第十五話 薔薇庭の出会い
ある日コリーンはたいくつしのぎに育てていた薔薇庭でねそべっていた。
雲が頭上をゆっくりと通り過ぎてゆく。彼女は瞬きもせずにそれをじっと見つめていた。
ふいに庭の外から声がした。
コリーンはゆっくりと起き上がって目をこすった。
「あの………」
茂みから見つめていたのは16歳くらいの少年だった。
少年はひどく怯えた目つきでこちらをうかがっている。コリーンは手招きをした。
「だれ?どこからきたの」
少年は黙ったまま彼方にある小さな村を指差した。
コリーンは微笑んだ「エティスバラン村ね。幼い頃度々行ったことがあるわ」
少年はやっと口を開いた。
「皇女アリステッド様ですね…。僕はシャルル・テラスケス。エティスバランの出です。
ここに囚われの姫君がいると聞いて……」
コリーンは沈黙した。だがすぐに顔を上げた。
「…そうよ。でも囚われって言うのは少し違ってるわ。
私は好きでここにいるのだから」
シャルル・テラスケスは笑った。そして庭にそっと入ってきた。
「勝手に見たりしてごめんなさい。僕はある方から伝言を届けにきました」
コリーンは目をみはった。少年は続けた。
「サンテランス伯ブラントからです。
レクシアスという者が先日この国を出たようですが,レクシアスは今ペスタリカ王国にいるとのことです……」
コリーンは頬を朱に染めていった。そして歓びが隠せなかった。
「ほんとう?!レクシアスが!
…そう!で,彼はなんと…?」
シャルルは静かな口調で言った。「そこでの待遇もよく,レクシアスは大変満足しているようです。ですが貴女様がとても心配だと言っていたらしいのです」
コリーンは静かに頷いた。
「私は元気よ。大好きな薔薇に囲まれて幸せだって,彼に伝えてちょうだい」
* * *
シャルル・テラスケスの突然の伝言はコリーンにとって日々の支えだった。
シャルルは度々コリーンの薔薇庭に現れては,レクシアスやペスタリカ王国の状態や生活を伝えてくれた。それらの情報は極秘として,ブラント伯爵からシャルルに直接伝えられた。
シャルルとコリーンはたまに庭に座って何時間も話した。
ある日シャルルはブラントの伝言を伝え終えると,じっとコリーンを見た。
彼は言った。
「皇女殿下,貴女はレクシアス様をどう思っておられるのですか?」
コリーンは微笑んだまま答えなかった。
シャルルは身を乗り出して再び同じことを言った。
コリーンは空を見上げた。そして羽ばたく鳥達に目をこらした。
「ただの友人よ。私のたった一人のお友達。そうね,貴方もそうだけど…。
彼は何か違う存在なの。ガラスのようにもろい私をいつも支えてくれる大切な人」
シャルルは分かったように首を何度も振った。だが少し声をひそめて彼女に向き直った。
「ですが…皇女様。私は心配でならないのです。貴女は一人ぼっちでこの離宮に住んでおられる…。
並みの少女だったら人恋しがって泣きだすに決まっています」
コリーンはハッキリと言った。
「私は生まれた時から孤独と隣り合わせでした。だから1人でここに追いやられても何の苦にもならないのです」
その瞳に光が走った。コリーンは続けた。
「母が……死ぬまで私はずっとここにいるでしょう。そして追放されるかして…。
今すぐにでもいなくなりたいくらいですが…」
シャルルは悲しそうな顔をしてうつむいた。
だがすぐに顔を上げて思い出したように言った。
「…その…陛下のことなのですが…陛下は今体の具合がよくないと聞いております。
これはブラント伯でなく,たまたまブラント伯の館にきていたテルセル公爵夫人が言っていたことなのです。陛下は一日中寝室にいて食事もろくにしないと話していました」
コリーンは何も反応せず,ただ小さく頷いただけだった。
シャルルは彼女を見つめた。
「高貴なるナルセーシュタイン王家の皇女様。貴女はとても素晴らしい方だと,ブラント伯やそのほかの貴族から聞いております。今にこの弱体化しつつあるクリステリアを救う方だと……。彼らは貴方を慕い,貴方を望んでいます。だから,陛下が崩御しても,貴方にはこの国に留まって欲しいのです」
コリーンは瞳を閉じた。
「私にこの国を救う力も知識もありません。私には無理です」
これには母へのよどみない怒りが込められていた。彼女はこの国が荒廃しつつあるのは紛れもなく女帝アルセリーナの存在だと信じていた。だが,いかに女帝を正当化してもそれは真実だった。
シャルルは立ち上がって彼女に言った。
「貴女がもしこの国を救ってくださるのなら,今すぐにでも貴族達が全力で貴女をサポートします。
決心がついたなら,三日目の夜この薔薇庭に出ていてください。ターフォンヌ伯爵が待っています。そして貴女のダミーをここにおいて,西のペーセッツにある邸へご案内します。そこで陛下崩御の知らせを待つのです……」
コリーンは目を見開いてシャルルを見上げた。シャルルは本気だった。
シャルルは念をおすように強く言った。
「選択の余地は三日です。いいお返事をご期待しております」
するとシャルルは風の如く庭を走り出て行った。
コリーンは呆然とその後姿を見つめていた。