第6話『水泳と緊急事態』
朝の学校。一般生徒たちを清々しい気持ちにさせる一方、イチャつくカップルのせいで不愉快になる独身クラスの面々。光と闇のオーラが混ざり合いながら、今日も学園の校門は生徒たちを受け入れる。
そんな校門の影に隠れる、白い甲冑の学生が一人。
これが愛らしい女生徒なら告白なのかと思えるのだが、いかんせん甲冑。伏兵にしか見えない。
普通の生徒はあからさまに避け、構成員は生暖かい目で首領を見つめていた。
別に修繕費の額が多すぎて、頭がおかしくなったわけではない。篠山は気を付けろと言っていたが、転校生とてクラスメイト。無視して雰囲気が悪くなっては学校生活にも支障をきたすというものだ。
ここは偶然出会ったふりをしながら、クラスまで仲良く登校するのが筋というものだろう。
それが学級委員としての務めでもある。いや首領は学級委員会ではないが。
「ん?」
ふと後頭部に違和感を覚え、振り返った。いつのまにか、そこには不満そうな顔の不知火が立っていた。普段無表情なだけに、眉間のしわがとてもよく目立つ。
「情報収集は私の仕事。ヘルメット剥ぐよ」
首領に仕事を奪われると思ったのか、不知火の発言はとても過激だ。
ヘルメットをペチペチと叩くあたり、割と本気なのかもしれない。無論、戦闘となれば後れをとるつもりはなかった。ただ、女子相手に全力で殴りかかるほど首領は落ちぶれていない。そんな事をすればモテるどころか批難轟轟だ。
「これは情報収集じゃない。ただ転校生を待ってるだけだ」
「ストーカー」
「一緒にするな。あいつらと違って、俺は真剣に九条さんとお付き合いしたいだけだ」
「ストーカーはみんなそう言う」
だとしたら、世の変質者は全員純愛主義者という事になる。平和な世の中だな。素晴らしい。
「しっ! 来たぞ!」
遠く離れていても一目で分かる。あれだけ清楚な雰囲気を出せるのは、それこそ平安時代の人間ぐらいだろう。歴史の成績が悪く、平安時代がどういう時代なのかは知らないが、多分そうだ。
道行く学生も見惚れるぐらい、転校生は異彩を放っていた。これからあの前に飛び出すのだと思うと、途端に緊張してくる。これならいっそ、走るトラックに飛び込んだ方がマシだ。
だが、ここで怖気づいてはいけない。逃走は何も生み出さない。前へ出るのだ。そうすれば、いつかきっと自分の隣に素敵な女性が立っているはず。
そう思い続けて十数年経ってしまったが、今日こそ報われる日だ。
気合を入れて飛び出す首領は足元の紐にひっかかり、盛大に転げた。
「なんだ今の紐は!」
「罠」
「校門に!?」
どう考えても仕掛けたのは不知火としか思えない。睨みつけたものの、無表情のままで内面は読み取れない。
「こんな所に罠を仕掛けてどうするつもりだったんだ、お前は」
「……校長を捕まえる」
校長に何の怨みがあるんだ。などと、ふざけたやり取りをしている場合ではない。
転校生が行ってしまう。首領は慌てて駆け出した。
「やあ。おはよう、九条さん」
「あ、山田君……ですよね? おはようございます」
九条がニコリと微笑んでくる。それだけで首領の体重が3キロ痩せたような気がした。
だが、彼女は首領の正体を知っている。この白い甲冑が、黒い甲冑に変わるという事を。仮に告白するとしても、まずはその事について調べなければならない。
もしかしたら一目ぼれされたかもしれないのに、実は恋愛撲滅組織の首領だと分かったら幻滅される。
アイオセンはそこまで世間に知られているわけでもないし、首領の姿も大々的に公表されてるわけでもない。世情に疎ければ知らない可能性は充分にあった。その場合、ただ色が変わるだけの変わった甲冑を着込んでいる事になるが。
幻滅されるよりかは、遥かにマシだ。
「こんな所で会うなんて、奇遇だね」
「奇遇、ですか?」
女性は運命に弱いと聞いた。偶然をアピールすれば、無意識に惹かれていくという。
ただ、ここで使うべき単語だったのかは疑問だ。困り顔の転校生を見て、本題を切り出す。
「良かったら、一緒に行ってもいいかな?」
「ええ、まぁ。同じクラスですし」
密かにガッツポーズをする。たとえ数分の距離だとしても、最初の一歩はこれぐらいでいいのだ。下手に高望みをしても手から零れ落ちていくだけ。徐々にでいいのだ、徐々にで。
下駄箱で靴を脱ぐ転校生。足を拭く首領。
「そういえば、昨夜は何してたの?」
軽く探りを入れる。もしかしたら、何も気づいていない可能性だってあった。夜だし、路地裏だし、見えていなかったかもしれない。
「昨夜は他のクラスの人から強引に誘われまして。嫌だと何度も言ったんですけど、タワーの展望台に連れて行かれたのです。そこで……色々とありまして。正直、タワーを降りてからの事はあまり覚えていないのです」
二度目のガッツポーズ。彼女は何も覚えていなかった。
つまり、色がどうとか悩む必要は無いというわけだ。
これはもう天が告白しろと言っているようなもの。運命の強い後押しを感じる。
「都合がよすぎる」
天井を歩く不知火がボソリとそう言った。
若干首領もそう思っていたが、気にしてはいけない。世の中には、こういった運命的な出会いだって存在するのだ。都合がいいのも、神様が行け行けとゴーサインを出しているだけ。
産まれた時に容姿のステータスを低く設定しすぎたので、露骨な運営の調整が入ったのだろう。
「山田君は昨夜は何をしていましたか?」
「運動かな。飛び込みの」
「水泳をやられるんですか? 私、泳げないから羨ましいです」
ここで今度教えようか、と誘えるのは上級者だ。さすがに自分はまだその域まで達していない。
仮に無茶して言おうとしたところで、どうせ口から出るのは「ここで教えてあげようか?」ぐらいだ。
廊下で水泳の練習をする馬鹿に付き合ってくれるはずもない。
そうして諦めているうちに、やがて教室が見えてきた。短い幸せだった。だが、いつかはこの幸福が長続きすることを祈って。首領は教室の中へ入った。
そして紐にひっかかり、盛大にこけた。
「校長が来るかと思って」
背後の不知火はそう言って、紐を飛び越えながら教室へと入ってきた。大丈夫ですか、と心配しながら転校生も入ってくる。
だがこの寝ころんだ態勢。そして紐をまたぐ転校生。
角度的にこれは、と鼻息を荒くしたところで足を引っ張られた。
「大丈夫か、良夜君! 心配したぞ!」
「ああ! そんな所に寝転んでいると危ないぞ!」
「もっとこっちに来るんだ!」
死ぬほど重かっただろうに。十人がかりで運ばれた。
首領は感謝の言葉を述べることもなく、おもむろに立ち上がった。
「全員歯を食いしばれ!」
全員逃げ出したのは言うまでもない。
さよならという声が聞こえてくる放課後。
授業も終わり、部活に行く者もいれば組織に向かう者もあり。少なくとも恋人と過ごそうとする者は教室の中にはいなかった。
「では、さようなら。また明日」
転校生が出ていくと、途端に教室が色あせたように見えるから不思議だ。とはいえ、こうなれば首領も教室に用などない。とっと組織に向かって、今日の仕事を終わらせるとしよう。
活動をサボればサボるだけ、幸せなカップルが増えることだし。奴ら、一組見つけたら三十組はいるからな。
文字通り重い腰をあげたところで、不意に携帯へ連絡が入った。篠山は何度もスマホに変えろと言っていたが、どうせ電話やメールの相手は限られている。それにアプリなど使いこなせない。普通の携帯で充分だと何度も断っていた。
まぁ、彼女が出来たら速攻で変える。その日にガラケーは叩き割ってもいい。
「どうした?」
電話の向こうから篠山の声が聞こえてくる。これがせめて女の声ならやる気も出るのに。そんな不満は篠山からの報告で一瞬にして吹き飛んだ。
「……事実なんだな? 実は違いましたじゃ済まされないぞ」
間違いありません、と篠山は答える。
だとしたら一刻も早く組織に向かわなければ。窓を開けて、近くの家の屋根まで飛び移る。そうしたら、次はまたもっと遠くの家の屋根へと飛び移る。それを何度か繰り返せば、あっというまに目的地まで到着だ。
寂れたボウリング場。ここにアイオセンへの入り口がある。他にも沢山あるのだが、首領が主に利用しているのはココだ。
扉を開き、中へ入る。並べられたボーリングの玉。その中で割れたピンク色の玉に触れれば、ガチャリと鍵の開く音が。あとは近くの扉に入り、壁に埋め込まれた数字を押す。そうすれば、地下にある組織の本部への階段が現れる。
時には女性と二人きりになる事もあるシステム。女性からは不評らしい。男性からは好評なのに。
「お待ちしていました」
「うむ。先ほどの話が本当なら一大事だからな。呑気に下校してる場合じゃない」
転校生から誘われていたら、どうしていたかは未知数だが。それは今言うべきことではなかった。厳しい顔の篠山に連れられ、会議室へと入っていく。会議室の壁には、デカデカと一人の男子学生の顔が映し出されていた。
見間違えるはずもない。後ろの席のイガグリ頭だ。ざわめく会議室。首領が座ってもなお、そのざわめきは治まらない。普段なら数人程度で利用する部屋には、既に十人以上の人間がひしめいていた。
「お静かに」
篠山の冷たい声に、ピタリと喧噪が止まる。
全員揃っている事を確認した後、篠山は不知火を促した。
天井に不知火の姿は無い。今日ばかりは皆と同じように、ちょこんと椅子に座っている。そんな彼女が立ち上がり、無表情で口を開いた。
「渡辺光秀に彼女が出来た」
怒号が飛び交い、悲鳴が聞こえる。まさか、嘘だ、ありえないと現実を認めない声も多数だ。
恋愛撲滅組織アイオセン。その構成員の中から、まさか彼女持ちが現れるなんて。こんな珍事、先週以来だ。
「落ち着け、冷静になれ。騒いだところで何も解決しない。それよりもそれは事実なんだな、不知火」
「事実。何人かが彼女と一緒に歩いている所を目撃したし、告白して受け入れられた事も確認をとってある。相手は隣町にある女子高の1年生」
女子高、という単語に会議室の熱はヒートアップした。男性から嫉妬と憎悪が。女性からは侮蔑と怨嗟が。
かくいう首領も気が気ではなかった。幸い甲冑を着ているから表情が分からないものの、ヘルメットの下にある顔は失神寸前だった。
彼女が出来たというだけでもアウトなのに、その上更に女子高だと。男子学生からすれば、その響きは天上世界のものである。決して立ち入る事が出来ず、夢を見ることしか叶わない世界。その世界の住人とお付き合いしているなど、国が国なら戦争が勃発していてもおかしくはなかった。
「許せんな……」
「首領の個人的な感情はさておき、組織としても見過ごすわけにはいきません。これを放置していれば、風紀が緩み、いずれ組織は崩壊するでしょう。断固とした対応が必要ですね」
消しゴムを貸してくれたイガグリ。
ノートを見せてくれたイガグリ。
脳裏に様々な思い出が蘇る。あれだけ優しくしてくれた彼に、酷い事が出来るだろうか。
そして最後に思い浮かぶのは、あと少しでエデンの園が見えたのに足を引っ張り妨害するイガグリ。
ギルティであった。最早躊躇いは欠片も無い。
「異端審問を行う」
おお、と歓喜の声があがった。篠山も想定済みらしく、すぐさま書類を各自に配った。
「本件は緊急事態です。本日の夜に早急に行いますので、出来る限りの構成員は参加するよう伝達をお願いします」
ただの会議なら参加者は半数もいかない。だが、異端審問となれば話は別だ。内部からの裏切り者を容認できるほどアイオセンの構成員は人間が出来ていなかった。
おそらく参加者は半数を超えるだろう。
自分も転校生にアタックしようとしているのに、他人は駄目なのかという意見もある。当然駄目だ。何故なら、他人がカップルになったところで自分は全く幸せになれないから。むしろ不幸にすらなっている。
ならば、それを全力で邪魔するのが恋愛撲滅組織というものだろう。
「くっくっくっ、一人だけ幸せになるなんて許さんぞ。渡辺ぇ」
醜い足の引っ張り合い。それこそがアイオセンの真骨頂だった。