最終話『最後の異端審問会』
舞台袖から会場のざわめきが聞こえる。怨嗟か憎悪か、いずれにせよ好意的なものではない。
これから始まるのは自分を裁く為のカーニバルだ。味方など期待できるはずもなく、全て自分でやらなければならない。
大勢の前に立つのは何度も経験してきたことだが、かつてこれほど緊張した事があるだろうか。下手をすれば、この会場の全てを敵に回す事になるかもしれない。いや、間違いなくそうなるだろう。
自分の発言によって、ここが敵地になる。だからといって、自分の気持ちに嘘を吐く気はない。千載一遇、神様が気まぐれにくれたかもしれないチャンスを逃すつもりは毛頭なかった。
何としても、ここを乗り切る。そして九条との華々しい恋愛生活の幕を開けるのだ。
ヘルメットを叩き、気合を入れた。
「鎧は?」
護衛兼見張りの不知火が問いかける。今も変わらず、首領の服は学生服のままだ。鎧は部屋に置いてある。
葛野からも安全の為につけておけと言われたが、従う気は全くない。
「これが今の俺の正装だ。これでいいんだよ」
会場のざわめきが鎮まった。そろそろ出番が近いようだ。
呼吸を整える。冷静にならないと駄目だ。慌てるのが一番よくない。
自分を落ち着かせ、その時をじっと待った。
「んじゃ、行くよー」
葛野を先頭にして、首領は歩き出す。暗い袖から、眩しいスポットライトの下へ。
踏み出した途端、構成員たちのざわめきが復活した。無理もあるまい。見慣れた鎧ではなく、学生服を着ているのだから。何かあったのかと疑問に思うのは当然のことだ。
想定の範囲内だ。欠片も動揺せず、舞台の中央に置かれた椅子へ勢いよく座る。
勢いがつきすぎてひっくり返ったのはご愛嬌だ。
「ほう、いい床じゃないか。これが見たかったんだよ」
とりあえず誤魔化しておいたが、椅子をおこす葛野の表情はとても冷たかった。不知火は無言で新しい椅子を持ってきた。優秀な部下だとつくづく思う。
改めて椅子に座り、会場を見渡した。
構成員の席は薄暗く、その顔まで見ることは出来ない。だが少なくとも歓迎的な表情はしていないはずだ。ここにいるのは恋愛の敗北者ども。それも勝者を称えられるほど器の大きな者はいない。だからといって怖気づいてなるものか。
首領の決意は舞台の床より堅かった。
「それでは、これより首領の異端審問会を行います」
反対側の舞台袖から出てきた篠山が、マイクに向かって淡々と話しかける。その手には纏められた資料があった。おそらく、あれに自分と九条の事が大量に載っているのだろう。
時として自分の罪を認めない奴もいる。あわよくば誤魔化して、有耶無耶にしようと企む者も少なくない。そういう時は、認めたくなるまで徹底的に証拠を突きつけていくのだ。
首領は言い訳をするつもりなどないが、一応は組織のトップである。改めて事情を説明しなければ、構成員も納得できないのだろう。とりあえず、しばらくは篠山に任せておくことにした。
「首領が何をしたっていうんだよ!」
「そうだそうだ! 説明しろ!」
客席から野次が飛んでくる。
「お静かに。首領にはアイオセンのトップでありながら、女性と付き合っているという疑いがあります」
まさか首領が、ありえない、という声があちこちから聞こえる。そこまで信頼されているとは、こうして目の前で見せつけられると決意が揺れる。
「首領に恋人が出来るなら、俺たち全員結婚してるだろ!」
「そうだそうだ! 首領に恋人になんか出来るわけねえだろ! それよりも世界平和の方が現実味あるわ!」
信頼とは別のもののようだ。決意の揺れは治まった。
「私も信じる事が出来ません。ですが、これは事実です。こちらの写真をご覧ください。これが首領のお相手です」
篠山が腕を振り上げると、プロジェクターが舞台の壁に一枚の写真を写しだした。そこに表れたのは勿論、微笑んだ顔の九条聖である。
その瞬間、会場は怒号に包まれた。
「恋人というだけでも有り得ないのに人間だって! しかもこんな美人!」
「猪のメスなら許容できたのに、人間だなんてファンタジーすぎるだろ! やっぱり信じられねえ!」
鎮まるのに数分かかった。
こんな美人が首領と付き合えるのかと、疑惑は更に深まったように見える。
「こちらは九条聖。ご存じの方もいるでしょうが、首領のクラスメイトです。今年になって他校から転校してきました」
写真が変わる。どう見ても隠し撮りしたアングルで、登校中の九条が映し出されていた。どうでもいいが、この写真を後で焼き増ししてくれないものだろうか。どうせ撮ったのは不知火だろうし。頼めばくれるかもしれない。
「我々の調べた情報によると、首領はこの女性に告白をしたと。そして彼女はそれを受け入れ、二人は恋人になったと聞いています」
どこから手に入れたんだろう、その情報は。正確すぎて恐ろしい。
「これは認めますか?」
「ああ、認める。俺と九条さんは恋人同士だ」
会場に悲鳴が木霊した。中には失神する構成員も出る有様だ。信じていたのに、と涙を流しながら床を叩く者もいる。ちなみに渡辺は釘バッドを持ちながら、じっと無表情でこちらを見つめていた。
誰かあいつを止めろ。
「次にこちらをご覧ください」
まだあるのかという絶叫を無視して、新しい写真が映し出される。そこには遊園地で仲良く手を繋ぐ自分と九条の姿があった。どうでもいいが、これはこれでとても恥ずかしい。
「こちらは遊園地でデートをしていた所を撮影したものです。何でもジェットコースターだけではなく、お化け屋敷に入り、観覧車にも乗ったとか」
「認める」
遊園地の定番コースを制覇したとあって、会場の盛り上がりも絶好調だ。渡辺も釘バッドも観覧車のようにグルグル回している。
「そしてこちらをご覧ください」
次に映し出されたのは観覧車の中で目を瞑る九条。
そして熊だった。
「わああああああ! 熊だあああああああ!」
一斉に構成員達が舞台から離れる。
「冷静に。この熊は首領の変装です」
構成員が戻ってきた。
なんだお前ら。
「……おい、待てよ。これってひょっとして、アレをしようとしてるんじゃないか!」
「馬鹿なこと言うなよ。アレなわけないだろ。目にゴミが入っただけだ! よくあるよくある!」
現実を認めたくない構成員の声が届く。無理もない。自分だって篠山あたりのこういう写真を見せられたら、現実逃避したあげく奴の髪の毛を刈り取る。当の本人だって、今でも正直信じられないぐらいだし。
こうして写真を見せつけられ、改めてあれが現実だと悟ったのだが。
「では訊きましょう。首領は観覧車の中で、彼女にキスをしようとしましたか?」
寒気がするほどの静寂が会場を満たした。誰も何も言わない。口を閉じ、ただじっと首領の言葉を待っている。
誤魔化す事は出来ない。いや、誤魔化さないと決めたのだ。
キッパリと、ハッキリと、自分の言葉で告げる。己がしてきた事を。
そして、己の決意を。
「ああ、キスしようとした」
「うおおおおおおおおおお!!」
血涙を流しながら、釘バッドを持って乱入してくる渡辺。すかさず動こうとした葛野よりも早く、不知火の蹴りが渡辺の顎を捉えた。そのままひっくり返った渡辺を、何度も踏みつける不知火。最終的には釘バッドを膝でへし折り、そのまま投げて天井に突き刺した。
そして無表情で帰ってくる。
渡辺は涙を流す同級生に抱えられ、席へと戻された。人間、怒りを超越すると別の感情が湧きだしてくるらしい。泣いている者もいれば、大笑いしている者もいる。多くの女性は侮蔑のこもった眼差しでこちらを見ていた。
舞台袖のスケアクロウは呆れた目をしている。葛野は飄々としているが、これはどうせ別れると思っているのだろう。篠山は想定内といった顔で、資料に目を落としていた。不知火はなんか怖い。
予想していたこととはいえ、実際にこうして現実になると恐ろしいものがある。身震いしたくなる気持ちを抑え、俯きそうになる背筋をしっかりと伸ばした。ここで堂々とした立ち振る舞いを見せなければ、心が折れてしまう。
「皆さんご存知の通り、アイオセンは恋愛撲滅を掲げた組織です。首領のこれらの行いは当然、組織の理念に反する行為。証拠も揃っており、弁解の余地は全くありません」
篠山の言葉に、再び会場が静けさを取り戻す。一体これからどうするのか。怒りに燃えながらも、僅かな不安が構成員達から感じ取れる。
「本来であれば何らかの罰を与え、この二人の仲を破局させるべきなのでしょう。いくら首領でも、いえ首領だからこそ恋愛撲滅の原則を捻じ曲げるわけにはいかない。我々はこの二人の恋愛を認めるわけにはいきません」
アイオセンとしては当たり前のこと。だが九条の恋人として、その破局を黙って受け入れるつもりは微塵もない。
腰を浮かせた首領を、篠山は座るよう手で制した。
「話はまだ終わっていません。ご着席を」
これ以上、まだ何かあるというのだろうか。疑問に思い、腰を下ろした。それを見届けてから、篠山は会場を見渡した。
「しかしながら、そこに作為的なものがあればどうでしょう。純粋な恋愛ではなく罠にはめられたのだとしたら、首領はむしろ被害者ということになります。罠に引っかかった罪はあれど、同情に値すると私は考えますが」
確かに、という声もあちこちで上がっている。ただの恋愛なら破局待ったなしとしても、作為的なものならば話は別だ。そんな空気が生まれつつあった。
しかし、そんな事があるのかという疑っている者もいる。
「ご存じない方もいるかもしれませんが、彼女は少子化解決委員会の委員長。その娘なのです。その彼女がアイオセンの首領に惚れている。どうでしょう、果たしてこれが罠でないと言えますか?」
篠山の言葉に、会場の空気が一気に同情めいたものに変わる。
まだ皆が、心のどこかで思っていたのだろう。あの首領に恋人ができるなんておかしいと。篠山はその疑問に答えを提示したのだ。
首領は騙されている。何故なら付き合ってる相手は少子化解決委員会の娘だ。
分かりやすい答えを用意されれば、誰だってそれを信じるというもの。
「待て」
ざわめく構成員を無視し、今度こそ立ち上がる。もう命令されても引き下がるわけにはいかない。
この反応も予想済みだったのか。篠山の顔に動揺の色は無かった。
「それはありえない。お前には何度も言ったはずだ。彼女はハニートラップ要因じゃないと」
「では逆にお聞きしましょう。仮に彼女がハニートラップを仕掛けていたと仮定したら。首領はどうしますか?」
うっ、と一瞬だけ後ずさる。有り得ない。絶対に有り得ないが、もしもそうだとしたら。自分は間違いなく怒りに燃えるだろう。そして以前よりも激しく、カップル達を破局させていくはずだ。
だが首を振る。ありえない仮定について考えても時間の無駄だ。それは絶対に訪れることない、有り得ない世界の話だ。自分には関係ない。
「俺は確信しているからな。彼女がハニートラップ要因ではないと。それが仮定だとしても、答えるつもりはない。まぁ、ハニトラじゃなくてハニーにはなるかもしれないがな!」
ヘルメットを光らせながら小粋なジョークで会場にアピールする。
すかさず物が飛んできた。全部、不知火が撃ち落としてくれたけれど。
「むしろ、俺が訊きたいぐらいだ。お前には証拠があるのか?」
あるわけがない。だからこそ余裕綽々に尋ねた。
この組織の情報源は大抵が不知火だ。その不知火が無いと言うのなら、それは組織として無いに等しい。篠山独自の別口の情報源もあるようだが、不知火には劣るだろう。
恐れるに足らない。
「ありますよ」
腰を抜かした。
「う、う、嘘吐け! 言っておくが神のお告げは証拠にならないからな! あと前世での予言も禁止だぞ!」
「よりにもよって、どうしてその二つが出てくるのか分かりませんね。そうではなく、もっと分かりやすい証拠をお見せしましょう。この写真をご覧ください」
そう言って、映し出されたのはさっき見た写真だ。首領と九条が仲良く手を繋ぎながら歩いている。むしろ二人の仲睦まじさを証明するばかりで、ハニートラップの証拠になるとは思えない。構成員たちからも戸惑いの声が聞こえてきた。
学生服を叩きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「やれやれ、これのどこが証拠なんだ? 俺には全く理解できないんだが」
「では、こちらを見て頂けますか」
続いて映し出された写真には、首領だけで九条の姿が映っていなかった。だがおかしい。首領の手はまるで誰かに差し出されたかのように、不自然な形で伸びている。それに、この背景は先ほどまで二人仲良く歩いていた場所だ。
先ほどの写真から九条だけを消せば、このような写真が出来上がるだろう。
「……心霊写真?」
「いや、九条ちゃんは幽霊じゃないから。確かめたよー」
葛野が太鼓判を押す。どうしてお前が押せるのだ。疑問には思ったが、だとしたらこの写真は何だ。
篠山は不適に笑い、告げる。
「つまり、先ほどの写真の九条聖は残像だったんですよ!」
「そうか。飯食って寝ろ」
とうとう篠山が壊れた。あまりのハードワークにいつかこうなる予感はしていたのだが。まさか、こんな大事な場面で的中してしまうとは。真顔なだけに余計怖い。
それとも首領の恋愛が、それほどまでに彼にダメージを与えてしまったのだろうか。一応お世話にはなってきたし、見舞いぐらいには行ってやろう。そう思った。
「しかし、残像であれば説明もつくでしょう。高速で移動していた為、写真に写らない瞬間があった。出来るだけ首領と手を繋ぐ時間を減らしたいという思いが、そうさせたんでしょうね。こんなこと、本当の恋人であればしませんよ」
「いや、恋人じゃなくても出来ねえよ」
なんだ残像って。忍者か。
「不可能ではない」
「不可能ではない」
両側から不知火が首領の腰を叩く。瓜二つの双子のように、同じ顔の不知火だった。
「……だとしてもだ。九条さんがそんな真似、出来るわけないだろ」
「ですが仮に出来るとしたら、実に怪しいと思いませんか。危険を伴うハニートラップ要因であれば、むしろ納得する身体能力なんですよ。何かあった時、一目散に逃げなくてはなりませんからね」
どうしても篠山は意見を曲げる気はないようだ。
「というか、これスケアクロウあたりが作った合成写真じゃないだろうな。人物だけ切り取るとか、あいつなら余裕だろ」
舞台袖のスケアクロウに視線を移す。そっと目を逸らされた。
まさかと思い、篠山を睨みつける。
「次に行きましょう」
「おい」
映し出されていた写真が消えた。本当に次へ行くようだ。今の捏造に対するコメントは無いのかと、抗議する暇すら与えないらしい。
「こちらをご覧ください。観覧車の中の写真です」
これまた先ほど見た一枚だ。目を瞑る九条。そして熊。確かにおかしい光景ではあるが、実際にあったのだから仕方ない。
「この熊の中身が俺じゃない、とか言わないよな?」
「当然です。この熊の中身が首領であることは、多くの人間が確認していますから」
だとしたら変装は全くの無意味だったことになる。それはそれで空しい。
ただ、そうなるとこの写真のどこが問題なのか。よーく見てみたが、やはりそれらしい部分が見当たらない。むしろ九条の可愛らしさを再確認するばかりだ。
「で、これのどこがおかしいんだよ?」
「次の写真を見れば一目瞭然です。こちらをご覧ください」
場所は同じ観覧車。熊が眉間を撃ち抜かれていた。
「俺が死んでるぞ」
「それは次の写真を見ればよく分かります。こちらです」
猟銃を背負った猟師が観覧車に乗り込み、九条の向かい側に座っている。髭面のオッサンの頬は朱色に染まっていた。
「お分かりですか? 彼女には本当の恋人がいたんですよ!」
「マジかよ。凄いな。お前が撃たれろ」
そして視線を逸らすスケアクロウ。いや、さすがにこれが合成でなければ困る。ここに座っている自分は何なんだ。霊体か。
「まぁ、茶番はこのぐらいにしておきましょうか。準備も終わったことですし」
篠山をぶん殴りたい衝動に駆られた。あわよくば、これでどうにかするつもりだったらしい。さすがにアイオセンを馬鹿にしすぎではなかろうか。半ば怒りすら覚える首領だったが、構成員の中には茶番だったのかと驚く馬鹿もいた。
とはいえ、なんだかんだで捏造した証拠しか出ていない。それは証拠が無い事の何よりの証左だ。篠山をもってしても、九条がハニートラップ要因であると断言する事は出来なかったらしい。
当然だ。無いものを探したところで、見つかるのは徒労だけ。無意味な作業に明け暮れるだけなのだ。
「いっそ、この審問会も終わらせていいんだぞ。俺の結論はもう出ている」
「……その結論を出すには、少々早いように思えます」
不敵な笑みを浮かべる。どうあっても、首領を辞めさせる気はないようだ。
「ではどうぞ。最後の証拠……いえ、最後の証人をここに」
篠山の言葉と共に、舞台袖から一人の女性が現れた。会場のざわめきは、今までの中で最高に大きい。不知火や葛野も警戒心を強め、篠山は自信ありげな顔でこちらを見ていた。
だが、自分はそれどころではなかった。頭の中に浮かぶのは驚きと疑問だけ。周りの様子など目に入ってこない。
ありえない。ここはアイオセン。彼女が絶対にいるはずのない場所。
それなのにどうして。
「九条さん……」
微笑みではなく真剣な表情を携え、九条聖がそこにいた。
悪の女幹部みたいなボンデージを着て。
ここはアイオセンの本部。異端審問会で使用中の会場だ。中にいるはアイオセンの幹部、構成員、そして首領の自分だけ。外部の人間が侵入する事は出来ない。
本来であれば、九条がここにいるのはおかしいはずだ。誰かが招いたとしか思えない。心当たりがあるとすれば、篠山を置いて他にはいないだろう。むしろ奴以外の誰が、こんな真似をするというのだ。
身体のラインにピッタリと張り付いたラバー製の衣装。胸を申し訳程度に覆い隠し、へそなど惜しげもなく晒している。まるでビキニのような下半身は、九条の清楚さと相対するようで、それが逆に見る者を興奮させた。モモを包むラバーは肉付きの良さを見せつけており、つま先のピンヒールはまさしく女王様と呼ぶに相応しい。
女性陣が軽くドン引きしているようだが、男性陣は身を乗り出すようにして舞台へ釘づけだ。そのせいなのか、九条は顔だけでなく、身体まで真っ赤になっているように見える。ライトの当たり方なのか、それとも単に九条の羞恥心なのか。
いずれにせよ、これが篠山の仕業である可能性は高い。大人しい九条に何て格好をさせるんだという怒りの気持ちが湧いてきた。よくやった。
「改めて説明するまでもありませんね。証人の九条聖さんです。本日はどうしても皆さまに言いたい事があり、ここまでやって来たそうです。その熱意に打たれ、特別に異端審問会に参加して貰うことにしましたが。異論のある人はいますか?」
「あるに決まってるだろ。自分から来たとしても、九条さんをこんな場に引きずりだすなんて。見損なったぞ。その衣装はお前が選んだのか」
「そうです」
「最低だな。品性を疑う。よくやった」
適当に貶しつつ、視線は九条のボンデージにしか向かない。
「異論は無いようですね。では、九条さんどうぞ」
篠山に促され、九条が前へと進む。慎ましやかな胸が揺れることはないが、それでも形のいいお尻が微かに揺れていた。これを間近で見られるのは舞台にいる自分だけ。ありがとう異端審問会。この光景は生涯忘れない。
ピタリと立ち止まった九条の肌から、すっと赤色が消えて行った。構成員を眺めたかと思えば、チラリとこちらの様子を窺う。
「今日は皆さんに……コホン。今日はあなた達に伝えてやりたい事があったから来たのさ!」
そして鞭を振るう。勢いは全くなく、小気味いい音を奏でることも無かった。しかし会場のボルテージは最高潮だ。
首領も思わず飛び出して、寝そべりながら舞台の床を滑る。後ろからの光景もいいが、ここは前からも覗きたい。
しかし願い空しく、不知火に足を引っ張って戻された。
「アイオセンの事は父から聞いていたのさ! だからその存在を知っていましたのさ! 今日初めてここに来られて、本当にあったんだという驚きと感動で胸が一杯になりましたのさ!」
本来の謙虚さと女王様が入り混じり、よく分からない言葉になっている。それでも意味は伝わってくるので、構成員は盛り上がっているようだ。主に男性だけが。
「だからこそ、私はあなた達に伝えなければなりません。そう、私はただの学生ではない。委員長である父から送り込まれた、ハニートラップ要因なのです!」
一瞬、会場が静まった。皆がピタリと動きを止め、舞台の九条を見つめている。
その後、嵐のような喧騒がやってきた。どういうことだと混乱する者もいれば、馬鹿なと狼狽える者もいる。一目見た時からそうだと思っていたと、頷いている女性もいた。
だが首領は欠片も動揺していなかった。
「九条さん、そう言えって篠山に言われたんだろ。無理をしてまで、そんな事を言う必要はない。俺の為を思っての発言なんだろうけど」
とても本人の意思とは思えない。衣装からして、それが分かる。
九条の口から聞かされたとしても、到底信じられるような話ではなかった。
「何故そんな真似をする必要が? 審問会に出して欲しいと言ったのは彼女なんですよ?」
篠山の言葉に、九条はコクリと頷いた。
「自分のせいで俺が組織を辞めるかもしれない。それを知ってしまったから、何とかしようと思ったんだろう。九条さんがハニートラップ要因だと知れば、俺が掌を返して組織に専念するかもしれないからな」
首領を思っての愛。だからこそ責めることは出来ない。
ただ、自分への感情に感動するだけだ。こんな危険な場所へ、そんな危ない恰好をしてまで、どうしてもやらずにはいられなかった。
全ては首領の為。それを見抜けないほど、首領も愚かではない。
「なるほど。つまり、九条さんのこれは全て演技で、首領に辞めて欲しくないという事ですね?」
「そうだ」
「アイオセンの首領を?」
「そうだ…………うん?」
違和感に言葉を止める。
これが普通の仕事なら分かる。そこで敢えて身を引こうとする気持ちも理解できる。好きな人には自分の道を貫いて欲しい。良し悪しは別として、そういう行為があっても不思議ではない。
しかし首領はアイオセンの首領だ。身を引くということは、つまり恋愛撲滅組織に専念して欲しいという事になる。それを他ならぬ恋人が言うのなら、それはもう別れの言葉に等しいのではなかろうか。
私は身を引くから頑張ってカップルを破局させてね、と言ってるようなものなのだから。本当に愛しているのなら、果たしてそんな真似をさせるだろうか。好きな人に。
「く、九条さん?」
震える声で彼女の方を向く。
「ここまで見事に騙されてくれるとは思いませんでした。お分かりでしょう? 私は本当にあなたをハメる為に父から送り込まれた刺客なのです!」
グラリと身体が揺れた。そんなはずはないという気持ちと、だったらどういう事だ、という気持ちが心の中でせめぎ合う。
今までのアレが演技だったとは思えない。むしろ、今こうしている方がどう見ても演技だ。
だが、そうだとしたら彼女はアイオセンを応援しているにも等しい。
意味が分からなかった。
「私の作戦は見事に成功しました。現に、こうしてあなた達の首領は恋禁術を使えなくなった!」
「っ!」
九条の指摘に思わず息を呑む。
ヘルメットの重さに、危うく尻もちをつきそうになった。
「本当なのですか、首領?」
篠山の表情も固い。これに関しては、彼も知らなかったのか。
ここまで暴かれたのなら、もう隠す意味もないだろう。
「…………ああ、完全に使えなくなったわけじゃない。だが、鎧を着られないほど弱体化しているのは事実だ」
「生徒服を着ていたのは、そういう理由だったのですね」
恋禁術とは恋愛を憎むことにより生じた能力。であるならば、恋人の出来た者が使えるはずもない。徐々に能力が弱まっていくのは当たり前だ。力が消えるのは惜しくもあったが、恋人が出来るならなくても良いと思っていた。
まさか九条がそこまで気づいていたとは。いや、あるいは他の連中も気づいていたのかもしれない。動揺する構成員をよそに、不知火や葛野は微塵も表情を変えていなかった。篠山は気づいていなかったようだが、大方首領に恋人が出来るわけないという固定観念のせいだろう。
「だが待て。だとしたら、どうしてわざわざ報告する必要がある。これが作戦だとしたら、大成功していたんだろう? 組織の弱体化が目的なら、ここでバラす必要なんて無いはずだ!」
首領の必死な言葉に、ふっと怪しげな笑みを浮かべる九条。
「ええ、確かにこのままいけばアイオセンは崩壊していたでしょう。首領であるあなたさえいなければ、この組織も風前の灯火。潰すのは難しくない」
「だったら!」
切迫した声が自分の中から漏れ出す。少しでも矛盾でも見つけて、この状況を何とかしたい。焦る気持ちが、自然と首領を立ち上がらせていた。
九条が振り向く。
「私にも限界というものがあるんです」
一瞬、意識を失いそうになる。だが、何とか堪えて踏みとどまった。おそらく自分の聞き間違いだろう。
「天女が地上にいられる時間には限界があるというわけだな。なるほど、さすが天女」
「往生際の悪い男は嫌われますよ」
横からチャチャを入れてきた篠山を睨みつけておく。
「大して……す、好きでも無い人と付き合わなくてはならない。それがどれほどのストレスになるか。あなたには分かりますか? たとえ任務の為だとしても、私にはどうしても我慢できなかった。そういった意味では、あなた達アイオセンの勝利です」
胸を押さえ、目を瞑りながら告げる九条。
その表情に偽りはなく、確かに苦しそうに見えた。
「お、俺は信じないぞ。デートで楽しそうに笑っていた九条さんの、あの表情が全部嘘だったなんて!」
いっそ、こちらの方が演技だと言って欲しい。そんな首領の願いも空しく、九条は寂しそうな顔で口を開く。
「山田君、気づいていましたか。私が、デートの最中に難しい顔をしていたこと」
ハッとする。脳裏にあの時の光景が過った。
てっきりデートが楽しくないのかと思っていたのだが。まさか、あれはそういう事なのか。
「す、好きでもない人とデートに行けばああなります」
悲壮感が首領の背中にのしかかる。抵抗する気力もなく、そのまま舞台に膝をついた。思い浮かぶ楽しいデートの風景が、全て色あせていくのが分かる。あれもこれも、全部全部演技だったというのか。
告白してきた、あの日から。全て。
ありえない。そんな役者が、この地球上に存在しているのか。
何を言われても、どうしても信じたくない気持ちが強い。
だが、一方で疑問もどんどん大きくなってくる。本当に好きだとしたら、どうしてこんな事をするのか。ちょっとした冗談で嫌いと言うなら兎も角、ここまで大事にするなんて。それこそ、本当に嫌だから別れようとしているようにしか見えない。
仮にこれが演技だったとしても、その理由が首領には分からなかった。自分が九条だったとして、こんな事をする意味なんてあるのか。ただ相手を苦しめるだけじゃないか。
「分かりましたか、山田君。私はあなたのことが心の底から、き、きら……」
震える指先が、こちらを向いた。
「嫌いなんです!」
会場が静まりかえる。篠山も、葛野も、スケアクロウも、みんな言葉を失った。
決定的だ。これだけ断言されてなお、まだ立ち上がれる者がいるものか。好きな相手に対して、ここまでする理由も思いつかない。項垂れた首領のヘルメットが、一度だけ九条の方を見上げる。
そして首領は、そこに希望を見た。
「……なるほど。君の気持ちはよく分かった、九条さん」
立ち上がる首領。そしてお返しだ、とばかりに指を突きつける
。
「その言葉が、全て嘘であるということがな!」
「ち、違います! 嘘じゃありません!」
必死な形相で反論する九条だが、最早首領は勝利を確信していた。嫌いなんですと言われた瞬間、その顔を見た瞬間、全てが繋がったのだ。
この不可解な状況に至るまでの、全てが。
「嘘だという証拠はある」
「ど、どこにですか?」
「君の顔だ」
咄嗟に自分の顔を触り、九条は目を見開いた。
涙が零れ落ちている、その目を。
「嫌いな相手に嫌いだと言って、泣く人間がいるだろうか。いやいない。だったら、どういうことなのか。つまり九条さん。君は俺に嫌いだというのが辛かったんだ。その悲しみが涙として目から零れ落ちた」
後ずさる九条。
「往生際が悪いですよ、首領。だったら、どうして彼女はこんな真似をしたんですか? 私は賄賂も脅迫もしてませんよ。彼女が自発的に、アイオセンにやってきて提案したのです」
篠山の言葉に頷く。
「ああ、確かにそうだろう。だが、こう考えれば全ては辻褄が合う」
ヘルメットがライトを反射する。
「全部、俺を守る為の行動だったんだ」
構成員たちがどよめき、篠山の眉間に皺が寄る。
おそらく、篠山も気づいていたのだろう。九条から、異端審問会へ出たいと話をされた時に。
「恋愛をしたおかげで、俺は恋禁術を失いかけている。こうして鎧も着られない程にな。そうなれば、もうアイオセンの首領をやる事は出来ない。むしろ、組織の敵となるだろう」
葛野やスケアクロウが頷いた。
「かつての首領が裏切りだ。その攻撃たるや、他のカップルの比では無い。だからこそ九条さんは考えたんだ。自分が身を引くことで、俺への危険を少しでも減らそうと。たとえその結果、俺が恋愛撲滅組織の首領であり続けるとしても!」
決してアイオセンで活動して欲しかったわけじゃない。誰が好き好んで、恋愛撲滅組織で頑張ってなどと言えるものか。
だけど、こうするしか無かったんだ。そう思いながら、彼女はあんな格好までして来てくれたのだ。全て、首領を守るために。
その気持ちがとても嬉しかった。だが、同時にとても悲しい。
「異端審問会で、あれは全て罠だったと言えば俺の立場もマシになる。だけど九条さん。君がそこまでしなくてもいい。俺はもう、最初から決めていたんだ」
篠山の顔に焦りの色が浮かぶ。
「俺は、山田良夜は、アイオセンの首領を辞める!」
衝撃的な告白であったが、会場のざわめきはそれほど大きくなかった。ここまできたら、構成員の誰もが予想していた事なのだろう。ただ、篠山は必死の形相で首領の前に立ちふさがった。
「考え直してください首領! この組織にはあなたが必要なんです!」
「必要なのは彼女のいない俺だろ。だが、今の俺には彼女がいる。だったら、むしろ組織にとって不要でしかない」
「彼女の涙を信じるのですか!」
「女の涙に嘘はない!」
「嘘しかありません!」
平行線の怒鳴りあい。葛野は呆れたように頭を掻き、スケアクロウも戸惑っている。ちなみに不知火は無言で泣きながら首領の足にしがみついていた。どんだけ愛してるんだ、この組織を。
「とにかく俺は辞めるんだ! もう決めた! たとえ何があろうと、この意思が覆る事はない!」
「首領!」
「くどい!」
決意は固い。彼女が自分を守ろうとしてくれたように、自分も意思を貫くのだ。握りしめた拳が、それを何よりも表わしていた。
何か言おうとして、篠山は顔を俯かせる。そこそこ長い付き合いだけあって、何を言っても無駄だと悟ったのだろう。
「……そこまで言うのなら、もう私から言うことは何もありません。あなたを敵にまわすのだけは避けたかったのですが、致し方ありませんね」
諦めたように、篠山はそう言った。
「待ってください、山田君。本当に辞めるつもりなんですか?」
「ああ、勿論だ。このまま居続けたところで、いずれは追い出されるだろうしな。だったら、今のうちに自分から出ていくのが筋だろう」
九条は涙を抑えようともせず、首領の前に立った。
「私は、山田君に首領を辞めて欲しくないです!」
「安心してくれ。たとえ力が使えなくても何としてみせる。俺は、組織より君の方が大事なんだ」
溢れる涙の勢いが増した。
「たとえそうだとしても、辞めてはいけません! ここまで言うつもりはありませんでしたけど、こうなったら全部白状します!」
九条以外の全員の頭に、疑問符が浮かんでいた。全てが明らかになったというのに、これ以上何を話すというのか。
鼻をすすり、九条は真正面から首領を見つめる。
「最初はちょっとした違和感でした。ですが、段々とその違和感が大きくなっていくのが分かりました。今ではもう、その違和感の正体に私は気付いています」
首領は首を傾げた。一体、彼女は何の話をしているのだろう。
「私が好きになったのは同級生の山田君じゃない。アイオセンの首領をしている首領さんなんです!」
「………………………………ん?」
時間が止まった。
彼女が何を言っているのか俄かには理解しがたい。
しかし構わず、九条は続ける。
「デートをしている最中も、ずっと気になっていました。あれほど胸が熱くなるような思いがあったのに、それが段々と小さくなっていくことを。だけど当たり前だったんです。私がデートしていたのは、ただの山田君だったんですから」
何かとんでもない事を言っているような気がする。
だけど、それが上手く飲み込めない。いや、飲みこみたくない。
「ええっと、つまり仕事してる男が好きとかいう。そういう感じか?」
「そうです! 私はアイオセンの首領をしている山田君が好きなんです!」
だから仕事を辞めて欲しくないと。その気持ちは分かる。仕事している時と普段だと、まるっきり別人という事はよくある。だから仕事している時の方が好きだという気持ちも、理解は出来た。
問題は、首領の仕事が恋愛撲滅組織ということだ。
「九条さんと付き合いながら、組織も辞めるなと?」
「いいえ、それだと山田君は鎧も着こめない。恋をしたままだと仕事は出来ません。それに私は……」
泣きながら喜色満面の笑みを浮かべる九条。
「恋して満たされている山田君より、恋したいともがき苦しむ山田君の方が好きなんです!」
最低の発言をされた気がする。
「本当は、転校してくる前からアイオセンの事は知っていました。勿論、その首領のことも。父から色々話は聞かされていましたからね。その時はまだ、特別な感情は抱いていなかった……いえ、抱いていても気づかなかっただけなのかも」
どこか寂しそうな顔で呟く九条。
「だけど、山田君を観察して、山田君と接しているうちに気づいたんです。自分が本当に愛しているのは誰なのか」
九条の真っ直ぐな瞳が首領に向けられる。
「だから山田君、別れましょう! そしてアイオセンの活動に全力を注いでください! そうやって恋愛撲滅を謳いながらも恋したいと足掻くあなたは……」
微笑みながら、彼女は言う。
「最高に、輝いているんですから」
人は本物の笑顔に出会うと言葉を失う。
数々の人に出会い、彼の笑顔は本物だ、彼女の笑顔は偽物じゃないかと言ってきた。
だけど、今になってようやく断言する事が出来る。
この笑顔は本物だ。本物だった。本物かよ。
むしろ、今の彼女こそが最高に輝いている。ライトよりも眩しい笑顔を向けながら、言い切ったという達成感に包まれていた。これが演技だとしたら、もうアカデミー賞は総なめだ。殿堂入りしてもいい。
篠山は唖然とした顔で固まっていた。さすがの彼も、ここまでの展開は予想していなかったのだろう。葛野は皮肉げに笑みを浮かべ、こちらの様子を窺っているようだ。スケアクロウは肩をすくめている。
不知火はまだしがみついていた。多分、こいつは話を聞いてない。
肝心の首領はどうしたのかと言えば。
ゆっくりと歩き、手を広げた。まるで天井を受け止めるかのように大きく。
そして全ての構成員を見渡してから、おもむろに口を開く。
「さっき辞めると言ったな。撤回しよう。辞めねーよ、バーカ!」
腹の底から出した声に、構成員の怒号が応えてくれた。とんできた物を能力で弾きながら、首領は叫び続ける。
ヘルメットから漏れ出す水滴は涙じゃない。汗だと。




