「お母さんね、悪役令嬢だったのよ?」と言い聞かせられて育ったが、別に母親の復讐とかしない。破滅するなら勝手にしてくれ。
「お母さんね、悪役令嬢だったのよ?」
それが母親の口癖だった。
幼少時から……それこそ、物心ついたころから、そうやって言い聞かされて育てられた。
母親が生まれたのはこの国――リューン王国の隣にあるレンガルト王国だった。
レンガルト王国で公爵家の長女として生まれ育ち、おまけに王太子の婚約者でもあったらしい。
将来的には王太子と結婚して次期王妃になるはずだったそうだが……18歳の誕生日を迎えた日、人生の転機が訪れたそうだ。
『エヴァリア・マーティス! 貴様との婚約を破棄させてもらう!』
『え……?』
王妃教育のために登城した母に向かって、その国の王太子はそう突きつけた。
ちなみに……『エヴァリア・マーティス』というのは母がかつて名乗っていた名前。現在ではたんに『エヴァ』とのみ名乗っている。
目を白黒させて驚く母に向かって、王太子は「妹をいじめた」、「使用人に暴力をふるった」、「敵国に内通していた」などとありもしない罪を並べていたそうだ。
母も「自分はやっていない」、「証拠を見せて欲しい」と抵抗したものの、王太子は問答無用で兵士に命じて婚約者だった女性を王城の牢屋にぶち込んだ。
この話を聞き、そんな無茶なと子供ながらに思ったものである。
いくら王族だってやって良いことと悪いことがある。その国の王太子は法も道理も知らないお猿さんなのかと。
しかし……その時、国王と王妃が外遊で留守にしており、王太子が代理として全権を与えられていた。
たとえ真っ白なハトだって、王太子が黒だと言えば黒になる。
王太子の無茶を止められるものはなく、母は抵抗もむなしく兵士に取り押さえられて地下牢に入れられてしまったのだ。
『……大丈夫。国王陛下が戻ってくるまでの辛抱よ! それに、お父様がきっと助けてくれるはず!』
そう自分に言い聞かせて苦境に耐える母だったが、そこに救いの手は差し伸べられなかった。王太子は裁判すら開くことなく一方的に母を犯罪者であると断定して、国外追放を命じたのである。
さらに、母の父親――つまりはマーティス公爵はというと、娘が断罪されたことを知りながら、抗議することなく娘の処分を了承してしまった。
「これはお母さんの予想だけど……お父様は王太子との間で密約を結んでいたのよ。お父様は前妻との子である私を疎んでいて、後妻の娘であるマリーアのことを溺愛していたから。マリーアは私が王太子殿下と婚約していたことを妬んでいたようだし……あの子を新しい婚約者にすることを条件に私の追放刑に賛同したんだわ。ひょっとしたら、お金や領地をもらう約束をしていたのかもしれないわね」
……というのは、後になって母が予想したことである。
おそらく、その予想は当たっていたのだろう。
母の腹違いの妹であるマリーアという女性が王太子の新しい婚約者になり、生家のマーティス公爵家は王家から領地の加増を受けてさらに躍進したのだから。
ともあれ、一方的に国外追放を言い渡された母は嘆きに嘆いた。
どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだ。いったい、何をしたというのだ……そんな風に涙を流す母に、王太子はさらなる追い打ちを放ってきた。
『お前は魔女のように最低の性格の女だが……身体だけは美しく、豊満に実っている。追放する前に味わわせてもらうとしようか!』
王太子は顔こそ貴公子のように整っていたが、中身は発情したオークそのものだった。秀麗な顔をクチャリと歪めてそんなことを宣言したのである。
抵抗できない母に襲い掛かり、好き勝手に犯して辱めた。それはまさに鬼畜の所業。その国の王太子は人間などではなく、人の皮を被ったケダモノだったのだ。
『酷い……酷いわ……』
『フンッ! やはり身体だけは上等じゃないか。これでもっと素直な性格だったら、愛人の1人として可愛がってやったのにな!』
王太子は母を犯すだけ犯すと、配下の兵士に命じて国境外の街道へと捨てさせた。生まれ故郷を追い出された母に渡されたのはわずかばかりの水と食料。そして、小瓶に入った堕胎薬である。
わざわざ薬を与えたのは捨てた婚約者が王家の血を引く子供を孕んでは困ると思ったからか、それとも、後ろ盾のない生活で身重になっては苦労するだろうと指先ほどの良心がささやいたのか。
どちらにせよ、それは人ならざる鬼畜の王太子にとって、唯一の理性的な行動だったのかもしれない。
こうして、公爵令嬢だった母は地位も名誉も貞操すらも失い、見知らぬ異国の地をさまようことになった。
不幸中の幸い、街道をさまよっていたところを親切な旅人に保護されて近くの町まで送ってもらい、さらにそこで小さな商会で経理の仕事を見つけたそうだが……相当な苦労をしたのは言うまでもないことである。
「そんなことがあって、お母さんは悪役令嬢になったのよ? めでたし、めでたし」
「……全然めでたくないよ。母さん」
……というか、子供にそんなディープな話を聞かせないでもらいたい。
もっと普通の童話とか昔ばなしとかを読み聞かせてもらいたかったものである。
そういうわけで……母親は悪役令嬢であり、俺はそのことを幼い頃から言い聞かせられて育ってきた。物心ついた頃からずっとずっとだ。
生まれ故郷であるレンガルト王国からリューン王国に流れてきた母は、無事に勤め先を見つけて新しい生活を築くことができた。
そして……リューン王国で暮らし始めて、およそ1年後に俺のことを出産したのである。
誰が父親であるかなど考えるまでもない。直接、母の口から父親の名前を聞いたことこそないものの、子供だって察することができるものである。
渡された堕胎薬を飲まなかったのか。飲んでも効果が出なかったのか……母に訊ねるのも恐ろしいことだった。
ともあれ、悪役令嬢から生まれた俺はすくすくと成長して、15歳になって成人した際に家を出て自立した。
家を出たのは、別に母親を嫌っているとかそういうことではない。
俺は冒険者という魔物や盗賊退治を生業とした職業に就いたのだが、大きな町を活動拠点に据えたほうが稼ぐことができるからである。
母は随分と前に勤め先の従業員と再婚をしており、弟や妹だって生まれていた。俺が家を出たところで寂しがることはないだろう。
お願いだから、弟達には凄惨な過去を寝物語に聞かせないでくれ――そんなことをくれぐれも母に頼んで、自立したのである。
〇 〇 〇
「あ、リオンさん! いらっしゃいませ!」
「ああ」
リューン王国王都にある冒険者ギルドに入るや、顔見知りの受付嬢が華やいだ声で挨拶をしてきた。
俺は短く返事をして受付に向かい、カウンターの上に採ってきたばかりの魔物の素材を置く。
「依頼されていたレッドオーガの討伐が完了した。確認してくれ」
「はい、すぐに取り掛かりますので少々お待ちください」
受付嬢が素材の入った袋を受け取ってパタパタと奥の部屋に消えていく。
彼女の背中を見送りつつ、俺は何とはなしにギルドの内部を見回す。
ギルドの建物内には大勢の冒険者がいて、ボードに貼られた依頼を物色していたり、仲間と打ち合わせをしていたり、隣接した酒場で昼間から酒を飲んでいたりする。
そんな冒険者らの一部がリオンのことを見つめており、ヒソヒソと小声で話していた。
「おい、リオンってひょっとして……」
「ああ、『雷獅子』のリオン。最年少でSランク冒険者になったあのリオンだよ」
「本当に若いんだな……まだ20かそこらの若造じゃねえか」
家から自立してから5年。先日、俺――追放された悪役令嬢の息子であるリオンは20歳になっていた。
冒険者としての活動にもすっかり慣れており、自分で言うのもなんだが、それなりの成功は収めている。
1年前にギルドの冒険者の最高位であるSランクに到達しており、最近では他国から名指しで依頼を受けることだってあるくらいだ。
「フンッ……」
「お待たせしました。素材の納品、確認させて頂きました! こちらが報酬です!」
自分のことを噂している冒険者らに鼻を鳴らしていると、受付嬢が大きな布袋を両手に抱えて戻ってきた。
渡された袋の中身を確認すると……ずっしりと大量の金貨が詰まっている。
Sランク冒険者である俺は日々、高難度の依頼をこなしていた。一度の仕事で一般市民の年収ほどの金額を稼ぐことだって少なくはない。
軽く袋を振っておおよその金額を確認すると、カウンターに置いて受付嬢に返す。
「ああ、こちらも問題ない。半分は口座に貯金して、もう半分はいつものところに振り込んでおいてくれ」
「畏まりました。そのようにいたしますね!」
「それと……これはいつもお世話になっているお礼です。皆さんで美味しいものでも食べてください」
「ありがとうございます!」
袋から取り出した金貨を何枚か受付嬢に渡すと、俺と同年代ほどの年頃の彼女はキラキラと瞳を輝かせてチップの金貨を握りしめる。
こうしたちょっとした心づけが人間関係を円滑にするのだと、教えてくれたのは母だった。
実際、チップを渡すようになってから見違えるほどに受付嬢の態度は良くなっている。元々、態度が悪かったというわけではないが……ギルドの上層部が無理難題を持ちかけてきたときなどには間に入って庇ってくれたりするようになった。
ギルドから支払われる報酬の半分は貯蓄。もう半分は実家に振り込んでいる。
今度、5歳年下の弟が王都にある魔法学園に入学するそうだから、学費としてちょうどよいだろう。
弟がこっちに来たら顔を合わせる機会も増えるだろうし、今から楽しみだった。
「ところでリオンさん、いつものように指名で依頼が入っていますけど……どうされますか」
「ん、見せてもらおうかな」
「はい、ではどうぞ」
受付嬢がカウンターに置いたのは3枚の書類。貴族や王族からの依頼だった。
現在、この大陸には俺を含めて5人のSランク冒険者がいる。
高位の冒険者というのは実力がある代わりにクセの強い人間が多い。Sランクともなると、依頼を極端に選り好みしたり、隠棲して何年も連絡がつかなかったりする者までいるそうだ。
そんな中で、俺は比較的あつかいやすくて仕事も早いことで知られていた。一番の若手ということもあって仕事が回されることが多く、常にいくつかの依頼がギルドに寄せられている。
「ふむ……」
受け取った書類の1枚はリューン王国から、2枚は他国からの依頼。内容はいずれも強力な魔物の討伐である。
俺は自国からの1枚と他国の依頼のうち1枚を受け取り、残った1枚を受付嬢に返却した。
「こっちの2つを受けさせてもらおう。それは断っておいてくれ」
「あー……やっぱりですか?」
「やっぱりだよ。ワガママを言って申し訳ないね」
「いえ、理由はわかりませんけど、リオンさんがあの国を嫌っていることは知ってますから。こちらはお断りしておきます」
受付嬢は少しだけ困ったような表情になりながらも、こちらの言い分を了解してくれた。
俺は基本的に仕事を選ばない。相応の報酬さえ支払ってもらえるのであれば、どこの誰の依頼だって受けることにしている。
だが……1つだけ、必ず断ることにしている依頼があった。
それは隣国――レンガルト王国からの依頼。
母親を悪役令嬢として追放した、あの国からの依頼はすべて断わるようにしていた。
〇 〇 〇
「荒ぶる神の怒りをその身に受けよ――『雷神の槌』!」
「「「「「グギャアアアアアアアアアアアアアアッ!?」」」」」
魔法を発動させると、眩いばかりの雷撃が地上に降りそそぐ。金色の雷に包まれた魔物の群れが跡形もなく消滅する。
「依頼達成、問題なかったな」
とある国から依頼されていたゴブリンキングとその配下の討伐を終えて、俺は頭上に向かってグッと手を伸ばした。
ゴブリンキングは時として万単位のゴブリンの軍勢を率いて、小さな国であれば滅亡に追いやってしまうこともある危険な魔物である。
とはいえ、今回はまだ生まれたばかりだったらしく配下のゴブリンも千体ほど。半日とかからずに壊滅させられる程度の仕事だった。
「んー……アレは放っておいても問題ないな」
撃ち漏らしたゴブリンの一部が逃走していくが……あえて追撃することはしない。
別に怠慢というわけではない。俺が依頼されたのはあくまでもゴブリンキングの討伐である。雑魚のゴブリンの処理までは請け負ってはいない。
それに弱い魔物まで狩っていると、低ランク冒険者の仕事がなくなってしまう。下の連中の飯のタネまで横取りするのはやめておこう。
ギルドで受けた2つの依頼は1週間とかからずに片付いた。もう1件の依頼はとある町の近くの山に住み着いたドラゴンの討伐だったが……こちらも楽勝。山までの移動のほうが時間がかかったくらいである。
「さて……仕事も済んだことだし、さっさと帰るか」
この国まで来るのは時間がかかったが……帰りは楽チン。転移魔法を使えば済むだけのことだ。
俺は『雷獅子』の二つ名が示すように雷の魔法を得意としていたが、空間魔法もいくつか使うことができる。事前にマーキングしていた場所に瞬時に移動する『テレポート』もその1つだった。
雷魔法ほどの才能はないため転移できる場所は限られているが……帰りの手間を省くことができるのだから、それなりに重宝している。
転移先としてマーキングしていた借家の自宅に帰ると、すぐに町のギルドに顔を出して依頼達成の報告をすることにした。
次の依頼も寄せられているかもしれないし、老後の安定と家族への仕送りのためにも、ギルドに顔を出すとしよう。
「やあ、戻ってきたよ」
「リオンさん……!」
冒険者ギルドを訪れると、顔見知りの受付嬢が困ったような表情で目を向けてきた。
いつもとは違う態度である。何かあったのだろうか?
「ちょうどよかった……実は、リオンさんにお客様が来ているのです」
「客……?」
怪訝に問いかけると、受付嬢は申し訳なさそうに口を開く。
「はい。例の国……レンガルト王国からの使者が来ています」
リオンは受付嬢に連れられて、ギルドの奥にある応接間へと案内された。
受付嬢が入口のドアを控えめにノックして部屋の中に呼びかける。
「ギルドマスター、リオンさんをお連れしました」
「ああ、入って頂戴」
「失礼します」
ドアを開いて中に通されると……品の良い家具や調度品が並べられた応接間には2人の人間がいて、テーブルを挟んでソファに座って向かい合っている。
1人はスーツを着た20代後半ほどの年齢の女性。女性でありながらギルドの責任者を務めているギルドマスターだ。
もう1人は……見慣れない男。年齢は60歳ほどで、白い髪とヒゲを丁寧にそろえた身なりの良い男性。察するにどこかの国の貴族だろう。
「貴方は……!?」
俺が部屋に入るや、貴族風の男性が驚いたようにソファから立ち上がる
「ん……どこかで会ったか?」
「そんなはずは……いや、しかし、その顔は……」
怪訝に問いかけるも、男性はブツブツとつぶやくばかりで答えない。
ギルドマスターに目を向けると、整った顔立ちの美女が頷きを返してくる。
「よく来てくれたわね。座りなさい……あなたはもう戻っていいわよ」
「ああ」
「し、失礼しました」
受付嬢が部屋から出て行き、俺は促されるままにギルドマスターの隣に座る。
柔らかなソファに腰かけるや、ギルドマスターがテーブルに置かれたティーポットを手に取った。
カップに紅茶を淹れて俺の前に差し出しながら、労うように微笑を向けてくる。
「ちょうど良いタイミングで帰ってきてくれて助かったわ。帰ってきたばかりで疲れているでしょうに、ごめんなさいね?」
「いえ……構いませんよ。それよりも、こちらはどなたですか?」
「ええ、こちらの方は隣国――レンガルト王国からの使者でマーティス公爵殿よ」
「マーティス公爵……」
聞き覚えのある……あり過ぎる名前に、俺は思わず唇を歪めた。それは母親の旧姓。追放される前に名乗っていた名前である。
つまり、目の前にいる老人は母親の父親。俺から見れば祖父に当たる人物ということになってしまう。
「それで……その公爵殿が何の御用ですか?」
「ん……ああ、すまない。私は王家の命を受けて君と話をしにきたのだ」
マーティス公爵は暗い表情のまま、俺に向き直った。
「Sランク冒険者――『雷獅子』のリオン君。どうして、我が国からの依頼を受けてもらえないのだろうか?」
マーティス公爵が表情を歪め、怒りの顔つきで訊ねてきた。
それは『話をしにきた』というよりも文句を言いにきたと言った雰囲気で、まるで詰問するような口調である。
「何故って言われてもなあ……冒険者というのは自由なもの。依頼を受けるも蹴るも勝手。文句を言われる筋合いなどないはずだが?」
「お前が依頼を受けてくれないせいで、我が国は現在進行形で滅亡の危機を迎えているのだぞ!? どうしてくれるのだ!?」
とぼけたように肩をすくめると、マーティス公爵が堪りかねたとばかりに怒鳴ってきた。
『リオン君』から『お前』に呼び方が変わっているのだが……こちらの方が素の口調のようである。特権意識の高い貴族にはよくあることだった。
「滅亡って……ずいぶんと大袈裟ですね。冒険者が依頼を受けないくらいで滅びるほど、貴国の騎士や兵士は脆弱なのかな?」
「ッ……!」
素直な疑問をぶつけると、マーティス公爵が忌々しそうに表情を歪めた。
冒険者は魔物退治の専門家だが、冒険者だけでは対処できない事態が生じた場合、国や貴族が騎士団などを派遣するのはよくあることだった。
別に俺が依頼を受けなかったところで、国が滅亡するほどの事態になるとは思えない。
「誰のせいだと思っている……それもこれも、全て貴様のせいではないか!」
「はあ?」
「貴様が周辺諸国で魔物を狩っているせいで、我が国に魔物の残党が流れ込んできているのだ! どう責任を取ってくれる!?」
「残党って……ああ、そういうことか」
俺はマーティス公爵の言わんとしていることに気がつき、納得して頷いた。
雷魔法を得意とする俺であったが……その雷はただの雷ではない。『神雷魔法』――魔物を打ち破る力を持った浄化の電撃なのだ。
その力はあらゆる魔物を打ち破る効果を持ち、さらに魔物を遠ざける副次的な効果もあった。
俺はレンガルト王国以外の国からの依頼を積極的に受けて、神雷を使ってあちこちで魔物を狩っている。
その結果、神雷に怯えた魔物が俺が決して足を踏み入れることのない母の故国に逃げ込んでいるのだろう。
「野生の本能で安全地帯を感じ取ったのかな? 大したもんじゃないか。俺の神雷が届かない場所を悟って逃げ込むなんて、魔物の知恵も侮れない」
「神雷……! そうか、やはりお前はエヴァリアの……陛下と娘の間に生まれた子供なのだな!?」
『神雷』という単語を聞いて、マーティス公爵は俺が追放された娘の子供であることに気がついたらしい。
『神雷魔法』はレンガルト王家に代々継承されている魔法であり、王家の血を引く人間以外には使えないのだ。
この魔法に目覚めたことで、俺は自分が母を辱めた王太子の実子であると確信して軽く絶望することになったのだが……それは済んだ話である。
「道理で陛下の若い頃と瓜二つのわけだ……! 貴様が陛下の子であるならば、私の孫であるのならば、なおさらに我が国を救う義務があるはずだ! レンガルト王国に帰って来い、国を救うために魔物と戦え!」
「そんな義務はない。それに行ったこともない場所に『帰る』というのは、言葉が間違っているんじゃないかな?」
「何だと!?」
「母から聞いているよ。貴殿の国の王太子は……いや、国王陛下は母を国から『永久追放』したのだろう? それがどういう意味かわかっているよな?」
永久追放された人間はその国に足を踏み入れることはできない。それは子孫にまで及ぶ刑罰だ。母が永久追放を喰らったということは、法律上、俺もまたレンガルト王国に行くことはできないということになる。
「だ、だが貴様は王家の血を引く直系で……陛下に頼んで恩赦を出させるから、それで……」
「恩赦などいらない。母だってそう答えるはずだ」
「ぐっ……しかし、それでは我が国は……!」
「マーティス公爵殿、貴殿だって母が冤罪を被せられて追放されるのを助けなかったのだろう? その子である俺に救いを求められる立場ではないと思うのだけど?」
「…………」
呆れたように言ってやると、マーティス公爵は苦悶に表情を歪める。一応、自分が恥知らずなお願いをしている自覚はあるようだ。
「それに……神雷魔法を使うことができる人間は貴国にもいるはずだ。俺の血縁上の父である国王陛下。それに叔母上との間に子供だっているんじゃないかな?」
少し前に調べたことがあるが……母の腹違いの妹が王家に嫁いでおり、子供だっているという話だ。
王家の血を継いでいるのならば、もちろん神雷魔法だって継承しているはず。俺がレンガルト王国に行かずとも、そっちに何とかしてもらえばいい。
「……国王陛下に子供はいない。お前の他には」
「…………は?」
「娘の……マリーアが産んだ子供は神雷魔法を継承しなかった。おそらく、王家の血を継いでもいないだろう……」
「それはそれは……」
つまり、浮気相手の子供ということ。これはまたディープな話である。部外者である俺に話してもいいのかと正気を疑ってしまうほどに。
マーティス公爵の目元にはくっきりと色濃い隈があり、頬もやせこけている。さぞや心労が溜まっているのだろう。
王家に嫁がせた自分の娘が他の男の子供を産んでしまった……その事実のせいで目の前の男はさぞや苦しめられているに違いない。
「フンッ……」
だが……同情する気持ちにはなれなかった。
「帰ってこい」とか「恩赦」とか好き勝手なことを言っているが……顔を合わせてから、目の前の男の口からは一言も謝罪の言葉がない。
母が現在、どうしているのかを尋ねてくる様子もないし……正直、今さら自分の祖父であるとは思えそうもなかった。
「それは大変なことだ……とはいえ、やはり俺には関係のない話だな」
前妻の娘である母をないがしろにして見捨てておいて、愛したはずの後妻の娘によって苦しめられている。
自業自得だ。そのツケを俺に支払えとか、無茶なことを言わないでもらいたい。
「魔物の流入については、確かに俺に原因の一端があるかもしれない。だけど……あくまでも依頼を受けてこなした仕事だ。責任を求められても困る。賠償が欲しいのなら、依頼主である周辺諸国に言ってくれ」
「…………」
マーティス公爵は無言。そんな事はできるわけがない。
ただでさえ、レンガルト王国は魔物の被害で弱っているようだし……下手をすれば、周辺の国々から袋叩きに遭ってしまう。
「話がこれで終わりなら、そろそろ帰らせてもらうよ。依頼達成の報告がまだなんだ」
「ま、待て! 待ってくれ!」
ソファから立ち上がった俺に、マーティス公爵が慌てたように言い募ってくる。
「国王陛下には子供がいない。10年ほど前に病に冒されたことで子を授けられない身体になってしまった。マリーアが産んだ子供が自分の血を引いていないことを知り、今は心を病んで臥せっている。お前がレンガルト王国に来れば、次期国王にだってなることができるのだ! だから……」
「いや、知らないって」
縋りつくように叫ぶマーティス公爵に、俺は淡々とした口調で断言する。
「レンガルト王国のことも、アンタや父親のことも知ったことじゃない。破滅するなら勝手にしてくれ」
言い捨てて、さっさと応接間から出て行った。
「うわわああああああ……!」
ドアの向こうから男の泣き崩れる声が聞こえてきたが……構うことなく、廊下を戻っていった。
「待ちなさい、リオン君!」
「ん……?」
受付カウンターのほうに戻ろうとする俺を呼び止めたのは、スーツを身に纏った妙齢の美女。ギルドマスターである。
マーティス公爵との話し合いの最中、ずっと黙っていたはずのギルドマスターがわざわざ廊下を追いかけてきた。
「何か用ですか? まだ応接間にはあの男がいるはずですけど、放っておいてもいいんですか?」
「彼だったら部屋で泣き崩れているわ。面倒だから、そのまま放っておいたのだけど……あなたに話があって追いかけてきたのよ」
「話……? ひょっとして、貴女まで俺にレンガルト王国に行けって言うんじゃないですよね?」
やや警戒しながら訊ねると、ギルドマスターはフルフルと首を振った。
「そんなことはしないわ。冒険者は世界でもっとも自由な者。ましてや、Sランク冒険者であるあなたに、何かを強制なんてできないから」
「それじゃあ、何の用ですか?」
「どうしても、確認しておきたいことがあったのよ……リオン君。あなたは意図的にレンガルト王国に魔物を送り込んだわけじゃないわよね?」
「…………」
ギルドマスターの問いに俺は黙り込んだ。
無言の俺を頭1つ分低い位置から見上げて、ギルドマスターが静かな口調で言葉を連ねる。
「いくら貴方がレンガルト王国からの依頼を断り続けているからといって、国が滅びる規模まで魔物の被害が増えるのは異常なのよ。あの国の冒険者ギルドも対処することができず、レンガルト王国から撤退することだって視野に入れているわ」
「…………」
「リオン君、貴方は依頼を利用して周辺の国々から魔物を追いやり、レンガルト王国に誘導しているのではないかしら? 貴方だけが使える浄化の雷――神雷魔法を利用して」
「……さあ、どうでしょうね」
問い詰める言葉に、俺は肩をすくめた。
はぐらかすような態度にギルドマスターが眉を顰めるが、俺は苦笑して受け流す。
「誓って言いますけど……俺は意図して魔物を送り込んだりはしていません。ただ、レンガルト王国の方角に逃げる魔物をあえて追撃せずに見逃したりはしましたけど……それって別に罪になりませんよね?」
「……貴方は憎んでいるのね。母親に冤罪を被せて追放したあの国を」
「あー……憎しみとはちょっと違いますね。復讐のつもりもないですし」
俺は幼い頃から、母親が悪役令嬢だったという話を言い聞かせられてきた。しかし、母は一度として「復讐して欲しい」などと頼んだりはしていない。
憎むべき男の血を引いた俺を産み落とし、独り立ちするまで育ててくれたことにどんな意図があったのだろうか。それは俺には知る由もなかったが……大恩ある母とあの国を比べてどちらに天秤が傾くかは明白である。
「あの国の王太子……俺の父親である現・国王は母に冤罪を被せて追放した。祖父の公爵は母を助けることなく見捨てて、叔母は母の地位を奪い取った。追放時に留守にしていたという先代の国王や王妃だって、あの男を庇っているのか、冤罪を発表して母の名誉を回復させることはしていない。騎士や貴族は王太子の暴走を止めることなく、国民は国境の外に連行される母に笑いながら石を投げたらしい。あの国に救う価値のある人間なんていない。これくらいの嫌がらせは許されるべきじゃないですか?」
「……そうね。個人的には叱ってあげたい心情なのだけど、罪を犯しているわけでもない貴方を責める権利を私は持っていないわね」
ギルドマスターは物憂げに瞳を閉じて息を吐く。年上の美女の色っぽい溜息である。
「あの国からはギルドは撤退したほうがよさそうね。共倒れなんてしていられないわ」
「……滅びますかね。レンガルト王国は」
「現・国王が心の病で倒れて、王妃が産んだ子は王家の血を引いていない。王妃も外戚である公爵も責め立てられて指揮系統は無茶苦茶。逆転の一手として貴方を迎え入れようとしたのも失敗。国王が使い物にならない以上、魔物に特攻がある神雷魔法を使える人間だっていないことだし……手立て無しね。滅亡は時間の問題よ」
「そうですか……」
「それと……これは言いふらさないで欲しいのだけど、どうやら我が国はレンガルト王国が滅亡するのを待っているみたいなのよね。あの国が魔物に滅ぼされるのを待ってから、魔物を退治して『魔物の巣窟となった土地を人間の手に取り戻す』という名目で占領下に置くことを狙っているようなのよ」
「ああ、それは賢い手ですね。人間同士で戦争することなく土地を奪うことができる」
俺は感心して頷いた。
国家間で戦争を起こせば他の国々から非難を浴びることになるかもしれないが、魔物に滅ぼされた後だったら何の問題もない。
合法的にレンガルト王国の土地を占領下に置くことができるだろう。
「じきにギルドにも魔物討伐の依頼があるだろうから……その時は貴方にも働いてもらうことになるわよ? もちろん、嫌とは言わないわよね?」
「構いませんよ。あの国が滅んだあとだったらいくらでも働きましょう。もちろん、報酬はもらいますけど」
俺は大袈裟に両手を広げて言って、今度こそギルドマスターの前から立ち去った。
〇 〇 〇
それから1年後。ギルドマスターが予想していた通り、レンガルト王国は魔物に滅ぼされることになる。
元々、大量に流れ込んできた魔物への対処に困っていたところ、冒険者ギルドが撤退したのがトドメの一撃になったらしい。
国民は周辺の国々に難民として逃げ込むことになり、かつての母がそうであったように、異国の地で慣れない生活を強いられているようだ。
ちなみに、逃げ出した難民の中に国王や王妃、マーティス公爵の姿はなかった。
逃げ出した難民の話では……魔物の被害に対処できない王家に対して一部の国民が暴動を起こし、城から引きずり出されて責め殺されたようだ。
同情できるような連中ではないが、一応は血がつながった近親者として冥福を祈っておいた。
その後、かねてからの計画通りにリューン王国によって魔物の掃討が行われ、旧・レンガルト王国の領地は占領下におかれることになった。
広大な土地は、魔物退治で活躍した騎士や貴族に分割されることになったのだが……その中で、かつて王都があった国の中心を与えられたのはまさかの俺である。
レンガルト王家の血を引いているからというのも理由にあったが……どうやら、神雷魔法を使うことができる俺を取り込もうと、リューン王国は以前から目論んでいたらしい。
俺はリューン王家の第3王女を妻として娶らされ、『大公』という地位と広大な領地を与えられることになったのである。
「リオン様の妻になれるなんて光栄です! これからよろしくお願いしますね?」
5歳年下のお姫様は以前、犯罪結社に誘拐されたのを助けたことがある少女だった。
それから、ずっと俺に憧れていたらしいのだけど……恐ろしいことに、レンガルト王国占領の計画をリューン王に提案したのは彼女だったらしい。
レンガルト王国からは滅亡前に援軍要請があったらしいのだが、父王に直訴して援軍を派遣しないようにしたのも彼女である。
「だって……リオン様と結婚したかったですし、あの国がお義母様に酷いことをしたのも知っていましたから。どうせ滅ぶ国ですし、私達の未来のために利用しただけですよ?」
可愛らしくはにかみ、頬を薔薇色に染めて言ってのけた彼女に、心から寒気がしたものである。
幼い頃から俺に凄惨な過去を言い聞かせてきた母親もそうだが、やはり女は恐ろしい生き物のようだ。
かくして、悪役令嬢の息子である俺は母親の故郷を支配する領主になった。
別に復讐するつもりはなかったのだが……嫌がらせのつもりで取った行動により、母に冤罪を被せた仇は残らず破滅することになってしまった。
この結果はどこまで母が意図したことなのだろうか。
次に母と顔を合わせたらちゃんと聞いてみようと、俺は心に誓うのだった。
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございます。
よろしければ感想の投稿、☆☆☆☆☆の評価をお願いします。
また、下の作品を投稿いたしましたので、こちらもどうぞよろしくお願いします!
【連載版】異世界で勇者をやって帰ってきましたが、隣の四姉妹の様子がおかしいんですけど?
https://ncode.syosetu.com/n4591hn/