秘密の1日(春を運ぶこかげの花より)
このひとつ前の小話から、時間が流れたある日のお話です。
脇役さんたちの名前を簡単に紹介しておきます。
「ヴィエッタ」
白の騎士団副団長。ジェイドの妹。すんごく強くてクール。というか怖い。でも誰かさんにはメロメロで甘い。そういうところ、ジェイドさんによく似てます。
「オーディエ」
皇子様。1周年記念の連載で、つばきと関わりが。思春期を拗らせた皇子様だったけれど、今は素直な良い子。
「ミエルさん」
焼き菓子店の女性店主。こかげ本編後日談にて、つばきの雇い主になりました。
「リスさん・クマさん・家令さん」
屋敷の使用人。つばきが名前を覚えずに勝手にそう呼んでます。
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体が重たい。沼地に足を取られてるみたい。
残念だけど、ちょっと忙しくしてる間に体型が変わっちゃったらしい。
……ダイエットしなくちゃ。
しばらくカップケーキを断つ決心をしつつ、音を立てないように階段を駆け下りる。玄関にある姿見の前でひと回り。
変なところがないかチェックした私は、こっそりドアを開けた。
滑るように外に出て、目の前に停まっている車の後部座席に乗り込む。
……ここまでは計画通り。
よし、と心の中で頷いた私は、運転手さんに目的地を告げた。
「あの、急にごめんなさい。
大通りにある、大きい本屋さんまでお願いします」
早口に捲し立てた私が、いつ発車してもいいようにシートベルトを締めていたら、ふいに運転手さんが振り返った。
「かしこまりました……奥様」
彼の見せた満面の微笑みに、私は絶句した。
「こら。息を吸いなさい、息を」
呆れ顔で言われて、はっと気づく。びっくりして、思わず息まで止めていたらしい。
ぷはっ、と息を吹き返した私は、ぷるぷる震える指を突き付けた。もちろん、にこにこしている彼に向かって。
「なっ、ジェイドさん……?!」
かろうじて唇を動かした私に、運転席から体を捻って振り返った彼が苦笑を浮かべる。私がびっくりしてるのを見て、ちょっと楽しそうでもある。
「屋敷の者が、私に黙っておくと思ってたんですか?
まったくもう……油断ならないですねぇ」
溜息混じりな言葉の裏側に、お小言の雰囲気が漂ってる。
私は思わず唇を尖らせた。
「協力してくれる、って言ってたのに。
クマさんもリスさんも、あの家令さんだって……!」
「それは仕方ないでしょう。
私は彼らの雇用主なんですから……。
そもそも彼ら、“黙っておきます”とは言ってないそうですよ?」
「う……っ」
動く気配のない車の中で、しっかりシートベルトを締めてる自分。屋敷のみんなが神妙な顔で頷いたのを信じた自分。どっちも滑稽だけど、何より滑稽なのは……ジェイドさんを出し抜けると思っていた自分だ。
「ジェイドさん……怒ってる……?」
私は肩を竦めた彼の顔を上目遣いに見つめて、こわごわ口を開いた。
「ひと言相談してくれたら良かったのに、とは思ってますよ」
苦笑混じりに小首を傾げた彼が、助手席をぽふぽふ叩く。
「……とりあえず助手席においで。
本屋さんに行きたいんでしょう?」
助手席に移った私がシートベルトを締めるのを見て、ジェイドさんがアクセルを踏む。お尻に響く重たい音が、車が進むごとに軽くなっていく。
私は、何食わぬ顔でハンドルを握る彼を見つめていた。
計画が失敗に終わったことに、しょんぼりしながら。
するとジェイドさんが、前を見据えたまま口を開いた。
「それで、私に秘密で何をしようとしてたんです?」
夫であるジェイドさんは最近、すこぶる調子が良い。目の下のクマも薄くなった。
陛下を支える補佐官という職の大変さは、ディー……オーディエ皇子が副補佐官に就いたことで、かなり軽減されたらしい。
副補佐官なんて役職は、彼のために作られたそうだ。それまでも陛下のお手伝いはしてたみたいだけど、そのままにしておくと周りが取り入ろうとするみたいで。
まあ、そんなことがあって。今のジェイドさんは仕事が減って時間が出来て、家にいる時間が長くなった。料理に園芸、家庭菜園にまで手を出してみたりして、急に多趣味になった。
若干だけど、補佐官の仕事を一手に引き受けてた頃よりも忙しそうではある。
……他にも構ってるモノがあるし。
とにかく、今のジェイドさんはものすごく充実してる……と思う。
きっと今日は仕事をディーに丸投げしたんだろうなぁ……。いろいろ負担してもらってることだし、カップケーキを作って差し入れでもしようか。
ハンドルを握っているジェイドさんを見つめて、私はそんなことを考えた。
「……えっと」
少しの間上の空になっていた私は、ジェイドさんに呼ばれて慌てて口を開いた。
「あの子たちに絵本をプレゼントしたくて」
……それだけじゃないんだけどさ。
「私だって、あの子たちの親です。
ひと言相談してくれれば、あの子たちも連れて……」
心の中で呟いていたら、彼が間髪入れずに言った。
途中で言葉が萎れてしまったのは、黙って出かけようとした私にガッカリしたからなのかな。ちょっと胸が痛む。
そんなことを考えていた私を一瞥して、彼が眉根を寄せた。
「……もしかして、怒ってるんですか?」
「え?」
思わず小首を傾げれば、ジェイドさんが言いづらそうに口を開いた。
なんだか斜め上な会話になりそうで、もう窓の外なんて見てられない。
「いえその……。
私があれこれ買い与えているのを、あんまりよく思ってないでしょう?
この間も、庭にアスレチック遊具を設置しましたし。
その前はたしかスミレに、おままごとセットでしたよね。
ソラには子ども用のおもちゃの車……」
彼の言葉を聞いた私は、曖昧に相槌を打った。
思った通りの、斜め上な台詞だ。
「あー……うん……なんでもすぐ買っちゃうのは良くないよね。
我慢の出来ない大人になって困るのは、あの子たちだもん」
スミレとソラ。私とジェイドさんの子ども達。なんと男女の双子だ。
ピンク色の嫌いなスミレは、活発で叔母であるヴィエッタさんのことが大好きな女の子。だからたぶん、庭の遊具は彼女がもう少し大きくなったら大活躍するんだろうな。
ソラはおばけの怖い男の子。泣き虫の甘えん坊だけど、庭の世話をするジェイドさんにくっついて離れない。虫は怖くないんだって。
そんなふたりが可愛くて仕方ないのは分かるけど、パパとお祖父ちゃんが一緒になったみたいなジェイドさんに、ちょっと呆れてしまう。本物のじーじとばーばが適度な距離を保ってるから、余計に。
車は、通りをゆっくりと進む。
ジェイドさんは周囲に注意を払いながら、大通りから少し入った路地に車を停めた。
「それは申し訳なく思ってます……舞い上がっている自覚もあります。
でもね、つばき。
だからといって、ひとりで出かけるのはいけません。
何か起きてからじゃ遅いんですよ」
斜め上に向かった会話が、もとに戻った。
彼のカオが少し険しくなってる。
いろいろ思うところはあるみたいだけど、父親としてどうなのか、ってところに関しては後日ゆっくり議論することにしよう。
私はシートベルトを締めたまま、こっちを見てるジェイドさんに向き直った。
「うん、それはごめんなさい。
でもね……」
ふたりにとって、隠し事がよくないのは経験済み。
だから、私は計画していたことを素直に話すことにした。
「ジェイドさん、もうすぐパパになって3年でしょ?
だから内緒で何かプレゼントしようと思ってたんだ。
ほら、私、ジェイドさんに甘えてばっかりだから……」
ジェイドさんが、ぽかんとしてる。
運転手さんの格好が異常に似合ってるから、ちょっと間抜けな感じだ。
そんな彼の顔をまじまじと見つめていたら、目が合って。そしてすぐに、ぷいっと逸らされてしまった。
建物の影で見づらいけど、なんとなく頬が赤いような気がする。
「……そ、そうですか」
「え、それだけ……?」
私は半ば呆然と呟いた。
サプライズを打ち明けたのに、その反応はあんまりだ。
すると、口ごもったジェイドさんの瞳が、ちらりと私を一瞥した。
綺麗な空色の瞳が、ゆらっと揺れてる。もしかして動揺したんだろうか。
思わず小首を傾げたら、彼が口を開いた。
「ごめんなさい、つばき。
少しでも疑った自分が情けない……」
その手で口を押さえた彼の視線が、うろうろと泳いでる。
私は声を落として囁いた。
「まさか浮気を疑った、ってこと……?」
「可愛い奥さんを持つと、いろいろあるんですよ」
ジェイドさんは、ほんの少し口を尖らせた。
なりきって私をびっくりさせたかったのか、本物の運転手さんから借りたであろう制服姿がよく似合ってる。ずいぶん伸びた髪は、ひと纏めにして帽子の中に詰め込んであるんだろうか。
そうやって半分見惚れるようにしていたら、ふいにジェイドさんが微笑んだ。悪戯っ子みたいに、楽しそうに。
「ともかく、です。
お昼寝中の子ども達のことは、このまま屋敷の者に任せておくとして。
せっかくですから、一緒に本屋さんで買い物しましょう。
それから食事に行きませんか?」
そこまで一気に言った彼が、こほん、と咳払いをひとつ。そして続けた。
「……ふたりきりで外食も、たまにはいいでしょう?」
路地には、誰もいない。少なくとも、この車の周りに人の気配はない。
だから、ジェイドさんの照れが混じった小さな囁きが、すごくハッキリと聴こえた。
「手、繋いでくれる?」
私も同じくらい声をひそめて囁いた。
こうなったら、サプライズはなかったことにしてデートを満喫しよう。
私の言葉を切ったジェイドさんが、目をぱちぱち瞬かせた。
車の中という密室で、秘密の話でもしてるみたい。こんなところを誰かが見つけて、密会現場だと思われたりしたらどうしよう。
後ろめたくはないのに、なんだか悪いことをしてる気分になる。
それがちょっとだけ楽しく思えて、私はにまにまが抑えられなかった。
だって、目の前には運転手コスプレをした旦那様がいる。新鮮で、ドキドキする。
帽子の中に隠れてた金色の髪が、さらりと背中で揺れて。上着を脱いで後部座席に放り投げて。真っ白な手袋の指先を咥えて、引っ張って……。
そうしながらも、笑みを滲ませた目は私を見てる。
その空色の瞳に甘い何かが溢れてるのが分かって、私は思わず息を詰めた。
車内は狭いからなのか、甘くて温い雰囲気がすぐに充満した。
ジェイドさんが、白い手袋を後部座席に放り投げた。そして、帽子を脱いだ時に流れ出たおくれ毛を、耳にかける。
「まったくもう。可愛いこと言ってくれますね」
苦笑混じりになった彼の手が、だんだんと体温が上がり始めた私の頬を撫でた。
その手は私の耳をふにふにと触って、首や顎の緩やかなカーブをなぞっていく。
くすぐったくて、おかしな声が出てしまいそう。
「やっ……」
息を止めて、思わず首を竦めようとした瞬間。
ふふ、と笑みを零したジェイドさんの唇が降ってきた。掠め取るように。
それからしばらく甘い雰囲気を噛みしめていた私だったけど、角度を変えて啄ばむことに熱中し始めたジェイドさんを慌てて止めて、気がついた。
彼の唇から、ミントの香りがするんだ。眠気覚ましのキャンディの。
「もしかしてジェイドさん、昨日眠れなかった?
今夜は寝付きがよくなるように、マッサージしてあげようか?」
すると彼は、小首を傾げて困ったように微笑んだ。
「うーん……そうですねぇ……。
じゃあ間をとって、寝る前に軽い運動しましょう。もちろん一緒に」
私は、じんじんする唇で呟いた。
「それで疲れて寝ちゃうのは私だよー……」
そのあと?
じゃあ、一応証言しておこう。
……軽い、なんて嘘でした……とだけ。
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お読みいただき、ありがとうございました^^




