第8話『三毛猫と居酒屋』
辞めるとはいったものの、すぐに辞めるわけじゃない。それを知っているせいか、翌日になっても篠山からは何の反応もなかった。まぁ、辞めるって言いだしたのは今月入って二度目だし。
だがもしも恋人が出来たら、今度こそ本当に辞めてしまうだろう。組織をやりながら恋愛も、なんて欲張りな事は言えない。
ただ転校生の反応によっては引き続きアイオセンの首領として頑張る道もある。そうならない為にも、まずは転校生の好感度を稼ぐ必要がある。その為に、わざわざこうして休日の公園まで足を運んできたのだ。
「ん?」
ふと後頭部に違和感を覚え、振り返った。そこには空中ブランコの要領で木の枝に足を引っかけながら、重力に逆らうポーズを維持する不知火がいた。
逆さまになるのが好きなのか知らないが、せめてスカートぐらいは重力に屈して欲しかった。
「朝から公園に何の用?」
ジョギングをする老人が、不思議な目でこちらを見ている。やはり少女がこんなポーズをしているのは不自然なのだろう。白い甲冑を着込んだ首領はそう思った。
「ああ、転校生の好感度を上げようと思ってな」
睡眠薬の入った瓶を渡された。流行ってるのか、これ。
「寝言じゃないっての。いきなり告白しても成功する確率は低い。だからこそ、まずは好感度をあげて様子を見るんだ」
不知火は嫌そうに顔をしかめる。
「なんだ。不満があるなら言ってろ」
「景気が悪い」
「俺への不満だ」
「景気が悪い」
「お、俺のせいなのか?」
ちょっとだけ不安になった。
「好感度を上げるなら私はいらない。どうして呼んだ?」
これが篠山なら問答無用で反対しているが、不知火は若干首領を尊敬している節がある。なので反抗的な態度はとっても、最終的には実行してくれるのだ。
ちなみに脈ありかと思って何度か告白した。付き合うには重すぎると一刀両断されたが。
「あそこに大きな木があるだろ」
名称を恋愛公園に変えたこともあり、当然ここもカップルや夫婦の為の憩いの場となっていた。恋人たちが休む為のベンチはあちらこちらにあり、四季折々の植物が見事に咲き誇っている。デートでここを歩けば、さぞや雰囲気も盛り上がることだろう。
そんな公園の中央に、シンボルとも呼べる大きな木があった。当初はただ大きいだけの木だったが、名称を変更してからは告白すれば叶う伝説の木として噂が広められた。おそらく市の広報の仕業である。
アイオセンでも何度か切り倒そうという意見はあったものの、恋愛抜きにしても思い入れがある者も多いらしく、いまだ実現には至っていない。
「あれが?」
「木登りするには難しい木だな。仮に猫がよじ登れたとしても、人間が登るのは大変だ」
説明したつもりだったのに、不知火はまだピンとこないようだ。
「もしも、あそこに九条さんのペットが登ってしまったら? そして、それを俺が颯爽と助け出したら、どうなると思う?」
ようやく理解したのか。ああ、と手を叩く不知火。
「私の好感度が下がる」
「……上げると付き合ってくれるのか?」
「もう上限」
「え、これで?」
だとしたら、どう足掻いたところで不知火の態度は改善されないということか。これからもきっと、ヘルメットをペチペチされるのだろう。
それはそれで悪くないが、個人的にはもっと進展したい。
「たとえお前の好感度が下がったとしても、この作戦は実行すべきだろ。トラックに轢かれそうな所を、というのも考えたがさすがにやり過ぎだからな。そんな危険な目に遭わせたくないし、トラックの弁償代も馬鹿にならん」
破壊すること前提だが、恋禁術をもってすれば容易いことだ。
ただし弁償だけはどうにもならない。会議室の弁償代だけで、既に首領の財布はペラペラなのだ。
「やれと言われたらやる。だけど、私は何をすればいい?」
「九条さんはペットを飼ってるか?」
コクリと不知火は頷いた。
「三毛猫を一匹」
「よし。だったらその猫をあの木の上に置いてくれ。九条さんが来たら、俺が格好よく現れて格好よく助ける」
その後はキラーンと甲冑でも輝けば、自然と好感度は鰻上りだ。下手をすれば、この場で新たなカップルが誕生するかもしれない。そうなるとキスする時はヘルメットを脱ぐべきか脱がないべきか。悩みどころである。
そんなことを考えている間に消えた不知火をよそに、木から離れた所へ隠れる首領。最初から木の側にいたら、犯人だと疑われる可能性もある。ここは見つからないよう慎重に身を潜め、九条さんがピンチになってから飛び出すべきだ。
十分後、不知火が戻ってきた。
「ただいま」
「……なんだあれは」
「三毛猫」
木の上で三毛猫が寝そべっている。あまりにも重いせいか、若干ミシミシと枝が悲鳴をあげているようだが。最悪、落ちたところであの三毛猫なら何とかするだろう。
「虎だろ」
「虎」
「三毛猫じゃないのか?」
「名前が三毛猫」
種族の獰猛さと名前の可愛らしさが全く一致していなかった。ピンチはピンチかもしれないが、ペットが降りられないピンチというより、こんな危険生物を野に放った事に対する責任的なピンチではなかろうか。あと近隣住民もピンチ。
これはこっそり戻しておくべきだろう。下手をすれば転校生を社会的に葬りかねない。そもそも一般市民が飼っていいのだろうか。
金持ちが趣味で飼うものじゃないか。虎。
「……戻してくれ」
「でも」
不知火が指差す方角。公園の入り口から走ってくるのは、まさしく転校生の姿。
どうやら、もう遅かったようだ。ヘルメットを抱える。
とはいえ、来てしまった者は仕方ない。このまま作戦を続けるとしよう。よく見れば三毛猫そっくりだ。耳とか。
「あっ、こんな所にいたのね。駄目じゃない、みけねこ」
獰猛な野生動物に話しかける女子高生。傍から見ているとただの事件だ。
「おりてらっしゃい」
よし、このタイミングだ。颯爽と飛び出した首領が地面を蹴り、重力を無力化する。月面のようにふわりと浮かび上がった甲冑は、優しく虎を包み込んだ。
「もう大丈夫だぞ」
投げかけた言葉に対し、返ってきたのは唸り声と牙だった。首筋に噛みつかれ、爪で引っかかられる。幸いにも頑丈な甲冑だったので傷一つないが、間近で虎の口の中を覗いてしまったショックは大きい。
このまま放り投げてやろうかと思うぐらいだ。転校生に恨まれそうなのでやらないが。
暴れる虎を抑え込みながら、地面に着地する。
「みけねこ!」
やっぱり名前を変えろと思わなくもない。
転校生が抱き着いた途端、虎は大人しくなった。ゴロゴロと喉を鳴らし、甘えるように擦り寄っている。虎ですら女性とスキンシップをしているというのに、首領が今日触った生き物は肉食獣だけだ。
「ありがとうございます! ええと……」
「なに、当然のことをしたまでですよ。ははは」
助けたというか襲われただけの気もするが。とりあえる爽やかな口調で言っておく。
これで好感度上昇は間違いなしだ。
「お礼に抱いてみますか、この子?」
罰ゲームが開始された。本当に好感度が上昇したのか疑わしい。亡き者にしようとする策略ではないかという疑惑が渦巻く。
それでも嫌われたくない一心で、首領は虎を再び抱きしめた。当然のように暴れる虎。
「可愛いでしょう?」
「そうですね。これに比べたら人間なんてかわいいもんですよ」
「? この子がですよ」
「ああ確かにかわいいですね」
敷物とかにピッタリだ。
「あっ、そろそろ家に戻らないと」
それがいい。警察のサイレンが遠くから聞こえ始めたところだ。
お礼を言いながら転校生は何度も頭を下げて行った。その度に美しく綺麗な黒髪が揺れる。そして仄かに漂う良い香り。むしろ首領の好感度が上がったように思えてきた。これはますます告白を成功させたいところだ。
「彼女の好感度は上がったと思うか?」
「虎の好感度が下がったことは分かる」
姑問題というのはよく聞くが、ペットの虎に殺されそうになる問題は何と言えばいいのか。彼女と付き合いようになれば、まずは奴の対処をどうするべきか考えなくてはいけない。
だがその前に、サイレンの音が公園のすぐ側で止まった。このままだと職務質問は確実。色々と面倒な事を訊かれても鬱陶しいだけだ。
首領は木に飛び移り、そのまま近くの家の屋根へと飛び移る。
問題はあれど計画は順調。後は着々と好感度を積み重ねていくだけだ。
そして首領は居酒屋にいた。
隣の席には葛野。反対側には酒臭い中年。壁にかけられたメニューには恋愛要素が一切ない。
この市では珍しく、誰でも平等に扱ってくれる居酒屋らしい。入ったことがないので分からないが、どうやら普通の恋愛居酒屋では独身の肩身が狭いそうだ。カップルに挟まれて酒を飲んでいると、段々泣きたくなるんだとか。
酒が飲めない首領には分からない世界の話である。
「んじゃ、かんぱーい!」
「俺は飲めないからな」
「はいはい。オレンジジュースでいいから、かんぱーい!」
グラスをぶつけあう。小気味良い音がした。よく考えれば、今の状態は周りからカップルと思われているんじゃなかろうか。そうだとしたら、これも脈ありという証なのか。連続玉砕記録が、今日塗り替えられるのか。
そんな首領の意気込みを察したのか、先に口を開いたのは葛野だった。
「転校生にアタックするつもりなんだって?」
「誰に訊いた」
「不知火ちゃん」
情報担当の漏えい事件について、後日キッチリと調査しなければならない。
というか首領相手だと世間話もしてくれないのに、葛野だと機密事項もペラペラ喋るのか。地味にショックである。
「大丈夫、篠山には言ってないから。それに私は反対するつもりなんてないよ。告白作戦大いに結構。じゃんじゃんやっちゃって」
予想外の発言に目を丸くする。ヘルメットの中なので周りは分からないだろうけど。
「てっきり、止めろって言うのかと思ったぞ」
「だって首領ちゃんは恋愛したことないじゃない? だったら、一度ぐらいしといて傷つかないと。恋愛がどれだけ恐ろしいものか、知らない人は分からないでしょー。食べたことのない料理を食べるなって言うよりも、食べさせてマズイってことを教える方が早いしね」
玉砕してこいと言われた。いや、正しくは玉砕するから学んでこいか。
そもそも前提にあるのが失敗なのはどういうわけか。転校生とうまくいって、そのままゴールインという事だってあるだろう。いや、その可能性は高いと言ってもいい。なにせ虎を助けた仲なのだ。いや、助けたか?
「上手くいったらどうするんだ」
「いかないよ。だって首領ちゃんだもん」
どういう意味だ。喉まで出かかった台詞がそのまま口から出ていく。
「どういう意味だ」
葛野はだらしない笑みで答える。
「首領ちゃんは首領が天職ってことかねえ。恋人が出来たって三日で別れるよ。そもそも恋人が出来ないと思うけど」
「天職って何だよ」
「なるべくしてなった。だからこそ神様がくれたんじゃない? 恋禁術っていう不思議な力を。うっかり幸せな恋愛を出来ない運命にしちゃったもんだから、憐れんだ神様の調整なんだよ。その力は」
ロクでもない神がいたものだ。今からでも遅くない。恋愛の方にパラメーターを調節できないものか。最悪、この力が無くなってしまっても構わないから。
ただ、それだと甲冑を着ることが出来なくなる。素顔を晒すわけにもいないし、新しい覆面を用意する必要があった。
「お前の話はよく分かった。だが、俺のこの熱い思いを止める事は誰にも出来んのだ。お前だってそういう時期があったんだろ?」
ドン、と乱暴な音を立ててジョッキがテーブルを叩く。
気が付けば葛野の目が据わっていた。
「すっぴん美人とウェスト60未満は男が作った幻想だよ。女だって酒を飲むし、酔っぱらうし、暴れることだってあるんだから」
前半はともかく、後半はじゃあ飲むなと言いたかった。それとも飲まずにはいられない事情でもあるのだろうか。酒を飲んだから解決するというわけでもあるまいに。学生にはよく分からない。
「それだけを言うために誘ったのか? もっとこう、何かあるだろ。ずっと前から好きでしたとか」
「居酒屋で言うこっちゃないかなあ。まぁ、首領ちゃんにその台詞を言うことは一生ないけど」
不知火といい、葛野といい、せっかくの女性幹部なのにガードが固すぎる。残るスケアクロウは性別不明だし、最後の一人に至っては性別がアウトだ。せめて篠山が女なら良かったのにと、この発想に至るのは何度目だろう。
寝ても覚めても篠山ばかり。他人が聞いたら誤解すること間違いなしだ。
オレンジジュースにヘルメットをつける。みるみるうちに、コップのジュースがなくなっていった。
「それ、本当に飲んでるの?」
「失礼な奴だな。脱ぐわけにもいかんから、こうして頑張ってるんじゃないか」
焼き鳥をヘルメットにくっつけると、焼き鳥も消えていった。傍目から見ると手品だが、こちらは種も仕掛けもない。それにこれは誰かを楽しませる為の芸当ではなかった。単に食事をしているだけだ。
「そういうのも、女の子からしたら減点かなあ」
「マジで? じゃあ脱ぐわ」
「それは性別どころか種族問わず減点だねー」
詰んでた。どう足掻いても減点だ。
「だけど、告白するなら早めがいいよ。ほら、いつもの首領ちゃんみたいに思いついてすぐ行動しないと。悩んだところで、どうせ結果は変わらないんだしさ」
辛辣ではあるが、確かに望みが薄いのは事実だ。それは受け止めなければならない。だからこそ今回は作戦を練っていた。その作戦も虎のせいで有耶無耶になってしまったが。
首領とて成長しているのだ。今までのように好きだと思ったら即告白するような真似はしない。あれだけの相手、そうそうは現れないだろう。
だが、そう思えば思う程に不安になる。
「……ちなみに葛野は隠し事してる男はどう思う?」
「えー、誰だって隠し事はしてるでしょ。女だってそうなんだから、男だけ許さないってのも何かねえ」
今まで考えもしなかったが、転校生も何か隠している可能性がある。だからといって自分が許されるとは思わないけれど。
「でもバレたら嫌われるだろ?」
「モノによるけど、そうだねえ。もしかしたら、自分が隠し事してるほど怒るかもしれないなあ。疾しい事がある人間ほど怒りっぽいしね」
どちらにせよ、やはり隠し事をしていると駄目なようだ。ここは先手必勝。まずは自分の立場を明らかにしておくべきか。
前のように何かの拍子で出会ってしまうかもしれない。次もまた運よくバレないとは限らないのだ。
「よし」
決意を胸に、首領は立ちあがった。
葛野に相談したおかげなのか。随分と気持ちが軽くなった。
「あ、お会計お願い。首領ちゃん。私、お金持ってないから」
ついでに財布も軽くなった。