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さよなら△

作者: 天竜川来良

 三つのときから図書館に通い詰めているが、同じ本を取ろうとしてうっかり美少女と手がぶつかる出会いなんて一個もねえよ。

 僕は書架の間に立って小説のタイトルを斜め読みし、物色しながら、隣でみつあみを揺らす年齢不詳図書館員を横目でちらちら見ていた。

 手には軍手、口にはマスク、踏み台の上で、うんしょこらしょと図書を入れ替えている。ばらけた請求記号を元に戻したり綺麗に見えるように本の背を揃えたりする、いわゆる【書架整理】をしているようだ。眼鏡の度が合わないのか、何度も眼鏡を押し上げて本の背、請求記号を睨んでいた。

 特に興味があるわけでもなく、闇雲に、ある一冊を手に取ろうとすると、

 ぱしっ

 と、その司書の左手と当たった。目が合う。踏み台に乗ってるのに僕と視線が同じって、そうとう背が低い。

「あっごめんなさい、この本、位置が違ったから……どうぞ」

「もういいです」

「ええっ!? なんかすいません……」

 よほどショックだったのか、眼鏡の奥の大きな目が見開かれた。近くで見ると相当、分厚いレンズだ。足下が歪むような。

 美少女……いや公共図書館で働いてるからどう考えても10代ではないけれど、童顔だ。三つ編みで眼鏡の司書なんて現世にいたのか。記号みたいな奴だな。○とか△みたいな存在だな。おまけにドジとは……。

これでロングスカートなら完璧だったのに。ぶかっとしたベージュの作業ズボンだ。

 あまりにもその司書がしょんぼりと肩を落として引き下がろうとするので、思わず手を差し伸べていた。

「へ?」

「やっぱ借ります……」

「そうですか!」

 やたら笑顔になって司書が本を渡してきた。受け取るさい、ちらっとネームホルダーを見たら、裏返しになっている。名前わかんねえだろ!

「その作品大好きなんです。だから借りる人がいると嬉しくって……! あ、すいません」 いえ、と適当に言葉を濁して、僕は居辛くなってさっさと退館した。で、けっきょく読みたくもない本を借りて帰宅し今に至る。


気の進まない本のページを開いて読み始める。内容がまったく頭に入ってこない。けれど、じっと読む。他に読みたい本がないからだ。僕は望みの本を全て読み尽くしてしまった。おしりかじり虫ならぬ、本のページかじり虫だ。だから読んだことのない本なら、どんなにつまらなくても興味がわかなくても、読んでしまう。週2日の休日の退屈は、そうやってやり過ごすしかない。一週間分の溜まった家事をまとめてこなして、凝った料理を作ったところで、どうやっても時間は余るのだ。

 さっきのことを思い出す。工場作業のように文字列を追いながら別のことを考える。あの司書。名前がわからないので勝手に彼女を△と呼ぶことにする。きっと△は元文学少女/今図書館司書ドジ娘に相応しい、子のつく名前だろう。読書家の女は美人で子がつくと決まっている。栞子か、読子か、遠子だ。そうに決まってる。△の三つの角がそれぞれを象っているのさ。

 △の推薦図書は、読書界のチーターの僕でさえ速読できなかった。内容が難解というわけでもないのに、集中力が続かず、20ページくらい読むと疲労を感じる。散歩に出たくなり、中断。貸出期限の2週間で読み終わるかな。

 翌日早朝に起きて僕は仕事に出掛けた。通勤時間、休憩時間をあわせると2時間くらいあるので、本が必要になる。鞄には常時、文庫本を2冊。(1冊だけだと読み終わったら困るから)

 隣接市なら貸出カードが作れるため、僕は地元と近隣の二つ、計三の公共図書館を利用している。各図書館からそれぞれ10冊くらい借りて、さらに毎日本屋に寄って1日1冊は本を買う。それでもすぐに手元に未読の本がなくなってしまう。僕の部屋には家具家電より本が多い。僕は小説を読みすぎた。飽くなき興味の進行が、心を飽きさせた。ならなぜ今も本を読み続けているのか? 昔ときめきを感じたからだろう。剣と魔法の冒険ファンタジー。宇宙を舞台に戦争を繰り広げるスペース大河ドラマ。自分の学校とはぜんぜん違う楽しげな学園生活。それらの読書体験が僕を作った。ノスタルジーなどひたりたくないが、そうとしか言えない。その強烈な体験を今も求め、なぞろうとしている。しかし大人になるにつれ感性は古びた絨毯のように摩耗し劣化し、昔感じたときめきが蘇ることはもうない。いまはただ作者の定型文、紋切り型の表現、そしてアヴァンギャルドな型破りの文章・物語にさえも、心底うんざりしている。じゃあ読むなって? ……しょうがないだろう。恋人も友達もいないし他にこれといった趣味もないんだから。

 インターネット上で延長の申請をして更に2週間伸ばし、28日間かけて△の推薦図書を読了した。

 

 いつもおなじ曜日の、おなじ時間。ラジオのパーソナリティのように僕は図書館へ行く。(テレビはほとんど収録だが、ラジオはけっこう生放送だ。生放送のなんともいえない駄目さとグルーブ感が、聴く者にわずかな緊張を強いる。だから若者はテレビ離れし、ネットやニコニコ動画に移行したのかもしれない……)

 図書館員は普通の会社員と違って、毎週曜日でシフトが決まっているわけではないらしい。先々週いたはずの△はどこにも見当たらない。事務室で作業中ということもなさそうなんでわかるんだというと、別に僕が不埒なストーカー行為を働いたわけではない。なぜかこの中央図書館、事務室内がガラス越しに丸見えなのだ。食べ物屋が調理しているところを客に見せるのは分かるが、地味な内部仕事を公開してどうするんだ。設計した人は、他者の視線に晒されてマゾヒスティックな快感を得るタイプなのか? 

事務室内にいたのは、ほとんどが女子だが、△はいない。会話までは聞こえないが、人相は判別できる。

 なんでだよ。

 とはいえ貸出期限は今日まで。館長らしきおっさんのいるカウンターで、本を返却した。公共図書館で毎日大勢の市民と接している△が、一ヶ月も前に会った僕のことを覚えているはずがない。たとえ会っても、いらつくだけだ。 

『あっ、○○さん』

『……ども』

『読みましたか?どうですか?おもしろかったでしょう。いえ、面白いかよくわからなかったでしょう?でもそこがいいんです。おもしろおかしいとか背筋が凍るとか、笑って泣けるとかだけが小説じゃないと思うんです。それで……っ』

『……』

『あ、ごめんなさい私ったら……すみません。好きな本のことになると我を忘れてしまって……仕事に戻りますね』

 などと僕が妄想しているわけがない。……いやしてるし。小説読みとは恐ろしい。無意識のうちに脳内で他人と会話をはじめる。大体最初からおかしい。△が僕の名前を知っているわけない。知ってたら怖い。週に一度、ただ来て本を借りて返すだけで滞在時間五分未満の人間の名前を司書が覚えてたらホラー。利用者の個人情報把握しすぎで問題になるレベル。


 僕が再び△に会ったのは、季節を丸々ひとめぐりする頃。

 桜前線のきざしが見えかくれしているころだ。

 カウンターにいくと、△がいた。分厚い業務日誌のファイルを熱心に読み込んでいる。記憶の中より、頬の輪郭線がほんのり丸くなっていた。

「ひさしぶり…」

 カウンターに返却本を置きながら、僕は思わず口走っていた。やばい。

「へっ? あ、あの、たしかに私、一年ほど仕事お休みしてました。顔覚えていてくださったんですね。おひさしぶりです」

 椅子から立ち上がり、へこへこと△は頭を下げた。三つ編みが揺れる。首からぶらさがっているネームホルダーが揺れる。そこにある名前は、栞子でも読子でも遠子でもなく、それどころか名前に子がついていなかった。一年間の休暇。ジュール・ヴェルヌの小説のように、無人島に流されていたわけではあるまい。休んでいた理由など、おおよそ察しがつく。

 本8冊の他に、僕は長年使った利用カードを差し出した。

「僕、引っ越すんです。明日。だからこれお返しします」

「そうだったんですか……」

 △は笑顔のまま利用カードを受け取って、危なっかしい手つきでパソコンに触り、処理を始める。近隣住民でなければ、この市立図書館はで本の貸出はできない。(閲覧やコピーはできるけど)といっても、引っ越すからといって律儀にカードを返しに来る人は稀だろう。普通はただ自分でカードを捨てて、そのうちに有効期限が切れるだけだ。

「お引っ越しということで、こちらのカードを無効にいたしました。いままでご利用ありがとうございました。また機会があればよろしくおねがいしますね」

 必ず機会はある、という言葉があるけど、機会はもうないのだ。

 永久に失われた。

 僕の引っ越し先は、この町からずっと遠くだから。

 

 △が長い休暇に入らずに、僕と彼女がもっと早く話せていたならば。この引っ越しをしなくてもよかったのかもしれない。でもそんなこと、もう考えても詮無いのだ。△の推薦図書は実を言うととてもおもしろかった。なかなか読み進められなかったのは、一文ずつの情報量がひどく多いせいだ。久しぶりに小説の世界に酔った。

現実はやっかいだ。僕は大人になってしまったけれど、ほんとうは物語の主人公になりたかったのだ。けちをつけながらも読まずにはいられない。いつかどこかで、『はてしない物語』みたいに本のなかに吸い込まれて、自分だけの秘密の冒険をしたかった。

 そろそろ、時間だ。

さよなら△、僕は僕なりに自分の物語を紡ごうと思う。

 コールドスリープの装置の中で、僕はそっと目を閉じた。

 願いは一つ。長い夢が見たい。

 




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 黒い紅茶(http://tenryugawa.web.fc2.com/)無料配布 発行日2014/2/2 コミティア107

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