第1話『恋愛特区と苺』
恋愛特区。
現代において、この名前を知らない者はいない。少子化へ歯止めをかける為、政府が打ち出した起死回生の特区構想。各団体から猛反発があったものの、それを跳ね除ける形で半ば強引に実行に移された。
そのモデルケースとして選ばれた空金市には、他の市町村では有り得ない様々な変わった優遇措置が実践されている。
例えば喫茶店は、カップルまたは夫婦で入店するだけで全メニューが半額。カップル限定の特別席は店の半数を占め、独身貴族はオープンカフェに座ることすら許されない。そんな優越感もあるせいか、喫茶店を見渡せば座っているのは愛し合う恋人ばかりであった。
芸術的な形のストローを使い、二人で一つのジュースを飲む男女。周りにいるのもカップルであるならば、自分たちも自重しなくていいだろう。飲みながら頬を突きあう二人の姿からは、そんな無言の惚気が聞こえてきそうだ。
これが市の求めた形であり、国の望んだ姿でもある。店員も誰も、それを咎めようとはしない。当たり前だ。ここはそういう喫茶店なのだから。
「ヒロくん。はい、あーん」
ドリンクと一緒に出された果物も、全てカップルへのサービスであり無料だ。勿論、独身が同じ果物を注文すれば相応の値段を支払う羽目になる。
甘い苺を差し出して、どこか恥ずかしそうに笑う彼女。一瞬だけ戸惑った彼氏も、ここがどういう喫茶店なのか思い出したのだろう。周りの様子を窺うことなく、雛鳥のように口を開けた。
「あーん」
「ふふっ、ヒロくんってかーわいい」
「な、なんだよ。からかうなよ」
彼女は苺を自分の唇に当て、すかさず彼氏の唇にそれを当てた。
「ほら、間接キス」
彼氏の頬が苺よりも赤くなる。それを楽しそうに見つめる彼女は、どこか嬉しそうな顔で苺をそのまま頬張った。
彼氏は唇を尖らせ、また彼女が笑う。今度はつられて彼氏も笑い、やがて二人は楽しそうに笑顔をかわした。
「お客様」
不意に聞こえてきた声に、二人が横を向く。この程度のじゃれあい、この喫茶店では日常茶飯事。まさか咎められるわけもあるまい。それとももしかして、また何か新しいカップル限定サービスでもあるのかな。
そういった期待は全て、声の主を見た瞬間に吹き飛んだ。
顔を覆い隠す西洋兜。手首を守るガントレット。手の先からつま先に至るまで、武骨な黒い鉄が肌を守り切っている。顔どころか体型すらも分からない。まるで中世からタイムスリップしてきたような、黒い西洋甲冑がそこにいた。
「な、なんですか?」
まだお茶目な店員のコスプレという可能性を捨てきれない彼氏が、震えた声でそう尋ねる。その手はしっかりとテーブルの向こうにある彼女の手を握りしめ、お互いの絆の強さを証明しているかのようだった。
それを一瞥した黒い甲冑は、腕を組み、天井を見上げ、二人の手を強引に引き剥がした。
「ちょっ! 何するのよ!」
「いや、なんとなくイラッときたんで」
彼女の当然の抗議を、そんな言葉で受け流す。店員は何をしているのかと周りを見渡せば、そこに店員の姿はなかった。代わりにいたのは、黒い仮面をした謎の集団。その顔に付けられた仮面にはしっかりと、割れたハートマークが描かれている。
強盗かとも思ったが、その手には何も握られていない。武器を持っているならいざ知らず、そうでないならタダの怪しいコスプレ集団に過ぎない。感じていた恐怖はどこかに消えたのだろう。彼氏が立ち上がり、黒い甲冑を睨みつけた。
「なんだ、お前らは! ここはお前らのような輩が来る場所じゃないんだよ! 今すぐ出ていけ!」
そうだそうだ、という声があちこちから上がる。ここはカップル達の愛の喫茶店。恋人の聖地。魔女狩りでもしそうなコスプレ集団はお呼びじゃないのだ。
黒い甲冑は抗議の声を聞き流し、辺りを見回すと、無造作にガントレットを彼氏に突き出した。
その途端、糸の切れた操り人形のように彼氏がストンと席に腰を降ろす。まさか怖気づいたのかと、彼女が身を乗り出した。
「ど、どうしたのよヒロくん!」
「わ、わかんない。身体が急に重くなって……」
青ざめた顔でそう言う。腰をあげようとしていた他の男性も、それを見て戸惑いを覚えたようだ。
満足気に頷き、黒い甲冑が両手をあげる。
「カップルの諸君。私達は君たちに危害を加えるつもりはない。大人しくしてくれるのなら、すぐにここを立ち去ろう。だから安心してくれたまえ」
他の覆面達も甲冑の言葉に頷く。その場に言わせたカップル達は、一様にこう思った。
だったら、どうしてこんなテロリストみたいな真似を?
その答えは、黒い甲冑の次の言葉で知ることとなる。
「壊すのは君たちの仲だけだ」
黒い甲冑は小さなビー玉のような球体を取り出した。それをテーブルの上に二つ転がす。これは何だろうなと訝しげに思っていると、不意にその球体が彼氏と彼女に近づいてきた。咄嗟に身体を逸らした瞬間、球体が弾けて煙が噴き出した。
それは他のテーブルでも同じこと。あちこちから煙から吹きだし、やがて店が煙で充満していった。
まさか毒か。それとも爆弾なのか。
彼女は必死の思いで手を握りしめた。一度は離れた手だとしても、二度と離すものかと。そう誓いながら、煙が晴れるのを待つ。そんな彼女の想いが届いたのか、やがて煙は徐々に晴れていった。
気分は悪くない。それに、どこか痛くもない。ちょっと煙たいだけで、身体に害は無さそうだ。これで絆を壊す? おかしいのは外見だけでなく、頭もそうなのだろう。現に、彼氏と彼女を結ぶ手という絆は離れていないのだから。
「ヒロくん!」
「まゆみ!」
そうして煙が消えた時、そこにいたのは彼氏と彼女ではなかった。カツラのなくなった彼氏と、整形前の彼女だった。
「ふはははは! これが我々の最新兵器! 真実の火薬! この煙を浴びた者は、隠していたものを全て剥ぎ取られる! 我々のように対策していなければ、何人たりともこの真実から逃れることは出来ない!」
唖然とする彼氏と彼女。このような非現実的な兵器があった事に対する驚きでは無い。目の前で自分を見つめながら驚いている人物に対して、衝撃を受けていたのだ。
「我らはアイオセン! 恋愛特区に異議を唱え、恋愛撲滅を掲げる秘密組織である!」
気持ちよさそうに声をあげる黒い甲冑とは裏腹に、段々と怒りが込み上がってきた彼氏と彼女。ほぼ同時にテーブルを叩くと、お互いの顔を睨みつけた。黒い甲冑がその音にビクッと反応した事には当然気づいていない。
「整形していたのか! お前!」
「そういうあんたこそカツラだったの!」
「だから昔の写真とか見せなかったんだな! 整形だってバレるから!」
「あんたも遊園地とか行ってくれなかったのは、乗り物でカツラが外れるからなんでしょ! 卑怯者!」
「どっちが卑怯なんだよ! ブス!」
「隠しごとしてたのはあんたでしょ! ハゲ!」
取っ組み合いの喧嘩に発展した元カップルを眺めながら、黒い甲冑はヘルメットを掻いた。これ以上は眺めていても醜いだけだ。そう判断したのか、罵り合う二人に背を向ける。
他の席でも似たような光景が繰り広げられている。ただ一つの例外もなく、全ての席のカップル達は元カップルとなっていた。
店員達も慌てふためき、なんとか落ち着けようとするが意味はない。今まで溜まっていた疑心暗鬼が一気に噴出しているのだから。時間が解決してくれるのを待つしかない。そして噂が広がれば、この店に訪れるカップルの数も激減するだろう。
これこそが望んだ光景。これこそが本来あるべき姿だと満足しながら、甲冑は歩を進めたところで立ち止まる。
踵を返してタッパ―を取り出し、テーブルの上の果物を詰めてから改めて喫茶店を後にした。
黒い甲冑は苺が好物だったのだ。