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第3章~第15話 スタンフォード監獄実験⑮~

「あぁ、そのとおりだ。一度目の実験が終わったときにも言ったように、人間は、コスプレをしたり、役割を与えられただけで、行動が変わるわけではない、とワタシは考えている。ミルグラム実験の結果もふまえて、個人の役職や状況が直接的に行動を決定するわけではなく、そのグループにおけるの権威や権力のあり方こそが、人間の行動のあり方を変える、というのがワタシの考えだ」


「なるほど……二回目の実験の看守たちは、ネコ先輩という監察官の明確な命令があったことで、自分が囚人に非道なことをしているって感覚が無くなっていった、ということなんですね?」


「うむ……実は、スタンフォードの監獄実験では、ワタシが演じたような冷酷な命令者の存在があきらかになっている。それは、実験で監獄の所長を務めたデイビッド・ジャッフェと言う人物だ。彼は、実験の責任者であるジンバルドーの部下で、学部の研究助手でもあったのだが、看守に強権的に振る舞うように指示を出していたことが、残された実験記録からもわかっている」


「じゃあ、スタンフォード大学の実験は、やらせだったってことですか?」


「まあ、これを端的にやらせという一言で片付けて良いものかは議論になるところだろうが、スタンフォード実験にはさまざまな問題があると言われているうちのひとつであることは間違いないな」


「そうだったんですか……それじゃあ、ジンバルドー教授の研究結果自体にも問題があるんでしょうか?」


「もちろん、そうなるが……以前も言ったように、部活動の寮だけでなく、世界中の刑務所などで、スタンフォード実験で発生したようなものと同様の状況が発生しているのもまた事実だ。典型的な例が、今世紀に発生したアブグレイブ刑務所の拷問と囚人虐待だな」


「刑務所での拷問と虐待? 21世紀になっても、そんな野蛮なことをしている国があるんですか?」


「あぁ、この問題が起きたのが、ミルグラム実験とスタンフォード監獄実験が行われた当事国であるアメリカ合衆国だ」


「えっ! 本当ですか!? 私は、てっきり……言い方は失礼だけど、もっと文明が発達していない国で起こったことかと思いました」


「正確には、アブグレイブ刑務所は、イラクにある刑務所だがね。そこで、看守を務めていたアメリカ陸軍とCIA(アメリカ中央情報局)の職員が、刑務所の収容者に対する一連の人権侵害と戦争犯罪で告発されたんだ。これらの虐待には、身体的虐待、性的屈辱、肉体的・精神的拷問、強姦、そして収容者の殺害と遺体の冒涜が含まれていた」


「そんな……まるで、大昔の強制収容所じゃないですか?」


「あぁ、もともと、ミルグラム実験やスタンフォード監獄実験は、ナチス・ドイツが行った非人道的な行為について研究するために行われた実験という側面がある。電気ショックの実験を行ったミルグラム自身も、当初、ナチスに所属する人物たちが示した服従行動は、ドイツ人特有の性格に由来するのではないかと疑っていて、アメリカ人参加者を対照群としたうえで、ドイツ人参加者を対象に同じ実験を行う計画を立てていた。しかし、多くの被験者が権威に服従して最大の電圧を加えるという予想外の結果が出たため、ドイツ人を対象に同じ実験を実施することは中止されたそうだ。いまから80年前の強制収容所で行われたことと、今世紀のアブグレイブ刑務所で発生したことは、図らずも2つの実験の実証性をあらわしているとも言えないだろうか? ワタシは、そう考えているんだ」


「はあ……そうなんですね……」


 自分たちの実験は、なんとか大きな問題に発展する前に止めることが出来た、と私は考えていたんだけど、先行する実験の実態と、その実験があらわにした人間の本性、そして、今世紀に入っても、その人間の特性がまったく改善されていないことを聞かされると、重たい気持ちになり、ため息が漏れる。


 何気なく観察者を務めた実験に、こんな実態があったなんて……。


「それじゃあ、どうすれば、寮や刑務所での暴力行為を無くせるんでしょうか?」


 もう一度、深いため息をつきながらネコ先輩にたずねると、彼女は、落ち込む私を慰めるようにこう言った。


「それには、やはり、組織とシステムの見直しを行うことだろうな。一度目の実験中、ヨウイチが言っていただろう? 『人を責めるな、組織を変えろ』とね……権威を盾に人を従わせようとする場には、多かれ少なかれ、人間関係の歪が生じるんだ」


「じゃあ、一度目の実験のような組織であれば、問題ないんでしょうか?」


「まあ、あれはあれで、囚人側のリーダーによる体制の転覆後に、独裁と全体主義の時代がやってくるという明るくない未来が待っているかも知れないがね……二度目の実験のように、甲子園大会の決勝戦で、相手チームの応援歌『ウィニング』が流れる中、ネクストバッターズサークルに清原和博が控えているようなプレッシャーを看守に与えれば、よろしくない結果が出るということがわかっただろう?」


「いや、ドヤ顔で言われても、その例えは、全然意味がわかりませんから」


 どうやら、ネコ先輩は、モニター中に読んでいた高校野球関連の本に毒されたようだ。

 

「ともあれ、いまのワタシたちがしなければいけないことは、その先の未来を悲観するよりも、実験に協力してくれた生徒たちのケアだ」


「たしかに、そうですね! 実験を観察させてもらった以上、私も同席させてもらいます」


 意味のわからない例え話はともかくとして、こうして、気持ちを前向きにしてくれるネコ先輩は、やっぱり、頼りになると、リスペクトしかけたんだけど……。


 いざ、デブリーフィングという被験者へのケアが始まると―――。


「そっか〜! 二回の実験には、そんな狙いがあったんだね〜。でも、やっぱり、思ったのは、日辻がイケてる男子だってこと。ウチ、一回目は看守役だったけど、『人を責めるな、組織を変えろ』って言って、ウチら看守のリクエストを聞いてくれたとき、ガチ惚れしそうになったもん。ああいう優しくて頼りになる男子って理想だよね。やっぱ、夏休み中に遊びに誘ってみるか〜」


 屈託なく言ってのける被験者の一人、桑来さんに対して、今回の実験の責任者にして生物心理学研究会の代表者は、露骨に顔をしかめた。


「ふむ……それだけ前向きになっているなら、キミに対するデブリーフィングは必要ないようだな。とっとと帰りたまえ」


 デブリーフィングには、


・情報提供:実験の真の目的、仮説、方法論などを参加者に明確に伝えること。


・ディセプションの正当性説明:実験前に行ったディセプション(虚偽説明)がなぜ必要だったのか、参加者の理解と納得を得るために説明すること。


・参加者のケア:参加者が抱いた疑念やストレスを解消し、実験への不快感を和らげること。


・同意の確認:研究で得たデータを使用することについて、参加者の改めて同意を得ること。


と言った目的があるそうだけど、公私の区別を忘れたネコ先輩は、桑来さんに対して、これらのケアをすっ飛ばそうとしたので、あわてて、私がフォローすることになってしまった。


 そうして、私は考える。


 過酷な状況にあっても、自分らしさを失わなかったケンタや佳衣子のような心の持ち方こそが、周囲の状況に左右されない生き方のお手本になるのではないか、と。

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