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第一話 願いを叶える日(前編)

「だから、電気つけっぱなしで寝るなって何べん言ったら分かんだよ!?」



日がのぼるのが早くなった夏の朝、一軒家の中で怒鳴り声が響く。

まるで子供を叱る母親のようなことを言っている声は男のものであり、しかも若々しい。



「ああ、また同じ過ちを繰り返して申し訳ない康介! けど母さんが暗いのが怖いってことはお前も知っているはずだろ? それに俺も三日間の出張で恋しくて恋しくて……」


「もう、あなたってば本当に情熱的なんだからあ……。ねえ、もっとこっちに来てえ?」


「はっはっは、苦しゅうないぞ、もっと近う近う」


「息子の前で乳繰り合ってんじゃねええええええええええ!!! だいたい親父はあと20分で家出ないと間に合わないだろう!? いいから朝飯食え! 今すぐ起き上がらないと顔面に焼きたてのオムレツぶちまけんぞ!!」



黒い詰め襟の制服をまとい激昂して叫んでいる少年の名前は、桶屋康介おけやこうすけ。彼が仲の良すぎる父母の世話を焼くのは今日に始まったことではない。



「ぬう、実にいかんな康介。朝からそんなに大声で叫んだら近所迷惑だろう。俺が悪いのはその通りだが、お前は少し周りのことも考えなさい」


「俺が部屋篭るなり延々イチャついてた親父に言われたかねえよこの万年思春期が!! 昨晩誰のせいで眠れなかったと思ってんだ、あぁ!?」


「何っ!? そうか康介も思春期だものな、やはり母さんに恋してしまったのか! ぬうう、いかんぞ康介、いくら母さんが魅力的だからといって親子間の恋は父親として絶対に許すわけにはいかん! 構えろォ康介、例え我が自慢の息子だろうと母さんは渡さんぞおおおお!!」


「服を着やがれクソ親父いいいいいいいい!!」



裸で息子に飛び掛かる夫を、妻は掛け布団に包まって寝転がり、微笑みながら見つめていた。



「母さんも笑ってねえでこのゴリラを止めやがれええええええ!!」


目覚めたばかりだとは思えぬテンションの中、桶屋家は今日も何とか朝を乗り切っていく。



「ったく、今更子供なんざ作ろうとすんなよな……。もう母さんも若くねえんだから、高齢出産なんざ面倒見切れねえぞ」


「何を言っているんだ康介! 妹が欲しいと言っていたのはお前だろう!」


「もう10年前のガキの頃の話だろうが! お前らが年中イチャつく理由をいつまでも俺のせいにすんな!!」


「なっ……父さんと母さんに向かってお前とは聞き捨てならん! そこに直れ康介! 親しき仲にも礼儀あり、今日という今日こそ親に対する口のきき方というものを教えてやる!」


「笑わせんな! 自己管理もできねえダメ親父の説教なんざ聞いてたまるか!! ああもうこんな時間じゃねえか、学校行ってくるぞ!」


「あ、待ちなさい康介! お願いだから、せめてこれだけは答えてくれないか!?」


「……何だよ」



この自重しない父親が譲歩することは珍しい。康介は違和感に思わず足を止める。

目が合うと、父親は息子に一つだけ問うたのだった。











「妹の名前は何がいい!?」


「お前もうくたばれ!!」

捨て台詞に暴言を吐くと、康介は荒々しく玄関から飛び出していった。



「むむ……、今何か悪いこと言ってしまっただろうか?」



顎を撫でながら父、桶屋拓海おけやたくみは首を傾げる。



「……ねえ、あなた」


「ああ冗談だとも、ちょっとデリカシーなかったかなあとは俺も思って、……どうしたんだい?」



慌てて取り繕うように言って振り向いた拓海は、影の差した顔で俯く幸子を見た。



「康介、本当に気が付いていないと思う?」



拓海から、おどけた笑顔が消えていくのを幸子は最後まで見られなかった。黙って、拓海は彼女に背を向けたからだ。


幸子は構わず話を続ける。



「あの子だってもう16歳なんだし、あんなにしっかり者なんだから、私達が黙っててもいつか……」


「……その話はよそう。康介が知っても知らなくても、あいつが私達の宝であることに変わりはないさ」



と言いながら、拓海は背広を整え靴に足を入れる。


妻は玄関前まで、彼に律儀に付き添っていた。



「行ってくる。今日は、早く帰ってくるよ」



幸子の頬に口づけて、拓海は玄関を後にする。自信に満ちた爽やかな笑顔はいつもと同じだった。


会話や行動には些か常軌を逸したところもあるが、軸で見れば朝からの出勤・通学というありふれたもの。


今朝の桶屋家の日常は、未だ平凡に回っていた。









「はい、そこまでー。後ろの奴解答集めてこーい」



この日、康介が通う高校は中間試験の最後の日であった。


今、この1-Dでその中の最後の教科が終わったところである。


生徒が各々突っ伏したり伸びをしたりしている中、康介は机に頬杖をついて呆けたように黒板を眺めていた。



「初日のテストはもう採点終わってるから返していくぞー。まとめて渡すから番号順に取りにくるように。相沢ー、芦川ー……」



すぐにホームルームが始められるようにという配慮か、最後のテストの試験官役は担任の井戸先生であった。現国教師も勤めている年配の男であり、そこそこ背が高くてっぺんだけ禿げた頭が目立つため、人混みの中でも見つけやすいと密かに言われていたりする。



「……大野ー、桶屋ー、缶田ー、」



丸とバツで埋まった計三枚の解答用紙を手にすると、仲の良い者同士はそれを種に喋り始める。




「桶屋! 英Ⅰの試験成績にて真剣勝負を申し込む!」




康介より先に受けとっていた少年が、自分の解答用紙を持って席に戻ろうとする彼の前に立った。

「俺が勝利したあかつきには二丁目のラーメン屋にてネギラーメンを所望する!」


「分かったから、そこ退けよアシガル」



うっとおしそうに康介は、不適な笑みを浮かべる少年のあだ名を告げる。


後ろで小さく結び垂らした髪型がトレードマークである彼の本名は芦川吉郎あしかわ よしろう


康介とは幼稚園からの腐れ縁であり、親友と呼んでいいほどには交流の長い間柄。この時代遅れなんて程度ではない口調も昔からだった。


人懐っこい性格と突き出た額を強調するようなオールバックの髪型で、猿に例えられて軽口をたたかれることも少なくない少年である。



「ふっふ、『足軽』か……そう呼んでいられるのも今のうちだ、おぬしはこれからは敬意を込めて俺のことを『将軍』と呼ぶことになるだろう! 中間テストでの完全敗北から早二ヶ月。完徹で臨んだ俺に敵うと思うてか!? さあ、おぬしの悲惨たる答案をここに曝すがよい! ふはっはっはっは!」


「じゃあ先に言っておくぞ。俺は平均超えた」



魔王のように高笑いする吉郎が、そのままの顔で停止した。



「……う、嘘をつくでない! そ、そうか、なるほど本当のことなどとても言えぬほど酷い……」



また何か都合よく解釈しようとする吉郎の前に、康介は堂々と答案を広げる。


それを直視した吉郎は身を乗り出して一字一句確かめるように凝視するが、次第に顔を青ざめさせていった。



「……おい、大丈夫かアシガル」

「な、何をう! お主に心配される俺ではないわあ! み、見ていろ、今ここでお主が目を瞠るほどのげ、下剋上をだな…」


「手え震えてんぞ。……別に見ねえよお前の成績なんざ。勝負のことも無かったことにしてやるから」


「やめろォ! 情けをかけられ引き下がる俺ではない! ぶ、武士道とはっ、武士道とは死ぬことと見つけたりいいいいいい!!」


「だから見せんでいいと……うわ、何だこりゃ。お前なあ、こんなヤバい点でどうして勝負しようと思ったんだ? ……まあ大方、自分がこんな点なんだから俺はもっと酷いだろうとでも思ったんだろ?」


「ぐはっ……、とどめの台詞まで中間テストの二の舞とは……」


「芦川、黙って席につけ。お前が静まらんとホームルーム終われん」



井戸先生が最後にそう指示するのを合図にしたように、彼らの賑やかなやり取りは終を告げた。



「えー、今日は注意事項を一つだけ伝えてから解散ということにする」



井戸先生が教壇の前に立ち、帰りのホームルームが始まった。



「ここ一週間、近辺の岩名工業高校の生徒がカツアゲなんかで連日補導されていてな、気を付けるよう警告するようにと上に言われたんだわ。遊びたい盛りのお前らに夜出歩くなとは言わねえが、その代わり被害を受けた奴の面倒は見ねえから言っておくぞ……。あー、今日欠席しやがった奴のことは知らん、誰か伝言頼むわ」



口が悪く、いい加減とも取れる物言いも多い井戸先生は、保護者からの評判はあまりよくなく、一部の生徒にも悪口を囁かれている。


しかし、思っていることを正直にぶっちゃける人柄が魅力的なのか、彼を慕う生徒の人気もまた根強い。集会の演説中に居眠りする康介も、彼の話は嫌いではなかった。



「っとまあこんなとこだな。明日、全学年での大掃除やるらしいから今日は掃除当番も含めて全員帰ってよし。それじゃあ解散!」


テスト期間内は余程気合いを入れて優勝を目指したりしていない限り、どこも部活動は休みだ。


ホームルームが終わって解散になった時刻はもう昼で、生徒たちは教室で弁当を食べるか学校を出るかのどちらかに分かれる。もっとも、帰宅部の康介と吉郎には部活動云々の話など関係なかったが。






「いいのか? 別に俺は奢ってくれなんて言ってないぜ?」


「何、我が家は由緒ある家系ゆえ、富には事欠かぬのさ。それに今宵は稽古も無い」



学校の生徒の間で言われる『二丁目のラーメン屋』とは、商店街付近で安さと早さをウリにして営業しているラーメン屋のことを指す。


康介と吉郎はそこで昼食をとることにしたのだが、吉郎が今回のテストで負けたことを理由に康介の代金も持つことを申し出たのだ。



「っつーか、金があるなら始めから俺に奢らせなくていいじゃねえかよ」


「何を言うか! お前を負かして奢らせる行為そのものに意味があるのではないか!!」



吉郎の家はある抜刀術流派の家元の家系らしく、彼が住んでいる邸宅は武家屋敷のように古風だが非常に広い。


要するに吉郎は名家の御曹司という立場なのだが、彼が人より金を浪費する姿は長い付き合いの康介もほとんど見たことがなく、そういった意味で嫌味な印象を持ったことはない。せいぜい今日のような勝負事で負けた時の代償支払いくらいのものだ。



「いまさらのことで失礼かもしれないけどさ、居合切りって武道の中じゃ剣道以上に実用的でない気がするんだが」


「敵に得物を抜かせず戦わずして勝つのが居合の本領なのだから、そう思われることも無理はなかろうよ。……しかし、経験を積めば他のどの武道にも見えぬ唯一無二の境地がある。これは何度も言ったが康介、稽古の見学や体験はいつでも受け付けておるぞ」


「前にも断ったし今も変わらねえよ。俺にゃ帰るべき家がある、俺がいねえとバカ親父がやりたい放題しやがるからな」



康介がそう答えた頃、二つの丼が目の前に運ばれてきた。



「へい、味噌ラーメンとネギラーメンお待ちど!」






昼食が終わると更に仲間を呼んで街に繰り出し、テスト終了の打ち上げと称してカラオケで歌いまくった。勿論、日没までに帰るなんてことはなく、ネオンの輝く頃にようやく解散となった。学校での井戸先生の忠告が頭に過ぎりはしたが、帰り道は問題の岩名高校がある場所とは反対なのであまり気にとめなかったのだ。


だから、今彼が家路を急いでいるのはそんな理由ではない。解散直後に携帯のことを思い出し、見れば母親からのメールが数件たまっていたことに顔を青くした康介は焦っていた。車一台がかろうじて通れる程度の道路を早足で進んで家に向かう。


……だが今、彼は足を止め、電柱の死角に身を潜めるはめになっていた。



(……おいおい、何だよこんなときに限って!!)



しかし、痺れを切らして地団駄を踏むわけにはいかなかった。音を立てて気が付かれたら大変なことになる。


数は三人。


平均よりやや高めの身長の男が二人、猫背気味の大柄な男を挟むようにして立っている。


三人そろって着ている少し緑がかった紺色の詰襟は、ここらじゃ岩名高校、通称イワコーの学ランしか有り得ない。


武術を習ってるどこぞの悪友なら何とかするのかもしれない。しかし、万年帰宅部でろくに習い事もしていない康介には逃げる以外の手段がなかった。


そう、彼らが駄弁っているだけなら今のうちに引き返し、別の道を通っているところだった。



(……でも、このままじゃ、あの子が! 確か、缶田さんって名前だったよな……?)



そう、問題はその三人の男が取り囲んでいる、一人の少女の存在であった。


白地に紺色の襟、白いタイというありきたりな意匠のセーラー服は、まさしく康介の通う澄田高の所属を表すものである。


墨を零したような黒いおかっぱ頭の髪とシンプルな黒の細ぶち眼鏡、ぎりぎり標準身長の康介の顎下くらいしかない、女子にしても小柄な体躯。


元々口数が少ないのもあって彼女のことはよく知らなかったが、出席番号が自分のすぐ後だったので全く覚えていないというほどでもない。


とにかく、同じクラスの少女を放ってただ逃げ出すことを彼は躊躇ったのだ。正義感は強くないが、何もせず見捨てるのは寝覚めが悪すぎる。


(そうだ、警察! 先生も補導がどうとか言ってたし、無難だよな!)



自分に出来ることを思いついた康介は、早速ポケットに入れた携帯に汗の滲んだ手を伸ばす。



「オメー(お前)、なんで呼び出されたか分かってるよな?」



隠れた少年が110の番号を指で辿っている頃。真ん中に居る大柄な男が、少女を見下ろしながら切り出していた。


色褪せ半端に伸びた茶髪と色味の被る日焼けした肌には、赤い擦り傷や痣が生々しく残っている。物騒な噂の絶えない岩名工業高校で、この男もまた騒ぎの渦中とは無縁でないようだ。


能面の逆と言うべき彫の深い顔立ちで、顎を引いて睨みを利かせる様は迫力がある。


だが、少女は細目がちな目をぴくりとも動かさず、感情の読めない素の表情で男と視線を合わせていた。



「……なあ、化津かづさん。こんなこと聞くの今更なんスけど」


「何だ?」



大男の右隣に居たスキンヘッドの男が、恐る恐るといった様子で尋ねた。


髪どころか眉もすっかり剃った、白目の目立つ小さな瞳の彼も、睨みを利かせればそれなりに恐ろしげな容貌になるだろう。しかし、機嫌を伺いつつ話しているせいで、今の彼に大男のような迫力はない。



「あの、ホントにこの子ボコる(殴る)んスか? 何つーか……ムカつく奴はそりゃ俺も蹴っとばしますけど、スケ番でもねえ他校の女子とか謹慎じゃすまねえっスよ。センコー(先生)とかには俺ら嫌われてナンボっすけど、これはなんか違う意味でヤバいっつーか……お、男としてど、どうなんで、しょうかって」



もう一方の金髪ロン毛の軽薄そうな男も、緊張した様子でそのやり取りを見つめている。この二人は大男より低い立場らしかった。



「馬鹿ヤロー、だからお前らは帰れっつったろーが。そりゃ喧嘩も知らねえ女を痛めつけるなんざ、ゴミ以下だってオレも分かってんだ。……けどよ、コイツは俺の「女」に手え出しやがったからな。これは俺のメンツがフンまみれになっても、通さなきゃなんねえスジなんだよ」



大男はこの唾棄すべき行いを、並みならぬ決意の上で始めようとしているらしい。


衝動的でない分、何があっても思いとどまりそうになかった。


「そう。アレって、そんなに大切なものだったのね」



怯えも苛立ちもない、静謐な水のように透き通った声は少女のものだった。


地味な容貌、感情の無い顔、そしてこの声もまた、クラスメイトでも名前が曖昧になるほどの彼女の希薄さを際立てている。



「ああ。邪魔されねえところで大切に愛でてやるつもりだった。お前が、……お前がそれを文字通り踏み躙りやがった。言い過ぎじゃねえよな? 何か間違ってるなら言ってみろよ」


「うん、間違ってない。あの時、あなたには、酷いことしたと思ってる」


「分かってんなら話は早え。オメーの潔さに免じて一発で済ましてやるが、加減はしねえ。俺は岩名高校三年、化津黄太。後でこの名をチクるなり好きにすりゃいいさ」



康介の通報が済んだのは、化津がこう言って一歩踏み出した頃だった。



「……はい、間違いないです。すぐに来て下さい……はい、お願いします」



こう言って電話を切るまで彼らにはバレなかったものの、意味がなかったのでは、と康介はこの時点で後悔し始めていた。直ちに地元の交番から白バイで飛ばしてきたとしても、少女が傷つけられるのを防ぐのにはとても間に合わない。


そっと様子を伺えば、既に大男は息を整え、棒立ちになっている少女に狙いを定めて拳を引き絞っている。


見ていられない、と自分の心に素直になって康介は目を背けた。


たとえ止めに入ったとして、相手は三人。自分では大男の舎弟らしき二人のうち一人も止められず、少女が逃げる囮にすらなれる気がしなかったからだ。


だから仕方ない、と自身に言い聞かせる。



(そうさ。考えなしに飛び出しても、何も出来なきゃ同じなんだ……)



――怖気が走るような静寂の後、コンクリートに叩きつけられるような鈍い音が康介の耳に届いた。


「……?」



正体が何かを考えたくないような音に、目元を歪めた康介。


しかし、彼はその直後に伝わった低い呻き声に、想像と違う何かが起きたことを感じ取った。



「悪いけど。……私も、仕方無かったの」



喧嘩慣れした男の拳を受けたはずの少女の声は、ちっとも痛がっていない。


なら、今倒れたのは? と考え、先の呻き声を思い返す。


あれは紛れも無く男の声だった、と。



「――化津さん!?」


「――っっっのアマァァァァァ!」



驚愕し憤る男達の声で、倒れたのがどうも一番手ごわそうな化津という男であるらしいと知る。


そして、男達の声も低く呻いたのを最後に、二度としなかった。


有り得ないと思った康介がとうとう辛抱できずに物陰から覗き見ると、そこにあるのは直立する小柄な少女の後ろ姿。


彼女の足元に転がる三人の男――。


というところまで確認した康介は素早く体を物陰に引込める。びっしりと額には脂汗が滲み、心臓の鼓動が早くなっていた。



(……いや、ねーよ!? 何の冗だ……)



見てはならないものを見てしまったような罪悪感は、すぐに恐怖へと変わる。



(だ、大丈夫だ問題ない! あたかも偶然今来ましたっていうモーションで接近して「すっげえ! 缶田さんって喧嘩強いんだなー!!」ってスーパー爽やかに話しかければ万事解決! でも残念ながら俺そんなキャラじゃねえ!)



音を立てないよう慎重に深呼吸して、じっと彼女がここを立ち去るのを待つ。



(忘れよう、決定忘れよう! 何も見なかった今日の俺は道端に転がる石ころ坊主! 仏にゾッコン南無阿弥陀仏!)


「出て来て。それで隠れてるつもりなの?」


(救いは無いんですか!?)



しゃくりあげるような高い音が、危うく喉から飛び出すところだった。


折角落ち着けようとした心臓が、かえって早く脈打っていく。


一体どこでばれたんだ、とこれまでの出来事を早送り再生して考える。そんなことをしても意味がないと分かっているのに止められない。そのぐらい康介は動揺していた。



「邪魔は片付いた。だから、早く出て来て」



ここまで終始声に感情を感じられないことが、さらに恐怖を掻き立てていく。もはやふざけたテンションでごまかすことすらままならない。


喜怒哀楽が読めない以上、出ていけば何をされるか分からず恐ろしい想像しか出来ない。どんな方法か知らないが、相手は不良三人をあっさり倒してしまうような少女なのだ。


歯を鳴らさないようしっかりと食いしばり、下手に音を立てぬよう過剰に体を硬くして息を殺す。


逃げても隠れても無事では済まない、康介がそう確信し絶望した直後……。



「――アら、お気ヅキでシタのね」



片言の外国人を想起させる、不安定で聞き辛いアクセントの女の声。


どうやら自分の事ではなかったらしいとホッとした康介は、今のおかしな状況について落ち着いて考えることができた。


そこにいたのは、男三人と少女一人だったはずなのである。



(誰だ? 缶田さん以外に女はいなかったはずだ)



自分と同じように、隠れている人がいたのだろうか。と至極無難な推理をした康介は、


――チャプン、と水の跳ねる音を聞いた。



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