第3話 「そんなの無理だよ……」
お盆シーズンの霊界といえば、精霊の帰省ラッシュに伴う交通渋滞――だけじゃない。
その裏では、見えない戦いがある。ナスやキュウリの乗り物を動かすためのシステム「REN」、そして霊界観測衛星「OTENTO」を、年中フル稼働で支えているのが霊界技術局だ。
その最前線にいるのは――病弱で口癖は「そんなの無理だよ」の男、黒戸 。
今日も彼は、低周波治療器とアイスノンに囲まれ、まるで自宅療養中の患者のような姿でコンソールに向かっていた。
だが、この日のトラブルはいつものバグ修正とは違った。
現世のSNSで急上昇した「#ご先祖帰ってきて」というタグが、量子干渉を通じてOTENTOに誤作動を引き起こすという、まさかの“感情トレンド干渉”事件。
供養ポイントの大量偽造、精霊の帰省不能、ナスのオーバーヒート――
それらの原因は、まさかの「バズり」だったのである。
そして、偶然にも振替休日で暇を持て余した林 が、その修羅場にやって来た。
こうして、霊界交通庁と技術局を巻き込む、中休みのようで中休みじゃない一日が始まる――。
朝霧の立ち込める霊界技術局。奥まった区画にある、システム開発セクション。その一角で、白衣というより寝間着と化した作業服を着た男・黒戸 は、ぐったりと机に突っ伏していた。
低周波治療器、電気湯たんぽ、首にアイスノン。ここだけ気温が3度くらい低い気がする。
「黒戸さん、今度は何が無理なんですか」
村吉 が、半ば呆れ気味に聞く。こちらもかつては現世でシステムエンジニアだったが、今は技術補士として、強制的にこの部署に配属されている。
「全部だよ村吉くん……RENのフロント仕様がまた非互換になってるし、サーバーの時間軸がズレてるし……あと“ナス”の霊界チップ、供養ロジックバグって再起不能……」
「じゃあ直しましょう。ていうか、それ、昨日のバージョンからじゃないですか?」
「そうだよ……しかも……」
そこへ、分室の自動ドアが唐突に開いた。
「こんにちはー!生きてるー? ……あ、生きてないか」
元気な声。スーツ姿、手にはお土産用の“霊界プリン”入り紙袋を持った男
主人公・林 真人。霊界交通庁お盆対策部・精霊配送管理課の係長である。
「なに、林さん、なんでここに?」
「今日だけ振替休暇なんだよ。1日オフ!やった!……で、誰とも喋らないのも寂しいから来ちゃった」
「なんでこの部署選んだんですか……」
「だって霊界技術局って、面白そうだし」
「観光感覚かい……」
「ていうか、何この部屋、サウナ?冷蔵庫?ってくらい空気がどんより……あれ?黒戸さん、また 熱?」
「来ないで……今はデバッグ地獄なんだよ……」
「楽しそうでなにより」
◆
「それで、またOTENTO落ちてるんですか?」
林が部屋の片隅にあるモニターを指差す。そこには霊界観測衛星 OTS-07「OTENTO」の状態が表示されていた。
「うん……今朝から“同期異常”」
村吉がぼそっと言う。
「でもこれ、ただのハードエラーじゃないんです。現世のSNSに“#ご先祖帰ってきて”ってタグが一気にトレンド入りしてて……」
「この前言ってたやつ?そのせいでえらい目にあったんだよ!え、Xでバズってるのが原因?」
「そう。現世のSNSトレンドが、OTENTOの量子干渉波とシンクロして、RENの“善行ログ”解析アルゴリズムが誤作動起こしたみたいで……」
黒戸がぼそぼそと補足する。
「OTENTOって、人間の行動観測を“情緒タグ”で識別して、供養ポイントに変換してるでしょ。SNSでタグがバズると、そのタグの“感情トーン”が霊界に直接流れ込むの。だから、“#ご先祖帰ってきて”が連投されると、OTENTOが『現世から召喚がかかってる!?』って誤認しちゃうんだよ」
「まさかのタグ干渉……」
「それで、昨日から“徳ポイント大量偽造”みたいな状態になって、ナスがオーバーヒートして動かなくなったんですよ」
「しかも本当の供養ポイントが流れ込まないせいで、帰省できない精霊が急増中。現世と霊界でズレた“善意の誤爆”が起きてる」
「うわー、それ、地味に最悪」
◆
「てことは……“霊界側のフィルター”を改修すれば解決?」
「そうだけど、情緒学的解析エンジンに手を入れるのはすごくデリケートで……」
「黒戸さんがやるんですか?」
「いや……そんなの無理だよ……でも……」
「無理っていうと吉原さんに蹴られますよ」
吉原さんというのは元黒戸の上司で、現在は地獄にある精霊モビリティーの生産部にいる霊物である。
黒戸はよろよろと立ち上がり、冷却材を肩に乗せたまま巨大な霊界コンソールの前へ。
「ここに“タグノイズ遮断フィルタ”を挟んで、善行ログとSNSトレンドの間にバッファを……うぅ……脈が……」
「おかゆ持ってきましょうか」
「……ここ霊界だよ?食べ物なんかないよ……」
◆
夕刻、タグ干渉バグのフィルターが実装され、OTENTOはようやく正常化。再び“本来の供養”が反映されはじめる。
「お、来た!現世の男の子が、お墓におはぎ供えてる!」
「OTENTOログ確認……“徳ポイント+2”、帰省許可!」
「ナス起動!キュウリも動いた!」
「やったじゃん!」
林が両手を挙げる。黒戸はその横で、机にぐったりと倒れ込んだ。
「ぐふっ……吐き気がする……村吉くん……プリン……」
「さっき林さんが持ってきたプリン……霊体だから、たぶん味しないっすよ……」
「うぅ……」