ミナとシュウの、ある日の出来事。
「渡り廊下」の連載を開始した日に、お誕生日のお祝いのつもりで書いた小話です。
時系列曖昧、ただただ甘く仕上がっております。
きゅ・・・ポンッ。
小気味良い音が響いて、ボトルの口から泡が零れた。
ボトルを掴んでいた彼の手も濡れてしまっているのを見て、私は慌てて席を立つ。
「ええっと・・・」
キッチンに駆けこんで、いくつかある棚の中から、昼間お日さまに当てて乾かしたばかりの布巾を数枚、持ってダイニングへ戻った。
待っていたらしいシュウが手を伸ばして、私は持っていた布巾を手渡す。
「ありがとう」
バリトンの声が柔らかく耳を打つのが心地良い。
彼はボトルとテーブルの上を布巾で拭いて、ちらりと私を一瞥した。
自分も座るべきなのかどうか考えて、そのまま立ちつくしていた私は、彼が突然、何も言わずに視線を投げてきたことに少し驚く。
「あ、布巾、もっと必要?」
それなら急いで取りに行こう・・・そう思って、答えが返ってくる前に身を翻そうとしたところで、彼が動いた。
「いや、」
言いながら、彼は炭酸水で濡れた自分の手のひらを、ちろりと舐める。
私の目を、じっと見つめながら。
深い緑の瞳が、一瞬きらりと何かを灯した気がする。
座った彼に見上げられる格好の私は、その獣のような仕草をじっくり見せられて、肩の辺りに軽い痺れを覚えてしまった。
・・・ま、魔王様・・・。
半分中てられたような気分で、戸惑いを隠せずに視線を彷徨わせていると、彼が鼻で笑ったのが聞こえてきた。
「・・・早く食べよう。腹が減って仕方ない」
囁きに視線を戻すと、口角を上げて不敵に微笑むシュウの顔があった。
始まりは、謎の錠剤。
彼と一緒に街に出て、食材を調達していた時のことだ。
最近新しく出来たらしい、体に良いとされるハーブや、漢方のような雰囲気のもの・・・ちゃんと見ても何だかさっぱり分からなかった・・・を取り扱う店だそうで。
私達は物珍しさも手伝って、その店の中に入ってみることにしたのだ。
とはいえ、シュウは蒼鬼と恐れられる、とても強い、強いなどという言葉の枠に収まりきらないくらいの強さを誇る、騎士だ。
私も、渡り人であることを除けば、風邪なども滅多に引かない健康体である。
要は、冷やかしのつもりだったのだ。
けれど、その店で私は見つけてしまった。
「ねえ、シュウ!」
店内の少し離れた所で、何やら熱心に店員の話に耳を傾けていた彼を、小声で呼び付ける。
すると彼は話し込んでいた店員に何かを言ってから、私の方へと近づいてきた。
背の高い彼が間近に立つと、自然と私は見上げる格好になる。
私はその顔を仰ぎ見ながら、見つけたものを差し出した。
小瓶に入った、真っ白な錠剤。
そのラベルに書かれた文字を目で追った彼は、一瞬で眉間にしわを寄せた。
「こんなもの、効果があるわけがない」
低い声をさらに低くして、私に囁く。
離れた場所から私達のご機嫌を窺っている店員達に聞こえないように、と配慮したらしい。
けれどその表情で全てが伝わっていることなど、彼は思いもしないのだろう。
私の立つ位置からは、“蒼鬼が何を話しているのか気が気じゃない”とカオに書かれた店員達の姿がよく見えた。
「やめておけ」
眉間にしわを寄せたまま、彼が囁く。
その声は言葉の響きより穏やかで、私は彼に咎められたのではない、と確信した。
それならば、交渉の余地はある。
「・・・でもね、私だって本当は、お付き合いしたいと思ってたんだよ」
それに、残念ながら私は彼のことをよく知っているのだ。彼以上に。
優しくて実直で器用で強くて格好良くて、料理も完璧。
おまけに・・・。
「だめかな・・・?」
「・・・買ってこい」
・・・私に、とてつもなく甘い。
「うんっ」
押してダメなら引いてみろ理論を活用した私は、目を引いた健康食品を、円満に手に入れることに成功したのだった。
私の名誉のために、その健康食品がお試し価格になっていたことと、いつもいつも、こういったお願いをしているのではない、ということだけは言っておきたい。
そうして、いろいろと寄り道をして帰って来たのが、つい先ほどのことだった。
手を洗って、うがいをして。
そろそろ夕暮れが近いから・・・と、シュウが2階のカーテンをしめてまわって。
その間に私は簡単に、夕食の準備を始めた。
輪切りのトマトに真っ白でふわふわなチーズを乗せて、上から乾燥ハーブとオイルをかける。
それから、大きめに切って蒸した野菜に、ゴマのような木の実をすり潰したものと自家製のマヨネーズで作ったドレッシングを添えて。
肉食男子のシュウのために、昼間のうちに漬け込んでおいた肉を厚めにスライスして、オーブンでじっくり日を通す。
日本人の私の好みで甘辛いタレにしたけれど、彼が不満を呟くことはないだろう。
・・・それにしても、たくさん食べる人と暮らしていると、自然と食事の品数も量も増える。
将来家族が増えたら、私は一体どれだけの量の食事を作ることになるのだろうか・・・。
庭で牛や鶏でも飼うか、と彼が言いだしそうで、その不安はまだ口に出せていないけれども。
ともかく、私の夕食作りは続く。
今日のメインはショートパスタにしようと決めていたので、それに合うソースを考える。
私は、戸棚の中に桜エビのような干しエビの瓶詰めがあったのを思い出した。
いつだったか、アンとノルガが2人でララノに遊びに行った時のお土産でもらったものだ。
それと湯掻いたキャベツを具に、ペペロンチーノもどきを作る。
・・・甘辛い肉と一緒に食べてみても美味しいかも知れない。
出来上がった料理をダイニングテーブルに並べ終えた私は、ワイングラスを2つ用意した。
彼の分と、私の分だ。
いつもは絶対に、無理強いされても頑なに飲まない私だけれど、今日だけは違う。
固い意志が自分の中にあるのを意識して、私は深呼吸する。
そして、買ってきたばかりの小瓶の封を切った。
「おいしい・・・!」
感無量である。
「そうか」
向かいで肉をひと口で頬張ったシュウが、満足そうに目を細めた。
私はこくこく頷いて、グラスを目の前にかざす。
ピンク色の液体が、ゆらゆら揺れては小さな気泡を生み出している。
耳を寄せると、ぱちぱち、ぴちぴち、と可愛らしい音がした。
シュウが栓を開けた炭酸水で、甘い果実酒を割ったものだ。
彼は“ジュースみたいなものだ”と言っていたけれど、嚥下した途端に感じた熱いものは、初めて飲んだ日本酒を思い出させた。
きゅーっと、喉が縮むような感覚に戸惑ったけれど、口の中は炭酸がはじけて、甘い香りが鼻から抜けて気持ちがいい。
自然と頬が緩んでしまうくらいに。
「シュウは・・・」
呟くように口を開くと、彼が頬杖をついて、じっと私を見ていたことに気づく。
・・・いつから見ていたのだろう。
「こんなに美味しいもの、毎日飲んでたんだねぇ」
「・・・飲んでみるか?」
苦笑混じりに、彼がグラスを寄越した。
どうやら、私が渋めの赤い液体を見つめていたことに気づいていたらしい。
そんなに物欲しそうに見ていたつもりはないのに、どうして笑うのだろう。
小馬鹿にされている気分になるけれど、それ以上に興味が勝ってしまった私は、彼の手から受け取ったグラスをひと口煽ってみた。
「・・・っ?!」
喉を引っ掻かれるような熱さに、ひっ、と息が漏れる。
それだけでは済まずに、胃の中まで熱い。
体が勝手に涙をこみ上げさせて、私は何度も瞬きをした。
すると、悶絶する私を見ていた彼が、くっ、と喉を鳴らす。
まさに堪え切れず、といったふうにだ。
「なにこれぇ・・・こんな苦くて辛いの、飲めませーん」
悔し紛れにグラスを突き返すと、苦笑を浮かべた彼が、それを一気に飲み干した。
そして、何食わぬ顔で、追加のワインをグラスに注ぐ。
「これと、お前のは全くの別物だ。一緒だと思って口にしたら、痛い目に遭う」
苦笑から微笑みに変わった彼の顔を見つめて、私は素直に頷いた。
思えば、いつだって彼の言うことは正しいような気がする。
ジェイドさんと色々あった時も、前もって彼は私を注意していた。
それも、とても渋い顔で。
白騎士との小火騒ぎの時も、彼は私がノルガと2人で会うのに反対していたのに、私が押し切って王宮に行ったから、結果、怖い目に遭った。
それに、彼の浮気疑惑の時だって、私は言いつけを守らずに夕暮れを過ぎているのに、街の外れまで彼を追いかけて・・・。
北の大国の大佐と色々あった時も、同じ。
・・・いつもいつも、私が彼の言うことを聞かないから・・・。
そんなことを思い出していたら、なんだか、悲しくなってきた。
鼻先がつん、と痛い。
視界がおぼろげになって、滲んだ。
そうして、私はこみ上げる涙を我慢出来なくなって、目をごしごしと擦る。
「お、おい・・・?!」
彼の慌てた声が聞こえるけれど、私の気持ちと体はぐちゃぐちゃだ。
ちぐはぐで、彼の顔を見ることも出来なかった。
頭の中がふわふわして、考えが纏まらない。
「ふ、ぇぇ・・・ごめんなさいぃぃ・・・」
ぽろぽろと涙が零れる。
鼻をすすると、彼が席を立つ音がした。
「ミナ?
どうした?」
気遣わしげな声が耳元で聞こえて、私はやっと顔を上げる。
「わた、私、いつも、シュウの言うこと、聞かないから・・・」
途切れ途切れに言うと、彼は困った顔をした。
ああもう、本当に何を言ってるんだろう・・・こんなふうに、困らせたいわけではないのに。
もっと素直に、何かあるたび守ってくれてありがとう、と言えたらいいのに。
ふわふわ、くらくらする頭で考えても、それがすぐに口元まで来てくれない。
私はもどかしくて、目の前で跪いていた彼の首にしがみついた。
こんな私が、彼にいつか見切りをつけられたら・・・そう思うと、たまらなく怖かった。
彼のいない世界に放り出されたら、私はきっと、渡り人らしく消えてしまえる。
「おねがい、しゅう、きらいにならないで」
祈るような気持ちで囁くと、彼が小さく息を吐くのが聞こえる。
呆れて漏れた息だと思った私は、しがみつく腕に力を込めた。
ふわり、と体が宙に浮く。
彼が私を抱き上げたのだと気づいたのは、ソファに下ろされてからだった。
「やっぱり、飲ませるんじゃなかったな」
いつもは横抱きに膝の上に座らされるのに、今日は向かい合っている。
唸るような囁きに視線を上げると、彼の前髪が揺れていた。
それに指先で触れると、深い緑色をした瞳がやんわりと細められる。
「もしかして、もう、きらいになった・・・?」
胸の中が不安でいっぱいだ。
体が宙に浮いて引っ込んだ涙が、瞼の間でぷっくりと膨らむ。
そんなことあるわけがない、と冷静に思える自分が、意識の中でだんだんと薄らいでいく。
目を伏せると、頬に温かいものが触れた。
彼の手だ・・・そう気づくのと同時に、我慢していた涙が溢れる。
触れられるだけで、嬉しくて体の奥の震えが止まらない。
しゃくりあげると、苦笑混じりに彼が囁いた。
「珍しいな、突然泣き出したりして・・・」
「だって、私、あの・・・えっと・・・」
言おうとすると、頭がくらくらする。
酸素が足りないのだと思って、ぼんやりしながら呼吸を整えていると、彼の指先が私の目じりをなぞっていった。
何度も何度も、子どもをあやすように背中をぽんぽん叩きながら。
「大丈夫だ、大丈夫。
落ち着いて、深呼吸しろ」
唱えるように口にした彼が、小さく笑う。
「お前、酔うとこうなるのか・・・面白いな」
そのひと言が、また私に火をつけた。
「お、おもしろく、ないもん・・・っ」
引っ込みかけた涙が、どんどん溢れてくる。
もうダメだ。泣いてしまえ。
我慢することを放棄した私は、久しぶりに声を上げて泣いた。
「しゅうの、ばかっ」
舌が重い。
「ばかばかばかっ」
言葉がうまく出てこないから、握りこぶしで彼の胸を叩く。
どうせ私が力を入れたところで、彼にとっては痛くも痒くもないのだ。
だから、もう、この際だから思い切り。
「ばかしゅうっ。
きらいになったら、わたしだってきらいになるもんっ」
何を言っているのかなんて、もうどうでもいいのだ。
ただ、小さく爆発する感情を口から吐露しているだけ。
そうやって、どんどんワケが分からなくなって、歯止めがきかなくなった時だ。
彼が、私をぎゅっと抱きしめる。
「・・・悪かった」
その声が楽しそうに弾んでいるのが分かるけれど、抱きしめられて気持ちが落ち着いたのか、私はそっと息を吐きだした。
吸い込んだ彼の匂いに、涙も止まってくれたらしい。
「いつも落ち着いてる裏で、そんなことを考えてたのか・・・」
ひとりごちた彼から体を離して、その目を覗きこむ。
深い緑が柔らかく微笑んで、私を見返した。
そして、額に口づけをくれる。
「可愛いやつだな」
なんだか、とても満足そうにしているから、私も嬉しくなってしまった。
何より、初めて言われたんじゃないだろうか。
か、かわいい、だなんて。
うきうきしてしまうじゃないか。
「ほんと・・・?
わたし、かわいい・・・?
も、もうおとななんだけどな・・・」
恥ずかしくて彼の膝の上で悶えていると、彼がすっと目を細めた。
「じゃあ、別の言い方に変えてみるか・・・?」
囁きが背中を這って、耳の辺りが熱くなる。
彼の瞳の中に、真っ暗な寝室でよく見つけるものが光った気がして、私は息を飲んだ。
ふわふわして、彼に掴まっていないとどこかへ飛ばされてしまいそうで、怖い。
不安そうに見つめる私をよそに、彼はにやりと笑みを浮かべた。
ごつごつした、見かけよりも器用な指先が、暴れて着崩れた部屋着から覗く私の肩に、つ、と線を描いていく。
「そそられる、それも、すごく」
噛んで含めるような言葉と一緒に、指先が肩を行ったり来たりする。
「・・・ん、んっ」
くすぐったいような、痺れるような不思議な感覚に思わず声が漏れた。
咄嗟に瞼をぎゅっと閉じると、わずかに残っていたらしい涙が滲む。
「ああ、それだ。
その顔・・・そういうのを見た時の気持ちを、可愛い、と言うんだな」
真面目な顔をして、自分の感情を分析しているらしい彼は、その指先を止めずに呟いた。
「ん、しゅう・・・っ」
体が勝手にしなる。
逃げようとしているのか、もっと、と懇願しているのか分からない私の腰を、彼は空いている方の手でがっしり掴んだ。
「なあ、」
ぐい、と体が近づく。
もともと密着していたのに、これ以上近づいたら境界線がなくなってしまいそうだ。
彼の囁きが、耳に流れ込む。
その半分は、熱くて尖った吐息だった。
「まだ、酔ってるのか?」
否、と私に言わせるための質問だ。
そんなことすぐに分かった。
冷静な自分がそう思うのに、ふわふわと浮きっぱなしの意識が勝手に言葉を紡ぐ。
「よってないもん。
ねえ、もっとあれ、のみたいの」
桜色のしゅわしゅわする飲み物が脳裏に浮かんで、私は彼の首に両腕を回す。
すると、彼は小さく笑って、肩に滑らせていた指で私の唇をなぞり始めた。
「あれは、また今度にしておけ」
喉を鳴らすように笑いを堪えた彼に、ほんの少しむっとした私は、その指をぱくりと咥える。
その途端、ふんわりいい香りがした。
「・・・ん、ふ・・・っ」
あの炭酸水の匂いだと分かって、口の中に入れた指を、そっと舌でなぞってみる。
肉のソースの味も混じっているけど、今私が欲しい味だ。
「あの、おいしいののにおい、するよ・・・?」
口を離して、食事の前に彼が手のひらに零していたのを思い出す。
ちらりと見た彼の目が、驚きに見開かれているのが可笑しくて、私は気づかない振りをして彼の手のひらにも舌を這わせた。
甘い匂いに誘われるようにして、ゆっくり。ゆっくり。
「ねえ、あれのみたいなー・・・」
舌を滑らせつつ、合間に言葉を紡いだ私は、彼が顔を強張らせているのを見つけてしまった。
「しゅう・・・?」
「ひぁあ・・・?!」
突然のことに、変な悲鳴が上がる。
そして、首の辺りにちりり、と痛みが走った私は息を飲んだ。
耳元では熱くて、荒い吐息が聞こえている。
「・・・明日、責任もって看病する」
吐息の合間に、くぐもった声が響いたけれど、残念ながら私はその意味がよく分からなかった。
とりあえず曖昧に頷くことにして、ぶつかるようにして私の首元に鼻先をうずめた彼の頭を、片方の腕で抱きこむ。
もう片方で、彼の肩に掴まっていないと、なんだか振り落とされそうだった。
「先に訊いておくが・・・気分は、悪くないな?」
「ふわふわしてて、たまにくらくらするー。
でも、しゅうがいるから、だいじょうぶだよ?」
「・・・それだけ喋れれば、問題ない」
ゆっくり舌足らずな口で紡いだ言葉に、食いつくように頷いた彼の手が、蠢き始める。
「こうして、」
私の両腕を、自分の首に巻き付けさせながら、彼が囁く。
深い緑の奥に、焼けるような何かがある。
「しばらくじっとしてろ」
「ん・・・」
こくりと頷いて首にしがみついた私を見て、彼は満足気に目を細めると、そっと両腕を下ろした。
「え?
・・・ひゃっ」
するり、と私の腿の辺りを撫でた手が、服の中に侵入してくる。
咄嗟に押さえようとして腕を離すと、彼が咎めた。
「ミナ?」
「・・・あ、そうでした・・・」
じっとしてろ、と言われたのを思い出して、私は彼の首にしがみつく。
言葉の外で、言うことを聞け、と言われた気がして。
大人しくなった私に口元だけで微笑んだ彼は、また大きな手で私の腿を擦る。
服の中と外を肌伝いに行ったり来たり・・・そのたびに、体の奥がむずむずした。
「いい子だ」
褒められて伸びる子の私は、そのひと言に頷いて目を閉じる。
蠢く手が巧み過ぎて、どうしようもなかった。
やがて、眉根を寄せて耐える私を見ていたのか、彼が私を呼んだ。
「ミナ」
「・・・ん・・・?」
そっと目を開けると、口づけを降ってくる。
最初は、そっと、ぴったりと唇同士をくっつけて、お互いの体温を馴染ませた。
けれどそれはあっという間で、すぐに彼が舌で私の唇をなぞる。
生温い彼の舌から、ワインの苦い香りが漂って、思わず呻くような声が出てしまう。
そんな私の反応に躊躇したのか、彼はそっと唇を離そうとした。
「んぅっ」
私は堪らなくなって、抗議の声を上げて逃げようとする唇を追いかける。
彼の体温が離れるのが、とても寂しかった。
もう一度くっついた唇が綻んだのが分かって、私はほんの少しだけ口を開ける。
半分は息を吸い込むために、もう半分は・・・。
「ん・・・っ」
突然勢いよく入り込んできた彼の舌を、必死に受け止める。
いつもついていけるのは最初だけで、いつの間にか翻弄されてしまうと、分かっているけれど。
そうして、言葉にならないものを直接交換し合っていると、それまで止まっていた彼の両手が、再び動き出した。
さわさわと、服の中に侵入してきた大きな手が奥まで進んでくる。
やがてその指先が、下着の端に引っかかった。
「ん、あっ」
思わず身を捩ると、自然を両腕が彼の首から離れてしまう。
当然、口も。
「しゅう・・・っ」
何するの、と一応非難の目を向ける。一応。
自然だし当然の触れ合いだと分かっているけれど、まだ食事の途中だし・・・という、なけなしの私の理性だった。
・・・いや、自分が作った食事が朝まで放置されることが、頭をよぎったから、かも知れない。
するとそんな私に、恐ろしいくらいに色っぽくて熱のこもった目つきをして、彼が言う。
「いいだろ・・・?
今くらい、言うことを聞いたらどうだ・・・?」
彼の表情に中てられて何も言えないまま、彼の片方の手が服の中から抜け出すのを、私は息を詰めて受け入れてしまった。
服から抜け出た手が、背中を這い上がってくる。
それもわざと、私に分かるように。
楽しそうに目を細めた彼が、意地悪な声で言った。
「ほら、手はどこにやるんだ?」
私が黙りこくったのを了解と受け取ったんだろう、彼が催促する。
「・・・もぉ・・・」
仕方なしに声を漏らして、私はもう一度彼の首元に腕をまわした。
すると、それを待っていたかのように、彼の手が背中のファスナーを下ろし始める。
ジジ・・・と、時折ファスナーが抵抗するように突っかかって、彼が小さく笑う。
その間も、彼の熱のこもった目は、私の目を見つめていた。
晒された背中を、大きな手が何度も撫でる。
ゆっくり、速く、時には指一本で。
「しゅぅ・・・んんっ・・・」
ぞわわ、と小さな波が腰の辺りから上がってくるのに耐えていると、彼が苦しそうに息を吐いたのに気がついた。
何かに耐えるように息を吐いているのに、瞳が爛々としている。
何に突き動かされているのかを想像した私は、体が熱くなってしまった。
その時だ。
服の中で私の下着の線をなぞっていた彼の手が、ゆっくりとそこから這い出た。
そして、どういう早業なのか、あっという間に私から服を剥ぎ取ってしまう。
・・・もうここまできたら、食事は明日のお昼まで放置だ。
きっとグラスの中身から炭酸は抜けきって、飲む気にもなれないのだろう・・・。
半ば諦めに似た気持ちを抱いた私は、悔し紛れに彼のシャツに手をかけた。
厚くて、固くて、所々に切り傷の名残がある胸板に手を這わせる。
どくん、どくん、と鼓動の音を感じ取っていると、心が落ち着いた。
「・・・くっついてると、あったかいね・・・」
頭はまだくらくらふわふわしているけれど、体の中には熱いものがうねっている。
まだ、沈静化は望めなさそうだ。
「お前はまだ、こうしてろ」
そう言った彼は、またしても私の腕を自分の首に回させた。
今日はどうあっても、じっとしていて欲しいらしい。
「・・・どうして?」
「調べる。
どこに触れると、可愛い顔をするのか」
試しに尋ねてみたら、思わぬ答えが返ってきた。
「それに、とにかく欲しい。
可愛い声も聞きたい」
開いた口の塞がらない私に、追い打ちとばかりに可愛いを用いた彼は、熱のこもった瞳で私を見事に射抜いたのだった。
「や・・・っ」
思わず腰がくねる。
与えられるものに飲み込まれそうになるのを耐えるのが、やっとだった。
大きな手が熱を帯びて、首から鎖骨へ、それから胸へ。
一番触って欲しいと主張している場所には、いつ辿りついてくれるんだろう。
もどかしくて、切なくすらあるようで、私は彼の名前を何度も呼んだ。
「しゅ、う・・・っ、んんっ」
自分の口から出ているなんて信じられない声に、驚いてしまう。
けれど、その驚きすら放つ間もなく、次の波がやってくる。
翻弄されて、息も絶え絶えだ。
口づけの時には生温かったのに、いつの間にか彼の舌まで熱くなっている。
本当は食事の肉が食べた足りなかったんじゃないかと思うくらいに、がぶり、と肩口を甘噛みされて、悲鳴に似た声が上がった。
「・・・や、あぁっ」
甘い痛みに痺れた脳が、もうダメだと白旗を上げたがっている。
耳の下に舌を這わせながら、私の体の至る所で悪戯を続けていた彼から、吐息が漏れた。
熱くて、魘されているような。
「ミナ・・・」
掠れた声が切なくて、私は思わず回した腕に力を込めたのだった。
「ね・・・おねがい、しゅう・・・っ」
「・・・お前、可愛いな」
珍しくおねだりしてしまった私に、彼は心底嬉しそうに口づけをした。
私の名誉のために述べておきたい。
いつもいつも、夫婦でこんなことをしているわけではないのだ。
ただ、この日はちょっと、もとはと言えば私が少し調子に乗ってしまっただけで・・・。
そう、始まりは、あの健康食品だった。
“朗報!下戸のあなたもこれでお酒が飲める!”
“今なら3日分パックのお試し価格!”
・・・あんな怪しいうたい文句、信じるべきではなかったのだ。
酔っていつもと様子が違うことに興奮したらしいシュウは、案の定暴走してくれて、翌日私は地獄をみた。
もちろん、宣言通りにつきっきりで看病してくれた。
いや、全ては自業自得なのだ。
・・・そう思うには、なんだか釈然としないものが残るのだけれど。




