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『左伝』・『史記』等の登場人物及びエピソード他

『左伝』・『史記』等の登場人物及びエピソード他


・・・・・・・【伝説の時代から周王朝まで】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(ぎょう)………中国古代の伝説上の聖天子。舜に帝位を禅譲(ぜんじょう)したという

(しゅん)………中国古代の伝説上の聖天子。尭から譲り受けた帝位を、()に禅譲したという


()王朝(おうちょう) 『史書』に記された中国最古の王朝。前二十一世紀頃~前十六世紀頃】

()…………夏王朝の始祖で、中国古代の伝説上の聖王といわれる。禹の後は世襲制となる

(けつ)(おう)………夏王朝最後の王。暴虐無道で、(しょう)(とう)(おう)に滅ぼされる


(しょう)(いん))王朝 前十六世紀頃~前十一世紀後半】

(ちゅう)(おう)………商(殷)王朝最後の王。暴虐無道で、周の武王に滅ぼされる

 伯夷叔(はくいしゅく)(せい)…商の(しょ)()。兄弟。当時商の臣であった武王が、君の(ちゅう)(おう)を討つにあたり、臣が

     君を弑することの不可を説いて諫めた。周が天下を統一すると、その禄を食む

     ことを拒み餓死したと伝えられる。後に清廉潔白(せいれんけっぱく)な人のたとえとなる

 ()(かん)……紂王の(しょ)()(親の兄弟)。紂王を諫めて殺される


【周王朝 前十一世紀後半~前二五六年頃。(しん)に滅ぼされる】

武王………周王朝の始祖。(しゅう)(こう)(たん)を補佐とし、太公望(たいこうぼう)(りょ)(しょう)を軍師とし、商の紂王を討ち周

     王朝を建てた。子の(せい)(おう)、その子の(こう)(おう)の時代は天下泰平であったという

(しゅう)(こう)(たん)……魯の始祖。武王の同母弟。魯に封じられたが、魯には(ちゃく)()伯禽(はくきん)を赴かせた。武王亡き後、子の成王、その子の康王を補佐し、王朝を安定させた


・・・・・・・・・【周王朝の主な国々】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    

() 前十一世紀後半~前二五七年頃。楚に滅ぼされる。始祖である(しゅう)(こう)(たん)の功績により、           

     魯にのみに許された有形無形の遺産が数多く残っている】 

桓公(かんこう)………十五代君主。在位前七一一年~前六九四年。子の(そう)(こう)が後を継ぎ、他の子が三桓(さんかん)仲孫(ちゅうそん)叔孫(しゅくそん)()(そん)()》の祖となり、以後、魯の権柄(けんぺい)を握る

 仲孫(ちゅうそん)() 桓公ーーーーーーーーーーーーーーーーーー何忌(かき)

  公斂処(こうれんしょ)()……仲孫氏の(ゆう)(せい)(さい) 

 叔孫(しゅくそん)() 桓公ーーーーーーーーーー(しゃく)——()(かん)——(しゅう)(きゅう)

 季孫(きそん)()  桓公ーーーーー(こう)()——宿(しゅく)——(こつ)——意如(いじょ)——()——()

  (よう)()…………季孫氏の家臣 

  (こう)山不狃(ざんふじゅう)……季孫氏の(ゆう)()(さい)

(しょう)(こう)………二十五代君主。在位前五四一年~前五百十年。季孫(きそん)()(じょ)を殺そうとして逆に国を出る羽目になり、七年後亡命先で(きゃく)()

(てい)(こう)………二十六代君主。在位前五〇九年~前四九五年。昭公の弟。子の哀公(あいこう)が跡を継ぐ


(せい) 前十一世紀後半~前三八六年。この年、(りょ)(しょう)から続く(きょう)(せい)が滅び、陳氏による(でん)(せい)になる。前二二一年頃、秦に滅ぼされる】 

(りょ)(しょう)………斉の始祖。軍師として武王に仕えた名臣。日本では太公望(たいこうぼう)として知られている

桓公(かんこう)………十六代君主。在位前六八五年~-前六四三年。春秋(しゅんじゅう)五覇(ごは)の代表格とされる

 (かん)(ちゅう)……?~前六四五年。産業基盤を整え、民生の安定に努め、さらには決して明君とはいえない桓公を、中原の最初の盟主(めいしゅ)に押し上げた名宰相。

 鮑叔(ほうしゅく)()…若き日の桓公の教育係。桓公に管仲を推薦し、その政策を助けた。孔子は、能力を発揮する人物よりも、その人物を推薦するものが賢者であると、後に触れる(てい)子皮(しひ)とともに鮑叔牙を高く評価している                          

(そう)(こう)……‥二十五代君主。在位前五五三年~前五四八年。二十四代君主・(れい)(こう)の子

 崔杼(さいちょ)……重臣。自身が立てた荘公を私的な恨みから弑すると、大史が『崔杼、其ノ君を

     弑ス』と記したのでその大史と、後に続いた二人の弟を殺したが、三人目は諦めそのままにした。この話は後に、(ふひと)の気概としてしばしば語られることになる

景公(けいこう)……‥二十六代君主。在位前五四七年~-前四九〇年。霊公の子・荘公の弟 

 晏嬰(あんえい)……?~前五〇〇年。民のため、景公に対し幾度も直言・諫言をおこなった。名宰相として、桓公のときの管仲と並び称される。

悼公(とうこう)……‥二十八代君主。在位前四八八年~前四八五年。景公の子。景公が跡継ぎとした晏孺子(あんじゅし)()を殺す。三年後、呉への申し開きのため臣下に弑される

 (ちん)()……(ちん)(かん)(前六七二年、政変に巻き込まれ、陳から亡命。桓公に認められ用いられる)

     ーーー(しゅ)()——無宇(むう)——(きつ)——(こう)


(しん) 前十一世紀後半~前三七六年。前四〇三年、臣下の(ちょう)(かん)()(さん)(しん))が、周により諸侯に列せられたため、晋は名目的な存在になった】

唐叔(とうしゅく)()……晋の始祖。周・(せい)(おう)の弟

(ぶん)(こう)………二十四代君主。在位前六三六年~前六二八年。斉の桓公と並んで春秋(しゅんじゅう)()()の  

代表格とされる

(じょう)(こう)………二十五代君主。在位前六二八年~前六二一年。文公の子

(れい)(こう)……‥二十六代君主。在位前六二〇年~前六〇七年。襄公の子。家臣に弑される

(せい)(こう)……‥二十七代君主。在位前六〇七年~前六〇〇年。文公の末子

景公(けいこう)……‥二十八代君主。在位前六〇〇年~前五八一年。成公の子

(れい)(こう)………二十九代君主。在位前五八一年~前五七三年。景公の子。家臣に弑される

悼公(とうこう)………三十代君主。在位前五七三年~前五五八年。襄公の曾孫。晋最後の名君とうた   

     われる

(せい)(きょう)(宰相)…(ちょう)(とん)以降〗

 (ちょう)(とん)(前六二一年~)——郤缺(げきけつ)(前六百一年~)——(じゅん)(りん)()(前五九七年~)——士会(しかい)(前五

 九三年~)——(げき)(こく)(前五九一年~。郤缺の子)——欒書(らんしょ)(前五八七年~)——韓厥(かんけつ)(前五七三

年~)——()(おう)(前五六六年~。荀林父の甥)——中行偃(なかこうえん)(前五六十年~。荀林父の孫)——士匄(しかい)

 (前五五四年~。士燮(ししょう)の子、士会の孫)——(ちょう)()(前五四八年~趙盾の孫)——韓起(かんき)(前五四十年~。韓厥の子)ーーー趙鞅(ちょうおう)(前五百一年~趙武の孫・趙盾の玄孫)

〖正卿(宰相)以外の名臣〗

 士燮(ししょう)……士会の子。景公に晋・楚の和議を結ぶことを進言し、宋で盟を交わした

 (しゅく)(きょう)……平公(悼公の子)の()。博識で賢人。多くの人が助言を求めた  

 祁奚(きけい)……中軍(ちゅうぐん)()社稷(しゃしょく)のためとあれば、人の思惑を気にせず推挙   

 董孤(とうこ)……(たい)()


(えい) 前十一世紀後半~前二百九年頃。秦に滅ぼされる】

康叔(こうしゅく)………衛の始祖。武王の同母弟

(れい)(こう)………二十九代君主。在位前五三四年~前四九三年     

(しゅっ)(こう)………三十代君主。在位前四九二年~前四八〇年。霊公の孫(父が出奔したため即位)     

(そう)(こう)………三十一代君主。在位前四七九年~前四七八年。霊公の子。霊公の死後、出奔先から戻り、子の出公を追い出し即位。この跡目争いに巻き込まれ子路が討ち死に 

(きょ)白玉(はくぎょく)…賢大夫で知られる


(てい) 前八〇六年~前三七五年。(かん)に滅ぼされる】

桓公(かんこう)………鄭の始祖。周十一代宣(せん)(おう)の同母弟

簡公(かんこう)………十七代君主。在位前五六六年~前五三〇年。()(さん)が宰相になり国内が安定

 子産(しさん)……名宰相として知られる。中国最初の成文法(せいぶんほう)を作ったとされる

 子皮(しひ)……自分より才能があると、子産に宰相の座を譲って後ろ盾になった  

     

() ~前二二三年。秦に滅ぼされる】

()(おう)………二十一代君主。在位前七四〇年~ 前六九〇年。初めて王号をなのる

(せい)(おう)………二十四代君主。在位前六七一年~前六二六年。武王の孫

(そう)(おう)………二十六代君主。在位前六一三年~前五九一年。成王の孫

(しょう)(おう)………三十三代君主。在位前五一五年~前四八九年。荘王の曾孫、平王の子 

(けい)(おう)………三十四代君主。在位前四八八年~前四三二年。昭王の子

 ()西(せい)……昭王の(しょ)(けい)令尹(れいいん)。他の二人の弟と共に昭王をよく補佐した

 (しょう)(こう)……(しょう)の長官。賢明で人望があった


() ~前四七三年。(えつ)に滅ぼされる】

(たい)(はく)………武王と周公旦の(おお)伯父(おじ)末弟季()(れき)(武王と周公旦の祖父)に後を継がせるべく、二番目の弟と共に国を去り南方の地に移り住み、後の()を建てた

寿夢(じゅぼう)………(たい)(はく)から数え十九代君主。在位前五八五年~前五六一年。初めて王号を名乗る

闔廬(こうりょ)………在位前五一五年~前四九六年。寿夢(じゅぼう)の孫。先王僚(りょう)を弑し、王となる

夫差(ふさ)………在位前四九五年~前四七三年。闔閭(こうりょ)の子

 伍子胥(ごししょ)…祖父は楚の荘王の重臣。父は楚の平王の太子・建の(たい)()讒言(ざんげん)により、父と兄が殺されると、呉に亡命。闔閭の先王暗殺に手を貸し、闔閭が王位につくと、楚に進攻し復讐を果たす。その後、跡継ぎ選定に迷っている闔閭を説得し夫差を跡継ぎにしてやるが、後にその夫差に自刃を命じられる

 伯嚭(はくひ)……大宰。政変に巻き込まれ、楚から亡命。賄賂をもらい越と通じる                                                                                                      

                                                         

(えつ) ~前二七五年。楚に滅ぼされる】                    

(いん)(じょう)………在位前五一〇年以前。初めて王号を名乗る

句践(こうせん)………在位前四九六年~前四六五年。允常の子

 范蠡(はんれい)……参謀。呉を滅ぼした後、国を去り、商人として巨万の富を築く

 (しょう)………大夫。范蠡(はんれい)とともに呉を滅ぼすが、後に、句践(こうせん)に自刃を命じられる


(そう) 前十一世紀後半~前二八六年。斉に滅ぼされる】

微子(びし)(けい)……宋の始祖。商の紂王の異母兄。前王朝に繋がる為、最高位の公爵が与えられる

華元(かげん)……右師(うし)(宰相)。『()(へい)の会盟』を取りまとめる

(しょう)(じゅつ)……左師(さし)。『第二次弭()(へい)の会盟』を取りまとめる

 子罕(しかん)……司城


(そう) 前十一世紀後半~前四八七年。宋に滅ぼされる】

曹叔振鐸(そうしゅくしんたく)…曹の始祖。武王の弟


(ちん) 前十一世紀後半~前四七八年。楚に滅ぼされる】

武王が、(しゅん)の子孫を探し出して陳に封じた。


(さい) 前十一世紀後半~前四四七年。楚に滅ぼされる】

蔡叔度(さいしゅくど)……蔡の始祖。武王の弟


(しん) 前七七一年、初めて諸侯に列せられる。前二二一年、()(こう)(てい)が天下を統一。前二〇六年、(かん)に滅ぼされる】

非子(ひし)………秦の始祖。前九〇五年、周の(こう)(おう)に仕え、秦邑(しんゆう)を与えられる

非子(ひし)………秦の始祖。前九〇五年、周の(こう)(おう)に仕え、秦邑(しんゆう)を与えられる

(こう)(こう)………十代君主。在位前六二一年~前六〇九年。晋から出奔してきた士会を重用。父親の九代君主穆公は賢臣を用い国力を増大させ、晋の国君擁立に深く関与





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