45- 蝕まれし記憶
グラスが、治安維持団のあの二人に対し、心の内に秘めていた情報を告げた後。サヤカとマルキスが帰ってきた夕飯時。簡単な夕飯を食卓に並べ、三人で食事を認めている時だった。
「ねえサヤカ。転移魔法を使えるって本当なの?」
あの時の会話で疑問に思っていたことを、グラスは隠すことなく追及することに。
「……え?転移魔法???」
美味しい夕飯の最中の、思いがけない質問に面食らうサヤカとマルキス。彼女はその言葉の真意も分かるはずも無く、すぐに首を振って否定する。
「使ったことないわよ?あれでしょ?転移ってワープでしょ?使ったことないわ」
「でも……ここに初めて来た時に転移してきたって言った気がして……転移魔法って難しいみたいだから、もし使えたらすごいな~って思ったんだけど……」
「え、えっとぉ…………」
どう返せばいいか分からないサヤカ。確かに転移はした。しかし、転移とはいえ世界を跨いでの転移であり、かつ自身が死んでしまったことによる世界の仕組みのような事柄。サヤカ自身が魔法を使ったわけではないのである。
それを素直に言ったところで、グラスは納得するだろうか。いや、納得はしてくれるかもしれないが、理解はできないだろう。サヤカ自身もこの事象を理解できていないのだから。
そんな微妙な空気感に、マルキスが不意に会話に入ってくる。食事を認めているときの彼はあまり会話に割って入ろうとしないのだが、今回は何か思うところがあるのか、少し神妙な面持ちでサヤカを見ていたのだ。
「なあ。サヤカさ、別の世界から来たっつってただろ。どうやって転移してきたんだ?」
「え、いや、分からない……」
ずっと思っていたことだった。転移直前の記憶は、全く無い。思い出そうとしても、頭が痛くなってくるだけ。
「分からないの……家族がいて、学校に行って……そういう日常は段々思い出してきてるんだけど、どうしても……転移する直前とか、ここに来た経緯とかは全然分からなくて……」
「……記憶の最後に思い出せるものはなんだ?」
興味を持っているマルキス。いつもの仏頂面でありつつも、長い耳を立ててサヤカの話を聞いてくれていた。グラスも気になっている様子で、食い入るようにサヤカを見つめている。
「最後の記憶は……」
必死に思い出してみる。こうやって記憶を辿ろうとするのは、就寝するときだけに限っているのだが、マルキスから言われた通り、記憶の最果てを探し出そうとした。
暗闇。記憶の礎から最初に現れたのは雨だった。しとしとと優しく降る雨。それが次第に豪雨となって、暗闇を覆いつくし、いつしか木々が流れる濁流へと移り変わる。
泥濘。盤石な礎は、その雨と濁流でぬかるみ始める。降りしきる雨の中から聞こえてきた阿鼻叫喚がサヤカの鼓膜に届いて、雨と相まって背筋を凍らせた。
悪寒。遂にその礎から足を踏み外したサヤカが次に目にしたものは、一番の親友であり同級生の、茶髪。ポニーテール。泥まみれの顔。雨に濡れつつ差し出された細い手。だが掴むことを許さず、落ちる。
何かを掴んだように、目を見開いたサヤカ。
「……雨だわ。雨。雨が、降ってた」
「……雨?」
疑問に思ったマルキスが聞き返すが、俯いて眉を顰めた彼女はその問いに答えずに、思い出せそうな記憶を掴みだそうと、模索するように言葉を紡ぐ。
「雨の中で、濁流に呑まれそうになって、その時に親友が私に手を伸ばしたけど……届かなかった……親友が……」
「……親友の名前は?」
反応した。サヤカはマルキスの方を向いて、欠片を集めていく。
「サ……サク……ヤ……?ラ……?」
耳を伏せ、思案する兎。分かっていた。その名前に心当たりはない。
「サクヤラ?それが親友の名前か?」
「た、多分。もう、これ以上は何も……まだ何かあるってわかってるのに、なんでか、もう思い出せない……」
涙声で吐く言葉。慌てるグラスは椅子から立ち上がり、ハンカチを手にサヤカのもとへ。
「も、もういいよ、サヤカ。ほら……!」
「ごめん。……変に深く聞いたね」
謝罪したマルキス。長くて白い耳が垂れ下がる。そんな彼に、サヤカは首を振る。
「いいの、大丈夫……。今までより思い出してきてるの。もっと時間が掛かると思うけど……いつかきっと、全部思い出せそうな気がする」
「無理に思い出さなくていい。辛い記憶だってわかるなら、わざわざ思い出すことないだろ」
それでも、悔しそうな顔を浮かべて拒否する彼女。グラスからのハンカチを手に取り、頬に伝う涙を拭う。
「でも……思い出したい……少なくとも、家族と親友の名前を思い出せないのはイヤ。弟と祖母の名前も……死んだ両親の名前も……手を伸ばしてくれた親友の名前も……顔は思い出してるのに、名前が分からないなんて絶対にイヤ……!!」
ただその言葉に反し、頭がじわじわと痛くなってくる。これ以上記憶を探ろうとするのは無理だ。続けようとすれば、翌日には、一日中頭が痛くなってしまうから。
歯を食いしばって、なくなく思い出すことを止めるサヤカ。深呼吸をして、コップに入った冷たい水を少し飲んだ。グラスにハンカチを戻した彼女。隣の席に座るマルキスが思い図るように一言。
「もし、何か思い出したことがあれば言ってくれ」
「うん!僕にも言ってね!二人で励ますから!」
グラスもそれに乗っかって、サヤカを元気づけるように笑顔で言い放った。その気持ちが嬉しく感じる。心が温かくなる。
「……ありがとう。……さ、食事に戻りましょ!冷めちゃうわ!」
顔に笑顔が灯ったサヤカ。焦らなくていい。思い出せない記憶は、時間がきっと解決してくれる。今は、そう願うことにした。
*
「私さ、二人と一緒に暮らすことになったっていうのに、お互いのことをそんなに知らないってヘンじゃない?色々話は、会話の流れとかで聞いたけど、深堀りとか、そういうのしてないなぁ~って」
グラスを連れたサヤカ。茶菓子とお茶を持ってきた彼女が乗り込んできたのは、マルキスの部屋。
「お前が一方的に住むって言ったんだろ」
「最初はね。でも、もう立派な同居人だから!」
「僕も、朝ご飯いつも料理手伝ってくれてるもんね!立派!!」
笑顔で持ち上げるグラス。対照的に、彼女のこういった自己中心的な行動を面倒に思うマルキス。サヤカは、グラスを先に柔らかなカーペットの上に座らせると、その隣に座る。テーブルに茶菓子を置いた。手際が良い。寛ぐ気を隠さないようだ。
「さ!三人だけの秘密のお茶会!開始!」
「開始だ~!!」
置いた茶菓子を早速手に取るグラス。こういう、雑談という機会はめったにない。食事の場でのそれは、どうしても食べることに意識が向きがちが故に、浅い会話になりがちである。しかし、つまみは二の次の、雑談を目的としたこの茶会。グラスにとって心躍る機会であることに間違いなかった。
最初に口を開くのはサヤカ。隣にいるワクワクしている犬に顔を向ける。
「私、前々からグラスに聞きたいことあってさ」
「ん、なになに??」
マルキスは、仕方なくグラスの正面に座る。先ほど彼女の記憶を深く探ろうとして涙を流させてしまった、その詫びとして、話の輪に入ることに決めた。
聞き返したグラスに、腕を組んで考えるような仕草のサヤカ。
「グラスって、故郷はファイドヒルっていう村なのよね。どうしてここに住むことにしたの?」
同じように、考え込むグラス。狩猟、脅威、そして両親を思い浮かべ、振っていた尻尾の勢いが落ちる。が、顔は笑顔のまま。
「えっとね、ファイドヒルで生きてく技術が足りなかったから、かなあ。僕のお父さんは村の護り人で、村の畑とか人を守るために働いてたんだ」
「畑を守る、かあ……猪とか、熊とかを狩って、村を守ってるってこと?」
グラスは頷く。幼少期、父親と共に狩猟に出て、マナ製の箱罠を仕掛けた記憶を思い返していく。そして、父と共にいつも通り狩りに出た時の、あの時を思い出す。
「それだけならまだ良いけど、たまに紫色の不気味な生き物がいたりしてさ……。山壊っていう名前だったっけ……その種族が、たまに村にやってくることもあったんだ」
「え、不気味……?」
紫色の化け物を想像するサヤカ。しかし、どう想像したところで、人外しかいない世界に慣れきってしまった彼女には、不気味な様相を想像できないでいた。ただ、いつも笑顔のグラスが苦い顔になってしまうくらいのものらしい。
「うん……僕は、その山壊に、子供の頃、襲われちゃって……。けど、お父さんと護り人の仲間たちがすぐに助けに来て、なんとか倒してくれたんだ。ただ、それがトラウマになって、村を護る夢を諦めたんだ……」
「……それで、ファイドヒルから遠いここにやってきたんだな」
衝撃的な話を聞いて、開いた口が塞がらないサヤカ。彼女の代わりに、マルキスがその経緯を纏めた。その要約に、小刻みに頷くグラス。
「うん。遠いって言っても……バスで数日乗り換えれば、いつでも帰れる距離ではあるけどね……」
「それはいつでも帰れる距離じゃないと思うわよ、グラス」
グラスのずれた距離の解釈に異議を唱えたサヤカ。しかし、その一連を気に留めないマルキス。気になる言葉を聞いたそれを、俯く彼に聞いてみる。
「なあグラス。そのサンカイってやつはなんなんだ?」
「え?ええと、詳しいことはそんなに知らないけど……山壊は、山を荒らしたり、植物を枯れさせたり、厄介な種族なんだ。異頭とか球形とかと同じ、マナ生命体の一種だって。けど、知能は無いっぽくて、本能に従って破壊の限りを尽くしてるって言ってた」
段々と険しくなる顔。お茶会だというのに、あまり良い雰囲気の話ではないとマルキスは分かっていたが、知りたいと思う気持ちが止まらない。止めることなく、グラスの話を聞きづつける。
「たしか一回、一掃する作戦が成功したのに、なぜかまた現れた、とかの話になったり……なんか、奇妙なことしか聞いてないかも……?とにかく、結構不気味な生物っていう感じで……」
「……そんな種族、聞いたことないぞ。その村の山や森にしか生息してないのか?」
「多分……。少なくとも、レッケイドだと僕の故郷だけかも。他の国は分からないや」
そこに、割り込もうとサヤカが話に加わる。それは、種族について。この世界のことについて理解が深くなっていく彼女だが、それでもまだ分からないことはある。
「ねえグラス。そのサンカイっていうの、異頭族とか球形族と同じマナ生命体って言ったわよね。マナ生命体っていうのは、マナから生まれた種族っていう認識でいいのよね?」
「ああ、そうだ」
返事をしたのはマルキス。グラスも、同意したように頷いた。そこから、疑問に思っていることを口に出す。
「じゃあさ、同じなのになんでこんなにも違うの?山を荒らすくらいの狂暴な種族と、知能があって友好的な種族が、同じマナ生命体なことある?」
「……確かに。なんでだろ?」
疑問符を浮かべる犬と人間。そして腕を組んだ兎。知りたいことへの興味は突き進んで知りたいと思う質であるが故、その存在について熟考する。
「そのサンカイっていう存在が気になる。とはいえ、直に見てみないことにはな。俺が思うに……マナの性質によるものじゃないか?」
今まで吸収してきた知識を総動員し、憶測を立てる。今までにないくらい、長い耳が伏せられた。
「仲間からこういう話を聞いたことがある。マナは、プラスの性質とマイナスの性質が同時に存在しているエネルギー体だって。聞いた話だから違うところもあると思う。けど、それと照らし合わせるなら、異頭や球形はプラス性質の比率が高くて、サンカイっていう種族にはマイナス性質の比率が高い、ということが考えられる。まだ解明されてないことが多いから、絶対そうとは言えないけど」
「「…………へえ~」」
時折見せるマナに詳しい一面。プラス性質やマイナス性質、エネルギー体など、その知識はからっきしな二人は見合わせた後、その推測にただ頷くだけで精一杯。そしてマルキスは、賢さをごまかすような咳払い。そっぽを向いて、耳を立てる。
「ま、俺はマナを扱えるからこれくらいは知ってて当たり前だ」
そこに、茶化すようにサヤカがニヤケる。
「やっぱりマナ専門家じゃないの~。研究者になる道とかは考えたの~??」
「……今更もう遅い」
先ほどのごまかすような声色とは違い、トーンが下がっての気落ちしたようなそれ。どうしたのだろう、と聞いてみようとして、マルキスがそれを塞ぐように先に口を開ける。話のバトンをグラスの方へ。
「まあとにかく、かなり話が脱線したけど、グラスはそういう過去があってホワイトガーデンに来たんだな」
「う、うん。そうだよ。その山壊が怖くなって、護り人の夢を諦めたんだ……お父さんもお母さんもそれを理解してくれて、引っ越しも許してくれた。そうして、今に至る、っていう感じだよ」
飲み終えたコップをテーブルに置き、その話を申し訳なく思うサヤカ。
「ごめんね、グラス。トラウマの話をさせちゃって」
「ぜ、全然!一五年も前だし、もう受け入れられたから。全然大丈夫だよ!」
口ではそう言うが、いつも振ってる尻尾は動いていない。サンカイについて話している時の彼は我慢して喋っていたのだろうかと、マルキスも謝罪する。
「確かに、トラウマだもんな。深く聞いた俺にも非がある」
「もう、二人して!……じゃあマルキス!次はマルキスから話が聞きたい!」
「お、俺か……」
突然振られた話に戸惑う。視線を右往左往に動く。特に話題が見つからない。そもそも、自分自身について話すことなどそうそうない。話し慣れない話題だった。
グラスの飲み干したコップにお茶を注いでいたサヤカ。彼女は、前々から気になっていたことを話すいい機会だと、とある質問を投げかける。それは、聖樹旅館にてグルメイベントを楽しんでいた時の、ちょっとした話題になったあの話。
「そうだマルキス。お兄さんがいるのよね。兄弟の仲はどういう感じなの?」
「……兄貴な。そりゃあ、良かったよ。とても頼りになる兄貴だった」
「ねね!名前は?」
茶菓子を食べながらの、グラスから放たれた純粋な疑問。それは、マルキスを数瞬だけ困らせる疑問だった。
「……ヨウ。五つ上だ」
「へえ~……マルキスは三一だから、三六歳ね!」
解像度が上がっていく。嬉しく思うサヤカは、ニヤケが止まらない。
「ヨウお兄ちゃんってことね~。ふふん、太『陽』みたいに明るい人なのかしら」
「当たり前だ。俺より要領がいいし、柔軟だし、いつも助けてくれてた。親と話すときは……いや、これはいいか」
グラスに続いて、マルキスまでも暗い話をする必要は無いと、途中で切り上げた。目を逸らし、耳を伏せて、別の話にすり替える。
「今はもう離れて長いけど、俺より上手くやってるだろ」
「いいお兄さんね。時々会いに行けば、きっと喜ぶんじゃない?」
マルキスの逸らした視線が、善意を放った彼女に向けられる。が、すぐに伏し目がちに。
「……ま、いつかは会いに行くさ。絶対に」
決意にも似た言葉尻。含みのある言い方だと思ったが、決意以上の何かがあるのようなそれに、グラスは深く聞くことはしなかった。が、隣にいるサヤカはマルキスの隠した気持ちに気づかず、ぐいぐいと会話を続けていく。
「その時になったら私も一緒に行っていい?絶対に仲良くなれる自信がある!」
彼女らしさのあるポジティブ思考に、マルキスから思わずこぼれる微笑。
「兄貴は誰とでも仲良くなれる。でもお前はどうかな。初対面の時みたいに、抱き着くとかの愚行を犯さなければ上手くいくかもね」
「うっ……それは本当にゴメンって……」
未だ根に持たれていた。第一印象というのはそれだけ重要という事だ。あの時に戻って、抱き着く自分を引き剝がそうとする想像に駆られた。想像しただけで何も起こらないが。
「もおお~、あの時の私はホントにおかしかったのよ……!自分でもわかってたのに歯止めが効かなかった!言い訳にしか聞こえないと思うけど!……この通り!!ゴメンなさぁいっ!!」
かしこまって土下座をかますサヤカ。唐突の行動に、グラスはたじろぎ、マルキスは苦笑いに。
「ちょ、ちょっと、僕は気にしてないから!」
「ははっ……まあ、あの時と比べたら今はマトモな思考になったし、反省してるならそれでいいよ。でも二度目は無いからね」
「は、はいぃっ!!」
更に頭を下げた。マルキスからのやりすぎた悪戯に、反省を促す横目のグラス。そして、悪戯などではなく本気でそう思っているマルキス。
三人のお茶会は、まだ続く。少なくとも、お茶が無くならない限りは。




