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幕間3〜日辻羊一の気持ち〜

 幼なじみのその子と親しく話すようになったのは、放課後の学童保育に通っていた頃だろうか?


 ボクの通っていた小学校の中にあるその施設には、ムシ好きの変わった女の子がいた。


 ボサボサの天然パーマの髪型が特徴的だったその子は、可愛らしいお姫様や愛くるしい動物のキャラクターなどにはまるで関心が無いようで、晴れた日は、校庭のすみっこで、アリや毛虫やダンゴムシなどをながめ、雨の日は室内で低年齢向けの『ファーブル昆虫記』のシリーズを読んでいるような子どもだった。


 そして、時おり、校庭で観察していた虫を指でつかんでは、同じクラスの児童に見せるものだから、それらを見せられた子どもは泣き出して、その度に、彼女は学童の先生に叱られていた(ちなみに、虫を見せられて泣いていた子どもの中にはボクも含まれている)。


 世の中には、変わった趣味を持っている子がいるな―――。


 そんなことを感じつつ、ある日、思い切って彼女にたずねてみた。


「ねぇねぇ、禰子(ねこ)ちゃん。禰子ちゃんは、どうして、そんなに虫が好きなの?」


 その日も、しゃがみ込んで、地面にジッと目を向けながら、熱心にアリの行動を観察していた彼女は、顔を上げて、


「なんだ、羊一か……」


と、つぶやいたあと、小学校の低学年とは思えないほどの語彙で多くを語り始めた。


「ムシや昆虫の最大の魅力は、なんと言っても、独特な外見だよ。校庭では見られないけど、タランチュラの毛むくじゃらで巨大な姿や、サソリの鋭いハサミと毒針を持つシルエットは、大昔から生きてきた生命を思わせる迫力と美しさを兼ね備えている。世界中には、構造色による光沢によってコバルトブルーに輝くクモや、ブラックライトを当てると青白く光るサソリなど、まるで宝石のような色彩を持つ種もいて、その姿は見ているだけで生物の神秘を感じられるんだ」


「ふ、ふ〜ん。そうなんだ……でも、小学校には、そんな変わった虫はいないでしょう?」


「いや、いま、目の前にいるアリだって、その生態はとても興味深いものだ」


「そうなの?」


「あぁ、そうだよ。『働きアリの2:6:2の法則』と言ってね。働きアリの集団行動を観察すると、こんな特徴が見られるんだ。精力的に働き、多くの食料を集めたり、重要な仕事を行うよく働く2割のアリ。必要に応じて働き、集団を支える中核となる普通に働く6割のアリ。ほとんど動かず、一見サボっているように見える、ほとんど働かない2割のアリ……」


「えっ、アリって、みんな働き者なんじゃないの?」


 イソップ童話の『アリとキリギリス』を絵本で読んでいたボクは、アリはみんな働き者で真面目に仕事をこなしているものだと思っていた。そこで、疑問に感じたことをたずねる。

 

「じゃあ、サボっているアリは、他のアリたちに嫌われたりしないのかな?」


「それが、そうではないらしい。実は、働かないアリにも大切な役目があるんだ」


「大切な役目?」


「あぁ。一見すると無駄に見えるこの存在が、コロニーの維持にとって重要な意味を持つことが、進化生物学の研究で明らかになっている。目的の一つ目は、バックアップの確保。よく働くアリが疲労して動けなくなった時や、巣の一部が壊れる、大量の食料が見つかる、といった予期せぬ緊急事態が発生した時、働かなかったアリが動き出して、その穴を埋めたり、新しい仕事に対応するんだ。目的の二つ目は、労働量の安定化。全員が同時に働くと、全員が同時に疲れてしまって、誰も仕事ができなくなる時間帯が生じる可能性がある。働かないアリがいることで、仕事の処理量がゼロになる時間が減り、長期間にわたって安定して仕事を継続できる仕組みになっているそうなんだ」


「そ、そうなんだ。なんだか、スゴイね」


 相づちを打つように返答したものの、実際のところ、低学年のボクは、彼女の語る内容を2割も理解できていなかったことを告白しておく。


 ただ、そんな当時の自分にも、理解できたことが2つだけある。

 それは、ただ動いているだけに見えるアリも不思議な生態を持っている、ということと、目の前でしゃがみ込んでいる朱令陣禰子(しゅれじん)という女の子が、とんでもなく頭の良い子だということだ。


 そんな彼女に、ボクはもう一つだけ聞いてみたいことがあった。


「ねぇ、禰子ちゃん。禰子ちゃんは、『女の子なのに、変わった趣味を持ってるね?』って言われて、悲しくなったり、イヤになったことはないの?」


 それは、ボク自身が気になることでもあった。

 この頃から、お菓子作りが趣味だったボクは、親戚が集まった時などに、焼き菓子やクッキーを作って食べてもらおうと張り切っていた。


 ただ、親戚の叔父さんなどは、その度に、


「羊一は男の子なのにお菓子作りが趣味なのか? 変わってるな。野球やサッカーに興味はないのか?」


と笑われるのが悲しかったのだ。


 そんなボクの心情のことなんて知る由もなかっただろうけど、その時の彼女は、平然とこう言ってのけた。


「変わった趣味なんて言うのは、生き物の不思議さや神秘的な魅力を知らない愚かな人間の言うことだ。自分が本気で好きなことを否定する人間の言うことなんて気にする必要はないさ」


 それは、とんでもなく頭が良いと感じた、目の前にいる同い年の子からの力強いエールだ、とボクには感じられた。


 その一言で、それまでボクの中にくすぶっていた大人の心無い一言に対する劣等感は、キレイさっぱり消え失せてしまった。


「うん……そうだね。気にする必要なんてないんだよね……」


 ボクがつぶやくように言うと、彼女は、その日、一番の表情をこちらに向けて、


「あぁ、そうだよ」


と、ニコリと微笑んだ。


 ボクが、()()()()()()、朱令陣禰子という同い年の子を特別に意識するようになったのは、このことが切っ掛けだった。


 いつか、ボクも彼女のように、誰かを勇気づけられる人間になろう―――。


 ボクは、このとき、そう心に誓った。


 ただ、小学校の低学年にして、相手との成長度合いをまざまざと見せられた自分にとって、朱令陣禰子という存在は、異性として意識しづらい相手になってしまったことだけは、こっそりと付け加えておきたい。

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