転句
ナビのお蔭で小説の方は、かなり書き上げることが出来ていた。
こちらの世界の一冊分は何文字か良いのか分からなかった。
だが、ナビが調べて来てくれていて、それに従って整理していった。
順調に筆が進んでいるかと思えば、また詰まったり。
そして、特に重要な場面、ヒロインの心に訴えるシーンのエピソードに近づいて来た。
「枇々木様? どうされました? 怖い顔をなさって」
ナビが、僕を不思議そうな顔で見た。
「あ、御免」
僕は、あの夜の事を思い出していた。
あの時、夢で見たことを思い出していれば。
そして、気を失わずに彼女を説得して連れて来ていれば。
そんな後悔が再び自分を責め始めていた。
「あの、枇々木様、実はお話しておきたいことがあります」
ナビは、僕の気持ちを察してなのか何かの話をしてくれようとした。
「ナビさん御免なさい。怖い顔をして。つい、あの出会った時の事を思い出して。悔しくて」
僕は余計な心配をかけてしまったことを誤った。
「いいえ大丈夫です。あの、話してよろしいでしょうか?」
「あ、御免。どうぞ、何の話ですか?」
ナビは、少し神妙な顔をして話し始めた。
「実は枇々木様をこちらにお連れした後帝国内へ戻り、リリィ様の監視をしておりました。これは、本当はお話してはいけない事なのですが」
ナビは、話してはいけないことを、敢えて僕に話そうとしていた。
「枇々木様は、宿以外にも軽食屋へも行かれておりましたよね?」
「うん。あそこのお店は美味しかった。女性が多かったので、すみっこで目立たない様にしてたけど」
「リリィ様が、枇々木様のいらした宿や軽食屋や通りを何度か行き来されておりました。その話はお聞きしておりますよね」
「うん。そうらしいね」
「私、その時、つい声を掛けてしまったんです」
「え?」
僕はびっくりしてしまった。
詳しくはないが、諜報活動というくらいだから秘密裏に行動しなければならないはずだ。
ナビは、監視対象のリリィに声を掛けたというのだ。
下手をすれば、リリィに殺されかねない。
「それはまずいよね?」
僕は心配して尋ねた。
「はい。おっしゃる通りです。でも、私堪え切れなかったんです」
「一体何が?」
「リリィ様のお姿を見て、あまりにもお辛そうで」
「え? リリィさんが、辛そうに? どういう事ですか?」
ナビは、少し涙を堪えながら話し始めた。
「はい。リリィ様は『冥府の舞姫』と言われるぐらいの強い御方です。そのようにお強いお方が、ジッと2階を見つめていたり、軽食屋で出入り口をボーっと眺めていたりされていたんです」
「え? あのリリィさんが?」
「最初は隙を見せているのかと思っておりました。けれど、観察していると、そうではないと感じてしまったのです」
「どういう所が?」
「例えて言うと、遠くへ船で出かけた思い人を待って、毎日港へ通っている女性達のような感じがしまして」
「そう、なんですか?」
僕は、ドキリとした。
あのリリィさんが、そんな事をしているなんて。
「丁度花売りの姿で監視をしている時リリィ様に出会いました。私はリリィ様が帰られる時に『お花は如何ですか?』とつい声を」
「そうですか?」
「リリィ様は、何も言われずに黙って花を受け取られて帰って行かれました」
「そう。心配してくれてありがとう。リリィさんに代わってお礼を言わせてください」
「そんな! 諜報活動をしている私としては、いけない事をしてしまいました。それがきっかけで、私は諜報活動から身を引くことにいたしました」
「それは御免なさい」
何故か僕は謝っていた。
「何故枇々木様が謝られるのでしょうか? 私のミスですから。それに、今回の活動で引退することは決めておりました。実は、私は胸を患っておりまして」
「胸、ですか?」
「はい、心臓のあたりが時々痛むのです。幼い頃からそうでして」
「それは大変でしたね。でも、良く諜報活動の仕事をしようと思いましたね」
「ある方に、憧れておりまして」
ナビは、少し照れ臭そうにしながらも寂しそうに答えた。
「ある方への憧れから私は語学を極めて諜報活動として役立ちたいと思ったのです」
「胸の病とリリィ様に声を掛けてしまったことで、これ以上は迷惑を掛けると思い。皇国に引き上げさせて頂きました。そして、最後のご奉公にと、こちらに来させて頂いたのです」
「来てくれて嬉しいです。ナビさん」
僕は嬉しくて笑顔で礼を言った。
すると、ナビは、また顔を赤くしてうつ向いてしまった。
「い、いえ。最後の務めと思って来ただけですので」
声が少し小さくなっている。
「最後の務め? どこかに遠くに行くの?」
ナビは、顔を上げてこう言った。
「はい。私、とある国の貴族の方と結婚することになりました。医者の家系の方です」
突然の寿報告を、ナビは僕に伝えてくれた。
「それは、おめでとうございます!」
「はい。殿下が、お気遣いしてくださいまして」
「フェイスが?」
「はい」
そういうナビは少し寂しそうだ。
「あの、ナビさん、もしかしてフェイスの事が?」
うつ向いて、膝の上のスカートをギュッと握りしめながら彼女は答えた。
「はい。実は、殿下は、私の憧れの方でした。それも、好きに近いぐらいの」
(そうか、それは好きな人の為なら、無理をしてでも頑張ろうとするよな)
その健気なナビが、僕は愛おしくなった。
「でも、それは、叶わぬ恋だったんですよね。あの方は、皇太子殿下ですから」
「そうだね」
流石の僕でも、身分の違いを超えてまで、叶えられるとは言えなかった。
特にこの世界では。
「そうしているうちに、枇々木様が来られたのです」
「え? 僕?」
「はい。キッとしたお顔をされていて、どんな方なんだろうと思っておりました」
「で、どうだったのかな?」
「……」
また、黙ってしまった。
「私って、惚れっぽいんでしょうね。枇々木様の事も、私は……」
「え?」
「は、い」
赤くなってナビは、小さくなった。
「嫌われるよりずっと嬉しい。ありがとう」
僕は自然に笑顔になっていた。
「枇々木様の事が、素敵だなぁと思っておりました。異世界から来られたのに、果敢に自分の道を切り開こうとされている姿を見て応援したくなりました」
「え、えへへ。嬉しいなぁ」
その時の僕の笑顔は、きっとニヤニヤとした情けない顔になっていただろう。
「ですがその後、リリィ様の姿を見てしまったのです」
流れが変わって来た。
先ほど聞いたリリィさんの様子が、ナビの気持ちに変化を与えたようだ。
「本当に人を好きになるって、こんな風になるんだろうなぁって思い知らされました。リリィ様は、どちらかというと世間知らずのお嬢様のような感じかと思います。普通の子なら、我を忘れるまでにはならないかと。やっぱり辛いですし」
ナビは話を続けた。
「その姿を見て、私は枇々木様にお伝えせねばと思いました。そして、気が付いたらリリィ様にお花を渡していました」
「そ、そうか」
僕は、ナビの優しい気持ちが嬉しかった。
ナビが渡した花は、僕にはブーケトスみたいに感じられた。
下手をしたら敵対する事になってしまうかもしれない相手なのに。
しかし、リリィさんも災難だ。
僕と出会ってしまったがために。
「私悔しいんです!」
そのナビの勢いに、僕は少し驚いてしまった。
「何が?」
「リリィ様が、男に惚れてポンコツになったと皆から陰口を叩かれております。それが悔しいんです」
「そんな風に言われているんだ。ちょっと申し訳ないな」
「枇々木様は、今この世界を変えようとされている方です。そんな方に運命的な出会いをすれば、誰だって腑抜けになります。そうですよね?」
「う、うん。そうだね。」
僕には自信が無かった。
確かに、その覚悟も可能性もある。
だが、たかが一冊の恋愛小説で、そこまで影響を与えられるものなのか?
だけど、それくらいの影響力を出さなければリリィさんには帝国の陰が永遠に付きまとう。
「世界でリリィ様に勝てる相手なんて一人か二人ぐらいしかいないはずです。それくらい強い方なんです。それくらい怖い方なんです。そんな方の心を枇々木様は射止めたのです」
「枇々木様! 絶対に、あの方を、リリィ様を連れて来てください。お願いします」
ナビは目に涙を浮かべながら、僕に訴えてきた。
「うん。分かってる」
「リリィ様は待っています。枇々木様から手を差し伸べてもらえることを。御自分の『使命』と心の中から湧き出る『愛』との『狭間』で苦しんでいるリリィ様を助けられるのは枇々木様だけです」
「分かってる」
ナビはそう言い終わり、しばらくシクシクと泣き続けていた。
「……」
僕は何も言えなかった。
ナビの感情の中には、僕への気持ちも混ざっている気がしたから。
思い上がりかも知れないが、それはとても有難かった。
「あーあ。悔しいなぁ」
ひとしきり泣き終わると、ナビは呟いた。
「この世界で、いいえ皇国の人間の中で一番最初に枇々木様に出会ったのは、私だったのになぁ。悔しいなぁ」
僕は困ってしまった。
「夢の中で私より先に枇々木様に出会っているんだものなぁ。それに、あんな顔まで見せられたら勝てないなぁ」
その言葉を聞いて、ナビの僕への思いは、憧れ以上のものだったことが伝わって来た。
「あの、何て言ってよいか?」
僕は、そんなつまらない返答しか出来なかった。
「いいえ、運命には逆らえません。いえ、こんな素敵な運命なら余計にです。私が勝手に熱を上げていただけですので」
「うん。御免」
「いいえ。リリィ様の姿を見て、私は殿下からの縁談のお話をお受けすることにしたのです。むしろお礼を申し上げたいです」
「そう」
「はい! その縁談する方にお会いしたのですが、とても優しい方でした。代々の貴族の家系なのですが奢るところがなく、家柄の普通の私でも優しく接してくださいます」
「よかったね。良い人で」
「はい。戦争の後方支援で行かれていた時に大怪我をなさいまして、お子様が作れない状態になってしまわれたそうです」
「え? そうなの」
「はい。それで、その貴族のお医者様は、家を継ぐことを諦めて一人で医者の仕事をして生涯を過ごすと覚悟されていたようです」
「そう」
「殿下が、その貴族のお医者様と御交流がありまして、私を紹介してくださったという事です。私胸を患っているので体も丈夫でなく、子供は諦めるように言われていたので」
「そうか」
「修道院に行こうかと思っておりました。けれど、殿下が『それはさみしい。国に貢献してくれた人に報いたい』と御紹介してくださったのです」
「でも、君は、フェイスを……」
「優しいですね枇々木様。でも、私の好きは憧れのちょっと上ぐらい。だから、大丈夫ですよ」
そう言いながらもナビは少し寂しい表情を見せている。
「御免なさい枇々木様。自分の事ばかり話してしまって」
「いえいえ、話してくれて嬉しかったよ」
「だから、枇々木様。自信を持って書いてください。リリィ様への思いを、『あなたと私の出会いは運命だったんだ』とリリィ様に思い知らせてあげてください。世界中の方々にも、思い知らせてください。あの方の心の壁を打ち砕いてください。剣や槍では、あの方には通用しません。今届くのは枇々木様の言葉だけなんです」
僕の手をギュッと握りしめナビは語ってくれた。




