亡命
ガラガラガラガラ……。
うるさい音がする。
馬車の車輪の音か?
(ん? 馬車? 何で馬車?)
背中の痛みは、相変わらずだったが、何とか息をするのに苦労しない程度には痛みも治まった。
目を開けると、なんと女の子の膝枕の上だった。
(柔らかくて、暖かいな? このまま、目を覚したくない)
すると、僕の様子に気が付いたのか、その女の子は声を掛けてきた。
「枇々木様。お目覚めでしょうか? お体の具合は大丈夫ですか?」
このまま寝たふりをするのは難しいと感じ、僕はやむを得ず返事をして体を起こした。
「うん。背中の痛みも治まって来た。呼吸も楽にできる」
そして、周りを見回すと、やはり馬車の中だった。
「あの、今どこを走っているの? 何で馬車の中なの?」
朝から状況が目まぐるしく変わって、整理が追いつかない。
「枇々木様。状況を整理してお伝えします」
彼女は答えた。
「あ!」
僕は、思わず声が出た。
そう、この子は、あのお城で出会った女の子だ。
僕のビックリした顔を見て、彼女はクスッと笑って自己紹介をしてくれた。
「枇々木様。私は、ナビと申します。リンド皇国の潜入工作員で、諜報・妨害・救助支援などを行っています。今回の事、枇々木様を、こちらに連れてくることは決まっておりまして。その機会を待っていたところで御座いました」
「潜入工作員? 君が?」
「はい。驚かれましたか?」
「ちょっとね」
「監視をしておりましたら、帝国側から動きがあり、枇々木様の暗殺命令が出されたとわかったので、皇国への亡命を急いで実行させていただきました。事前に、枇々木様に確認を取らず、申し訳ございません。時間がありませんでしたので」
「いや、助けてもらったことになるから、ありがたいです」
「どういたしまして。枇々木様に万が一の事があっては困りますので。それで、今は帝国から皇国へ移動中で、特別なルートを馬車で移動しております」
「そうなのか? これトンネル? 馬車も通れるぐらいの大きさなんだ」
「はい。いくつかあるうちの1つです」
僕は、これで納得したことがあった。
あの帝国御用達出版商会の連中だ。
「あの、もしかして、出版商会の人達も?」
「はい。ご明察通りです。枇々木様より一足早く、一部の印刷機械と原盤、原稿と社員全員を、皇国に移動させました」
「え? 一晩で?」
「はい。一晩で」
少し、呆れてしまった。
まあ、確かに、禁忌の本を僕に書かせようとしたから帝国政府から睨まれて、生死すら危うくなったのだろう。
「あの、もしかして、異世界の歴史書を書かせようとしたのは……。」
ナビは、ニッコリと笑って答えた。
「はい。私共で御座います」
美少女に笑って答えられては、怒る気もしない。
しかし、そのお蔭で、こちらも死にそうになったんだがな。
暗いトンネルから抜けると、見慣れない景色が広がっていた。
(これが、リンド皇国か?)
帝国とは、少し趣が変わっている。
「枇々木様。このまま、屋敷まで参りますね」
「え? 屋敷?」
僕は、お城の牢に監禁されるかと思っていた。
「はい。本日から、その屋敷が枇々木様のお住まいになります。とても良いお屋敷ですよ」
我が事の様に嬉しそうな顔で、ナビは伝えてくれた。
「あの。商会に居た時、僕の顔をジッと見てたのは、こういう事になること伝えたかったからですか?」
僕は、あの時の彼女の考えを知りたくなり尋ねた。
すると、想定外の反応を、ナビはした。
「え? あ、あれは……。あの、……。な、何でもございません。お忘れください」
顔が真っ赤になって、目を伏せている。
ランプの灯りのせいもあるのか?
「あれ? どうしたの? 何か、悪い事聞いちゃった?」
「いえ、何でもありません。とにかく、何でもありません!」
ナビは、プイッと横を向いて、しばらく黙ってしまった。
気まずい空気が流れる。
若い男女が、馬車の中で二人きり。
音は、移動する馬車の音だけ。
ナビは、あの質問から、顔を赤くしたまま、モジモジとしていて落ち着かない。
(うう、気まずい。彼女、どうしちゃったんだろう?)
こちらが、ちょっと動くたびに、ピクッと小さく反応して、いちいち対処に困る。
(もしかして、変な気起こしたオジサンって思われてるのか? 僕!)
それは、ちょっとした一大事だ。
これから亡命するっていう状況で、そんな誤解をされたままでは……。
だが、確かめる機会も得られずに、馬車は屋敷に到着した。
夜中なので、屋敷の全容までは見えない。
だが、とても、庶民が持てる規模の屋敷ではないのだけは、分かった。
部屋のいくつかの場所からは、灯りが漏れていた。
「あ、あの。 着きました」
気持ちを落ち着かせたナビが伝えてくれた。
「うん。ありがとう。で、僕は、ここに住むの? ここは、一時的なの?」
「ここが枇々木様の皇国でのお住まいになると思います」
「夜だから全部見えないけど、ずいぶん立派なお屋敷だね?」
「はい。枇々木様は、皇国に取って大事な御方なので」
「僕が?」
「はい。詳しい事は、他の方からご説明があるかと思います。私からはお教えできませんので、お許しください」
「うん。わかったよ」
「では、屋敷へご案内します」
そう言って、馬車のドアを開け、ナビは僕が降りてくるのを待ってくれた。
ナビに案内され、ドアを開けて屋敷の中に入って行った。
「フェイス様、ローズ様。枇々木様をお連れしました」
ナビが声を、大きな声で二人を呼んだ。
すると、上の階から、パタパタと若い二人の男女が降りてきた。
「やぁ、お待ちしていました、枇々木さん。私はフェイスと申します。今日は、色々大変でしたでしょう。ナビ、直ぐ部屋にお連れしてください」
若い男は、フェイスというらしい。
僕と年は近い感じか?
20代前半ぐらいかな?
「枇々木様。遅い中、御免なさいね。色々知りたいこともあるでしょが、まず休んでください。私は、ローズと申します。よろしくお願いいたします」
ローズさんも、フェイスと僕に歳が近い感じだ。
上品なのに気さくな感じがして、とても好感が持てる女性だ。
「よ、よろしくお願いいたします」
そう挨拶をしていると、使用人達も出てきて、荷物を馬車から降ろし始めていた。
「あれ、あの部屋の物も全部?」
「はい。全部持ってまいりました」
ナビが答えてくれた。
「凄いね。短時間で」
ちょっと驚いた。
手際が良いというレベルじゃない。
まあ、あの女暗殺者を送ってくる帝国相手だから、これくらいのスピード感は必要不可欠なんだろう。
ナビが先導して、部屋に連れて行ってくれる。
「こちらが、枇々木様の部屋です」
リビングを通り過ぎて、少し広めの部屋に案内された。
物が置いてないが、ベット等は整っていた。
(ベットは眠り心地よさそう)
部屋への荷物の搬入は、明日にとなった。
まずは、一眠りしてからという感じだ。
僕はベットに座って、ようやくホッとしていた。
それを見たナビはニッコリと笑い、嬉しそうにしてくれていた。
「落ち着かれましたか?」
「うん」
「枇々木さん。荷物の部屋への運び込みは明日にするよ。それと、部屋の整理は任せて良いね?」
フェイスという青年が言った。
「うん。大丈夫だ」
「ローズ、彼の着替えの服は、どこだい?」
フェイスは、ローズさんに尋ねた。
「あ、ここよ」
クローゼットの引き出しから、寝心地の良さそうな服を出してくれた。
「枇々木様、寝る時は、これに着替えてくださいね」
ローズさんが言う。
「はい、ありがとう」
とりあえず、後は寝るだけの状態となった。
「では、枇々木様、ナビは、これで失礼いたします」
ナビは、挨拶をしてくれた。
「え? そうですか? もう?」
僕は、少し名残惜しかった。
こんな可愛い女の子と、ここで別れるなんて。
「では、フェイス様、ローズ様、私はこれで失礼いたします。後は、よろしくお願いいたします」
(随分と丁寧な言い方を、二人にはするんだな)
とても、知り合い等レベルの接し方ではない感じがした。
かといって、身分の高い人に接するような感じでもない。
「うん。ナビ、ありがとう。後は、3人でやるよ」
フェイスが答えた。
「ナビ。ここまで、ご苦労様でした。また、直ぐお仕事でしょうが、少しはゆっくりしてね」
ローズさんが、ナビの苦労を労う。
「はい。では、失礼します。枇々木様も、お達者で」
まるで永遠の別れみたいな挨拶だ。
「あの、もう会えないのかな?」
僕は、ナビに尋ねた。
「!」
商会の時と同じような丸い目をして、ナビは固まった。
「あ、あの。機会があれば、またお会い出来るかと。し、失礼します!」
そう言うと、僕らに深くお辞儀をして、顔も上げずに、そそくさと部屋の外に出ていった。
「ん? 枇々木君。君は、ナビの事、気に入ったのかな?」
(ん? 何だこいつ?)
フェイスは、変な質問をしてきた。
「いや、お世話になったから、何かお礼でもと思っただけだよ」
「ふーん。お礼ね」
ニヤリと笑うフェイス。
「ちょっと、フェイス。来たばかりの枇々木様になんてこと言うの?」
ローズさんが注意をする。
「あはは!」
と、豪胆に笑うフェイス。
「枇々木。色々と質問あるだろうけど、明日だ。これからの事も明日話す。今夜は、休んでくれ」
(もう、呼び捨てかよ。このお兄さんの気さくさは、嫌いじゃないが)
「わかったよ。フェイス。ゆっくりと一眠りさせてもらう。じゃ、ローズさんもお休みなさい」
フェイスと、ローズさんに休みの挨拶をした。
「お休みなさいませ。枇々木様」
ローズさんは、慈愛に満ちた笑みで、返事を返してくれた。
「何かあったら、使用人を呼んで言いつけてくれよ。一人でやろうとして、迷子にならないようにな」
フェイスは、出際に、またカラかってきた。
「もう、他の言い方無いの?」
ローズさんが、フェイスに注意する。
そして、二人も部屋を出て、僕は一人になった。
「ふぅ。昨日から、本当に、色々と……」
僕は、少し落ち着いたので、あの暗殺者の彼女の事を思い出そうとしていた。
ベッドで横になり、あの時の事を回想する。
(どこかで、どこかで、あの目を見たんだけどなぁ)
(何で、こんなに無茶苦茶気になる子なんだろう? 僕を殺しに来た暗殺者なのに)
彼女の事を思い出すと心臓が少し高鳴る。
忘れたくない。
彼女の事。
そして、思い出さなきゃいけない。
彼女のあの目をどこで見たのかを。
そんな事を考えて整理している内に、僕は深い眠りの誘いにあがらえなかった。
(そうだ、彼女の名前。名前、どうやったらわかる……、の、かな……?)
ふかふかのベットは、安宿とは全く違っていて、その気持ち良さに勝てず、僕は眠りについた。




