プリマヴェーラの祝福を……
ガス灯がぼんやりともる夕暮れ時に石畳みの道を靴底で叩きながら私は小走りで往来を駆ける。
色めき立ち、どこか浮世を思わせるような往来をかき分けて見事な赤いアザレアが咲く館を訪れて私は門を叩いた。
切らした息を整えながら、横目に入った窓からこちらを伺う視線に気が付いて不意に目をやった。
覗き込むようにこちらを見る少女は物憂げに視線を合わせると、軽い会釈をして館の奥へと消えていった。少女は大理石の彫刻を思わせるほどに白く滑らかで年不相応なほどに艶めしく、その白さを際立たせるかのように赤いくちびるがとても印象的だった。
しばし、瞠目結舌とする私に館の主が呼びかける。
「君、要件はなんだね」
我に返った私は慌てて言葉を繕った。
「先生、私の論文はなぜ駄目だったのでしょうか」
先生は呆れたように息を吐くと私を睥睨する。
「わかった、入りなさい」
ロビーには華美な調度品が飾られており、思わず息を呑む。
2階へと上がる豪奢な階段を見上げるとその先にまたあの少女が佇んでいた。少女はこちらに気が付くと小走りに駆けて行った。
応接間へと通されると、先生は燕尾服を着た初老の男性に声をかける。
「紅茶をお出ししてあげなさい」
初老の男性は黙ってうなづき、部屋を出ていった。
「それでキミはなにを言いたいのかね」
先生は樫の椅子に腰掛けて私に尋ねた。
言い淀む私を先生は射抜くように見据えて続ける。
「評価に正当性を感じなくて憤慨しているのかね、それとも自身の力量を過大評価でもしているのかね」
先生は鷹揚な態度で私に問い続ける。
「キミは確かに良い目を持っている。少なくともこの私が顔を覚えているくらいにはね、ただ木を見て森を見ず……大局的な視点に欠けている節が見受けられる。だから論文は突き返した、次はもっと良くなるような論理を期待しているよ」
私は俯き、絞るように言葉を吐き出した。
「な、ぜ……なにが、駄目だったのか分からないんです」
「考えなさい、悩みなさい。論理に説得力を持たせるにはそれしかないのだよ」
「少しだけでもご教示いたただけませんか」
「キミは私の真似をして、人の言葉で、誰かを動かせると思っているのかい」
「返す言葉もございません、精進します」
「ただ、これだけは言える。人を動かしたいなら芸術に触れなさい。絵画や文学、演劇や音楽などは論理に不要と思うかもしれないが物事はすべて繋がっているものだよ」
「……ありがとうございます」
私は先生の館を後にして、力のない足取りで家路に着いた。
翌日、先生に言われた言葉の糸を辿るように街中をさまよった。
太陽が真上を過ぎた頃に空腹に飢えて木陰のあるベンチで空を見上げる。
どれくらい呆けていたのだろう……不意に影が私の視界を覆う。
「……アナタは」
「こんにちは、探し物は見つかりましたか」
「なぜ、それを」
昨日見た少女が赤い口びるからカラカラと笑いを零した。
「わたくしも本日は用があって朝からあちこちを見て回っていたのですが、なにかを探すような足取りでアナタが歩いていらっしゃったもので」
「昨日、先生に言われたことを探しているんです」
彼女は少し考えるようにクビを傾げると、うんうんと唸ってこう言った。
「お役に立てるかは分かりませんが……わたくしに1つ提案があります」
「本当ですか」
「ええ、よろしければお付き合い下さい」
スッと彼女は立ち上がり、私もベンチから立ち上がった。
「とはいえ、まだ時間が早いんですよねぇ」
「でしたら軽食などはいかがでしょうか」
「そうですね」
淡い桃色のアザレアが飾られた喫茶店に入り、静かな店内で向かい合い、わたし達はお互いを目で追っては逸らしたりしてもみた。
気恥しくて会話もままならない内にテーブルにコーヒーとサンドイッチが置かれた。
「これは最近の流行でサンドイッチという軽食らしいです、お口に合えばいいのですが」
「ええ、多少は存じております。このまま食せばいいんですよね」
彼女はシルクのような細くて艶やかな横髪をたくし上げながらサンドイッチを頬張った。店内はとても静かで彼女の息遣いが耳をくすぐり、たまに薄紅の瞳が品のよい宝石のようにきらめいてはこちらを覗きこむ。
「アナタはお食べにならないのですか」
「あ、ええ。私もいただきます……」
慌ててサンドイッチを口に放り込むと喉につかえてしまった。
「ごほっ……ごほっ……」
「大丈夫ですか」
コーヒーを流し込み、つかえたサンドイッチが喉元を過ぎると生きた心地がした。
「な、なんとか……」
「くすくす……」
彼女はそんな私を見て、あどけなく笑っていた。
店を後にして、彼女の案内に従って街の外れにある小高い丘までやってきた。
「ここになにがあるのですか」
見渡しても見たが普通の丘であり、これといって特別な様子もなかった。
「ふふっ……もう少しお待ちください」
次第に日隠れていき、橙色に浸した街並みが薄青色へと変わっていくとポツポツとガス灯の明かりが着き始めて建物の窓からも明かりが漏れ始めた。
「これです、いかがでしょうか」
声色を高くした彼女が得意げに私に投げかけた。
「すみません、どういうことなのでしょうか」
彼女は少し不機嫌に口びるを尖らせながら言った。
「よーく見てみてください。この時間だけは世界が逆さ向きに映るんですよ……思い込みを捨ててありのままを覗いてみてください」
私は言われるがまま、先入観を捨ててその場の風景を眺めてみた。
「そのまま、ぼんやりと見てください。アナタならきっと見付けられるハズです」
しばし、ソレをぼんやりと見ていると上と下、空と地面の境界線が曖昧になっていく。
「あ、ああ……そういうことなんですね」
「そうなんです、すべての物事は目に映る認識で赤にも青にも黄色にも……白にだってなるんです」
「先生のおっしゃっていた見る目を養えとはこういうことなのですね」
彼女は薄紅の瞳を細めてうるめながら静かに頷いた。
「わたくしは学問のことはまったく分かりませんが、たぶんきっと……」
「ありがとうございます」
私は思わず彼女の手を握り、吐息が聴こえるような距離まで近づいたところで我に返った。
「あ……すみません」
「いいんですよ」
薄暗いガス灯が彼女の赤らむ頬を優しく照らすと、私は彼女を無意識に抱きしめていた。
「少しくすぐったいですね」
私は慣れない感情に背中をくすぐられながら、それでも彼女を離さずにはいられなかった。
「そろそろ……」
彼女の言葉で私はハッとした。
「ごめんなさい、お家まで送り届けますね」
「いえ、わたくしのことはよいのです。それよりもいま、アナタはアナタの成すべきことが見えたような目をしていますね」
「はい、論文のどこを直すべきなのか見えた気がします」
それから数週間、彼女の手厚い支援を受けながら論文を組み直して先生の元へ提出した。
「見違えたように良くなった。論理に奥行きが出たようだ……なにか掴めたようだね」
「はい、おかげさまで」
「この論文はもうすでに私を越えてるよ、素直にそう思える」
「先生を越えるなど、そんな……」
「いや、これを見たかったんだ。キミがこの論理の行き着く先を見せてくれた、学者としては悔しいが同時に学者として新しい発見に出会えたことを幸福に思うよ」
「先生の理論を元にして作った理論です」
「バトンを繋いでいくとはそういうものさ、この論文はキミが自身で学会に発表しなさい」
「わかりました」
玄関に飾られた白いアザレアに足を止める。
「キミもその花が気に入ったのかい?」
「ええ……」
「餞別だ、持っていきなさい」
「ありがたくいただきます」
「私が手塩かけて育てた花だ、大切にしてくれよ」
「はい」
白いアザレアを抱え、家路を辿った。
ハジメマシテ な コンニチハ(」・ω・)
高原 律月ですっ!
今回は、アザレア・燕尾服・宝石の三題噺で作ってみました。伝わりにくい部分も多々あるかと思いますが最後までお読みいただき、ありがとうございました!