蒼鬼さまの幼少期
いつだったか活動報告に載せた、短い小話です。
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「エル?
エル、いないの~?」
そう声を上げたのは真っ白なエプロンに身を包んだ、小柄で可愛らしい女性だ。小鳥がさえずるような声で息子を呼んだ彼女の名は、ラエスラズリエル――――この国の、元王女様である。
エプロン姿の彼女はお玉を片手に厨房から出てくると、ただっ広いリビングで本を読んでいた息子を見つけて頬を膨らませた。
「ちょっと、いたのなら返事くらいしなさい」
すると息子のシュバリエルガは、緑色の瞳をついと上げた。
「……あ、すみません」
台詞が完全に棒読みである。
「何か用ですか、母さん」
「あのねぇ、エル」
母親相手に愛想がないのは、男の子だから仕方ないものだろうか。否、そんなわけがない。ご近所にいる息子と同じ年くらいのご子息達は両親をパパママと呼ぶし、恥ずかしそうでもない。
そんなことを考えた母は、むっすりしている息子に言った。
「母さん、じゃなくてママでしょ?
この際だから、お母様でも良しとしますけど」
「お断りします。
もう8歳ですよ、そんな年じゃありません。
……またアッシュやジェイドにからかわれるじゃないですか」
ちょっとばかり語気を強めた彼に、母がまた頬を膨らませる。
「いいじゃない、言わせておけば。
わたしはまだママって呼ばれていたいのよ」
「呼びません。
……っていうか、何か用があったんじゃ……?」
断固として首を縦に振ろうとしない彼は、ふと気づいた。そういえば母さんはどうしてお玉なんか持ってるんだろうか、と。
そして、王立図書館から借りてきた大事な本をテーブルの上に叩きつけた彼は、勢いよく立ち上がった。めずらしく顔が強張っている。
「母さん、もしかして鍋を火にかけてますか?!」
「……あっ、そうそう。味見をしてもらいたくて。
今日はあの人が視察から帰ってくるでしょう?」
うふふ、と小首を傾げた母親の脇をすり抜けて、彼は走った。そして慌てて入った厨房で、がっくりと肩を落としたのだった。
焦げてしまった母の愛は、ひと晩水に浸けておかないと剥がれなさそうだった。
「――――そんなわけで、俺は料理も身につけようと心に誓った」
「そ、そうなんだ……不幸中の幸いだね……」
軽い気持ちで「シュウは、誰に料理を習ったの?」なんて尋ねたことを後悔したミナなのだった。




