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レイニーソング  作者:
8/12

苺の香り、純粋な

 すっかり忘れていた、と片手で顔を覆った。

 役が割り付けられないことは知っている。小夏の多忙をよく理解してくれているクラスメイト達がいるゆえに連絡がこなかったのだと、納得もいった。いつもの仕事にライブ前の打ち合わせ、さらに“あんなこと”があってごたごたしていたから、正直を言うと学校のほうに目を向ける余裕がなかった。

「そうね、そうだったわ」

 ひとりごちると、つかず離れずの距離をおいて歩いていた和樹が眉を寄せた。

「忘れてたんだ、文化祭」

 そう、文化祭だ。

 私立校の文化祭の日程は、公立のものとずれることが往々にしてあるものだ。仕事に勉強にと駆けまわっていたなかでも、他校の生徒が文化祭の用意をしているのを目にしていた。そういえば自分の学校はいつだったかと和樹に尋ねたところ、また呆れ顔をされたのだ。

 今週末、だ。今日が月曜日だから、もう五日を残していない。

「クラスで話し合いとかしてるはずじゃない?」

「そりゃあ出るけど、準備まではね……。あんただってそうでしょ」

「え、おれは」

 歌手の仕事と勉学を両立するので精一杯だ。学校行事となると手も出せないのが通常で、当然和樹も同じものだと思っていたのだけれど、口を濁された。はいはいお疲れさま、と話を流す。学校生活にまで踏みこむつもりはない。

 かといって仕事仲間というわけではないのだから扱いに困る。携帯の連絡先もいまだカテゴリ未設定のままだ。

「とにかく、学校に入ったら離れてよね。まあ下駄箱は違う方向だろうけど」

「……となりのクラスだって、知らない?」

 初耳だ。

 というより、知ろうとしなかっただけだった。雨宮小夏のファンで、正体は人気絶倒中の覆面歌手である、近所に住む少年。わかっていることはそれだけで、椎名和樹という人間のことを、小夏は知らない。

 ふり払うように首を振った。だから、なんだと。

「友達になにか言われるのも嫌だし、……そういうことだから」

 了解の返事を聞いたところで、学校の門をくぐった。

 意図してか、それとも単に小夏が足を速めたせいか、和樹との距離が離れる。それを詰めようという気配はなく、心のどこかでほっと息をついた自分がいた。

 校内に入ってしまえば、聞きなれた喧騒が耳に入ってくる。付近の公立高校より設備が整っていることが特徴と言える特徴で、あとは中につまっているものも、生活も、変わりはしない。あえて挙げるなら、少しばかり女子生徒の数が多いぐらいか。

 学年と組、名簿番号で定められた、番号を頭のすみでつぶやいて、合金製の靴箱の扉をひらく。脱いだばかりの下足をそこに入れる代わりに、青い線の入った下足を二本指で引き抜いた。

 じゃらり。

 金属がこすれ合うような異物の音に疑問を覚える。手に伝わる靴の、その重みがいつもよりずっしりと伝わったような気がした。違和感のままに、軽い作りの上履きに目をこらす。

 瞬間、腹を殴られたような衝撃が来た。

(……う、そ)

 悲鳴をこらえたのは、かろうじて残ったプライドのためだ。

 目の前の景色が一瞬ゆがんで見えたのは錯覚だろうか。心臓を握られるような嫌悪感に襲われて、倒れないようにと足をつっぱって耐えるのが精一杯だった。

 上履きのなかには、それぞれ十を越える数の画鋲が放りこまれていた。ぎらりと光る先端からは、明確に小夏を傷つけようとする意志がうかがえる。

 足を、ではなくて。

 ――心を。

 怪我をさせたいのなら、ひそませるそれは一つでいい。画鋲の存在に気付かずに足を踏みおろせば、先は考えずとも見えている。

(それを、しなかったのは)

 伝わるのは、悪意。小夏を厭う人間の。

 小夏さん、とやわらかな声がかかった。和樹のものだと顔を見なくても分かる。先に校内に入っていったはずの小夏が下駄箱にいることを、怪訝に思ったのだろう。

「どうしたの」

 黙して答えない。なにもないと虚勢を張るには、和樹が訪れるのが早すぎた。

 うつむいた小夏の背後に立った彼が上履きをのぞく。はっと息を呑んだ和樹は、無言で小夏から靴を取り上げた。あっと思う間もなく、鎖のような音が靴の中で響いて、それから足元へ振り落とされる。

 石造りの玄関の床に、金色の画鋲がはね返って輝いた。それを冷たい目で見おろして、和樹は低い声で問う。

「……いつも?」

 その声色は無言を許してはくれない。ゆるく首を振る。

「はじ、めて」

 そうして出た声は、自分のものとは思えないぐらいに弱々しかった。

 ありがちな嫌がらせだと割り切ることは簡単で、だからこそそれが自分に襲いかかるとは思っていなかった。いまどきそんな、と思うような行為が、確実に胸の奥をえぐる。

 他人に嫌われることを恐れたことはない。歌手として働くことが決まったときから、すべての人間に愛されるなどという夢物語は捨て去った。自分を好いてくれる限られた人々に、最高の歌を届けようと胸をはるのが最善だ。そう自分を戒めてきた。

(あ、だめ、だ)

 目に映る世界が揺れるのを、手の先から感覚が失われるのを、吐き出した息が震えるのを、止めることができない。

 最善を尽くしても、人気は取り落とした。自分を上回る歌手の存在はあった、それなら耐えられた。なのに。

 たくさんの“好き”を失っていっても、純粋な悪意を受けられるのは――。

(……くるし、)

 息が止まる。吐きそうだ。いっそこの胸の奥にあるものを、すべて取り出して捨ててしまいたい。

「――さん、小夏さん」

「え、あ」

 呼びかけられて、やっと顔を上げた。からになった靴を手わたされ、その向こうの和樹が顔をくしゃりとゆがめているのを見る。ここにいない相手に怒りの矛先を向け、動けなくなった小夏の代わりに悔しがって。

 それで、歯止めがかかった。

 たとえ同じ学校に通っていても、たとえ同じ歌手だったとしても、彼が自分のファンであることにかわりはない。雨宮小夏を応援するひとりだ。弱い姿は見せられない。

 瀬尾小夏は、雨宮小夏を、守らなければ。

「だいじょうぶ。……ありがとう、靴」

 不意打ちを受けたというように、和樹が眉をはねあげた。なにか言葉がかけられる前にと、すぐに彼に背を向ける。

「平気だから」

 身をひるがえしたために踊った髪は、光に透かせば茶がきらめくことを知っている。肩甲骨のあたりまでとどまらずに流れるそれは彼女の気性を示すよう。ずいぶんと軽くなった上履きに足を通して、廊下に靴音を響かせた。

 強くなければ、と自分に言い聞かせる。

(ファンのために、もっと)

 雨宮小夏は、そんな少女でいるべきだ。


 案の定通学の様子は見られていたようで、教室に入った途端にふたりの少女に囲まれた。日ごろからよく会話をしている相手だったから、小夏への調査係として選ばれたのかもしれない。周りがちらちらとこちらの様子を見ていることは、ほんの少し意識すればよくわかった。

「書記くんと仲いいの?」

「書記くんって」

「二組の椎名くん! 生徒会の書記でしょ」

 どうやら、また自分が知らなかっただけらしい。今までの数週間とここ数日、手に入れた彼の情報量ははたしてどちらが多いだろうか。

 小夏は自分の通学鞄を机において二人をふり返った。ともあれ、疑惑は早めにつぶしておくに限る。

「そんなに仲がいいってわけじゃ」

「じゃあどうして」

 なくて、と続ける前に質問がきた。この友人はひとの話をよく聞かない節がある。

(どうして……ねえ)

 うまい返答を探す。SHEENAのことを隠して説明するにはどうするべきか。逡巡してから、今聞いたばかりのことを利用させてもらうことにした。

「生徒会から文化祭で歌ってくれないかって話が来てて、誘われてただけ」

 断ってやったけどね、と歯を見せれば、期待はずれだとでもいうように二人が唇をとがらせた。同時に、小夏たちに横目を向けていたクラスメイトたちが騒がしさを取り戻す。またたく間に関心が失せたらしい。

「なあんだ。ちょっと期待してたのに」

 片方が肩を落とし、もう片方がうんうんとうなずく。

「小夏、そういうの興味なさそうだったし」

「そういうのって……」

「男の子とか、流行とかね」

 苦笑して席に座った。事実なので否定もできない。

 男性とつきあっているような時間もなければ、流行を追って右往左往するようなことも嫌だった。ファッションや体型維持、他人の目に映るようなことには気を使うけれど、それ以外にはてんで関心がわかない。もっとも口にすれば彼女たちにブーイングを浴びるのは目に見えているので、なにも言わないのだけれど。

 くすくす笑っていた少女が、ぴんと指をたてた。おもしろがるように言う。

「ミスティも知らないでしょう、このぶんだと」

 みすてぃ。オウム返しにつぶやけば、もうひとりにため息をつかれる。その名前を出した少女がひょこひょこと自分のペンケースを持ちだしてきて、そのなかのペンを一本、小夏にさし出した。

「文房具のブランドなんだけど、ほら」

 そうはいっても、それはペンの形状をしていなかった。長い口紅を模した形をしていて、霧に包まれた蝶のロゴが高級感を漂わせている。口紅と同じ要領でふたを開けるとペン先が出てくる仕組みになっているようで、その洒落たデザインが人気を集めているのかもしれない。

「ふうん」と。返した言葉は、結局それだけだった。

 子供と大人のあいだ、中高生の少女たちをターゲットにしているのだろうと予想はついた。ついたけれど、それまでだ。可愛いとは思っても、わざわざ手に入れようとは思わない。嫌な女子高生になったものだと自分でも思う。

 小夏の冷めた反応に焦れてか、少女がペンを指さした。

「かわいいだけじゃないんだよ、それ」

「え?」

 尋ね返しても、にやにや笑いを返されるばかりだ。まだ仕掛けがあるらしい。太く赤いペン先をじっと見つめて、なんの気なしに息を吸う。

 ――ふわり、と。

 肺に満ちた香りに、反射的に顔をしかめた。

 あの事件の苺の香りと同じだ。バツの印と鮮烈な言葉が脳裏に浮かんで、眉間にしわが寄る。それからしまったと思って、すぐに笑顔を作った。

「苺のにおい?」

「ロマンシング・ストロベリー」

 ペンの持ち主である彼女が、そこに刻まれた筆記体の文字をさして言う。デザインだけでなく名前にもセンスを追求しているらしい。

 そこで予鈴が鳴って、小夏はペンを返してから二人に手を振った。あらかたの生徒が席に着いたところで、教師が教室に入ってくる。

 一気に緊張が解け、窓の曇りをぬぐうように表情が落ちていくのを自覚した。思わずもれてしまったため息に、片手で口をおおう。歯を食いしばっていなければ、ふとしたときに弱音を吐いてしまいそうだった。

 小夏の上履きに画鋲を入れたのは、事務所に写真を貼り付けた人物と同じだろうか。学校にすらも自分の敵を作ってしまったのか。

(学校も、仕事も、わたしの居場所なのに)

 どちらも失ってしまったら、どうすればいい?

 見ないふりは許されない。耐え続けるか、それとも、戦うか。相手の姿が見えないままでは、前者を選ぶことしかできない。それはどこか、SHEENAの正体を知らずにいた頃に似ていた。

 ただ、今回は。

(嫌われているのは――わたし)

 和樹と初めて出会ったとき、敵対心のままに伝言を頼んだとき、彼はそれをどうやって消化したのだろうか。小夏のファンだとためらいもなく言えてしまうような彼が、その小夏に苛立ちをぶつけられている状況を。

(……ごめん)

 声にならない声で、ここにいない相手につぶやく。

 謝罪と同じ言葉で助けを求める自分が、みじめだった。

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