小説が書けないよ
「小説が書けないの!!上手に書けない!!書いてても全然楽しくないよ!!なんでこんなに苦しい思いをして書かなきゃいけないの!?書けない!!書けないよ!!書きたくない!!楽しいって何!?私なんか書いたって意味がないよ!!私の小説には価値がない!!無駄だった!書いてきた小説も!!何もかも!!褒められたって!!他の人が気になってしまうよ!!どうしたら!?どうしたら雅ちゃんみたいになれる!?終わりにしたい!!こんな苦しい思いをして書きたくない!!自分の小説に自信なんて持てないよ!!小説なんか!!小説なんか!!!!わ、私は、もう、無理です!!無理なんです!!出来ない!!出来ないよぉぉぉぉ!!!!」
高那 由依という高校生がいた。この物語の主役である。彼女は高校二年生。由依のもっぱらの趣味は、小説を書くことだ。由依は、小説を介して交流することが、何より楽しみだった。インターネットに小説をアップすれば、反応が帰ってくる。リアルの世界で小説を見てもらって、褒められると嬉しいこともある。
そんな彼女は、たった一人で小説を書いているわけではなかった。勿論、作業する時は一人だが、小説を書くという共通の目的を持った、友達がいるのだ。
友達の名は新堂 雅。由依は雅のことを雅ちゃんと呼び、雅は由依のことを由依ちゃんと呼ぶ。お互い、ちゃん付けだ。
小説を書いてきた歴史は、雅の方がはるかに上だ。彼女は、幼稚園の頃から小説を書いてきたのだ。そして、その延長線で、今も小説を書いている。雅の小説は、ネット上で、高く評価されていた。
由依は、そんな雅を誇りに思っていた。小説の上手い友達。由依が小説を書き始めたのは、高校に入る少し前。中学三年生からだった。受験勉強の息抜きに小説を書いたのがきっかけで、それが、高校二年生になる今でも続いている。
由依にとって、小説を書くということは、他人とのコミュニケーションを図れるということが、大きかったのかも知れない。小説を書くもの同士の交流。小説を見てくれる人との交流。彼女の生活に、小説は欠かせないものとなっていた。
とある放課後、学生たちが喜々として下校する中、由依は、教室で雅を待っていた。窓の外は綺麗なオレンジ色が広がっていた。由依の制服に、少しオレンジの光が当たっていた。
彼女が待っていると、教室のドアを開けて、女子生徒が入ってきた。長髪を茶色に染めて、制服を着こなしている女性生徒。雅である。短髪、おかっぱ頭の由依とは対象的だ。
「由依ちゃん、お待たせ」
「ううん、待ってないよ」
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
「楽しみだねぇ」
「モチベが上がるよね」
二人は笑顔で、お互いの顔を覗き見た。彼女らは、アナログの小説道具や、デジタルの小説道具を見に行く約束をしていたのである。
小説の腕、もっとも、小説は人それぞれの物で、簡単に上下を測れるものではないが、雅の方が、書いてきた量の差で、由依より手慣れていた。
教室を出て廊下へ。そして二人は下駄箱を通り、オレンジ色の待ち受けている外へと踏み出した。
二人は、やや速めの歩調だった。楽しみが待っているのだから、当然だろう。
「雅ちゃん」
「ん?」
「やっぱり、小説のプロ目指すの?」
「うん」
雅は由依の方を向かず、真正面を向いていた。返事は即答だった。
「いいなぁ……応援してる」
「由依ちゃんは?」
逆に雅に聞かれてしまい、由依は少し黙ってしまった。
「プロ、なってみたいよ。でも、私の腕じゃあ、ちょっと厳しいかも、って思ってるの。プロの人は凄いよ」
「人生って、一度しかないからさ。心の声が、聞こえるなら……プロ目指してみても良いんじゃない?私達、まだ高校二年だし」
「そう言い切れるのは、雅ちゃんの強さだね」
由依の本心だった。雅はいつだって小説に真剣で、小説のためなら、全てを投げ出すかのような覚悟を、由依は感じていたのだ。
そのことに対して、由依は、自分は雅のようにはなれないと思っていた。雅が過去に、自分の小説が成長していくのが楽しい、と語っていたことがある。その言葉に、由依はピンとこなかった。自分の中に、自分の成長を楽しむという概念が無かったのだ。
「ネットでもさ、結構、由依の小説人気あるよ。幼稚園から書き続けてきた私から見ると、ちょっと嫉妬しちゃうくらい。あ、着いたね」
二人は、アナログの執筆道具店まで辿り着いた。あっという間だった気がする。
「うーん」
端末屋の中で、雅は腕組をしていた。店員はいるが、客は少ない。
「デジタルに本格的に移行したほうが、いいのかな」
「雅ちゃんは、デジタル苦手?」
「ん、いや、得意かも。昔から書いてきた感覚とは、少し違うけど……デジタルは日々、進化してる。今のうちに完全に慣れないと、後で苦労するかも」
雅の言葉は、小説で勝負するという決意から発せられていた。その事が、由依には少し、羨ましかった。
「やっぱり、欲しい商品探していたら、お金が足りないね」
雅は苦笑していた。
店内に展示されている商品。小説を書くためのもの。雅ちゃんは、どんな視点でその商品達を見ているのだろう、と由依は思った。
結局、複数の店を渡り終えた由依達は、何も買わなかった。財布の紐が硬いからであろうか。
「何も買わなかったけど、良い物が多かったね、雅ちゃん」
「そうだね。プロになる前に、欲しいな……でもまぁ、紙にいくらでも書けるだけの道具は持っているからね」
苦笑する雅。由依はその様子を見ていた。
雅ちゃんは、必ずプロになる覚悟でいる。
それに比べて、私は……。小説だって、雅ちゃんには敵わない。
その日は、二人で店を出て、別れた。そして、数日が経った。休日になり、由依は自分の部屋で小説を書こうとしていた。しかし、小説よりも先に、インターネットのチェックを由依はしていた。どうしても、周りの評価が気になってしまうからである。
SNSをチェック。応援のボタンが押されているのを見ると、やる気が上がる。
しかし、この日は違った。雅のアカウントもチェックした。彼女も、SNSに小説をアップしている。
雅の小説は、由依よりも遥かに、応援のボタンが押されている。それを見て、由依は落ち込んでしまったのだった。由依だって、応援されている。けれど、雅と比べてしまう。そんな自分を認識しながら、由依はいつも通りに、小説を書き始めようとした。
一時間が経過。けれど、思うように書けない。そして、小説を書き始めた頃に比べて、楽しくない。ひたすらに苦しい時間が流れる。
ここの文体がよくない。
流れが上手くいかない。
こんなんじゃ褒めてもらえない。
由依は、苦しい思いでいっぱいだった。
もっと上手く書けるはずなのに。
もっと、もっと……。
二時間が経過した。しかし、由依の小説は、まったく書き進んでいなかった。そして彼女は一旦、描くことから離れた。どうして自分はダメなんだろうと思いながら、彼女は別のことをしようとした。
しかし、彼女の一番の趣味は、小説を描くことなのだ。他に趣味はなく、ただぼんやりと、部屋の中で横になっていることしか出来なかった。横になっている間も、小説のことが頭から離れない。しかし、書くのは辛い。由依は、枕に顔を埋めて、どこから来るのかわからない惨めさに襲われていた。
彼女のスランプは、一日で終わらなかった。その後、ずっと続いたのである。SNSをチェックし、自己嫌悪に陥る毎日。生産的なことが出来ない自分を責める。
雅のアカウントを見ると、彼女は毎日のように小説を投稿していた。それが、さらに由依の気持ちを、辛いものにした。
わからない。
どうして、小説がそんなに書けるのか、わからない。
そんな風に由依が思っていると、音が鳴った。携帯に連絡があった。雅からだ。
「もしもし、何?」
「由依ちゃん、最近、小説書いてないの?」
「……うん、ちょっと気乗りしなくて」
「スランプ?」
「そうかも。でも、大丈夫だよ」
由依は嘘をついた。内心は、書けない自分が嫌で嫌で仕方なかったし、雅のことを羨む気持ちもあった。
「解消されるといいね。そんな時期もあるよ。ちょっと心配になって、連絡しただけ」
「ありがとう、雅ちゃん。優しいね」
「そんなことない。じゃ、また学校でね」
「うん」
そんなやり取りで、会話は終わった。
雅から励ましてもらった由依は、机に向かってみた。小説を書こうとしたのだ。
でも。
書けない。
書けなかった。
なんで?
小説を書いてどうなるの?
プロでもないのに?
こんな、こんな気持ちで、小説なんて書けない。
強迫観念。
向上心。
認められたい。どこまでも。
由依は、気づいたら泣いていた。もう、どうしていいのか、わからなかった。彼女は、雅に打ち明けようと思った。自分の現状を。
翌日。平日だったので、高校の授業があった。由依は教室で、右から左へと通り過ぎる授業を聞いていた。勿論、まったく頭に入らない。
時間が進むのは速かった。あっという間に放課後となり、行き交う生徒達の間をくぐり抜け、由依は雅の元へと向かった。
教室のドアを開けた。左手の一番奥。
雅は、机に向かって、絵を描いていた。その瞳は、真剣そのものだった。
何かが壊れる音がした。由依の、心の音が。
彼女は雅の元へと近づいた。
「雅ちゃん」
「あ、由依ちゃん……どうした?表情が暗いよ」
「話聞いてほしい」
「わかった。どこで?」
「校舎の裏」
由依の声は小さかった。雅は、何かの雰囲気を感じ取っていた。喫茶店でも、他のお店でもない。校舎の裏という異質さ。
「うん。じゃあ、行こうか」
雅は素早く道具と紙を片付け、教室から出た。由依は俯きながらついていく。
校舎の裏まで、二人はやってきた。他の人の気配はない。ただ、二人がいるのみ。
「で、由依ちゃん、どうしたの?」
「雅ちゃん、私、もう小説書けないよ」
「スランプが続いているの?」
「スランプなんかじゃない!!」
由依は叫んでしまった。
小説を書けない自分への絶望。
真剣に小説と向き合える雅への羨望。
「小説が書けないの!!上手に書けない!!書いてても全然楽しくないよ!!なんでこんなに苦しい思いをして書かなきゃいけないの!?書けない!!書けないよ!!書きたくない!!楽しいって何!?私なんか書いたって意味がないよ!!私の小説には価値がない!!無駄だった!書いてきた小説も!!何もかも!!褒められたって!!他の人が気になってしまうよ!!どうしたら!?どうしたら雅ちゃんみたいになれる!?終わりにしたい!!こんな苦しい思いをして書きたくない!!自分の小説に自信なんて持てないよ!!小説なんか!!小説なんか!!!!わ、私は、もう、無理です!!無理なんです!!出来ない!!出来ないよぉぉぉぉ!!!!」
由依は涙をぽろぽろと流していた。
雅は、それを見守っていた。彼女も、小説が書けなくなったことがある。だが、それは無意味だ。それを口にしても、目の前の由依には届かないと思った。
静寂が二人を包む。
雅は、由依に伝わる言葉を考えていた。由依は相当に弱っている。
「ほんの少しも、小説が書けない状態なの?」
「そうだよ!!上手く書くかなきゃ、上手く書かなきゃって!!」
「由依ちゃん」
雅は由依を真っ直ぐに見据えた。
「本音と建前、どっちでアドバイスが欲しい?優しい言葉をかけられたい?でも、それは傷つくよね。私は小説を書いているんだから。由依ちゃんには、本音で向き合うしかないって、今私は思ってる。本音、建
前、どっち?」
「本音」
「小説を書くの、やめたほうがいい。他の趣味を探すべき」
「私から小説を取ったら……」
「書けないんでしょ!?自分の成長を楽しめないんでしょ!?辛いんでしょ!?だったら素直でいいじゃん!!書きたい日がいずれ来るだろ!!私達はプロじゃないんだ!!」
「書きたいの!!書きたいんだよ!!嘘じゃないんだよ!!信じて!!」
「そんなこと言われなくたってわかってるよ!!由依ちゃんが小説頑張ってきたことも!!それでも手が動かないっていう現実は変わらないだろ!!手が動かせないなら諦めろ!!甘えんな!!」
「雅ちゃんみたいに強い人にはなれない!!わからない!!」
再び、静寂が二人を包み込んだ。涙を流し続ける由依。相手を想う雅。
「模写!!」
「え?」
「由依ちゃんには大好きな小説家がいただろ!?その人の小説で練習するんだ!!模写するんだよ!!誰のための小説でもない!!『自分が成長するための小説』を!!模写なら心が死んでたって書ける!!一回じゃ上手くいかない!!当たり前だ!!プロの小説家なんだから!!でも!でも!!何回も模写すれば手は動く!!手が動けば何かが変わるかもしれない!!何かを変えられるかもしれない!!」
「手が動けば……」
「私から言えることはそれしかない!!最後に一つだけ言いたい!!今から言う言葉が由依ちゃんにとって呪いでしかないってわかってる!!言わないでおこうかとも思ったよ!!でも!!でも!!私はアンタの小説が好きなんだ!!!!」
雅は号泣して、その場に崩れ落ちてしまった。
由依は涙したままの瞳で、雅を見た。雅は地面に崩れ落ちて泣いている。
由依は雅にしがみついた。
「ごめん!!ごめん雅ちゃん!!模写するから!!ごめん!!ごめん!!!!」
二人は泣き続けた。この日から二人の関係は変わった。『親友』になったのだ。
由依は自宅に帰り、さっそく紙を机の上においた。そして、大好きな小説家の作品を取り出した。少し、埃を被っていた漫画。
思い出す。この小説が大好きだった。今でも好きだ。
由依は、模写に取り掛かった。
彼女は模写を続けた。感じたのは、いかに小説の構成が上手いか、ということだった。1シーン1シーンの意味。思考。技術。それらに圧倒されたこともあるが、彼女の手は動いていた。確かに動いていた。
何も考えずに文字をなぞった。彼女の模写は、完璧とは言えなかった。
しかし、確かに『紙一枚分』の模写が書けた。模写が書けたけた。今まで散々苦しんできて、一枚も描けなかった紙に、黒色がついたのだ。
たかが一枚、と笑う人がいるかもしれない。
だが由依は、その一枚に、声をかけてやりたかった。
がんばったね、と。
そして、雅に感謝した。泣きながらペンを握っていた。
何回も、何十回も繰り返せば、上達するのだろう。
自分の成長を楽しめるようになるかもしれない。
小説を続けるのか、由依にはわからなかった。
しかし、彼女は確かに、一枚の紙に、絵を描き終えたのだ。