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第8話 視線のカスケード現象③

 ケンタに対するテストは、表面上、他のメンバーと変わらない感じで終了した。


「ありがとう、戌井(いぬい)くん。このあと、隣の部屋に置いている端末でアンケートに答えたあとは、野球部の活動に戻ってくれて構わない」


「あざっす! お疲れさまでした」


 朱令陣(しゅれじん)先輩の声かけに対して、丁寧にお辞儀をした幼なじみは、ちらりと私の方を見たあと、黙って薄暗い第二理科準備室を出て行った。


 最初に、先輩が説明したように、被験者の野球部メンバーが、どちらの画像を選んだのか、私たちにはわからないようになっている。

 ただ、 いまのケンタだけは、どちらの画像を選んだのか、幼なじみのちょっとした仕草と、これまでの生物心理学研究会の代表者の言動を考慮すると、聞くまでもなく、その答えがわかった気がする。


「先輩、いったい、どういうつもりなんですか?」


 ケンタが部屋を出て行ったあと、()()()()()()()()()()()()()を勝手に使われたことに抗議するべく、睨むように上級生を問い詰めようと語りかけたけど、彼女は、素知らぬ顔で即答する。


「まあまあ、まだ最後の被験者のテストが終わっていないんだ。この実験に関する詳細は、テスト終了後に説明するから、しばらく待ってくれたまえ」


 それでも、私と良く似た顔写真を説明もなしに使ったことに対する見解を聞こうと口を開きかけたんだけど、その瞬間、準備室のドアが開いて、もう一人の上級生が室内に入ってきた。

 

「被験者番号12番。 日辻羊一(ひつじよういち)です。ヨロシクね、禰子」


「あ、あぁ、ヨウイチ。よろしく頼む」


 これまでの自信にあふれた言葉とは違って、あきらかに緊張しているようすで、朱令陣先輩は、画像投影の準備を始める。そして、すぐに、


『【視線のカスケード現象】の実験にご協力いただきありがとうございます』


というデフォルト画面が切り替わり、僅かな時間差で二枚の顔写真が表示される。

 スクリーンに映し出された画像を見た瞬間、私は絶句してしまった。


 左側の少しだけ早いタイミングで表示された画像の顔写真は、あきらかに本人よりも美少女風に加工されているものの、朱令陣禰子(しゅれじんねこ)先輩そっくりの顔立ちをしていたからだ。

 ちなみに、少しだけ遅れたタイミングで表示された右側の画像も負けず劣らず整った顔立ちの写真で、どこかで見かけた顔だと感じたんだけど、私には、それが誰なのかわからなかった。あるいは、ケンタより前にテストを受けたメンバーのときと同じように、当初の説明のとおりAIで作成した人工的に作られた架空の人物の顔写真かも知れないけど……。


「心理学の知見を応用すれば、相手が好む異性のタイプを変えることも出来るんだ。ワタシの行う実証実験で、幼なじみクンの好みの女子のタイプを書き換えて、キミから注目を逸らすようにしてみないか?」


 いま実験を行っている先輩は、先週末そんなことを言っていた。


(朱令陣先輩の本当の目的は、これだったのか……)


 今さらながらに、自分とケンタすら、彼女の実験と実証のダシに使われていたことに気づいて、私はこころの中で、大きなため息をつく。


 二つの画像を目にした瞬間、かすかに表情を変化させたように感じる日辻先輩が、どちらの顔写真を好みのタイプとして選んだのかはわからないけれど、傍若無人を絵に描いたような上級生の実験に巻き込まれた者の一員として、すべてのテストが終わったあとは、その結果とともに、実験のねらいや内容に関する詳細を説明してもらわなければ納得できない。


 そんなことを考えていると、最後の被験者の実験も終了したようで、先輩の声が準備室に響く。


「ありがとう、ヨウイチ。これで、テストは終了だ。アンケートに答えたあとは、第二理科室を退出してくれて構わない」


「わかったよ、禰子。それじゃ、またあとでね」


 さわやかな笑顔で答えた日辻先輩が、準備室から第二理科室に移動したのを確認してから、私は口を開いた。


「これで、テストは、すべて終わりましよね? 先輩、今回の実験の本当の目的を教えてくれませんか?」


 自分とそっくりの写真が使われたこと、彼女(よりも何割増しかの美少女風に加工されているように思うけど)に似た写真を使ったことには、何らかの意図があるんだろう。真剣な表情で問い詰める私のかたわらでは、親友の佳衣子が、興味深そうな笑みを浮かべながら、先輩と私の表情を見比べている。


「本当は、隣の第二理科室で記入されるアンケートの回答が出揃うのが待ちたいところなのだが……まあ、今回の実験の肝であるところのキミの意見は尊重することにしよう」


「はい、早く説明をお願いします」


「そうだな、まず今回の実験は、スクリーンにも表示さている『視線のカスケード現象』を逆手に取ったものだ」


「視線のカスケード現象?」


「カスケード現象、もしくは、カスケード効果とは心理学の分野で広く知られた現象だ。キミたちは、『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい』という言葉を聞いたことはないかい?」


「あ、それなら聞いたことあります!」


 私より先に、佳衣子が手を挙げて答え、先輩に問いかける。


「楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しい、とも言いますよね?」


「そう、それも同じことだ。こうした、何らかの刺激に対して、まず体が反応し、それが意識化されることで感情が生まれていく、という仮説は、19世紀の心理学者ウィリアム・ジェームズとカール・ランゲによって提唱されて以降、広く知れ渡るようになったんだ」


「はあ……でもそれが今回の実験とどう関係するんですか?」


 佳衣子は、釈然としないといったようすで疑問に感じているみたいだけど、私には、朱令陣先輩が言おうとしていることが、わかった気がした。さっきの小休憩のときに、佳衣子が指摘したように、今回の実験で、どちらか片方の画像が長い時間スクリーンに映っているのだとすれば……。


「もしかして、『好きだから長く見る、じゃなくて、長く見るから好きになる』ってことですか?」


 私がたずねると、生物心理学研究会という怪しげな同好会の代表者は、満足したようにニヤリと笑った。

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