13- 数少ない仲間
絵画を魔法で軽く運んで、着いた先はとある探偵事務所。所狭しと立っている建物のその文字を見て、マルキスは少し安心感を覚えた。階段を上って、二階にあるオフィスの扉をノックした。
「絵画を届けに来たぞ。ツェル」
マルキスの声が踊り場に響くと、中から足音が聞こえてきた。ほどなくして扉から出てきたのは、動きやすそうな焦げ茶のコートを着た背の高い影族の男だった。口は影色の顔と同化して見えず。目は確認できないほど深く黒いシルクハットを被っている。
目の前の男は、冷静に出迎えつつ少しばかりの嬉しさを隠さない。
「どうもマルキス。元気にしていましたか?」
「それなりに」
男らしさのある低い声の男はマルキスを事務所の中に入れる。狭い一室だが、机も椅子も綺麗に整理整頓されている。壁には、マルキスが描いた絵が数々飾られている。中央のソファにマルキスが座って、目の前のテーブルに絵画を置く。
「今回もありがとう」
「お気になさらず。私はあなたの絵が好きですから。……ミルクでいいですね?」
「ああ」
ツェルという男が給湯室で飲料の準備をする。片方のコップにはコーヒー、もう一つのコップには温かいミルクを入れる。ミルクを入れている最中、ツェルは微笑ましく笑った。準備が整うと、テーブルの絵画を一瞥してから、両手のカップの片方をソファの前のテーブルに置いた。
「お待たせしました。あなたがミルクを頼むたびに心から安心しますよ」
「どういう意味だよ」
取引上の関係とはいえ、どこか友達と同じ気の緩い距離感の二人。お互い楽な姿勢で、マルキスは温かいミルクを飲み、ツェルはそれを膝を組んで見つめている。その視線が絵画に向くと、次に何もない壁を見て、どこに飾ろうかと思案した。半分まで飲み終えたマルキスはコップを置いてソファに背を預ける。
「お前は特に変わりなさそうだな。引っ越してからも存分に楽しんでいそうだ」
「お互い様でしょう。あなたがグラスさんと仲良くしているのと同じように、レベルシティの人たちと仲良くしているんですよ」
「探偵としてだろ。事業の方はどうだ?うまく行ってるか?」
「貯金できるくらいには。あなたほどではありませんよ」
「よく言う……」
マルキスは残りをすべて飲み干して、テーブルに置かれた箱に手を置いてツェルへ推し進める。
「開けてみろ。依頼通りの完璧な絵だよ」
「楽しみは後々に取っておきます。今はあなたと話していたい」
よくもまあそんな気恥ずかしい言葉を吐けたものだな、と照れにも似た笑みがこぼれる。もう一度ミルクを飲もうとコップに手を伸ばすも、すでに飲み干した後だと気づいた。
「もう一度淹れてきましょうか」
*
再び温かいミルクを淹れた後、ツェルはコーヒーを一口。
「あとは……どうです?最近について。サヤカさんなど特に」
サヤカのことについて以前ツェルに相談したことがあった。転移やら人間やら好き勝手言って、気にするなという方が無理な話なのだ。
「少し落ち着いてきてる。ジンガイがどうとか言って一人ではしゃいでたけど、今はそうでもない。……レベルシティに初めて連れてきたから今日はわからないけど」
「なるほど。精神は安定してきていると」
「……なあ、ツェル」
あの時と同じ、とめどない不安と数多く仮説が押し寄せてくる。ただ今回は前より状況が違う。長い耳を伏せて不安がるマルキス。ツェルはそれを察したが、何も言わずに言葉を待った。
「…………俺は、お前みたいにアドリブ利かせて臨機応変に立ち回れるわけでもないし、サヤカみたいに楽観的に無為に過ごすこともできない……」
手を伸ばしてミルクを飲もうとするが、胸のあたりまで持ってきて、ふと止まる。唯一安心できる目の前の飲み物が、口に運べない。艶やかで温かい白が、湯気の出る水面をゆらゆら揺れるだけ。
ついにテーブルに戻してしまうと、今まで軽く思えていた重荷がどっと重くなる。心が鉛に変わった瞬間、両肘を両膝に預けて、顔を伏せた。見かねたツェルがコーヒーを持ったまま席を立つと、回り込んでマルキスの隣に優しく座る。
「心配はいりませんよ。あなたはあなたらしく生きれば、あとは時間が解決してくれるでしょう……」
「ああ、ありがとう……ただ、やっぱ……兄貴がな……」
「ええ……存じています。他の仲間たちもどうしているのか、気になりますよね。ですが今は……」
依然俯いたままのマルキスの肩に、ツェルの影色の左手が触れる。冷たいが、確かに芯のある温かい手だ。服越しに、薬指の指輪の固い質感を感じる。
「探せば探すほど、沼に嵌って疲弊していくものです。……残酷なようですが、明確な情報などない、と思いながら過ごすしかありません」
「………………ああ」
長い沈黙を破って、掠れた声で小さく肯定した。顔を上げてツェルに微笑む。
「なあ、今日一日は付き合ってくれないか。あの二人と一緒にいると、楽しいけど疲れるんだよ。色々」
「もちろん、構いません。今日は丁度依頼もありませんからね。たまには友達と息抜きをしなければ、良い仕事はできません」
明るく言ってくれるツェルに、少し不安が払拭された。仲間がいるということだけでこんなにも違う。ツェルが言っていた通り、この二人が会わなければマルキスはどうなっていたか、マルキス自身でもわからなかっただろう。
「ありがとう。今日の夕方には演奏会にも行くことになってる。音楽には興味あったっけか?」
「ないわけではないですね。一般的に認知している程度ですよ。あなたは?」
一瞬、兄貴のことを思い出すが、それを思考の隅に追いやって答える。
「俺はある。少しだけな」
ただどうしてもよぎってしまい、不自然な笑顔になってしまった。




