なりたかったもの
幼少期の夢
なまけ者へと化した私であったが、なりたいものだけはあった。
小学校低学年の頃、兄弟にからかわれるストレスか、両親の愛情を得られていないと感じているからか、夜になると稀にてんかん発作を起こした。両親が兄弟に私をからかうことを禁じたので、それが原因だと思っていた。
今になって看護師として客観的に考えてみると、原因は不明である。
母は幼い私の前で言いはしなかったが、てんかん発作に対して世間からの偏見があると思っていた。
私は子どもではあったが、なんとなくそれを察知し病気であることをひた隠しにしていた。
日常は普通に経過したが、内服治療をしていたので時期が来ると遠い病院まで通った。
母は知人から良い先生を紹介されたらしく、私は母との小旅行を嬉しく思った。
先日夫に「内服」と言ったら、分かるように説明してくれと返ってきたので一応念のため。内服治療とは、病気に対して医師から処方された薬を飲む治療のことである。薬は病状によって調節する為通院が必要であり、処方できる日数も限られている。
この時の担当医との出会いは目から鱗みたいなものであった。医師=高圧的なものというイメージを颯爽と変えてくれた。
小さい子どもに対して本当に親身になってくれた。薬も一番副作用が少ないものを出してくれた。後になってニキビと脱毛に悩まされた私だが、今こうして健康で過ごしていられるのだからありがたい話である。
そこで働いていた看護師はひときわ私の目を引いた。私が子どもであったからか慎重に慎重を重ねて血液検査を行ってくれた。忙しくしていてもスマイルで対応してくれた。この時の私は小学校低学年、初めて看護師になりたいと思った。
看護師がどういう仕事をする職業なのか、そんなことは全く知らなかった。ただ純粋に、「あの人になりたい」と思ったのである。
兄弟は私が虚弱体質であったため、「私には無理だろう」と言った。
私は負けず嫌いで反対されると燃えるタイプだったので、看護師になりたいと言う思いはさらに高まった。同時に母には申し訳なく思った。
母は、私にもっとも一般的な人生を歩いて欲しいと言う願望があったようで、将来の話になる度に看護師はちょっと・・・と言うような空気が漂った。
母の心配をよそに看護師に対する情熱が冷めなかった私は、中学の終わりになると友達から得た情報で通信制高校への入学手続きを終えた。