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恐い蟹  作者: 島 英正
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怖い蟹 前編

 今は昔。とある所に、雲鱈(うんたら)金太かねたという者が住んでいた。この男の家は古くから財を成し、今ではこの近郷で一番の金持ちとなっていた。

 金太は、働き者で、頭も顔も良く、そのうえ人柄も良かったから、誰からも好かれていた。唯一の欠点は、時々とんでもない冗談を言うことだったが、それさえも愛嬌があると言うことができた。

 彼は、二十歳そこそこで、美人で気立ての良い妻をめとり、幸せな家庭を築いていた。一人娘を授かり、金太はその娘を、目に入れても痛くないほどかわいがっていた。

 その娘、藍良(あいら)が十六になった年の春。

 今まで溜まっていたツケを一挙に請求するかの如く、突如、不幸がこの家を襲ったのである。

 

 第一章 

 その日は朝から晴れていた。

 娘の藍良は友達と遊びに出かけ、妻の小詩(こうた)も買い物に出て、物静かになった午後の部屋で、金太は一人お茶をすすっていた。

「うーむ。やはりお茶は八九年ものに限るな…」

 彼が、そうつぶやいた時だった。

「旦那様! 旦那様! だ・ん・な・さ・まぁぁぁぁぁぁ~!」

 彼の家の使用人の一人である、誌陽しよう (にん)が、大声で彼を呼びながらバタバタと廊下を走ってくるのが聞こえた。

 金太は少しも慌てずに、残っていた茶を一気に飲み干すと、湯呑を安全な場所に片づけた。

 そこへ、誌陽が部屋の戸を勢いよく開けて飛び込んできた。

 金太は、何のためらいも見せずに、誌陽の腕をつかみ、一本背負いを決めてみせた。

 しかし、そんなことにはもう慣れっこになっている誌陽は、受け身をきっちりと決めると、何事もなかったかのように立ち上がった。

「旦那様。こんなことをしている場合ではありません。お嬢様がお倒れになったのです。」

「なに どういうことだ!」

「とにかく、玄関まで来てください!」

 そう言うと誌陽はその部屋を飛び出した。金太も慌ててその後を追う。

 玄関に着くと、そこには雲鱈家の使用人四人に抱えられた藍良がいた。

「どうしたんだ。」

「帰れるなり、急に倒れられて…」

 使用人の一人が答える。

 金太は自分の娘に近づくとその額に手をあてた。

 凄い熱だ。

 流石にのーてんきな金太も血の気が引くのを感じた。

「早く、急いで、奥の部屋へ運ぶんだ。」

 そして、奥の部屋に布団が敷かれ、藍良はそこに寝かされた。

「う~む。困った。どうしたものか。こんな時に限って小詩もいないし…」

 金太は、してしばらく考え込んだ。

 だがすぐに、思いついて手をポンと打った。

「そうだ!医者だ!医者を呼べばいいんだ。」

 そして腕組みをすると、ウンウンと頷いて、

「こんな素晴らしいことを、こうも簡単に思い付けるなんて、俺はなんて頭がいいんだ。」

 と言うと、高笑いをした。

「ふわあっはっは。ふわあっはっはっは。ふわあっはっはっはっは。ふわあっはっはっはっはっは…」

 彼はしばらく笑い続けていたが、やがて虚しいことに気付くと、笑いを止めた。

「そうだ、笑っている場合ではない。とにかく医者を呼ばなけば。おーい、誰か来てくれ~」

 バタバタと廊下を走る音がして、雲鱈家の別の使用人である、小馬(こま) 塚偉(づかい)が現れた。

「はい、旦那様、何か御用でございましょうか。」

「おう、小馬か。ちょっとひとっ走りして、医者を呼んできてくれ。」

「はぁ?」

 小馬は、一瞬何を言われたか分からないという表情をした。

「だから、医者だよ、医者。医者を呼びに行ってくれと言っているんだ。」

「はぁ。でも、わざわざ呼びに行かなくても…」

「なにぃぃぃぃー!」

 金太はズズズズと小馬に近付くと襟首をつかんだ。

「お前は藍良がどうなってもいいと言うのか!これだけ熱があるんだぞ。医者が必要なことくらい分かるだろう。」

「はぁ。いえ、そういう意味ではなくて。医者を呼ぶんでしたら、何もひとっ走りなんかしなくても、電話を掛けたらいいじゃないですか。第一そっちのほうがずっと早いし…」

 金太は、つかんでいた襟首を放し、どことなく白々しい雰囲気を漂わせながら、後ろを向いた。

「デンワ? デンワっていったいなんのことだい。」

「へ?」

 小馬は更に訳が分からないという顔をした。そしてその表情はすぐに軽蔑を示すものに取って代わられた。

 こいつ、電話も知らんのか?

 だが、小馬はすぐにその考えを打ち消した。知らないはずはないのだ。そこで軽蔑の表情を引っ込めると、金太の言葉の意味をよく考えてみた。

 もしかしたら、旦那様の言われたことは哲学的な意味においてなのだろうか。つまり、電話の本質。何が一体電話なのか。電話はなぜ電話なのか。電話を電話たらしめているものとはいったい何なのか。電話をどうやって電話と認識しているのか。そういった類いのことなのだろうか。しかしよしんばそうだったとして、なぜこのような時にこのような質問を…?

 小馬の疑問は深まるばかりだった。

 金太はどうやら小馬が自分の質問を誤解してるらしいことに気付くと、軽く舌打ちをした。

 そして周りを見渡して、誰もいないことを確かめ、小声で耳打ちした。

「おい、小馬。この話はな、まだ電話ができる前のものなんだ。」

「え~。あぁ。なるほど。」

 小馬は驚くと同時に納得した。

  「そういうことだったんですか。なーんだ。じゃ、急いで医者呼んできます。」

 小馬はそう言うと来たときと同じようにぱたぱたと音を立てて部屋を出ていった。

 その小馬と入れ替わるように別の使用人である外難(げなん)が入ってきた。

「おう、外難か、どうした。」

「いえ、お嬢様のお熱を計りたいと思いまして。」

「あ、そうか。それじゃあ頼む。」

 外難は、藍良の所に行き、体温計を脇に挟んだ。

「こうしてみますと、お嬢様も大きくなられましたな。」

「ああ、そうだな。」

「藍良がお生まれになったのはついこの間のことと思っておりましたが、もう十六ですからな。私も歳を取るはずです。」

「じいに言わせると、私が生まれたのもついこの間のことになってしまうからなあ。」

 金太は苦笑交じりに言った。

 この外難は、先代、つまり金太の父親の時代から雲鱈家の使用人だった男で、この家の中で最も歳を食っている者である。

「さて、もういいころでしょう。」

 外難はそう言うと体温計を取り出した。

「うむ。ちょうど百度ですな。」

「なに!」

 金太は外難から体温計をひったくった。

 体温計の水銀柱は確かに100の目盛りを示していた。

「ど、どういうことだ!これじゃ、藍良の頭の上でヤカンが沸かせるじゃないか。それだけじゃない、ゆで卵だってできるし、シチューを煮込むこともできてしまうぞ。」

「いえ、この程度の熱では、そんなことはできませんよ。」

「しかし、100℃は沸点だぞ!」

「いえ、沸点は212℉です。」

「なに!」

 金太は目をひんむいた。

「℉だと!なんで℃じゃなくて℉なんだ?」

「ど、じゃなくて、ど、なんだ、とは、どういう意味でしょうか。」

「……あのなぁ、まあ確かに発音すれば、そうかもしれないがな。℉と℃の区別ぐらい字を見ればつくだろう。」

「しかし、旦那様は口で言われただけではございませんか。」

「この世界では口で言うこと、すなわち字で表すことなんだよ。」

「旦那様!」

 外難が慌てて周囲を見渡す。

「よろしいんですか。そんなことを正面切っていってしまわれても。」

「う~ん。ちょっとまずかったかな。」

 金太は少し反省した。

「まあ、それはともかくとしてだ。なんで華氏なんか使うんだ。」

「旦那様。いまさら何を言われるのですか。」

「はあ?」

「華氏を使うというのは、ここ亜米利加(アメリカ)の古くからの習慣ではありませんか。

 まあ、もっとも、我々日本人が華氏を使うというのも変な話ですが、それがここの伝統であり、習慣であるというのなら致し方ありません。郷に入っては郷に従えと言いますからね。」

「おい、おい。」

 金太が呆れたように言う。

「どうしてここがアメリカなんだ。第一周り中、日本人だらけではないか。」

「何をおっしゃいますか旦那様。まさか、あの大東亜戦争で我が大日本帝国が亜米利加合衆国を打ち破り、その全土を征服したのをお忘れですか。

 我々日本人が亜米利加人どもの風習である華氏を使うというのも、その土地の慣習をなるべく変えないことによって、征服地の支配をしやすくするという御上の政策に基づくものじゃありませんか。

 それに周りが日本人だらけなのは、支配者である我々日本人は、我々だけで集まっていたほうが、亜米利加人に混ざって暮らすより、ずっと安全であり、支配もしやすいというこれまた御上の政策に従っているからです。

 これで、ここが亜米利加であるということが、納得していただけましたか?」

 金太は、この長台詞とを腕組みをしてじっと聞いていた。

 そして聞き終わると苦笑いを浮かべた。

「おいおい、いきなりこの話をパラレルワールドものにするなよ。」

「やっぱりダメですか。」

 今度は外難が腕組みをする番だった。

「結構説得力があると思ったんですが…

 では、こんなのはどうですか?

 貿易で儲かった日本が、アメリカを有り余る金にまかせて買い占めてしまったというのは…」

 パカ!

 金太は突然現れた金だらいでもって、外難の頭をぶっ叩いた。

「このおおたわけが!藍良が大変だって時に、そんなくだらない冗談を言っている場合じゃないだろう。」

「そんなに年寄りをいじめないでくださいよ。」

 外難は頭をさすりながら言った。

「ところでその金だらい、いったいどこから出てきたんですか。」

「ふっ。こういったものはな、必要とあらば神出鬼没、いつでも現れる。そういうものだ。」

「そう言われましても、なぜそのようなものが現れるの、納得しかねますが。」

「ふっ。」

 金太は髪をかき上げた。

「太陽が東から昇り、西に沈むように、ギャグの落ちには金だらい。そういうものだ。」

「はぁ。しかし、それでも理論的根拠は必要でしょう。」

「そんなものはない。」

「しかし、それでは…」

「外難、それでは訊くが、なんでアニメのレーザーは宇宙空間で見えるんだ?爆発音が聞こえるんだ?」

「そ、それは…」

「金だらいもそれと同じだよ。」

「いったいどこが同じなんですか!」

「ふっ。それはだな…」

 金太はまた髪をかき上げようとして、ふと何かに気付いたように手を止めた。

「いかん、今はこんなふうに恰好をつけている場合ではない。藍良が大変だったんだ。」

「しかし、理論的根拠も…」

 金太は外難を睨みつけた。仕方なく外難は黙る。

「そういえば体温を測ったんだったな。摂氏でいったら何度なんだ。」

「ええっと、だいたい三八℃くらいです。」

「三八℃か。結構あるな。」

 金太は真面目な顔をして娘を見た。

 その時ふすまが開いて、また別の使用人が顔を出した。

「旦那様、お医者様がいらっしゃいました。」





前編終了。後編に続く。

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