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レイニーソング  作者:
10/12

きみの歌をきかせて

「おもしろいことやってるみたいねえ」

 ぎくりと肩をゆらしてふり返れば、満面の笑みをうかべた姉が視界に映った。

「とく、には」

 落ちつけ、と自分に言い聞かせて、精一杯の無表情をつくりあげる。

 ――特には。もう少し言いようがあっただろうとすぐに後悔した。

 小夏を家まで送り届けて、姉弟ふたりで帰宅した途端にこれだ。相対する和樹はあくまでも平静を装うけれど、万に一つも勝ち目がないことは経験上よく理解している。

 美里は品さだめでもするように和樹をねめつけてから、ふうん、と気のない返事をする。車のキーを化粧台の前に放りなげて、代わりに床のうちわを拾い上げた。雨が降っているとはいえ夏の蒸し暑さは健在で、彼女はぱたぱたと自分をあおぎながらもう一度和樹を見やった。

「それで、なに? 小夏ちゃんと何するの?」

「なにもないって!」

 小夏の名前が出てきた時点で、この人にはすでにあらかたの予想がついていると考えていい。なにを隠しても姉の前には意味をなさないのだから。

 二年前、知人全員に隠れて近所のライブハウスで歌っていたときも、彼女に見つかってそのまま事務所へ引きずられていった。それが歌手デビューにつながってしまうのだから、人生なにが起こるか分からないものだ。

 隠しごとをかぎつける鼻、ではない。美里は常に新しいものを求めているだけだ。その意味では、どんなアーティストよりも彼女のほうが優れているのではないかと和樹は思う。その審美眼をそのままマネージャーの手腕に移しかえてしまう、つくづく万能な姉だ。

 黙秘を貫いていると、うちわで頭をおさえつけられた。それだけの重みが、万力で締められているかのような圧力を和樹に与えてくる。

「野宮に言うよ、嫌でしょう? 話しなさい」

「そう、いう、のを、脅迫っていうんだけど」

「姉弟間でなにが脅迫よ」

 身長差というものは大きい。こういうときに頭上から見おろすことができれば、あるいは姉に対しても強く出られるのだろうか、と考えて。

(無理だな)

 結論が出るのは早かった。

 了承を示すために何度かうなずいてみせると、よろしい、とばかりにうちわがのけられた。先までの圧力はどこへやら、美里はけろりとしてふたたびそれを上下させる。

「それじゃ代わりに、ちょっと頼まれてほしいんだけど」

「内容によるわね」

「大したことじゃないよ」

 自分の予想が正しいなら、これを実行に移せば事件の犯人は動いてくるはずだ。むしろ今回の計画は犯人の陽動が狙いだといっていい。事務所への嫌がらせにまで出られた今、早急に捕らえてしわまわなければ、文字通りこれから相手がなにを仕掛けてくるかわからない。

 自分の存在が小夏へ怒りを向けさせる原因になったことは、美里とふたりになったときにきつく言い聞かせられた。犯人は間違いなくSHEENAの熱狂的なファンで、コラボ楽曲が犯行の原因になったのだと。

 責められてもおかしくなかった。

 けれど、あの人は、自分で抱えこんだ。

 原因を知っていてなお、なにもかもを“プロだから”という言葉でおさえこんで気丈に振る舞おうとした。もし返信がなかったことに疑問を感じなければ、もし教室へ迎えに行かなければ、きっと彼女は明日からも強い女性でいようとしただろう。

 そして自分は、それに気付かなかったに違いない。

(小夏さんの弱さを、知っているのはおれだけだ)

 ――だから、守ろう。

「事件の犯人を、捕まえたいんだ」

 自分に音楽を与えてくれた彼女が、いつまでも歌っていられるように。




 前日の天気予報で心配されていたとおりに、朝から小雨が降りしきっていた。文化祭実行委員や生徒会は渋い顔をしたけれど、その雨を補ってあまりある集客があることは明らかだった。

 学校のいたるところに貼りつけられたビラに、映されたモノクロの写真は人気歌手の立ち姿。それでいて、あおり文に記された名前は芸名ではなく彼女の本名だった。同じビラは町内のところどころに見られ、本人の籍が置かれた事務所の近くにもこっそりと貼り付けられている。

 小夏は体育館の入り口で足を止め、ビラを見あげた。普段はおろしたままの髪を、今はピンでまとめあげて紺色の地味なキャスケットにしまっている。きつくなりがちな目をおおうのは、度の入っていない眼鏡。毎年の文化祭で人目を避けるために身につけた術だ。

 生徒会がビラ制作や舞台の用意、その出費を申し出てくれたのはありがたかった。無償の親切ではなく、もちろん文化祭への集客力を期待してのことだろう。小夏が歌手となってはや二年、頼まれつづけてきた出演に応えた形になった。

 あくまでもいち学生、瀬尾小夏としての見せものだ、と念を押したにもかかわらず、雨宮小夏の写真を使ってくるあたりがあざとい。

「もうちょっと写りがいいのがあるでしょうに」

「そこ?」

 かたわらで苦笑した和樹は、左腕に腕章をつけている。生徒会執行部、つまり各委員会の正副委員長や本部役員が装着を義務付けられているものだという。書記くんと呼ばれて親しまれていることは、文化祭の準備に駆けまわる姿を見ていれば納得がいった。どこへ行ってもあの情けない笑顔を浮かべているのだ。

「あんまり大々的にするとばれるからって、一応おさえさせたんだ」

「事務所の近くに貼った時点でばれてるでしょ。野宮さんに怒られるわ」

 ふうと息をついた小夏も、もとより反省するつもりはなかった。あれから五日、毎日のように続けられたいじめまがいの行為にも耐えぬいてきたのだ。犯人を捕らえて、二言三言、説教してやらないことには気がすまない。

「一緒に怒られるよ」

 そそのかしたのはおれだから、と和樹は首のうしろをかいた。

『おれたち、高校生だよ』

 そう言った彼の案はシンプルだった。

 歌手である雨宮小夏としてライブを行うことが許されないのなら、瀬尾小夏という個人で学校で歌えばいい。事務所もライブ会場も巻きこまず、かつ学校という独立した空間で、無償で歌うことまでは規制されないはず――それがたてまえだ。

 その目的は、小夏に攻撃を仕掛けた犯人を捕らえること。学校でライブを行えば必ず動いてくる、と和樹は確信しているようだった。その上で、他人を巻き込んだ暴動までは起こさないとも言いきった。翌日には姉までも味方につけたようで、小夏としては彼女の立場を危ぶむしかない。事務所の人間ならば止めるべきだと思うのだけれど。

 校外に通じる扉から体育館の横を通り抜け、ステージ裏の小部屋の扉をひらく。部屋に差し込んだ明かりに気づいて、座って待機していた少年がふたりを見上げた。彼もまた、左腕に腕章をつけている。

「時間は?」

 和樹が問うと、少年は床に放られていた携帯電話をひらいた。

「あと十分ってとこ。瀬尾さん、もう準備できたのか」

「ええ、衣装合わせもメイクもないし」

 むしろ変装を解くだけだ。伊達眼鏡とキャスケット帽をはずし、ゆるく縛ってピンで留めていた髪をおろしていく。丁寧に手ぐしでとかすと、茶のまじった髪が波打った。薄暗い部屋では映えないが、それでも頬や目にはいくらかメイクが施してある。頼む相手がいないので、今回は自分で整えた程度だ。

「緊張とかしない?」

「こんな人数相手に?」

 鼻で笑って返す。高校の体育館ではぎりぎり千人がいいところだ。オーディションの決勝戦にだって、もっと多くの観客が集まっていただろう。

「はは、頼もしいや。……じゃあ和樹、あとは」

「わかった」

 少年はふたりと入れ替わるように扉から姿を消していった。スタッフがひとり、ここに残っていればいいのだろう。小夏の出番が終わるまでは、彼女のライブの企画を持ち込んだ和樹が担当に入れられたらしい。

 ぱたりと扉が閉まるのを確認して、小夏は眉を寄せた。

「緊張なんて、いくらやっても慣れないわよ。あたり前じゃない」

「だから、そういうのを言えばいいのに」

「言ってどうすんのよ」

 自分で折り合いをつけなければならないものを、どうして他人に押しつけられるだろうか。この性分は誰になにを言われても治りそうにないらしい。

 小夏は肩と首を回し、いくつかのストレッチをそれにつづけた。声出しもしておきたかったけれど、人目を集めてしまうからとあきらめる。ステージでならしていこうと決めて、軽い運動だけをこなしておく。

 その様子を眺めていた和樹に気づいて、不機嫌さを隠しもせずに「なによ」と声をかけた。和樹はあわてて手を振る。いや、あの、と否定するようにつぶやいて、やがてぴたりと動きを止めた。

「生で小夏さんの歌を聴くのは久しぶりだと思って」

「ああ、昔のライブとか来てたの?」

「最初のだけ。事務所の新人だからって、姉ちゃんに誘われて」

 小夏があからさまに嫌な顔をして見せれば、和樹はつ、と目をそらす。

 最初のライブなど見られたものではないだろう。初めて自分のために作られた曲に興奮して、少人数の前で飛んだり跳ねたりと騒いでいたことぐらいしか覚えていない。

「あんなに幸せそうに歌う人を、はじめて見たんだ。歌って、そんなに楽しいものだったんだって」

「うるさかっただけよ、あんなの……」

 和樹が首を振る。

 やわらかく細められたその目に、どきりとした。

「いつか一緒に歌いたいって思った。でも、デビューしたときには小夏さんはずっと先にいたから」

 彼のメジャーデビューは、確か小夏がそこそこ名を上げてきた頃だったはずだ。自分が歌手になった年の冬あたりだろうかと頭をめぐらして、苦い思い出がよぎった。小夏が有名になったあとから、SHEENAがぐんと売り上げを伸ばしてきたのはまだ記憶に新しい。

「同じところに立ちたいって、それだけ考えて歌ってた。やっと手が届いたと思ったのが今年になってからで……それで」そこで間を置いて、記憶を確かめるようにうなずいた。「コラボを申し込んだのが、夏のはじめ。あんなに嫌われてるとは思わなかったけど」

「あー……あれは、ごめんなさい」

 くつくつという笑い声とともに、「いいよ」と返される。

「一緒に歌えただけでうれしかった。小夏さんにも、認めてもらえたみたいだし」

 小夏の背を支え、羽ばたかせる歌声。自分の歌のくせをよく理解していると感じたのも当然だ、彼は何度も、それこそ何十回も、雨宮小夏の歌を聴いているのだから。そのうえ決して我を通すことなく、さらにサポートに回るだけのいやらしさも感じさせずに楽曲をつくりあげてきた。そのさりげない演出は、彼の性格に由来しているのかもしれない。

 ステージに続く扉の向こうで、歓声と拍手があがった。それまでステージで踊っていた少女たちが演目を終えたのだろう。小夏はひとつ深呼吸をして、扉ごしのステージを見すえた。

 胸を張って、背筋をのばして、不遜な態度の奥を悟らせぬよう。

 どんな舞台にも凛とあるのが雨宮小夏だ、デビューを果たしてから一度たりともぶれはしない。

「見てなさい」

 和樹の姿が視界のなかになくとも、背を向けたそこに彼がいることは確かだ。扉の奥の興奮と期待が伝わってくるこの部屋で、彼の穏やかな呼吸に耳をすます。弓の弦のようにぴんと張りつめた緊張感は、そうそう味わえるものではないと小夏は思う。

「今のわたしの歌を、聴かせてあげる」

 ――響け。

 瀬尾小夏と雨宮小夏の、ふたりの自分を知る彼に。

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