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レイニーソング  作者:
6/12

多くの道があるゆえに

 小夏が歌手を目指したのはほかでもない、あこがれた歌手がいたからだ。

 どんよりとした雨空を貫くような歌声と、少しばかり体調をくずしても笑顔を絶やさない芯の強さ。外見でも歌詞でもなく、その人自身に心を奪われた。同じように歌いたいと思った。

 けれど“その人のようになりたい”は、やがて、“他人に歌を聴いてもらいたい”に変わっていった。歌う喜びにすっかり魅了されて、あこがれの人を模倣することに意味を見出さなくなった。彼女のCDはまだ保管しているけれど、小夏が歌手になってからは聴いていない。

 とどのつまりは、いくら誰かのファンだったとはいえ、自身が歌手になれば自分を磨くことに重点を置くようになるのがふつうなのだ。そこそこ人気がつくようになればなおさらのこと。

 小夏自身の体験で実感したそれが、しかし、たったいま覆されようとしていた。

「椎名」

 呼びなれてしまえばそれはただの名字であり、彼を呼称するにはちょうどいい。小夏は目の前のものを信じられない気持ちでながめていたけれど、ようやく口を開いた。

「……ぜんぶ?」

「ぜんぶ、です」

 一応。

 それぞれを調べる必要もない。部屋の一角をしめている棚には、びっしりとCDがつめられている。そのどれもが自分の歌ったものであることは、カバージャケットを流し見ていけばわかる。ところどころで同じタイトルがふたつ連なるのは、初回限定版と通常版をそれぞれそろえているからか。

 CDの列がとだえれば、そのとなりには音楽雑誌がつづく。いくつかを手にとって調べると、表紙や大記事、コラムを問わず、小夏が取材を受けたものや写真を撮った記事が収められている。デビューしたてのころの受け答えは見るにたえず、ひらいた瞬間に雑誌から顔をそむけた。

 CDのうちのひとつ、初期の一枚を取り出した。ジャケットのなかで、花束を抱えた二年前の自分が虚空にほほえんでいる。

「これなんて、すぐに廃盤になったやつじゃない」

「いつも発売日に買ってるから」

「ぜんぶ?」

「……ぜんぶです」

 小夏は棚のCDを取り出しては戻してをくり返す。いくつか質問を発して、そのたびに和樹が身を縮めているのはわかっていても、驚きと感嘆が先に立った。嬉しいも気持ち悪いもない。まず自分のCDがここまでそろっているところを初めて見た。

 そのくせ彼がSHEENAとして歌ったCDは、空いている棚の端に乱雑に詰めこまれているのだ。小夏が過去、消費するように聴いていったCDでも、あそこまでの扱いは受けていなかった。

「……その、なにも言えないの。ありがとうって、言うべきなんだけど」

「もうなにも言わないでください」

 だから嫌だったのに、とひとりごとを言っている。なんだか申しわけなくなって、小夏は棚に背を向けた。部屋の扉側で両手を組み合わせている和樹の様子は、まるで、親に怒られたあとの小学生だった。下を向いてむくれた顔をしている。

「嬉しいのは確かなの。ただ、ファンってこういうのが普通なのかって、びっくりして」

 再度棚に目を戻そうとすると、和樹が顔を上げた。口調はそのまま、ぼそりと答える。

「ほかの人のことは知らないけど。おれは、買ってます。毎回」

 それも発売日に、もしかしたら予約までして。雑誌は特定のものを、毎月チェックして買っているのか。歌手として稼げるようになるまでは、自由に使える金額だって少なかっただろうに。

 口元をおさえた。あちら、こちら、と視線がさまよう。

「いまの、うれしかったかも」

「……そうですか」

 ふう、とひとつ息をついて、和樹はふっきれたらしい。諦めの表情がのぞいている。むくれた顔がものめずらしかったのだけれど、それは心の中にとどめておくことにした。

 廊下をわたって、和樹のうしろに美里が立った。女性にしては背の高い彼女と和樹とでは、年齢を差し引いても身長差が大きい。それも二人の関係の原因だろうかと、やくたいもないことを考えた。高校生にもなれば男性はぐんと背が伸びるはずが、どうやら和樹はその恩恵を受けなかったらしい。

「すごいでしょう、それ」

 驚きましたと答えると、美里は満足げに和樹の頭を叩いた。それを受ける彼は反対に不服そうに顔をそむけている。上下関係はともかくとして、二人の間にこれといった確執のないことは確かだ。

(いいな、兄弟)

 和樹にそう言えば、抗議の声が上がるのは目に見えているけれど。


 テーブルの中心には透明なボウル、そして新鮮なトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ。ひき肉のたっぷり入ったボロネーゼと、海老や貝類の乗せられたピザが湯気を立てている。香ばしい匂いの正体はこれか、と、小夏は口をぽかんと開けていた。美里は盛り付けにもこだわる性分のようで、ピザの具材は均等に並べられ、ボロネーゼには見ばえよくパセリが飾られている。

「美里さん、調理免許とか、そういう」

「持ってないわよー、音楽ひとすじだもの。ほら、食べて食べて」

 いただきますと手を合わせて、パスタを口に運んだ。すぐにトマトの風味が飛んできて、あとからパルメザンチーズのまろやかさがその酸味を包んでいく。ほう、と声がもれそうになるのをかろうじておさえた。反応を待っているらしい美里を見あげて、ごくりとのみ込む。

「おいし……おいしいです、これ!」

「そっか、嬉しいなあ。がんばってみてよかった」

 小夏の向かいに美里、二人の隣になる形で和樹が座っている。彼もまた口の中のものを嚥下したあと、氷と麦茶の入ったグラスに手をのばした。

「本当、どうして結婚できないんだろうね。外っ面は完璧なのに」

 要は中身、と言外に匂わせたのは、先ほどの意趣返しか。美里はにこやかな笑顔をまったく崩さず、カプレーゼを三人の皿に取り分けた。パプリカが和樹の皿に多めに入ったのは、きっと偶然ではない。

「家にひとり、厄介なのがいるからかしらね」

「なるほど、自分のことか。そうだね」

「気付いていないうちが華って、よく言ったものだわー」

 嫌味の応酬を、ピザをほおばりながら聞いていたが、途中で追うのをあきらめた。少しして和樹が眉を寄せたのを見て、言い負かされたのかとぼんやり思う。年の離れた姉には口でも勝てないようだ。もっともこの場合、相手が悪かったのではと思わなくもない。

 とうとう食器のこすれる音だけが響くようになり、ある程度を腹に入れたところで、小夏は再び美里を仰いだ。それまでもずっと見られていたのか、ばちりと目があう。それにややおののきながら、小夏は手のフォークを置いた。

「わたし、どうして連れてこられたんですか?」

 本題に入らなければ、このまま夕食だけ出されて返されそうな気がしていた。そうそう、と美里は手を叩いて居ずまいを正す。それだけでぴんと伸びた背筋は、どこか小夏の母親に通じるものがあった。

「ええとね、和樹のことなんだけど。SHHENAの話はしたんだよね」

「はい。あ、もちろん誰にも言いません」

 事務所と本人の決めた売り出しの方向性に、もはや嫌悪感など抱いていない。それを補ってあまりある実力と、歌に対する真摯な姿勢があることもよく理解している。

「そう、誰にも言わないで欲しいだけ。それが頼みたかっただけなの、今回は」

 一口食べたきりのピザを取り皿において、美里は油のついた手を布巾でぬぐう。拍子抜けした小夏に、目を細めて言った。

「その子ね、デビューしたのが一年前なんだけど、そのときもいろんな声を持ってたの。この曲はこの声で、こんな風に歌えばいいって、わかっているみたいでね。それが全部和樹の可能性で、わたしも社長も知っているんだけど、……でも歌手って、そうじゃないでしょう?」

 歌手は表現者だ。

 作詞家、作曲家によって作り上げられた枠に自分を注ぎ、時にはあふれださせて、楽曲を構成していくのが歌手の仕事。ひとりひとりには個性という名前のキャパシティがあって、それが限界になったり自身の味になったりと姿を変える。

 その個性がなければ、もちろん道は大幅に広がるだろう。あらゆるものに対処し、成功し、容量どおりに枠を満たすことができる。――けれどそれは、自分がないのと同じことだ。歌という自分を表現する方法に、もとから自分がいないのでは意味がない。

 曲の枠のとおりに歌うのではない。曲を制御し、時には傲慢なまでの自己意識と個性で枠を壊していくのが歌手という職業だ。

「その気になればどの方向も選べるの。だけど、それが見つからないのね。だから社長は、SHEENAを覆面歌手として売りだした。顔も性別も歳も隠して、いつでも好きな道を選べるように」

 ――それはすなわち、自分を見つけられるように。

 小夏が選びとってきたのは、好きで好きでたまらなかった歌を歌うための道だ。最初こそあこがれの人を追いかけたものの、自分が歌うことに喜びを見出した瞬間から、それは小夏の道になった。自分にしか歌えない歌を作り続けてきた。ほかの歌手もまた、同じように自分を選びとっていったのだろう。

 それができない歌手。進める道が多すぎて、立ち止まってしまったのがSHEENAという歌手だ。

 美里は残った麦茶を口に流しこみ、ひとつ息をつく。

「だからね、黙っていてあげてほしいの。この子が和樹として歌えるようになるまで、待ってあげて」

「……はい」

 居心地の悪さを隠すように、皿に残っていたパスタを口に入れる。味を感じることができなくて、ほとんど噛まずに飲みこんだ。

 美里は小夏と美里の顔色をうかがって苦笑した。同じ顔をしてうつむいていたらしい。ちらと壁時計を見やり、明るい声で彼女が言う。

「ごめんね、遅い時間になっちゃった。和樹、小夏ちゃん送ってあげて」

「ん」

 和樹がテーブルに手をついて立ちあがったので、小夏はあわてて首を振った。

「大丈夫です、ひとりで帰れます。家、近いから」

「それでもね、最近は危ないから。……ご飯、もういい?」

 食器が端から片付けられていくのを前にして、手を合わせて「ごちそうさまでした」と小声で言った。

 最後までおいしく食べることができなくてすみません。心の奥でそうつぶやいて。


 夏が盛りに近づく夜は、時間帯などなんのそので生ぬるい熱気をただよわせる。マンションを出た瞬間に広がったそれに顔をしかめていると、横からの温かい風が追い打ちをかけた。

「家、どっち?」

「北区のほう。郵便局の近く」

「それじゃ本当に近くだ」

 以前は暗かった住宅地も、痴漢さわぎが多くなってからはところどころに街灯が作られるようになった。夏の夜にもなれば小さな虫が光に集まり、8の字を描いては気が狂ったように街頭にぶつかっていくのを目にすることが多い。

 歩きだせば、その町並みには見覚えがあった。小学生のころはこの西区を通って通学していたため、このあたりの道を歩くのは懐かしい。高校生になって違う学校に入った彼らは、彼女らは、今はどうしているのだろう。数人はすでに名前も顔もおぼろげにしか覚えていないが、そんな彼らにとっても、自分は同じように輪郭のうすい存在だったはずだ。

 やがて足元を見て歩くようになった小夏を、和樹は一度ふり返った。彼女が反応する間もなく、すぐにまた前を向いてしまう。

「……あのさ、気にしなくていいから」

 ひとりごとのようなそれを聞き逃しはしなかった。小夏が顔を上げると、彼の言葉が続く。

「重い話じゃなくて、ただ、黙っていてくれればってだけ。……これはおれが、どうにかすることだし」

 もちろん、小夏が口を出してどうこうできる問題ではない。――それが歯がゆい。力になりたいという思いはあるのに、持っているものも選んできた道も決定的に違っていた。個人としてあたりまえの違いが、こんなにももどかしいと思うときが来るなんて。

 数歩進んで立ち止まる。鞄から携帯電話を取り出して、数回ボタンを操作した。真っ白なそれは、高校入学と同時に両親に買ってもらったものだ。仕事とプライベートの区切りがしっかり付けられたアドレス帳に、もうひとつ未設定のフォルダを作る。

 今度こそふり返った和樹に、その携帯を突きつけた。

 言わんとしていることは伝わったのだろう。目をしばたかせた彼の「でも」という戸惑いの声をさえぎる。

「これでも先輩だから。……相談なら、乗るわ」

「小夏さん」

「前にも世話になったし、今日もご飯おいしかったし! だから、――番号と、アドレス」

 メアド、と呼ばなくなったのは、年上にまじって仕事をするようになってからだ。若いねと大人にほほえまれるのが、なんだか気恥ずかしかった。そう思ってアドレスと呼ぶようにすれば、女子高生たちには笑われるのだ。

「ご飯は姉ちゃんの手柄だよ」

 和樹は眉尻を下げて、ポケットから引きぬいた青い携帯をひらいた。受信画面を見せたままの小夏に、赤外線でプロフィールが送られてくる。名前と電話番号とメールアドレスだけが書かれた簡素なそのプロフィールを新しいフォルダに登録して、代わりに自分のものを送った。

 小夏の携帯に送信終了の文字が表示されると同時に、彼はほおを緩める。

「初めてかも」

「は?」

「女の人」

「……そう」

 二つ折りの携帯電話を勢いよく閉じると、もう一度鞄に放りこむ。早足で和樹を追いこして、背を向けたままで言った。

「ここまででいいわ。もうすぐだから。ありがとう」

「だいじょうぶ?」

 うしろ向きに投げやりに手をふって、走りだす。あとを追う足音はなかった。

(なんて、ことを)

 言ったのだろう。

 いつまでも話していることができそうになくて、逃げ出すように彼から離れていた。言い訳じみた言葉のとおりに、家が近かったことだけが、唯一の救いだ。

 植木に囲まれた自宅の、その白い壁に手をついて、荒い呼吸を整える。鍵をあけて家に入ることもせずにその場にしゃがみこんで、膝を抱えた。顔が熱を持っているのは、全力で走ったからか、夏の暑さのせいか、それとも。

(顔、合わせづら……)

 できれば事務所に行く日が重なりませんように。

 そう願って、はあと息をついた。

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