53- 水面下の熱烈
「は~っ……思った以上だったわね……」
同日の夜。疲れたサヤカはオリヴィオ宅にて家の掃除を手伝いを終えた。なんでも、賃金を家に来てまで渡しに来てくれたアーガベラが、ふと中の様子を見て愕然したという。
散らかった大小さまざまな本たちに服、オリヴィオの短い被毛である黄色い毛などが床に散乱している有様に加え、全く手を付けていない本棚やクローゼットに積もった埃。その裏のさらに積もってしまって塊になった埃。
ゴミ屋敷、とまではいかないが、普段使うところにしか簡単な掃除しかせず、そのほかの場所は何年も放置してしまっているのである。
家の中にまで入ってアーガベラを呆れさせたオリヴィオに命じられたのは、もちろん掃除。しかし、ろくに掃除をしてこなかった上に、彼が行動を先送りするだろう性格を見通したゆえ、完全な掃除に何年もかかりそうだと思った彼女は、助っ人を呼ぶことに。
それがサヤカだった。この日、オリヴィオとサヤカは共にアーガベラから休みを伝えられ、朝から掃除に取り掛かっていた。昼食を認めた辺りから、夕食を後ろ倒しにしてすぐ終わらせようと躍起になったサヤカが彼を引っ張り、家じゅうの部屋を片っ端に掃除し、夜にようやく終わらせたのだった。
「あ、あの、本当にありがとうございます……!ぼ、僕一人だったら絶対に終わらなかったです……」
礼をして、大きい獣の耳をピコピコ動かして感謝したオリヴィオ。サヤカはその姿が可愛いと思いつつも心の中で抑え込み、謙虚に振舞う。
「全然!こちらこそ、魔法とか色々使って、掃除の練習にもなったから!こんなに色んな魔法が上手くいったのは、オリヴィオさんが教え上手でもあったからよ?」
「え、えへ……そ、そんなことないです……!サヤカさんの飲み込みが早いだけですよ~……」
頭が四角い異頭族の彼。サヤカよりも背が高く体も太めだというのに、常に背を縮こませて謙遜する姿は、怯懦な小動物のよう。眼鏡をかけているから余計そう見える。
そんな気弱な彼でも、サヤカの朗らかな空気感に感化され笑顔になる。張り付いたような困り眉は健在だが、オリヴィオはそういう質である。
「さて……夜ごはんにしましょ!お得意のリンゴカレーを振舞っちゃうわよ~~」
「あ、だ、ダメです……!」
座って休憩していたサヤカが立ち上がった。しかし、それを慌てて制止するオリヴィオ。
「そ、掃除を手伝ってくれたのに、料理まで用意してくれるなんて、ダメです……!か、感謝のしるしとして、僕が夜ご飯を作りますから……!」
「そう?……なら、そうさせてもらおうかな?」
「ま、任せてください……!」
サヤカを再び椅子に座らせると、自信をのぞかせるように両手を握りしめ、最近の料理の鍛錬について語る。
「サ、サヤカさんが作ってくれた、あの看板メニューのリンゴカレー、めちゃくちゃ美味しくって……!じ、自分でも作れるようになりたいって思って……めちゃくちゃ練習したんです……!だから、その、ここで待っててください……!」
あの料理に感銘を受けて練習していたらしい。レストランではあんなにトロトロになって、あれがないと生きていけない、とまで言っていた。それを、いつでも食べられるように料理の腕を磨く。とても健気で合理的だ。
その健気さに、口に両手を宛がい、興奮が隠しきれなくなって心躍るサヤカ。
「え、嬉しすぎるんですけど……じゃあ、楽しみ待ってるわね!ゆっくり待ってる!」
「へへっ、が、頑張ります……!」
*
そうして、数十分後。カレーの良い匂いが居間にまで漂ってきた。もうそろそろ頃合いだろう。椅子から立ち上がって、マナ系の難しめの本を流し読みしていたサヤカ。台所から聞こえてくる小粋な鼻歌を背景に、立ち寄ってみる。
「食器、準備しよっか?」
「あ、ああ、はい……!じゃあ、お願いします……!」
恥ずかしそうに鼻歌を止めた。笑顔で皿を食器棚から取り出すサヤカ。すりおろしたリンゴを入れて味を調整しているのだろうオリヴィオの近くに置いた。それを横目で見る。
「おぉ……慣れてるわね!」
「そ、そうですかね……!もとから料理はしてましたけど……さ、最近はあんまりだったんですよね……でも、その、久々にやってみるとすっごい楽しいなって思って……!」
サヤカは納得するように頷いた。ちらちらと台所を覗いていたりしていたが、どうりで手際が良いわけである。
「へえ……マナの研究に加えて、料理の腕もある……マナ研究者兼、料理研究家ってところかしら?多彩で素敵ね!」
「ぼ、僕なんて全然ですよ~……メイに比べれば全然……」
「メイ?」
どこかで聞いたような、初めて聞いたような名前だった。でも思い出せず、聞き返す。
「……って誰?お友達よね?」
「そ、そうです……メイはすっごく料理が上手で、僕に色々教えてくれたりとかしてくれたんです……」
声のトーンがひとつ落ちたような。懐かしむような、悲しむような声色に、これ以上の追及はしないほうがよさそうに思ったサヤカ。笑顔で答える。
「そうなの!いい友達に巡り合えて、良かったわね」
「は、はい……」
と、その時に玄関からドアを叩く音が聞こえた。来客を知らせる音だ。手の空いているサヤカが、その客人を迎え入れることに。
「私が行ってくるわね!」
「お、お願いします……!だ、誰だろう……こんな時間に……」
食器を置いたのを確認して、サヤカは早歩きで玄関へ。
「今開けます!」
向こう側にいる誰かに聞こえるように叫ぶと、鍵を開けた。外の寒風で、身が縮むような感覚を覚えつつ来訪者を見る。いたのは骨族。白い研究服を着ていて、まさしく仕事帰りのような装い。確か、前に会ったことがある。リンゴレストランで、オリヴィオと一緒にいた人だ。
(マナ研究者なのよね。やばっ……名前なんだったっけ……?)
数瞬考えるも、見知った顔であることにひとまず中へ招き入れることに。だが、相手は一歩も動かず大層驚いて口を開ける。
「オ、オリヴィオはどこだよ……?」
困惑して白く光っている瞳を右往左往する彼に、事情を簡潔に説明する。
「ごめんなさい。今手が離せなかったから、私が来たんです。前にオリヴィオさんと一緒にいた人ですよね?」
「あ、ああ……ウリクだ」
「あ~!そうだウリクさん!どうぞ!!」
名前を言われて思い出したサヤカ。そんな彼女に、疑惑の色が滲んだ眼差しを向けつつも、辺りを見回しながら中に入る彼。丁度、オリヴィオが皿に移したリンゴカレー二皿をテーブルへ持っていく最中だった。入口のウリクに気づいた彼は、笑顔で迎える。
「あ、あれ……ウリク……?こ、こんばんは~……どうしたの……?よ、夜に来て……?」
「仕事で帰る途中、通りかかったから。せっかくだし、挨拶くらいはと思ってね」
「そ、そうなんだ……?」
オリヴィオの家はリンゴ農園がある、レベルシティの郊外、位置で言えばやや西にあたる。だが、ウリクがレベルシティに住んでいることを、前に聞いたことがあった。郊外に来てまで何かしらのマナの業務があるらしい彼に、疲れているだろうと思ったオリヴィオ。出来立てのリンゴカレーを彼にも振舞うことに。
「じゃ、じゃあ、せっかくならリンゴカレー食べてっていいよ……!い、いっぱいあるから……!」
「リンゴ……この人が作ったのかい?」
首を振って否定するサヤカ。手をオリヴィオに向ける。
「私じゃないわ。オリヴィオさんが作ったの!今から食べるのが楽しみで……!どんな感じかな~」
お手並み拝見、とでも言うように両手を擦り合わせながらテーブルに座ったサヤカ。彼はウリクに手招きして、椅子に座るよう促す。
「ほ、ほら、用意するから座ってて……!水も持ってくるよ……!」
「……ああ」
手に持ったバッグを玄関付近に置くと、促されるがまま椅子に座った。サヤカとは対角線の位置、オリヴィオの隣である席に。たちまち、カレーと水が入ったコップ三杯をトレーごと持ってきて、それぞれの前に置いた。いよいよ食事の始まり。
「じゃあ、いただきます!」
まずはサヤカが一口。ゆっくり味わうようにすると、その味はサヤカが良く作るそのリンゴカレーに引けを取らない美味しさだ。カレーの辛み、後から来るリンゴのほのかな甘味。まさか、ここまで再現度高く料理出来ていたとは思わず、ほろりと感嘆をこぼした。
「すごっ……リンゴカレーとそっくり……!でも、リンゴの甘味が強くて、より辛みと調和されてる感じ……?これもアリね!すっごい美味しい!」
「そ、そうですか……?あ、ありがとうございます……!」
控えめにガッツポーズする彼に、ウリクも食べたようで、その感想を伝える。
「確かに、あの時のカレーだ……こんな真似られるなんて、結構才能あるじゃないか?オリヴィオ」
「そ、そうなのかも……?でも、やっぱりなんか違うような気がして、それがどこか全然わからなくて、もっと美味しく再現できなくて……サ、サヤカさんには叶わないですよ……」
「そんなことないわよ?自信もって、オリヴィオさん」
卑屈な彼に、サヤカは胸を張って伝える。
「完全に再現しなくてもいいのよ!これは、あなただけのリンゴカレーなんだから!……いつも作ってる私に言わせてみれば、私の完全再現をして、ぜーんぶ同じ味のリンゴカレーなんて、すっごい味気ないもん。オリヴィオさんのだからいいの。ね?」
「っ……」
嬉しさ。心の中が嬉しさで満たされるのを感じて、無意識に顔が綻ぶ。
「そ、そっか……完全じゃなくてもいいのか……。ぼ、僕の性格的にきっと難しいけど……僕らしいリンゴカレーにしていきます……!」
「うん!頑張って!」
自信をつけさせるよう彼の黄色い拳を握り締め、笑顔で返した。彼の隣にいるウリクも、二人に意味深長な目を向けつつも、頷きながら同意する。
「……俺からも応援するよ。きっと、上手くいくさ」
*
それからは三人の雑談で時間が進んでいった。雑談の一つとして、魔法と保有量の関係性。オリヴィオが言ったのは、マナの保有量が多ければ多いほど、扱う魔法もある程度想像力で補えるのだとか。
例えば、切り傷を治療魔法で治すとき。本来は、切り傷を医学的に細かく観察し、傷口が出来る前の通常の状態を正しく想像した上で、切り傷に念じるように治療魔法を継続的に宛がえば、時間をかけてようやく塞がっていく。
しかしそれが、許容される保有量を大幅に超える程のマナ量を保有している場合に限り、傷が塞がる、という想像をするだけでその通りになるのだ。オリヴィオ自身が実験をしてその結果を得られたらしい。
とはいえ、これは極端な例である。そんな大層なマナ量など保有することは出来ないのだ。種族ごとに保有できるマナの量は、個人差はあれど大まかに決まっている。
その保有量を超えてしまうと、具合が悪くなってまともに思考できなくなるのだと。あの時のオリヴィオも、保有量が多い異頭族でありながら許容量を大幅に超えて保有した際、立ち上がることはおろか、床に寝そべることしかできず、体も熱くなり、呼吸すら困難だったという。よくもまあそんなことが出来たものだな、とウリクは心配と共に感心していた。
とにかく、あくまで、保有できる量を無視しての仮定だとオリヴィオは言った。例外はあれど、様々な面において現実的ではないと。
彼ら二人にとっては分野内であるマナの話であるために、サヤカは相槌を打つしかなかった。その後の雑談としては、リンゴカレー以外料理について、空島にある街の景色についてなど。山も谷もない雑談。時は過ぎて、夜も更けた。
ウリクは帰り、オリヴィオの家には家主とサヤカだけ。泊まるということを聞いていたオリヴィオは、二階の奥の客人用の部屋でくつろいでいるように促す。自身は洗い物や風呂の準備をするということで去り、サヤカは部屋で一人になる。
「グラスには家出る時に泊まる言ったから問題無し……だもんね。んっ~~!!……今日は大変な一日だった~~!!」
伸びをして絞り出した一言。こういった疲れがひどい日のお風呂というのが、最高の一日へと変化させてくれる。お風呂に入るまでのちょっとした隙間時間。
(こういう時に携帯が必要って思ったのも、もう随分も前よね。……こういうあんまり重要じゃない記憶はすぐに思い出せるのになぁ……ま、今は携帯よりも……)
サヤカは、持ってきたバッグから日記と本を取り出す。どちらも革装丁。日記の方は、ちょっとした南京錠が掛かってる、プライバシー侵害から守ってくれる優れもの。とはいえ、人に見られて恥ずかしいものはそれほど書いていない。
マルキスから言われたこと。転移したことを誰にも話すなという忠告を素直に受け入れ、元居た世界の思い出した状況を書き記すためのメモとしても活躍してくれているのだ。それを、誰にも見せないための錠前である。
(時間をつぶす方法なんて、いくらでもある!紙とペンさえあればっ!)
日記に今日あったことを書き記す。ちょっとした落書きも加えた。最後まで書き終わった後に、しおりを挟んでいた物語の続きを読む。オリヴィオからの風呂の呼び声がかかるまで、ゆっくりと寛いだ。
雨の音。雷が鳴らないほどの大雨が籠って聞こえ、癒され、心が静まり返る。
夜は、まだ長い。




