ!無様なその小さいドレスのコルセットがきつ過ぎて,民衆の前で気絶するんじゃないかって…それにかけてる人もいるわよ!本当にあたったら50プリエ(通貨)なんですって」
それにも笑い声が上がった。最悪だ!グランティリエ公妃は可愛くて愛想がいいので,コリーンのお気に入りだった!コリーンの心はズタズタにされた!そのあと,とどめの一撃が出た。
「あの顔を思い出せよ!美人でたいそう愛らしいが,不機嫌になると母親そっくりになる!
ついでに俺の挨拶も無視!どうせ心も女帝と一緒なんだろう。まさに悪女の娘さ!!」
コリーンは憤激していた。バッと角を出ると,一瞬立ち止まって呆気にとられてこちらを見ている貴人たちをかつてないほど睨み,その青い目に憎しみと恨みと怒りを込めた。
そして貴人達がすくみあがると,彼女は足早にそこをかけてゆく。
さきほどは恐ろしく燃えていた目を涙でいっぱいにしながら。