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【後】これは三角関係ですか? いいえ、違います。(ミナ&シュウ&院長)








シュバリエルガが一心不乱にかき混ぜているスープを覗きこんで、ミナはこれでもかというくらいに喜んでみせた。


「わぁっ、いい匂い!」


手まで叩いたのは、ちょっとやりすぎたか。彼女は眉根を寄せたままの夫の顔を窺って、そんなことを思う。

すると起きてから時間が経っていないはずなのに、もうお腹の虫が騒ぎ始めた。きっとミネストローネがあまりに美味しそうな匂いを漂わせているせいだ。


「ごめんね、作らせちゃって。

 でも、ありがとう」


邪魔にならない程度に、ぴたりと寄り添って囁く。

すると、不機嫌そのものだったシュバリエルガが身を屈めた。その手が、顔を洗った時に少し濡れたミナの前髪を掻き分ける。そして彼女が何をしているのかを問うよりも早く、額に口付けた。


「……えっ、あっ、ちょっと何して……!」


ミナは掠め取るような仕草に狼狽しつつ、シュバリエルガの腕を叩く。が、騎士団で剣を振っている腕は鋼のように固い。だからいつも、こうして肉体言語で抗議をしても無駄に終わる。今朝もシュバリエルガは、新妻が顔を赤くして唸っているのを楽しそうに眺めたのだった。

一方で肩をぷるぷる震わせていたミナは、とりあえず夫の機嫌が多少は持ち直したらしいことを感じ取って内心で溜息をついた。夫の母親である院長には、“息子が幸せな新生活を送っている”と思ってもらいたいから。






熱々のスープを3人分と、フルーツ。それから院長が大通りで買ってきたというサンドイッチ。それらを並べたテーブルは、普段よりも華やかだ。

ミナは向かい合って座る院長を眺めて、感慨深げに口を開いた。


「なんだか、孤児院にいた頃のことを思い出しますねぇ……」

「朝は一緒に食べることが多かったわね。懐かしいわ~」


言いたいことを汲んだ院長が頷いたかと思えば、ちらりとシュバリエルガに視線を走らせる。遠慮して、ではない。これから言ってやるぞ、という意思表示である。


「気が向いたら、またいつでも帰ってらっしゃいね。

 子ども達も喜ぶと思うわ」

「はい」


母親の口の端の上がり方がどこか意地悪く見えるのは、おそらく気のせいではないだろう。シュバリエルガは食事の手を止めた。スープを掬っていたスプーンが、ただの木片になる予感にか細い悲鳴を上げる。

そんな夫の変化に気づくはずもないミナは喜んで頷くと、しばらく会っていない友人のことを思い出した。


「あ、アンにも声をかけてみようかな……」

「そうね、それがいいわ」


そこまで言うと、院長は唇を引き結んでいるシュバリエルガに目を遣った。そして、嬉しそうに口を開く。


「アンが一緒なら、あなたも安心でしょうし。ね?」

「え?」


にこやかに同意を求められた彼の目が険しくなる。

自分抜きで?……そんなこと出来るわけがない!

そう思い切り否定してやりたいけれど、そうすればミナが嫌がるかも知れない。妻はあの赤毛の小生意気な娘が好きだ。かといって賛成してしまえば、なし崩しだ。それも困る。


一瞬のうちに考えを巡らせていると、ミナが小首を傾げた。


「……えっと、アンと一緒だったらいいかな?」


そのまったくもって悪意の欠片もない顔に、思わず見惚れてしまう。反対なんてされるわけがない、と信じ切っている顔だ。

これはもう頷くしかないか、と半ば諦めの気持ちで眉根を寄せた時だ。視界の隅で母親が満足そうに微笑んでいるのに気がついた。

シュバリエルガの口から、小さな溜息が零れる。どうやら里帰りの件は、自分抜きということでまとまってしまったらしい。




子どものような母親に張り合うなんて馬鹿げてる。

そう思い直したシュバエリエルガは、素知らぬ顔で食器を片づけ始めた。もちろん母親の視線には気づかぬ振りをして。

すると、腰を上げたところでミナが彼の動きを制して言った。


「あっ、私が片づけるからシュウはのんびりしてて。

 せっかくお母さんが遊びに来てくれたんだし!」


どういうわけか得意顔である。妻の心の内はまったく分からないけれども、何か良いことをしているつもりなのだろうか。いい年した男に母親とふたりで寛げ、だなんて……。

思わず片づける手を止めて、その顔を見つめてしまった。つい訝しげに目を細めてしまうのは仕方がない。



一方で“お母さん”という単語に目を輝かせたのは院長だ。

彼女は、実は娘が欲しかった。というのも、年を追うごとに強く大きくなっていく息子があまりに無愛想だから。

……いや、息子のことは頼もしく誇りに思う。決して可愛くないわけではない。が、それはそれ。これはこれだ。


そんな大した事情でもない事情があり、ミナに養女にならないか、話をしようと思っていた矢先のことだった。

運良く親族になれた。なんという棚ぼた。ふたりが“つがい”になったのだと知って、思わず息子の頭を撫で回しそうになった。

そして同時に謝りたくなった。あまりにも愛想がなく女性を避けるように騎士団の仕事に没頭していたものだから。てっきり男性の方が気が合うのだとばかり。

……こんなことを謝ったら間欠泉のように怒りが噴出するだろうから言えないけれど。


ともかくである。

院長は義理の娘がごく自然に“お母さん”と口走ったことに感激して、両手をきつく祈るように組んだ。そして、痛いほどの視線をミナに向ける。

さあもう一度“お母さん”と呼んで頂戴!

期待に満ちた瞳が、そう叫んでいた。



すると院長の胸の内などこれっぽっちも知らないミナが、小首を傾げて言った。

嬉しそうに楽しそうに、けろっと。


「“院長”もシュウとのんびりしたいですよね?

 親子なんだし、積もる話もあるだろうし」




そのあと。

片づけを済ませて食後のお茶を淹れたミナが見たのは、ラグの上で膝から崩れ落ちるようにして座り込んでいる院長の後ろ姿と、素知らぬ顔でソファに腰掛け、借りてきた本をパラパラ捲る夫だった。





そして数日後、ミナの里帰りが実現することになる。

もちろんシュバエリエルガは余裕の笑みで送り出した。


見送りの時に「気が向いたらでいいから、あの人を“母”と呼んでやってくれ」と囁いたのは、勝者の余裕が成せるわざである。









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