葦毛の駒
ある屋敷で馬車馬のようにこき使われている少女がおりました。
今夜も屋敷のお嬢様に責められていて……。
この話は長岡更紗様主催の『ドアマット大好き企画』参加作品です。
「いつまで待たせるのよっ! このグズが!」
バチーンという音とともに、その娘は倒れこんだ。
あたしは振りぬいた手をゆっくりと下ろし、右足をあげてうずくまった娘の背に下ろした。
ガッ!
「あうっ……」
「行き場のないあなたを雇ってあげたのに、使えないわね。いつになったら、一人前に働いてくれるのよっ」
ドカッ!
娘は床を転がり、苦しそうにわき腹を抑えた。
「ろくに仕事もできないあなたには、食事をする資格はないわ。晩御飯は抜きよ」
「……お、お嬢様、それはあまりにも……。今回の失敗についてはキツく叱っておきますので、なにとぞお許しを」
「ふん。そこまで言うなら残飯でも食べさせておきなさい」
あたしはそういうと身をひるがえす。
嫌悪感と畏怖。
好意的とはいいがたい多くの視線を感じながら、あたしは場を離れる。
舞台の上では、うずくまるヒロイン役の娘を先輩メイド役が助け起こしていた。
あたしはこの劇団でずっと悪役を演じている。
初めて舞台に立った小学生のときからずっとだ。
やりがいは感じているが、不快感は消えない。
なぐる演技をしたときは、自分がなぐられているように感じる。
踏みつけるときも蹴飛ばすときも……
舞台裏に回ると、音響係の春樹が目線で『お疲れ様』と合図してくれる。
幼馴染の彼は、この劇団の裏方だ。
次の出番まで時間があるが、気は抜かずに『悪女』の状態を維持する。
素の私を誰かに見られたら、役のイメージが崩れてしまう。
プライベートでも、誰かの目があるときは冷たい女性になりきっている。
素を見せるのは自宅か、春樹と二人だけのときぐらいだ。
おかげで中学の頃は苦しいときもあった。
あたしに嫌がらせをすることが正義、という認識をもつ子がいたのだ。
『悪い奴をこらしめて何が悪い』
保護者だけじゃなく担任もその子を擁護したので、トラブルが長引くことになった。
解決のために奔走してくれた春樹にはすごく感謝している。
* * *
舞台が無事に終了した。
今回も悪役をやりきった。
この演目の最終公演なので、しばらくオフになる。
「彩夏くん、お疲れ様。きょうの演技もよかったよ。最高の悪役だったね」
大柄な座長がねぎらってくれた。
「で、次の『シンデレラ』の舞台なんだが、彩夏くんに主役をやってもらうよ」
「はい? お言葉ですが、座長。何かの間違いでは? あたしではイメージが違い過ぎます。意地悪する義姉役がいいのでは?」
「そう思っているのは彩夏くんだけだと思うぞ。なぁ、みんな」
座長の言葉で、劇団員のみんなも口々にいった。
”彩夏、ぜったいに似合うよ”
”クールぶっているつもりだけど、すっごく優しいよね”
”春樹くんの前ではキャラ崩壊してるし”
”でも他の人が彩夏ちゃんみたいに悪役をうまくできるかなぁ。特に暴力シーン”
”彩夏ちゃんのビンタって全然痛くないんだけど”
”彩夏の平手打ちは、紙一重で当たってないからね。蹴りなんかも、服だけに当ててるのは神業だよ”
あたしが春樹の方を見ると、彼はニコっと笑った。
「彩夏のことは、みんなわかっているよ。大丈夫、彩夏はちゃんとできるよ」
春樹はあたしのことを信じ切っているようなまなざしで言った。
そこで座長は春樹の肩をぽんと叩く。
「春樹くん。他人ごとのように言ってるけど、次の舞台の王子役はキミだよ」
「はい? お言葉ですが、座長。何かの間違いでは?」
あたふたしている春樹の姿につい口角があがった。
彼といっしょならどんな役でもこなせそうだ。
やってみよう。
虐げられ、踏みつけられるドアマットのようなヒロインを。