キバという獣人
非常に獣臭い食事を終えた後、獣人と双子は、ともに寝床へ入っていた。
「それじゃあ約束した通り、お前たちと出会ったときの話をしようか」
「わーい、早く早く!!」
双子の無邪気な声に急かされるようにして、獣人は自身の古い記憶を遡り始めた。
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男の名前はキバ、獣人である。
キバの最初の記憶は戦場だった。それ以前のことは何も覚えていない。自分の名前も例外ではなかった。
だが過酷な戦場で、明日を生き抜けるのかも分からなかった幼い頃のキバにとって、自分の出自や家族を思い出せないことは些細な問題ではなかった。
そんなことよりも、綺麗な水や腐っていない食糧、身体を休めることの出来る寝床を見つけることの方がよほど大切だったのだ。
戦火から逃げ続ける中で、キバは自分自身が他者と戦い、勝利するために必要な素養を身につけていることに気がついた。
それからは、帝国側の人間や王国側の獣人の死体から武器や鎧を拝借し、自分の身を守るための術を身につけていったのだ。
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そんなある日、キバは帝国と王国の狭間にある谷の近くで横転している馬車を見つけた。
「なんだってこんなところに帝国の馬車が、、、」
殺風景な戦場に豪華な装飾があしらわれた馬車が横たわる姿は明らかに違和感があったが、食料や武器を補充する必要性の前に、キバの感じた違和感は容易く吹き飛んでしまっていた。
「人の気配はないな、よし、行くか」
手早く済ませようと、急いで馬車に近寄る。
慎重に馬車の扉を開けると、そこには頭部から血を流し横たわる、美しい女性の姿があった。
「ぶ、無事なのか、、?」
数秒か十数秒か、驚きで固まってしまったキバの口から出た精一杯の言葉であった。
「おい、起きろ、まさか死んでるんじゃないだろうな?」
キバは女性の身体をそっと揺らしながら声をかける。
キバはこれまで戦場で多くの死体を見てきたが、それは全て男の、それも屈強な兵士の死体であった。
初めて見る人間の女性の死体?に動揺を隠すことが出来ない。
弱々しい女性の姿を見て、キバの中にこの人を死なせてはならないという思いが芽生え始めていた。
「う、、あ、あなたは、、」
女性が微かに意識を取り戻し、キバは慌てて声をかける。
「この馬車は一体どうした、何があった」
キバはしゃがれた声で事情を尋ねた。しかし、女性の目には頭の傷が原因で、キバの姿が見えていないようであった。
「私にも、、何が起きたのか分かりません、、そうだっ、、子供は、、?双子の女の子を見ませんでしたかっっ⁈」
急に上半身を起こし、キバに向かって詰め寄る女性の姿に気圧され、キバは思わずたじろいでしまう。
「私はどうなってもいいんです、お願いですから子供達のことを、、どうか、、」
「おい、無理をするからだ、大人しくしていないと死んでしまうぞ!」
「お願い、、どうか子供たちを、、」
「分かった、分かったから大人しくしていろ!」
「あ、ありがとうございます、、ありがとうございます、、これで、、」
キバがそう返事をすると、その女性は役目を終えたかのように、突然弱々しくなってしまった。
「おい、しっかりしろ、おい!!!」
繰り返されるキバの声かけも虚しく、そのまま女性は息を引き取ってしまった。
つい先ほど馬車の戸を開けてから生じた一連の出来事によって完全に面食らってしまったキバは、途方に暮れていた。
たった今出会い、すぐさま息を引き取ってしまった自分の目の前に横たわる人間の女性。
そんな彼女から子供のことを託されてしまったキバであったが、当然ばがら彼女との口約束を守る義理などない。自分の身を守る手段を心得ているキバであっても、他の誰かを庇いながら戦場を潜り抜けるというのは夢物語としか思えなかった。
しかし、気がつくとキバは周囲を見渡し、人影を探し始めていた。
「とりあえず、子供を探さないとな、、」
実に非合理的な選択をしているという自覚はあったが、そうせずにはいられなかった。
周囲に人影はない。どうやらその双子は、怪我をしている母親のために助けを探しにいったようだ。
目の前の母親は双子であるということ以外に何の情報も残してはくれなかった。
これでは人を探そうにも見つかるはずがないのは明らかだ。
キバが途方に暮れていると、東の方角から悲鳴が聞こえてきた。
「まさか、、」
キバの脳内に嫌な想像が駆け巡り始める。
気がつくと、悲鳴の聞こえた方角へと、全力で駆け始めていた。