第3話『転校生とパイナップル』
翌朝。首領の朝は一般学生と変わらない。
鏡の前で身だしなみを整え、顔を洗う。といっても、当然ヘルメットは脱がない。歯磨きの際にも脱がない。だって脱いだら直視した鏡が割れるのだから。
柔らかいタオルでヘルメットを拭いて、キッチンへと向かう。
廊下には味噌の香りが漂い、ネギを切るトントンという音が聞こえてきた。首領は手を合わせる。廊下のど真ん中で。決して、食材に対する感謝の表れではない。
想像が裏切られますように、という強い願いだ。そんな想いを込めながら、キッチンへと続く扉を開く。
「あ、おはようございます。良夜さん」
そしてキッチンへと続く扉を閉めた。
玄関を出て、庭へと回る。雨戸を開き、部屋の中へと入った。
「バグじゃないんですから。どこから入っても現実は変わりませんよ」
「ちくしょう! 何が悲しくて朝から男の手料理を食べなきゃならんのだ!」
ソファーにダイブして身悶える。ヘルメットをクッションに押し当て、叫ぶ姿はまさに普通の高校生。言っていることも思春期そのものである。
「仕方ないでしょう。放置していたら、三食全部インスタント食品になるのですから。首領が栄養失調でダウンとなれば、組織の運営に関わります。それにお母様からよろしくと言われていますし」
首領の両親は海外へ旅行中だった。つまり男子高校生の一人暮らし。
これはもう可愛いヒロインを連れ込んで、あれやこれやのドッキリハプニングがあってもおかしくない。
しかし今の所、目撃したのは篠山の裸だけである。当然、軽く吐きそうになった。
「愛情のこもった料理が食べたいよー! 篠山よぉ、お前とかモテたんだから愛のこもった弁当とか貰ってたんだろ!」
「冷凍食品なら詰まっていましたけど?」
豆腐を切りながら、遠い目でそう言う。篠山がイケメンでありながら恋愛撲滅組織に入っているのは、この金髪が更に金持ちだからだ。イケメンで高学歴で金持ち。これだけの好条件を見過ごす女はそうそういない。
幼い頃から猛アタックされ続けてきた篠山だが、自分自身を見てくれた女性は現れなかった。誰も彼も莫大な資産しか見てくれない。金目当てじゃないとしても、今度は類まれなる美形な顔立ちに魅かれるばかり。中身を見てくれる人は一人もいなかった。
やがて、篠山は恋愛というものに絶望感を抱いたのだという。首領からすれば羨ましいを通り越して、最早殺意がわくレベルの昔話だ。とりあえず手元のリモコンを投げておいた。コントロールが悪くて鍋の味噌汁にダイブしたが。
「リモコンは好きですか?」
篠山の質問に目を逸らす。
やばい、あいつ完全にリモコンを食わせる気だ。投げた側としては強く言えないし、取り除いてくれることを祈るしかない。
まぁ、当然のようにリモコン汁が食卓に並べられたわけで。傍らに置かれた乾電池には、どういう意味があるのか首領には分からなかった。とりあえず捨てるのもなんだし、リモコン汁をすすってみる。うん、味噌味。
衛生面ではどうなのか、考えたくもない。いっそ病気で倒れれば、心配したヒロインが看病に来てくれるかもしれないのだが。生憎と心配してくれるヒロインが不足していた。このままでは篠山が看病に来てしまうだろう。
「ヒロインって、どこに行けば売ってんだ?」
「ゲーム売り場です」
至極当たり前の悲しい答えが返ってきた。
「現実にはいないのかよ」
「いるわけがないでしょう。どれだけ不可思議な力があったとしても、そんなファンタジーは絶対に存在しません」
女性で色々と苦労している篠山は、疲れた顔で味噌汁を口にする。
「別に贅沢は言ってないんだ。料理が下手でもいい。勉強が出来なくてもいい。ただ、俺のことが好きな子がいてくれれば、それでいいんだ」
「贅沢言わないでください」
最低条件すら満たされない世界なんて。行動力が足りないというわけだろうか。
しかし、これ以上行動すればストーカー容疑で捕まる高校生が増えるだけである。カップルを破局される事は良しとしても、それで捕まるつもりはない。
舌打ちしながら、ほうれん草のお浸しを頬張る。腹の立つことに、篠山は料理もベテラン級なのだ。そりゃ女も放っておかない。これだけ高スペックな良物件。不動産屋の手違いか事故物件を疑うレベルだ。
仮にこいつが性転換でもしたら、二分に一回は口説いていた。
「……たまには不味く作れよ」
「材料を無駄にするわけにもいきませんので。それに朝食が美味しいと一日の活力もわいてきます。わざと不味く作ることなんて出来ませんよ」
もっともである。確かに料理に罪はない。
ここは篠山の料理に屈しておくか。
肩をすくめながら、汁椀を突きだした。
「おかわり」
「待っててください。いま新しいリモコンを買ってきますから」
この朝、首領はリモコン汁を二杯飲んだ。
「おかしい」
自分の席につくなり、首領はそう呟いた。
ホームルーム前の教室。ちらほらと学生の姿も見え、昨夜のテレビの話で盛り上がっている。そう表現する事が出来たのなら、どれだけ幸せだっただろう。
この恋愛特区においてはテレビも例外ではなく、放送されるのは恋愛ドラマや恋愛アニメばかり。唯一の例外はニュースぐらいであるが、それも夕方のニュースとなれば恋愛特集が組まれる有様だ。
そして学校とて恋愛特区の縛りからは逃れられない。昨今は不純異性交遊を咎める所も多いが、この学校においてはむしろ真逆。推奨というレベルではなく、恋愛している学生は生活態度が優良扱いとなり、推薦も自動的に貰えるというぶっ飛び具合である。
クラス分けもカップルとその他というくくりで、恋人のいない学生は設備も不十分な教室に押し込められる。
いわば恋愛的負け犬の巣窟なので、当然恋愛ドラマの話が交わされるわけがない。聞こえてくるのは呪詛ばかり。つい最近ドリンクバーも完備したという、恋人持ちのクラスへ対する呪詛だ。
「今更だろう、この扱いは」
後ろの席のイガグリ頭がそう言った。
「違う。俺の扱いはどうでもいい。いや、どうでもよくないが。それよりも、曲がり角だ」
「曲がり角?」
「バッチリ待機していたのに、全く転校生とぶつからなかった。今日この学校に来るという情報は手に入れていたんだが……どういう間違いあったんだ。解せん」
転校生と言えば曲がり角でぶつかるのがお約束のはず。そして、その相手と恋に落ちる所までがワンセットだ。
念には念を入れて白い甲冑を磨いておいたのに、あの時間が無駄になってしまった。
「本当に今日来るんだろうな?」
「……間違いない」
掃除用のロッカーから不知火の声が聞こえてくる。彼女もまたこの学校の生徒であり、このクラスのメイトだった。
不知火が嘘を吐くとは思えないし、ガセネタを掴まされたとも考えにくい。机ではなくロッカーの中に座る変人であっても、その能力は信頼できる。
首領は腕を組んだ。
「甲冑だと怪我するから避けられたのか?」
「そもそも、転校生とはぶつかるもんだって認識がおかしいよ。なあ?」
前の席の男性生徒がクラス中に同意を促す。そうだそうだと全員が頷いていた。
ちなみに、このクラスの全員がアイオセンの構成員である。その割には首領に対する敬意が足りていない気もした。
「ところで良夜君。その転校生は美人なのか?」
「……付き合ったら査問委員会にかけるからな」
厳しい一言に、クラスメイトがヒートアップする。
「きったねえ! そういう良夜君だって狙ってんじゃねえか!」
「そうだぞ! 転校生は俺に任せろ!」
「ちょっと男性! イケメンの可能性だってあるでしょ!」
「イケメンなら潰す!」
「美人でも潰す!」
男女間のにらみ合い戦争が勃発した。基本的に学生の構成員は恋愛未経験者中の集まりであり、首領のように恋愛に対して微かな憧れを抱いている者も多い。
ただ自分が出来ないのに周りがイチャイチャしているのが許せないだけで。
それだけにチャンスがあれば蜂のごとく群がり、何とかして甘い蜜をゲットしようと企んでいるのだ。
これが少し年齢のあがった構成員となると、恋愛は経験済み。ただし恋愛で酷い目に遭ったので、恋愛なんてぶっ潰してやるとなる。若い構成員の中には、この年齢層の話を聞いて恋愛なんかするものじゃないと悟る者も多いと聞く。ちなみに首領は何度となく聞いてきたが、それはそれとして恋愛がしたかっ
た。
ちなみに不知火は学生にしては珍しく、恋愛経験者であった。といっても、実際に付き合ったのは僅か数日である。相手のことを徹底的に調べ上げ、嫌われないようあらゆる情報を集めた結果、その行為が気持ち悪いとドン引きされたらしい。愛ゆえの行動が拒絶されるのなら、それを逆に利用して、愛を破壊することに使ってやる。そうして彼女はアイオセンの門を叩いたのだ。
「気持ちは分かるぞ。うんうん。俺もドン引きされる側だからな」
ロッカーをバンバン叩く。中からの反応はない。
その愛情を自分に向けてくれたなら、喜んで応えただろうに。残念がる首領に対し、クラスの論争も段々と落ち着いてきていた。
そんな中で、
「ふと思ったんだけど、そもそもこのクラスに来るの? 恋人がいたら、あっちのクラスに行くんじゃない?」
男子生徒の素朴な疑問に、クラスの喧騒が完全に消えた。
言われてみれば恋愛特区などという奇特な世界にやってくる転校生だ。最初から恋人がいたとしても何も不思議ではない。むしろいない方がおかしいまである。
そして恋人がいるのならやるべき事は一つだけ。潰すしかなかった。
だが、すぐさま不知火の言葉が火をつける。
「恋人はいない」
戦国時代の再来であった。
こいつ応仁の乱かよ。
「……ちなみに性別は?」
ロッカーの中の不知火に尋ねた。だが返答は無い。
これだけ調べておいて性別だけ不明という事もあるまい。言いたくないのか、それとも性別不明なのか。男の娘はイケるのかどうか悩み始めた頃、不意にチャイムが鳴り響いた。
こうなれば、直接その目で確かめるしかない。席に戻ったクラスメイトは、祈るような仕草で教室の扉を見つめる。
ガラリと開かれた扉から、まずクラスの担任が入ってきた。冴えない風貌をした彼もまた、アイオセンの構成員である。彼女いない歴は年齢だ。
問題は次。このクラスに来るのなら、次に入ってきた学生こそ転校生に間違いない。男子の女子願望と女子の男子願望が混ざり合い、教室の中をどす黒いオーラが満たしていく。
カツンという靴音が聞こえ、祈っていた者達も顔をあげる。
「えー、今日から新しいクラスメイトが一緒に学ぶことになった。自己紹介してくれ」
「はい。九条聖です。みなさん、よろしくお願いします」
流水のように伸びた黒い髪。物腰は柔らかく、立ち振る舞いもどこか上品だ。良家のお嬢様というイメージを、そのまま現実に連れてきたらこうなるだろう。ほんわりとした笑顔に、男子生徒から勝利の雄叫びが漏れ出した。
一部の学生は歓喜のあまり、ジュースかけを始めてしまう有様だ。涙に塗れた頬を拭いながら、後ろの生徒が首領にマイクを突きだしてくる。
「勝利者インタビューです! 今のお気持ちは?」
「天は我らを見放さなかった」
首領のありたがい御言葉に、男性学生のテンションが更に上がっていく。対する女子のテンションは低い。あれは男子に違いないう謎の声も聞こえたかと思えば、転校生の清純オーラに気絶する女子もいた。
阿鼻叫喚のクラスを担任は制する気もないようだ。これも学生もノリの一環として捉えているのか、それとも同じ構成員だから大目に見ているのか。疲れたような表情からうかがい知る事が出来ない。
ただ、当の転校生はどこか怯えているような顔をしていた。当然だ。猿の檻に入れられて、平然としている人間はいない。
これはまずい。慌てて首領は手を挙げた。
途端に、男子学生の狂乱が治まる。
「お前ら落ち着け。転校生が怖がっているだろうが」
これで高ポイントを稼げたはずだ。どうだろう、この統率力。
不安で押しつぶされそうな転校生からすれば、まさに惚れるに値する男ではなかろうか。期待のこもった眼差しを向けてみる。
首を傾げられた。視線に込めた意味は通じなかったのか。
「クラスに甲冑がいたら誰だって首を傾げる」
不知火の意見は無視しておく。それが真実だとすれば、首領に勝ち目がなくなるからだ。脱いだら失格、着ても不利となったら詰み将棋である。単にこちらの意図が伝わらなかっただけだと信じたい。
「えーと、それじゃあ九条の席は……」
「先生! 俺の後ろがあいてます!」
「あいてねえよ!」
後ろの席のイガグリが怒鳴る。
椅子を傾け、小さな声で呟いた。
「頼む、俺を助けると思って転校してくれ」
「断る。お前がしろ」
薄情な奴だ。友情はどこにいったのか。
そうこうしているうちに、転校生は首領と反対側の席へと案内されたようだ。廊下側の後方。あれでは迂闊に視線を送ることも出来ない。担任は何を考えているのか。そう憤りもしたが、恋愛撲滅組織の構成員であるなら当然の対応とも言えた。
それにしても、だ。どうしてあれだけ綺麗な女性がこんなクラスに来てしまったのか。ちょっと声をかければ、ものの数分で彼氏が出来てしまう容姿なのに。性格に問題があるとは思えないし、だとすれば家庭環境に何かあるのか?
クラスメイトも同じ疑問を抱いているらしく、欲望でもない好奇心の視線が転校生に集まっている。どこか肩身が狭そうに縮こまる姿は、すかさず男子学生の視線を欲望へと戻したのだが。
「恋人がいない理由は調べてあるか?」
「顔が人間じゃない」
「俺のじゃない。彼女のだ」
あれで酷いというなら、世の中の女性はみんなブスになる。しばらく待っていたのだが、ロッカー内の不知火は黙りこくり、その質問に答える事は無かった。
かといって、自分で訊くわけにもいかない。そこまでディープな事情へ踏み込むには、まだまだ好感度が足りていないからだ。今のまま挑んだとしても、嫌われるのが関の山。そんな無謀な挑戦をするわけにはいかない。
そんな思いが交錯しているせいか、ホームルームが終わっても男子学生は腰をあげようとしなかった。まずは誰かに行かせて様子を見る。そしていけそうなら、すかさず横から割って入ろう。全員が全員、同じ策を立てて牽制しあっていた。
そうなれば当然、先行するのは女子である。
「ねえ、九条さんだよね? どうして転校してきたの?」
体重計が嘘しか吐かないと、ツッパリで破壊した大関の質問に転校生は困ったような顔をする。
「父の仕事の都合で、どうしても引っ越ししなくちゃいけなかったからです。あ、でもこの学園には前から興味あったんですよ。全国でも珍しい学園じゃないですか?」
「だったら、このクラスじゃなくて恋人のいるクラスに行かないと。ここはほら、他の学校と大差ないクラスだからさ」
怨念の濃さでは他の学校に負けないと思う。
むしろ、こんなクラスが全国にあったら嫌だ。
「そうしたかったんですけど、あちらは恋人がいないと駄目なんですよね? だから入りたくても入れなくて……」
大関が周りの生徒の表情を窺う。
そこだ、大関。寄りきれ。そのまま訊いてしまうんだ。男子学生の後押しのおかげか、それとも単純に意地悪したかったのか。
「でも、九条さんなら簡単に彼氏とか出来そうだけど? 何でつくらないの?」
身を乗り出す男子学生たち。これで実は男なんです、と言われたどうしよう。新しい階段を駆け上がってしまうかもしれない。そんなことを危惧しながら、転校生の言葉を待つ。
眉をひそめて、唇を閉ざす転校生。しばらく悩んだ後、チラリと首領の方を見た。
これはまさか、自分に気があるということなのか。それとも単に甲冑が珍しいだけなのか。息を呑む首領をよそに、ふんわりと微笑みながら転校生は、
「誰かを好きになった事が無くて」
と言い放った。
その瞬間、男子が雪崩のように転校生の席へと押しかけた。我こそが恋愛マスターだと言い張る者もいれば、俺がその相手になってあげようという押しつけがましい者もおり。最早誰が何を言っているのか分からない。
これではいけない。首領は再び、手をさっと挙げた。
挙げただけだった。男子学生たちの熱は治まる気配を見せない。
「お前ら落ち着け! 転校生を取り囲むな!」
「うるせえ! そう言って離れた瞬間に一人占めする気だろ!」
「するよ。するけど離れろ!」
欲望に塗れた声では、飢えた獣たちを抑える事は出来ないのか。首領は天を仰いだ。そこには白く広がる天井があるのみ。薄汚れた天井には、何の答えも書いていない。
ならば、自分が出来るのは一つだけ。こうする事でしか、この事態を解決できないのだとすれば。
そうして首領は飢えた獣になった。
「俺は山田良夜! いま俺の恋人になったらフルーツ盛り合わせをプレゼント! なんならパイナップルは二つつけるぞ!」
「じゃあこっちは三つ!」
「私は五つで!」
「あの、そんなにパイナップルを貰っても困るんですけど。というか、どうしてフルーツ盛り合わせなんでしょうか?」
「六つならどうだ!」
飢えた獣に会話など通じるわけがない。
転校生がパイナップルは嫌いなんですと言うまで、パイナップルオークションは続いた。