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その二

 十一 ()


 年も改まったある日の午後、湣公(びんこう)のもとから帰ってきた孔子は、皆を集めると、一息  ついてからおもむろに口を開いた。

「わしは春になったら楚へ行こうと思う。楚の(しょう)(おう)(まつりごと)をみてみたいと思うのじゃ。 今日の宴席で昭王と昭王の兄弟の話がでた。何年か前のことらしいが、昭王が病にかかったおり、卜人(ぼくじん)が占うと、黄河の神の祟りとでた。大夫たちがその怒りを(しず)めるため郊外で河神を祭祀したいと願い出たが、昭王はこういったそうじゃ。『夏・商・周三代の祭祀のきまりでは、諸侯は領域内に望見(ぼうけん)できる山川(さんせん)を祭祀すればよいことになっている。領外にある黄河まで祀る必要はない。私は不徳でも、黄河の神に罰を受ける(いわ)れはない』、とな……」

 孔子は我が意を得たりという表情で弟子たちを見まわし、さらに続けた。

「それから昭王の庶兄の()西(せい)についてじゃが、父の(へい)(おう)が亡くなった時は、(しょう)(おう)(おさな)かったため、王位を()ぐよう勧められたが、固辞(こじ)して、弟の昭王をよく補佐しているという。またその弟の子期(しき)白挙(はくきょ)の戦いのおり、昭王に似ているため、身代わりを申し出たそうじゃ。この兄弟にはもう一人子閭(しりょ)という弟がいて、この三人で昭王をよく盛り立てておるらしい。————それと子西についてはこんな話もでた。呉の夫差(ふさ)を恐れる楚の大夫たちに『まずはこちらが結束していないことを憂えられよ。民を思いやった先代の闔閭(こうりょ)はともかく、(ぜい)(たく)三昧(ざんまい)夫差(ふさ)は恐るるに足らず!』と、味方の結束を呼びかけたそうじゃ。(せい)(かん)(こう)には(かん)(ちゅう)が、(てい)(かん)(こう)には()(さん)という名宰相がいて国がよく治まったように、いまの昭王にはこの兄弟たちがいる。その政を見に行ってみないか?」

 これを聞いた子貢は(やっぱり!)と思った。

 陳での滞在はまもなく三年になる。なぜ陳なのか。舜に関する研究のためか。湣公(びんこう)も名

君とは言い難いが、この国の居心地は悪くない。しかしそれだけで三年? 他に理由があるはずだ。先生のお心の中に、名君と噂される昭王の存在があるような気がしてはいた。しかし、先生の思考の妨げになってはいけないと聞かないでいたのだった。


 そして春。朝夕はまだ肌寒さが残っているが、弟子たちは楚への期待もあり、張り切  って旅支度をしていた。

 そんな時、驚くべきうわさを耳にした。なんと呉が攻めてくるというのである。そして

この陳を救うため、昭王自ら救援のため(じょう)()に向かっているとのこと。

 それでも孔子は行先を変えることなく、楚の都である(えい)をめざすことにした。

(先生はきっと昭王に会う前に、(えい)という都と昭王の政をみておきたいのだ)

と、子貢は推察した。

 そして、宋の時のことがあったので、いざという時は各自が自分の荷物をもって、バラ

バラに逃げられるよう手配をした。

 ただ、これまでの旅に何度か同行してくれ、また陳滞在中は何かと面倒をみてくれて                            いた公良孺(こうりょうじゅ)は、今回は自国の危機のため一行に加われず、陳に残らざるを得なくなった。

 子貢は少し心もとなさを感じたが、とにかく出発することにした。


 慌ただしく街道を行き交う人々の表情には、みな緊迫感(きんぱくかん)がみなぎっていた。

 何日も野を越え、ときには川を渡り、(ちん)(さい)の国境らしきところまでくると、人と会う ことはまれになった。時々見かける集落はどこも人気がなかった。村の住民はどこかに連れ去られたらしい。道を聞くことも食料を調達することもできなくなっていたが、それでも見当をつけて南の方向へ進んでいくと、遠くの方から人の群れが近づいてきた。

 これで、せめて道を聞くことができるかとほっとしたが、何だか様子がおかしい。孔子

たち一行のことをわかって向かってきているようなのだ。その群れは何十人もいて、しかも年寄りや体の不自由な男たちばかりで構成されているようであった。

 子貢もほかの弟子たちもどうしてよいかわからず、互いに目を見かわし、だまって師の判断を待った。近くに廃屋(はいおく)とおぼしき民家があったので、師の指示でとりあえずそこに避難することにした。

 男たちの群れは、楚への行く手を(はば)むのが目的のようで、一行に危害を加える様子は  なく、ただ遠巻きにして見ているだけであった。

 動きものそりのそりとまるで亡霊(ぼうれい)のようだ。そのうちに、道端の土手や辺りの草原に座ったり寝転ぶものも出てきた。


 十二 (ちん)(さい)(やく)                           


 やがて夜になり、そして朝を迎えた。

 その日も男たちは遠巻きで見ているだけであった。というより、ただいるだけのようで

あった。たぶん男たちは、戦力外とみなされ、呉にも楚にも連れていかれず残された、   いわゆる()(みん)なのであろう。頭目(とうもく)らしき人間は見当たらず、統制もとれていないようであ った。

 やがてまた夜になり、そしてまた朝を迎えた。

 その日も状況は変わらなかった。師の様子も変わらなかった。皆、じっと師の言葉を待っていた。

 もちろん子貢も、そして子路も。

 ただ一人、顔回だけが籠を抱えて、廃屋の裏手の荒れ果てた畑や土手のまわりで、ときにウロウロ、ときにうずくまってなにかをしていた。しばらくして戻ってきた顔回の籠の中にはいろいろな草や根菜、それに木の若芽が入っていた。

「なんだ、それは?」と、子路が聞くと、

「食べられる野草やなんかです」と、顔回。

「本当に食えるのか?」と、子路。

「大丈夫です。陳の農民がいろいろ教えてくれました。私はまえから、干ばつにも強い作

物や食べられる木の実や葉っぱなどの山野草の普及について考えてました。これでも少しは足しになると思いまして……。春の野草はえぐみや苦みはありますが、()(よう)もあるんですよ」

と、顔回は微笑んだ。

 それを見ていた師も、我が意を得たりとばかりにうなずいた。

 子貢はいつも民のことを考えている顔回に感心した。

 そのあくる四日目、さすがにみんなに焦りの色が出始めてきた。残された食料も心もとなくなってきた。

 それでも子貢はいつものように師の指示を待った。どうこうしようという決断は先生がなさることだと思っている。師の意を受けて、初めて子貢は動くのである。

 いつもならヒマがあると市場をのぞいたりして商いをするのだが、いまはすることが ない。


 そこで考えるともなく考えた。

 こんな状況になっても意外と落ち着いていられるのは何故なんだろうと。

 答えはわかっている。

 囲んでいる男たちが大したことないと踏んでいることもあるが、何よりもそれは先生と一緒だからだ。

 (きょう)のときも、宋の桓魋(かんたい)のときも。

(そういえば……危機に陥ると、先生はかっこいいことばを発せられる。もしかしたら今回も……)と、思った時、こんな状況にもかかわらず、子貢は思わずふっと笑ってしまった。

 桓魋に襲われそうになったときのことを思いだしたのだ。

(先生、「桓魋(かんたい)()(われ)如何(いかん)せん!」なんて(おお)見得(みえ)()るもんだから、みんな、特に子    路さんなんて、てっきり一戦交えるものと覚悟してたのに……。まさかその後すぐ「みんな、逃げろ! さぁ、早く!」と仰って、ご自身もさっさと逃げ出すなんて……。子路さんの、一瞬あっけにとられ、きょとんとしたあのときの顔といったら……)

 その後、今は空腹でぐったりしている子路をみて、またもや笑ってしまった。


 それからまた、考えるともなく考えた。

 魯を出てかれこれ九年。期待した衛の霊公にとって、先生は単なるお飾りだった。

 陳の湣公(びんこう)にとっても、先生は賓客(ひんきゃく)の一人にすぎなかった。   

 先生は、どこに行ってもそれなりに丁重にもてなされ、国君や卿大夫の相談にも    あずかる。が、臣下として任用されることはなかった。

 そういえばずいぶん昔、先生が三十代のころ斉に行ったときもそうだったらしい。

 (せい)(けい)(こう)は先生を用いようとしたのだが、かの有名な晏嬰(あんえい)に反対されたとか。


 その晏嬰とは、楽しく過ごすこと以外なんの考えもない、まるで子供のような景公を、幾度となく諫めて善導(ぜんどう)した名宰相である。

 この頃の斉が、盟主・桓公の時代に次ぐ栄華期を迎えることができたのは、そんな晏嬰のおかげともいわれている。

 後にも述べることになるが、自身の不善がもとで、崔杼(さいちょ)という臣に弑された景公の兄・(そう)

(こう)は晏嬰の諫言を退けたが、後を継いだ弟の景公は、そんな性格なのになぜか晏嬰を心底信頼し、多くの場合その諫言に素直に従ったという。

 常に国のこと、民のことを第一に考える晏嬰は、崔杼が荘公を弑して実権を握ったときも、崔杼の言いなりにはならず筋を通した。それでも、国人の支持を得ていたため殺されずにすんだという。

 そんな晏嬰の数々の功績と逸話は、好感をもって他国にも伝わり、子貢の耳にも届いていたのだ。


 それと、これも余談にはなるが、その晏嬰の言行録に『晏子(あんし)春秋(しゅんじゅう)』がある。

 のんきな景公に、何かにつけては民の窮状(きゅうじょう)を訴え、その救済に()(しん)する晏嬰。

 だが、いつもいつもその(せつ)()がうまくいったわけではない。

 (だい)()(きん)に見舞われたため、国庫の穀物を放出するよう願い出たときには聞き入れても らえなかった。そこで考えたのが、当時建設中の()(しん)(だい)(諸侯が政を聴くための正殿)の工事の労賃を上げること。しかも、規模も拡大し、そのうえ、急がせないでゆっくりやれと、内々に役人に命じるという際どい手法。そのため完成までに三年もかかったが、結果として景公は満足し、民も救われたという。                

 他にも、君である景公に敢えてズケズケと直言したり、斉国と晏嬰を何度も(はずかし)めよう   とする悪名高い楚の(れい)(おう)をその度にやり込めたりと、まことにもって小気味(こきみ)よく、まさに痛快そのものの話も多々載っている。              


 後年、『史記(しき)管晏(かんあん)列伝(れつでん)』で晏嬰を取り上げた司馬遷(しばせん)は「晏嬰の御者になりたい」と    まで語っている。


 それほどの名宰相に、先生はなぜ拒まれたのだろうか。楚に行ったとして、はたして昭

王は先生を用いてくれるだろうか————と、不安になる子貢であった。


 しかし、三年前、今は季孫家の宰になっている冉求が、陳に来た時話してくれた、()(そん)

()のことを思い出した。

 斯は亡くなる前に、庶子の()に対して、先生を呼び戻すよう言い残したという。

「あのとき先生を引き留めておけば、魯はもっと良い国になったかもしれない」

と、後悔していたとか……。

 それと、斯は亡くなる二ヶ月まえ、桓公(かんこう)僖公(きこう)(びょう)の火災の時、

「人命が危険になったら消火は止めよ。財物は焼けてもまた作れる」

と言ったり、死の間際には近臣に、(じゅん)()はしないよう命じたとか。

 あのときこれを聞いて、子貢は、

(やはり、あのときの子路さんの直感は、当たっていたのかもしれない)

と、思ったのだ。

 なぜなら、九年前に魯を去る時、子貢のまわりの大勢は、

「斯は、斉から贈られた女楽に夢中になったあげく、定公を巻き込んで、国政を怠った。

そのうえ、先生を軽んずる行動をとったりして、全くもってけしからん!」

と、怒っていた。

 しかし、そのとき季孫家の宰を辞めたばかりの子路は、

「斯が変わった気がする。あんな人間ではないと思ったんだが……」

と、残念そうな口ぶりで言っていたのだ。

 子貢は、その純朴な性格ゆえに一見粗野にみえる子路の、意外と鋭い直感を信じていた。

 子貢は、その九年前の子路の話と、三年前の冉求の話とを考え合わせて、

(六年の間に、斯は変わったのかもしれないが、もしかしたらあの時、斯にも何か事情があったかのもしれない。堕三(ださん)()のまえに、先生と斯がわかりあえる何かきっかけがあったなら……。それが残念だ!)

という思いを深めた。

 それから、師がよく語っていたことを思いだした。

「管仲や子産の業績は極めて偉大である。しかしそれは、(ほう)(しゅく)()(かん)(ちゅう)を、子皮(しひ)()(さん)

推薦し、その後ろ盾になったからである。だからこそ、この二人は宰相として、思う存分力を(はっ)()できたのだ。賢者を推薦するものが真の賢者である」と。

 子貢は、魯の(じょう)(けい)である斯がもっと早く先生を呼び戻し、斉の鮑叔牙や鄭の子皮のように先生の後ろ盾になってくれていたら……、と考え、また残念に思った。

 長い歴史を見るに、よい政にはやはり、時と人の(めぐ)り合わせが大いに関係するようだ。

 今のところ、こと政に関しては、先生は時と人に恵まれなかった。

 この先、楚に行ったとして、昭王は先生を用いてくれるだろうかと、またもや不安になる子貢であった。


 そんなことを考えていると突然、子貢は、近くで人の動く気配を感じて我に返った。

 みると、子路がふらふらとした足取りで孔子に近づいた。そして、少しいらだった様子

で尋ねた。

「君子でも(きゅう)することがあるんでしょうか?」

 孔子はゆったりと子路を見て小さくうなずいてから、靜かに言った。

君子(くんし)(もと)より(きゅう)す」

 それからあらためて()()まいを正し、(ひと)()(きゅう)置いてからキッパリ言った。

小人窮(しょうじんきゅう)すれば(ここ)(みだ)る!」

(出た————)

 子貢はそのことばにはじかれたように顔を上げた。そして、師の近くに行きかしこまった。

もちろん子路も、顔回も、他の弟子たちも。


 弟子たちが(そろ)ったのを見て、孔子がおもむろに口を開いた。

「詩に云う、『()(あら)()(あら)ず、()曠野(こうや)(したが)う』と。()(みち)()なるか。なにゆえここに(いた)れる。……どうしたもんじゃろうのう。私の道は誤りなのだろうか? どうしてこのような事態になってしまったのかのう?」

と、弟子たちを見まわした。

 みな憔悴(しょうすい)し、考える余裕も話す気力もなさそうだ。

 こういうとき、いつも最初に発言するのは子路である。

「私は以前先生から、よいことを行う人には天が福で報い、悪いことを行う人には天が災いで報いると聞きました。わたしたちの徳が足りないからなのでしょうか。それとも、智が足りないからなのでしょうか」

「そうかのう。おまえは仁者(じんしゃ)が必ず報われると思うか。それならなぜ(はく)()(しゅく)(せい)(しゅ)陽山(ようさん)()()したのであろうか。智者が必ず任用されると思うか。君主を諫めた忠臣の意見は必ず 聞き入れてもらえると思うか。それならなぜ()(かん)は殺されたのであろう。道を究めても() (せい)にあわず、報われなかった君子も(あま)()いる。ほかの皆はどう思うか?」

と、全員を見まわした。


 子貢は二人の会話を聞いていて、次は自分が聞かれる番だと思った。

 案の定、孔子の視線は子貢のところで止まった。

 子貢はさっき、先生が臣下として任用されない訳をいろいろ考えていたところだったの

で、叱責を覚悟のうえで、思い切って言ってみることにした。

「はい。先生の道は極めて遠大(えんだい)です。それゆえ、人々は受け入れることができないのではないでしょうか。先生、少し理想をお下げになってはいかがでしょうか」

 はたして孔子の反応は、子貢の予想通りであった。

「耕作が上手い農民でも、いつも多くの収穫が得られるとは限るまい。腕のよい職人でも、

作品がいつも客の好みに合うとは限るまい。君子が道を究めても、いつも世の中に受け容れられるとは限るまい。おまえは道を究めることに全力を出し切る前に、世の中に受け容れられることを考えている。おまえの志は遠大とはいえない」

と、子貢にいったあと顔回を見た。

 子貢は心の中で、(やっぱり!)と思った。

 そして、次に質問される回さんは何と答えるだろうと気になり、耳をそばだてた。


 顔回はいつものように遠慮がちに口を開いた。

「……はい。たしかに先生の道は極めて遠大です。それゆえ人々は受け入れることができ

ないのだと、私も思います」

 子貢は(あれっ? 回さんも同じ?)と思ったが、次の、

「————そうではありますが、先生!」

という一言でドキッとした。

「先生はこれからも語り続けてください。先生の理想とされる世の姿形(すがたかたち)を! たとえば、

夜空に輝く北晨(ほくしん)が千年先二千年先にも(しるべ)であるように、先生のおことばはのちの世にも必

ず語りつがれます。そして人々の心を動かします。————説に誤りがあるのは我々の恥ですが、

説が完全なのにこれを用いないのは国を(たもつ)ものの恥です。説が完全であれば今の世に受け

入れられなくとも、なにほどのことがありますでしょうか」

 最初こそ遠慮がちに語っていた顔回であるが、語っているうちにだんだん熱が入ってき

たようだ。こんなに熱く語る顔回を、子貢は初めて見た。

 しかしすぐ、熱くなった自分が恥ずかしくなったのか、またいつもの顔回に戻って続け

た。

「……理想を高く掲げ、世に示せば、人々は夢と希望を持つことができます。明君にはさ

らなる励ましを、暗君には反省を促します。先生! あのとき、()(ほう)(じん)がいわれたように、先生は《世の人々を教え導く木鐸》となって下さい」

 子貢は《儀の封人》《木鐸》、と聞いて思い出した。

 顔回の、あの時の、何かを思い定めたような表情を!

(そうだったんだ。回さんはあのとき、先生の使命を悟ったんだ。……負けた!)

 負けず嫌いの子貢がこれまでの人生で初めて認めた完全な負けであった。

 いや、本当はずっと前からわかっていたのだ。ただ認めたくなかっただけなのだ。

 しかし今、それを素直に認めることができたことが、子貢には()(しょう)にうれしかった。

 

一方、語り終えた顔回は、熱くなった自分が恥ずかしくなったのか小さくなっていた。

 しばらくして、最初に口を開いたのは、やはり子路であった。

「回、お前やっぱり凄いよ! また見直したよ! なぁ、子貢⁉」

「はい! 格好よかったです! 回さん…」

 孔子は三人の様子を満足げにみながら微笑んだ。


 その後しばらくして、みんなの納得した様子を見た孔子が、また話し始めた。

「ここ何日かのあやつらの様子からして、今すぐわしらに危害を加えるとは思えん。   あやつらは飯につられてここにいるだけで、おそらくわしらを取り囲んでいる     理由もわかっておらんじゃろう。たぶん、首謀者(しゅぼうしゃ)もあの場所にはおるまい。誰が、なぜ、  わしらを取り囲んだのか、今ここで詮索(せんさく)しても始まるまい。無用な争いをするより、ここ は()(すけ)()を連れてきてもらおうと思う。助けを求める相手を見極めるのは大変   じゃが、賜なら大丈夫じゃ。賜よ、やってくれるか?」

と、子貢を見た。

 子貢は「はい」と小さくうなずいた。

 孔子も、それ以上聞くまでもないと思ったのだろう。今度はみんなに向かい、

「あやつらも野宿が続いて、そろそろ疲れが出てきておるじゃろう。未明になれば油断もしてぐっすり眠りこむであろう。————賜よ、おまえは馬に乗れる。()(いん)に紛れて囲みを抜け出し、助っ人を連れてきてくれ。みんなは賜の支度を手伝ってやってくれ。残ってる食料の半分は 小分けにして持たせてやってくれ。————賜よ、捕まりそうになったら、それをばらまけ! あやつらはおまえを捕まえるより、食料を奪い合うじゃろうよ。……それから、賜よ、支度が出来たらわしのところへ来い。話がある」、

と言って、皆を解散させた。


 子貢は支度が整うと孔子のもとに行き、軽くお辞儀をした。

「おぅ、支度はできたか。いやなに、大したことではない。ただ出発前に少し話しておき

たいと思うてな。……賜よ、おまえ今日、何か心境(しんきょう)の変化があったのではないか?」

「はい。やはり回さんは(すご)いと思いました」

「そうか。それでは改めて聞くが、おまえと回とどちらが優れていると思うか?」    「はい、私なぞどうして回さんと比較になりましょう。私は回さんにはとても及びません。

回さんは一を聞いて十を知ることができますが、私は一を聞いて二を知る程度です」

「そうじゃなぁ。確かに、考え抜く、考え続けるという点では、おまえより回のほうが優っている。回は常に考え自分の心に問うておる。ゆえにその信念は筋金入りになる。これまでにどれだけ自問自答したことか……その点は、わしも回にはかなわんかもしれんな。今日の回の答えは、わしもある程度は予想していたが、あそこまで深く考えていたとはなぁ……。いつかあいつは、わしが思いもかけんような(きょう)()を究めるかもしれんなぁ……」

と、目を細めた。しかし、そのあと急に可笑しそうに、

「その点、回とは逆が由じゃ。あやつは()(さく)とは無縁で、考えることはわしに任せきって

おる」

と、言ったが、その後すぐ()(がお)になって、

「じゃが、いざというときのあやつの直感には(あなど)れんものがある。たぶんあやつの心の  目が澄んでるからであろうよ」

と、いとおしそうにつけ加えた。


「さて、次はお前じゃ。わしは誰よりもお前が心配じゃ。わしがいなくなっても由は由らしく、回は回らしく生きていくであろう。————じゃが、わしがいなくなったら、お前はどんなふうに生きていくか? お前は達で、才覚も人並み以上じゃ。命を受ければ誰よりもうまくやってのける。————じゃが、いくら達で才覚があっても、自分のやりたいことや大事にしているものがわかってないと人間として危うい。世の中に受け入れられるかどうか考える前に、まずはそのことを自分の心によくよく問うてみるがよい。」

と、真剣な目で子貢を見た。

「はい、確かに、自分が何をしたいのかまだわかりません。回さんを見てますと、世のためにしなくてはならないことが山ほどあるのがわかります。どれも大事な仕事です。ですが、正直なところ、私にとって、これだ! と思えるものがまだ見つからないのです。先生の近くに答えがあるような気がしてならないのですが……。何かこう、心の底からこれがしたい! と思えるものが……。うまく言えませんが、私の性に合って、何かこう胸がワクワクするようなことが……」

 それを聞いて、師は珍しくやさしくうなずきながら言った。          

「そうか。早く見つかるとよいのう。————ところでおまえは、わしのことを敢えて一言    で表せば、広く物事に通暁(つうぎょう)した学者だと思うか?」

「はい。そう思います。違いますでしょうか?」

「違うな。()(みち)(いつ)(もっ)(これ)(つらぬ)く。わしはただ一つの思いで生きてきた。たしかに、はじめは学ぶことがただただ楽しかった。そうこうして三皇(さんこう)()(てい)や、夏・商・周、三代の政や祭祀のことを学んでいるうちに、戦のない平和な世を夢見るようになった。そして学校を開き、弟子たちに人の道を語り誨えることが、わしの無上の喜びとなった。わしのなかで教育と政が結びついた。ただ一つの思いとは、教育と政で世の中を少しでも良くすることじゃ。 おまえから見てわしの言動は、矛盾があったり、迷走しとるように見えるときがあったやもしれん。実現を焦るあまり、周りの状況も見極めず性急に事を運び、失敗したことも一度や二度ではない。だが、すべてはこのただ一つの思いのためであったと自信をもっていえる。 おまえも早く、その真にワクワクするものが見つかるとよいのう」

 子貢が素直にうなずいているのを見て、師は続けた。

「わしが言いたかったのはこのことじゃ。今回は(なん)()をかけるがよろしく頼む」

「はい。かしこまりました」

「だが無理はするな。無事に戻ってくるのじゃぞ」

「はい! 行ってまいります」


 子貢がお辞儀をしてその場を下がると、顔回が待っていた。

「子貢さん、大変ですがよろしくお願いします。それでですが、なんでしたら私が出発の時間に声をかけますので、それまでしっかり休んでください」

「それは助かります。ありがたいです。でもそれでは回さんが……」

「私は、子貢さんを送った後いくらでも眠れます。私にできるのはそんなことくらいです。子貢さんのような働きはできませんから……」

「ありがとうございます」

子貢はそう言ってから少し迷ったが、思い切って言ってみることにした。

「実は回さん、お願いがあるんですが……」

「私にできることなら何なりと……」

「前から思ってたんですけれど……。私が戻ってきたら、回さんがこれまで書き溜めた  ものを読ませていただけないでしょうか。できれば回さんの考えも教えていただきたいのですが……」

「はい、よろこんで! 私も子貢さんの考えを教えていただきたいですし……」

 顔回は、心からうれしそうに応じた。

「では、お言葉に甘えて休ませていただきます」

 子貢はこれからの任務への不安より、顔回に対して抱いていた屈折(くっせつ)した感情がなくなり、

心が晴れやかになったことがうれしかった。屈託(くったく)のない素直な気持ちのなんと心地よい  ことか!


 横になりうとうとしていたが、いつの間にか深い眠りに落ちていた。

 どのくらい眠っていただろう。肩を静かにとんとんされて目が覚めた。辺りはまだ暗い

が、目が慣れてくると微かに人の輪郭(りんかく)がわかるようになっていた。

(さすが回さん、出立には丁度良い頃合いだ)

と、思いながら、男たちに気づかれないように、囲みの近くまでは馬の手綱をひいて静か

に歩いた。いよいよ近づいたと感じると、馬に(またが)り一気に囲みを()け抜けた。

 孔子の言ったとおり男たちはぐっすり寝込んでいて、囲みを抜けることは(ひょう)()()けするくらい簡単だった。やがて東の空が明るんできて山の稜線がはっきりしてきた。

 刻一刻と変化する朝焼けの空は、色も光線の輝きも、そして雲の様も、すべてがやさし

く美しく、まるで、門出を見守ってくれているように感じられ、子貢の気持ちも明るく  なった。

 そして、ひたすら進路を南にとり馬を走らせながら、乗馬のことを教えてくれた父親に

感謝した。

 衛の帝丘で手広く商いをしている林は()(はし)()いて、中原の外の戎狄(じゅうてき)や、遠く西域の情報も集めていた。そこで騎馬(きば)の風習とその()便(べん)(せい)を知って、子貢も乗れるように、騎馬の心得の有る人間をつけてくれた。

 しかしまだこのころの中原では、馬車を高等な乗り物とし、馬にまたがるのは野蛮なこと

と思われていたので、子貢は人目に付く場所で乗るのは控えていたのだ。


 やがて日が昇り、どこまでも続くまっすぐな道や、遠くの丘がハッキリ見えるように  なると、子貢は清泉と通の顔を思い浮かべ、落ち着いたら一度帝丘に帰ろうと思った。

 通はかわいい盛りである。清泉には土産話(みやげばなし)がいっぱいある。特に今回は話したいことが。

 この(ちん)(さい)(やく)での回さんのこと、回さんへの思い。

 清泉は別として、人を好きになること、わかり合える(とも)ができるということは、なんと

うれしく幸せなことだろうとしみじみ思う子貢であった

 子貢は清泉との約束どおり、旅の出来事やその時々の思いは、大方話していた。

(清泉はきっと、自分の回さんに対する心境の変化を喜んでくれるはず)

と、話した時の清泉の顔を思い浮かべて、またうれしくなる子貢であった。

 それから師のことばをあれこれ思い浮かべていると『()(みち)(いつ)(もっ)(これ)(つらぬ)く(く)』のところでハッと思った。             

(そうだ! もしまた子が生まれたら、男の子なら(いっ)(しん)、女の子なら一花(いちか)にしよう。ただ 一つのもの、ただ一つの思い。なんていい言葉だろう)

と、考えていると、遥か前方に人影が見えた。

 注意しながらゆっくり近づくと楚の兵のようだ。さらにその前方には何十人という兵隊がいた。遠目に見て規律正しい様子に見える。子貢は近くの兵に近づき、事情を説明し援軍を頼んだ。

 その兵は隊長に相談するからついてくるようにと言って、先導してくれた。

 簡単に説明を聞いた隊長は、

「今、ちょうど(しょう)(こう)がこの辺りの視察にお越しになっている。直接話してみなさい」

と、(しょう)(こう)のところまで案内してくれた。

 子貢の説明に、葉公は、

「事情はわかった。すぐにも援軍をだそう」

と、ただちに部下に指示を出した。

 それに対し子貢がお礼の言葉を述べると、葉公は、孔子とは()()なる人物かと訊ねてき

た。

「先生の理想はどこまでも高く、思いはどこまでも深く、その知識はどこまでも広く、  とても私には思い及びません。どうか葉公様ご自身でお確かめください」

と、子貢は答えた。

 そのあとすぐ孔子のもとに戻ると、楚の援軍を遠くに見た男たちは恐れをなしたのか、戦わずして逃げ去った。


 このあと、孔子一行は楚の負函(ふかん)という町に案内された。ここは(さい)の移民のために造られ

た新しい町で、今は葉公の管理下に置かれている。

 旅装を解いて落ち着くと、子路が一行を代表してその旨の報告とお礼に出かけて行った。

 帰ってきた子路は、しょんぼりした様子で報告した。

「葉公に直々お目にかかりました。そのとき先生はどのような人物かと訊ねられましたが、

私は何も答えられませんでした」

 孔子は少し微笑んでから、悠然と言った。

「由よ、お前はどうしてこう言わなかったのだ。『()(ひと)()りや、(いきどお)りを(はっ)して(て)(しょく)(わす)

れ、(たの)しんで(もっ)て憂い(うれ)を忘れ(わす)、()いの(まさ)(いた)らんとするを()らず』、とな」

 子貢はまたもや、(う~む。すごい!)と感心した。

 しばらくして周りを見回すと、子路も顔回も他の弟子たちも皆感激の面持ちをしていた。


 十三  負函の夜                          


 ()(かん)に着いて何日かしたある星の美しい夜のこと、日中の暑さが嘘のように涼しかった。

 子貢は子路と久しぶりに酒を酌み交わしていた。すると、そこに顔回がやってきた。

「私も仲間に入れていただけますか?」

「ああ、いいとも。……珍しいな、お前が自分からこんな席に来るなんて」

と、子路が言うと、

「はい。実は前からお二人の仲間に入れていただきたいと思っていたんです。でもなか  なか言い出せなくて……」

「そうか。お前、真面目(まじめ)だからなぁ。こんな席に呼んでも迷惑かと思ってな……」

「はい。でもこの頃子貢さんが何だかいろいろ話しかけてくれて……。それで、今晩は思

い切って来てしまいました」

「そうか。子貢がなぁ」

 子路が子貢を見てニヤリとした。

「お前が回に対して態度が変わったとしたら、(ちん)(さい)(やく)からだな?」

「はい、あのときの回さん、格好いい! と思いました」

「ありがとうございます。……でも私には理念を語ることしかできません。子路さんの  ように(ぼう)()に立ち向かうこともできないし、子貢さんのような才覚もないのであまり役  に立てなくて……」

 と、顔回が謙遜(けんそん)すると、子路は、

「おうよ、先生を守るのはおれだ! 現に先生も『(みち)(おこな)われず、(いかだ)()りて(うみ)()かばん。

(われ)(したが)(もの)は、それ(ゆう)なるか』と仰ってくれている。おれはどこまでも先生について   いくつもりだ」

「確かに先生はそう仰いました。でも子路さん、先生は、『(ゆう)(ゆう)(この)むこと(われ)()ぎたり。(ざい)()(ところ)()からん』とも仰ってますよ。材をとるのは私です。私も先生にどこまでも  ついていきます」  

 子貢は笑いながらそう言うと、今度は顔回を見て、

「そしてもう一人……」

「はい! もちろん私もどこまでもついていきます」

と、顔回もいつになく大きな声で答えた。

「そうよ! その調子だ。お前、いつも控えめすぎるんだよ。それと、子貢のことは年も

下だし、子貢でいいんじゃねえか? なっ?」

と、子路が子貢を見た。

「はい! 私もその方がいいです」

と、子貢がうなずくと、顔回はうれしそうに、

「はい。これからはそうします」        

と言った。そしてそのすぐ後、突然何かいいことを思いついた子供のように、うれしそうに、

「そういえば、以前みんなで先生について農山(のうざん)に遠出しましたよね。その時、先生が私  たちに、それぞれの[志]をいうように言われたの、(おぼ)えてますか?」                   

「おうよ。俺は、『各陣営の(しょう)()の音、天に(とどろ)き、(かん)()の交わる音、兵士の()(たけ)び地を    震わせるまさにその時、私は、月のように白く輝く羽と、太陽のように赤く輝く羽を旗竿(はたざお)

の上につけ、一隊を率いて戦い、敵を千里の先まで退かせましょう。—————これは私だけが 

できることです。回と子貢は私につき従わせます』と、言った」  

 子路は早速、無邪気に返答したが、子貢は顔回の様子を(いぶか)しく思い、少し(かま)えて答えた。

「はい。私は、『両陣営(りょうじんえい)(あい)()()い、今にも戦いが始まらんとするまさにその時、白い()(ぎぬ)の衣と白い(かんむり)をつけ、両軍の間に割って入り、双方の言い分を聞き、戦いの無意味(むいみ)さを説いて和解に導きます。————これは私だけができることです。子路さんと回さんは私につき従っていただきます』と言いました」

 二人の言葉を受けた顔回は、

「そうでした、そうでした。そして私は、『もし、明王・聖王に仕えることができれば、王を補佐し、徳をもって国を治め、無益な労働をさせず、兵器は()(つぶ)して農具にし、田畑山林を開墾(かいこん)します。千年の後まで戦のない世にして、民が幸せに暮らせるようにしたいです。子路さんの勇も、子貢さん、いや、子貢の弁才も不要な世の中にしたいです』と言いました。

————さて、皆さん! 皆さんは今も同じお考えですか?」

 顔回の意味ありげな問いと顔つきに、さすがに子路も何かを感じたらしく、

「まずは、お前の話を聞こう」

と、顔回の話を促した。

顔回はクスリと笑うと、

「はい、私は、今は少し違います。今ならこう言います。『もし、明王・聖王に仕えることができれば、私は王を補佐し、徳をもって国を治め、無益な労働をさせず、兵器は鋳潰    して農具にし、田畑山林を開墾します。千年の後まで戦のない世にして、民が幸せに暮ら  せるようにしたい』と、ここまでは同じです。————この後です、違うのは。今ならこう言います。『そのためには、子路さんと子貢は私に協力してもらいます!』、と」 

 そしてまた二人を見て、ニッコリと笑うと話を続けた。

「まず子路さんには、田畑山林の整備、農機具の製作、灌漑(かんがい)(こう)()など、民の旗振り役をし                

ていただきます。民をその気にさせるのは子路さんが適任です。子路さんしかできません」

 子貢は、いかにも楽しそうに話すこんな顔回を初めてみたので、(回さんに、こんな一面があったなんて……)と驚いた。

 それに、顔回が子路にしてほしいことも、子貢にとって意外だった。なにしろ、子路さんといえば、まず浮かぶのが武と勇の二文字。しかし、顔回にそう言われてみると、民とともにいきいきとかつ楽しげに働いている子路の様子が容易に想像できる。

 ————では、私は?

 この間、ほんの一瞬であったが、子貢の頭の中は目まぐるしく回転していた。

 顔回は、そんな子貢の頭の中を見て取ったようで、子貢が、顔回のことばを受け止める心の準備ができるまで待って、ゆっくりと話し始めた。

「そして子貢には、商いの才能を生かして、正当な商いで金をいっぱい(もう)けさせます。正

しい取引で商業を盛んにし、儲けた金は親のない子、子のない年寄り、身体の不自由な人

々のために使います。————そして私はといいますと、民が()えないよう食料の増産を図   ります。天候に左右されない作物や果樹を植えます。あっ、それから薬草も。それから専門

家に命じて、それらの大全(たいぜん)を編纂します。それから、畜産や魚介類などの養殖もいいです

ねぇ。それから————」

 そのとき子路が、延々と続きそうな顔回の話を、手を振ってさえぎった。

「わかった、わかった! そんな時が来たら喜んで協力するよ! ……でもなぁ、そんな

夢みたいな世の中来るかなぁ」

 そして、そのあとまた、うれしそうに続けた。

「しかし、お前も冗談がいえるようになったなぁ。優等生があんまり謙遜すると嫌みだし、とっつきにくいから、お前、このくらいのほうがいいよ。なぁ、子貢⁉」

 子貢は話を合わせて、

「はい。そうですね」

と言ったものの、また考えてしまった。

(回さんはあんなにやりたいことがあるんだ。それにひきかえ、私は……、ついこの間、先

生に指摘されたばかりなのに……)と、いつの間にかそのことを考えるのを忘れていたと、

また反省した。


 そんなことを考えていると、すぐ後ろから声がした。

「ずいぶんと楽しそうじゃのう。わしも仲間に入れてもらおうか」

 師が近づいてきたので、顔回がすぐ子路との間をあけた。

「今宵は(ほし)(づき)()じゃのう」

 皆、小さな声で「はい」と答えた。

 しばらくみんなで星に見入っていると、

「ふ~む。うむ」

という、何か考え込んでいるような師の息遣(いきづか)いが聞こえた。

 三人はハッとして師を見、そのあと期待をもって互いに目を見合わせ、師の言葉を待った。

(生まれる。今度はどんなことばが先生の口から生まれるのか?)

 三人は同じ気持ちでじっと待った。

(まつりごと)()すに(とく)(もっ)てするは……(たと)えば、……北辰(ほくしん)()(ところ)()て、(しゅう)(せい)の……衆星の(これ)に……」

 そしてほんの少しの間を置いてから、膝を小さくポンと叩いてきっぱり言った。

「よし! これはどうだろう。————(まつりごと)()すに(とく)(もっ)てするは、(たと)えば北辰(ほくしん)()(ところ)()て、(しゅう)(せい)(これ)(きょう)するが(ごと)し」  

 子貢は北極星とそのまわりの星々を思い浮かべながら、このことばを反芻(はんすう)した。そしてこの名言が生まれたその場に立ち会うことができたことに感動した。

 三人が感激のあまり言葉を無くしているのを見て、孔子は満足げな表情でその場を去った。

 しばらくすると子路が「これだからなぁ、先生は……」と、(まい)ったように言った。

 子貢も同じ思いであった。その前に自問自答していたことはわきに置いて空を見上げると、星はまだ美しく(またた)いていた。


 十四  (しょう)(こう)、昭王 


 その翌日、孔子は葉公から正式に招待を受けた。

 もちろん子路、顔回、子貢も一緒である。

 葉公は孔子に会うとすぐ()(かん)の印象を尋ねた。

(ちか)(もの)(よろこ)び、(とお)(もの)(きた)る。これも葉公様の政の賜物と存じます」

 これは負函に着いてから町の隅々までよく見て回った孔子の感想であり、これを聞いた

葉公はいたく喜び、その後もいろいろと話が弾んだ。


 それから十日ほどしてまたお誘いがあった。

 政や歴史、風俗習慣など話は多岐(たき)にわたったが、突然、葉公が思い出したようにある話を始めた。

「実はこの間、私の領内に、何と言いますか、まぁ、正直者(しょうじきもの)とでも申しましょうか。よ   そから迷い込んだ羊を、父親がそのまま自分のものにしてしまったと、役所に届け出た   息子がいたんですよ……」

 なぜそのようなことを言うのか、子貢は葉公の真意をはかりかねた。

 ほんの少しの沈黙の後、孔子がおもむろに口を開いた。

「確かに正直と言えば正直ですが、これが親子となりますといかがなものでしょうか。少

し違うような気がしますが……」

 聞いていた子貢は、(あ~、先生、また~)と、思わず目をつぶった。

 このあとどんな状況になるのかと心配していると、孔子が話を続けた。

「私の郷里では父が子の罪を(かば)い、子が父の罪を庇うことがあります。むろん、罪を隠す

ことはいけないにきまってますが、親と子が庇い合う情愛もまた、(ないがし)ろにはできな    いかと……」

 葉公はしばらく何かを考えていたようだったが、

「……確かに、親子の情愛は人間にとってもっとも大切なものの一つです。もしかしたら

先生にこのことを話しましたのも、私の心のどこかに、その辺のところが引っ掛かっていたからかもしれません」

と、自分の心の内を(かえり)みるような言い方をした。

 が、今度は思い直したように、

「————ですが、ここは蔡の移民を集めてつくった、急ごしらえの新しい町です。周公旦を始祖にいただいて、五百年以上もの長い間、周王朝の中で一目(いちもく)置かれてきた貴国とは違います。……私の知る限り、貴国はこれまで隣国との多少の攻防はあっても、国家存亡の危機はなかったように思います。ですので、民の教化についても比較的じっくりと取り組める時間と()(じょう)があったのではないかと……。しかしここ負函では、そんな時間も土壌もありません。このような地を治めるにはやはり、法という網が必要と考えております」

(やっぱり!)

 子貢は聞きながら、葉公が、てっきり気を悪くしたと思いがっかりした。

 が、その後顔を上げた葉公は、意を決したようにあらためて孔子の目を見て、約束する

ようにつけ加えた。

「————ですが、その運用については今後も考え続けていきたいと思います」

「……確かに、民を裁くということはたいへんなことです。本当のところ、私が願い続けているのは、争いごとがなく、よって訴訟も起こらない世の中です。ですが、これがなか   なか……。いずれにしましても、このようによくよく思いをめぐらされる長官をいただいて、

負函の民は幸せであろうと存じます」

 子貢は孔子が何と答えるか、また辛辣(しんらつ)な意見を述べはしないかと、少しヒヤヒヤ    しながら聞いていたので、ホッとした。と同時に、葉公に対してかなりの好感を持った。

 が、そのときフッと嫌な考えが頭をよぎった。

 葉公は、子貢の知る限り一地方の長官である。にしては、情報通だ。魯のことにも詳   しい。民の教化にも言及した。民の教化は先生の主張するところでもある。

 もしかしたら、先生が長い間陳におられたことも、先生の政治信条も把握していたかも

しれない。それは昭王や子西も……。それなのに今まで声がかからなかったとしたら……、

と考えていると、孔子が退出の挨拶をしていた。


 葉公のもとを()しての帰り道、子貢はみんなの様子を見た。来た時よりいくらか軽口(かるくち)が少ないような……いや、そんな目で見るからで考えすぎか……と、心が千千(ちぢ)に乱れた。

 子貢は、宿に着いて子路と顔回だけになるとさっそく、この考えを二人に話してみた。

 子貢が思った通り、顔回は気がついていた。そして、思った通り、心配していなかった。

先生が楚で用いられなくとも、先生の使命に何ほどの変わりがあろうかと。

 意外だったのは子路である。そこまでは考えていなかったようだが、子貢の考えを聞  いてもまったく動揺しなかった。子路はあの陳蔡の厄で顔回の話を聞き、

(先生には大事な使命がある。どのような状況になろうとも、自分が先生を守る! これ が自分の使命である!)

と、思い定めたらしい。

 子貢も二人の兄弟子の考えを聞いて同じく覚悟を決めた。     


 実は、このときの子貢たちの予感は当たっていた。ことの(けい)()を知ったのは、それから

六年後のこと。魯に帰った孔子が『春秋』を編纂するため、中原諸国の大史のもとに使い

を出した。このとき、楚に派遣された使いが持って帰った記録のなかに、それはあった。


 その記録によると、一行が陳に滞在していたころのこと、楚の昭王が孔子の噂を耳にし、招いて七百里四方の土地を与えようとした。

 このとき、(れい)(いん)の子西が昭王に尋ねたという。        

「王が諸侯に使わしめる使者に、子貢のような者がいますか?」

昭王が「いない」と答えると、子西がまた尋ねた。

「王を補佐する大臣で、顔回のような者がいますか?」

昭王が「いない」と答えると、子西がまた尋ねた。

「王の将軍で、子路のような者がいますか?」と。

 昭王が「いない」と答えると、子西は言った。

「今、孔丘(孔子)は自身の尊崇する魯の祖である周公旦の治世を手本にして、礼による徳治政治をおこなえば、平穏な世がおとずれる————と、夢のようなことを説いて回っています。————楚は今でこそ数千里四方ですが、周より封ぜられたときは、爵位は()(しゃく)でしたが、土地は男爵(だんしゃく)と同じ五十里四方でした。周王朝建国前の武王は百里四方でした。しかし、最後は商を倒し天下を統治しました。それと、あの弟子たちはあくまで孔丘の弟子で、王の臣にはならないでしょう。はたして、今七百里四方の土地を封じることは、楚の福になりますでしょうか?」、と。

 結局、昭王は孔子を招くことを止やめたという。

 なんと、孔子はまたしても、自身が評価していた晏嬰のみならず、子西にも拒まれて  いたのである。

 しかし、当時このことを葉公が知っていたかどうかは、楚に行った使者の記録にはなく、その後、子貢たちも葉公に会う機会がなかったので、それ以上は確かめようがない。


 さて、話はもどるが、今はまだそんなことを知らない一行は、とにかく昭王に会える  その日のために、できることをしておこうと情報収集と研鑽(けんさん)に励む日々を送っていた。

 それからしばらくしてまた葉公から招かれた。近いうち昭王のおられる(じょう)()に行くので

その前にということであった。

 そのときに葉公は、昭王の人となりとして、誇らしげにある話をしてくれた。

 それは昭王が城父に出陣されてすぐのことであった。

 赤い鳥の群れのような雲が、太陽のまわりを三日間も飛び続けたことがあった。

 皆が不吉に感じたので、城父に近い周の卜人(ぼくじん)に使いを出すと、

「災禍がまさに王の身に降りかかろうとしている。しかし、(はら)いを執り行えば、災いは  令尹(れいいん)(子西)か司馬(子期)に移すことができる」

と、いうことであった。

 もちろん、令尹と司馬は身代わりになることを願い出た。

 しかし昭王は、

「二人は私の()(こう)である。病を股肱に移し替えてもなんの意味もない。もし私に大過が  ないのなら、天は私を夭折(ようせつ)させはしまい。もし私に罪があるのなら、他人に移し替えても 仕方あるまい」

と、祓いをさせなかったという。

 孔子はこれを聞き、

「さすが昭王。大道(だいどう)を理解しておられる。己れ自身が常道(じょうどう)遵奉(じゅんぽう)しておれば、それでよい

のだ」

と、昭王を称賛した。


 しかしそれからしばらくして、病を得た昭王は七月に(じょう)()において亡くなった。昭王の

あとは、昭王と、後に述べる越王・句践(こうせん)の娘との間に生まれた幼い(けい)(おう)が立った。


 余談だが、昭王は亡くなる前、子西、子期、子閭の順に王位を継ぐよう命じた。しかし、

子西、子期は固辞し、子閭が五度辞退した後とりあえず承知した。しばらくして昭王が亡

くなると、三人は相談の上、結局恵王を立てることにしたのである。

 孔子を用いるのに反対した子西は、このあと他の二人の兄弟と共に、(おい)である幼い恵王

を盛り立て、楚をよく治めた。

 だがその十年後、呉から呼び戻して目をかけ育てたもうひとりの甥である(はく)(こう)(しょう)(昭

王の異母兄で元太子・(けん)の息子。伍子胥(ごししょ)とともに呉に亡命していた)に殺された。     

ちなみに、この勝の性格を(あや)ぶみ、呉から呼び戻すことに反対したのが葉公である。

葉公はその後、子西たち三兄弟を殺した勝を討ち、乱を収めたあと引退したという。


 さて、期待した昭王に会えなかった孔子は、すぐ衛に帰ることを決断した。

 いろいろなことがあったわりには、何ともはや(あっ)()ない結末であった。


 十五  子貢、斉、呉、越へ                     


 衛に帰ると、一行はまた(きょ)白玉(はくぎょく)の世話になることになった。

 子貢が一年振りに帰宅すると、通はまた一段と成長していた。


 ある日、子貢は孔子から急ぎの呼び出しを受けた。行ってみると、そこには久方(ひさかた)()りの(ぜん)(きゅう)がいた。

 二人とも深刻な面持ちであった。子貢は冉求と目で挨拶し、先ずは師に

「遅れまして申し訳ありません。なにか?……」

と、言うと、静かに師の言葉を待った。

「うむ。求によると、これから魯はたいへんなことになるやもしれんらしい。詳しくは  これから求が説明するが、おまえに力を貸してほしいとゆうておる。求が、おまえを 魯の特使として季孫肥に推挙(すいきょ)した。やってはくれぬか」

「はぁ…」と返事をすると、孔子が冉求をみて、話を促した。


 冉求は師に一礼すると、早速そのいきさつを説明した。

「昨年の冬、仲孫(ちゅうそん)何忌(かき)(ちゅ)を攻めた。邾はこのことを、近年力をつけている呉に訴えた。

もちろん魯としても、中原を(うかが)い始めた呉に(きょう)()を感じ、(わた)りをつけるべく昨年の夏に使

者として叔還(しゅくかん)(へい)(もん)させてはいた。しかし呉はこの夏、邾の件をひとつの口実として(しょう)で の会盟を求めてきた。しかも(ひゃく)(ろう)(牛・羊・(いのこ)揃いの百膳の料理)のもてなしを要求しているらしい。子服(しふく)()が、周礼の最上は十二牢であると説得を試みたが、宋は呉に百牢出したから、魯も出せるはずだといって無理押ししているらしい。哀公には子服何がついてはいくが、なにぶんにも相手は百牢を要求するような国だ。万が一に備え、おまえ同行してはくれぬか。おまえの機転が必要になるときがくるやもしれぬ。詳しい事情は道々説明するゆえ、すぐ出立の準備をしてくれ」


 子貢はその次の日冉求と共に出立し、魯に着くとすぐ()(そん)()にあった。

 肥は四年前、父親の()の後を継ぎ(じょう)(けい)になったが、そのことではある噂が(ささや)かれていた。

 斯は亡くなるまえ、近臣に遺言したという。(こう)()は、夫人の南氏に男子が産まれたなら

その子を、女子であれば、(しょ)()の肥を————と。生まれた子は男子であった。だが哀公(父・定公の死により七年前に即位)が大夫に確認させると、その子はすでに殺されていたという。肥が誰かに命じて殺させたというのが大方の見方であった。子貢は肥に会うのは初めてであるが、そんな目でみるせいか、

(仕える冉求さんは大変だ)

と、思った。


 その後、両国で事前の打ち合わせがあり、結局、もてなしの件は()(ふく)()の説得にも   かかわらず、魯が折れ百牢にきまった。ここまでは子貢の出番はなかった。

 しかし、(しょう)での会盟が始まろうとした矢先、呉の大宰(たいさい)()因縁(いんねん)をつけてきた。

「国君がこれだけ遠路はるばる出かけてきているのに、上卿の季孫肥はなぜこの場にいな

い」と。

 都で打ち合わせしたときに肥が来る気のないのを知らされていた子貢は、肥の特使とし

て密かに嚭を訪ねた。嚭のことは事前に調べておいたので、それなりの品を携えていた。

 嚭の(そう)祖父(そふ)伯宗(はくそう)は晋の賢臣として、祖父の伯州犁(はくしゅうり)は亡命先の楚の軍師として、ともに名声が高かったが、父親も含め三人とも政変に巻き込まれ、()(ごう)(さい)()を遂げている。

 嚭は、父親が殺されたのち祖父の()に育てられたが、その祖父が殺されたときに呉に亡

命した。亡命先の呉で大宰にまで上り詰めただけあって、非常に有能だが、強欲で狡猾(こうかつ)

性格であるとの報告を受けている。

 会ってみると、嚭も、子貢のことや師である孔子のことをかなり知っているらしかった。

特に孔子については、並々ならぬ関心を持っているらしく、弟子である子貢に対しても好

意的な()()りを見せた。

 しかし、子貢は一族の(まつ)()を知っているせいか、()が心に深い(やみ)を抱えているように感

じた。そして因縁(いんねん)をつけてきた一番の(ねら)いは、嚭個人に対する(わい)()だとも推測した。

 そこで、子貢は得意とする弁舌で相手を説得する方法はとらず、話の流れの中で自然な

形で賄賂の上乗せを約束した。

 こうして肥の()(ざい)()(もん)に付された。

 後に孔子により、〖言語の子貢〗といわれた子貢にとって、ことばでなく、賄賂でことを  収めるのは不本意ではあったが、推挙してくれた冉求の立場を思い、そしてなにより、いつかは先生を魯にと考え、とりあえず今回は、これでことを収めるのをよしとした。

 そしてこの後、魯は呉の従属国となった(ちゅ)を侵さないと取り決め、会盟が終わった。


 子貢が衛に帰って五ヶ月が過ぎたある日、師に呼ばれ出向いてみると、また冉求がいた。

 この前のときより深刻な表情で、今度は魯の特使として斉と呉に行ってほしいという。

 冉求によると、呉の従属国となった(ちゅ)を侵さないという(しょう)の盟約にもかかわらず、魯が また(ちゅ)に攻め入り、あろうことか国君・(えき)を連れ帰ってきてしまったという。しかも、今回は哀公じきじきに出向いてである。

 これは、(しょう)の会盟の成り行きを見て、呉を甘く見た肥が決めたことで、他の大夫たちは反対したが、肥は聴き入れず、哀公も、肥に言われるままであったという。

 そのため、邾の大夫は自ら呉に駆け込み、呉の従属国となった邾が侵されたということは、

呉王の威信に関わる大問題であると訴えたという。                                    


 またある筋からの情報によると、斉の悼公(とうこう)も、魯で幽閉している益の件で呉に出兵要請

を検討しているらしいとのこと。何故なら益は斉の(がい)(せい)だからだ。

 ただ、悼公が呉に出兵を要請しようとしているのには、別の理由もあるらしい。

 二年前、景公は幼い(あん)(じゅ)()()を太子に立て、他の公子を幽閉した。景公が亡くなり()が即位すると、公子たちは衛や魯に逃げた。その公子の一人で魯に出奔してきたのが後の悼公で、肥は自分の妹と(めあわ)せて面倒を見た。

 去年、斉の大夫・陳乞(ちんきつ)の計らいで帰国し即位した悼公は、肥の妹を迎えに使いをよこし

た.。だが、肥は妹が嫌がったため何とか理由をつけ断った。もともと恩知らずで身勝手な  ところがある悼公(とうこう)はこれに腹を立て、魯を攻めることを検討していた。そこにたまたま、 邾の問題が起きたのである。

 それと、これには何やら陳乞(ちんきつ)(こう)親子の思惑(おもわく)も関係しているらしいとのこと。

 魯は今や、斉と呉の二つの大国に攻め込まれるかもしれないという、極めて危険な状態

にあるという。

 一緒に聞いていた孔子がまず口を開いた。

「どうやら魯の命運は、陳乞・恒親子の説得と呉への申し開き(いか)()に掛かっているようじゃ。魯は(ふん)()の地であり、父母の地である。何としてでも、場合によっては、(せつ)(くっ)してでも魯を救いたい。()よ、やってはくれぬか」

 もちろん、子貢はまた冉求と共に曲阜に行くことにした。

 曲阜につくと、冉求と共に肥から説明を受けた上で、あらゆる場面を想定し譲歩の限界、贈り物の詳細などを綿密に打ち合わせした。


 子貢はまず斉の都である臨湽(りんし)を訪れた。

 臨湽は子貢にとって初めての地である。

 めざす陳家の恒を訪れる前に、何かの参考にと街を見て回ることにした。

 斉は、周王朝建国時に大功のあった名臣・(りょ)(しょう)が封じられた国である。

 呂尚は軍師、名臣とうたわれただけあって、その土地は痩せていたが、海に面し、(せい)(すい)

という大きな河のある地の利を生かし、大いに産業を奨励して大国になった。


 それから約三百五十年後の前七世紀中頃、管仲という宰相が《倉廩(そうりん)()ちて礼節(れいせつ)()り、衣食(いしょく)()りて栄辱(えいじょく)()る》といって、産業(さんぎょう)()(ばん)を整え、民生(みんせい)の安定に努め、さらには決して明君とは言えない桓公を、中原の最初の覇者に押し上げた。

 ちなみにこの管仲を宰相に推薦し、その政策を助けたのが、若き日の桓公の教育係で  あった鮑叔(ほうしゅく)()であり、《(かん)(ぽう)の交わり》という(せい)()はこの故事(こじ)から来ている。孔子はその

鮑叔牙を高く評している。


 そしてそれから百二十年後の六世紀後半、今から四、五十年前になるが、斉は桓公の時

代に次ぐ栄華期を迎えた。それは宰相・晏嬰(あんえい)のおかげとも言われている。

 その晏嬰が亡くなり、その後、景公の後継者問題等で争いが起きたりして何かと不安定

な状態が続いてはいたものの、昔からの殖産(しょくさん)興業(こうぎょう)()(ふう)は失われてはいなかった。

 そんな歴史を持つ(りん)()は、子貢がこれまでに訪れたどの都より産業が盛んで、たいそう

な賑わいを見せていた。

 さしたる産業はないが、始祖の周公旦を誇りに思い、周の文化を大切に守ってきた曲阜

とはえらい違いだと思った。

 しかし、通りの商売の様子を見ながら歩いているうちに、父親の林が、子貢の最初の取

引先に、臨湽ではなく曲阜を選んだ気持ちに思い至り感謝した。

 最初に臨湽にきていたら、今風(いまふう)の商売にのめり込み、古くても本当に良いものの    あることに気がつかないでいたかもしれないと思ったのだ。


 そんなことを考えながら臨湽を一通り見た後、実力者である陳家の宗主である乞の跡継

ぎ・恒の屋敷を密かに訪ねた。

 陳家の始祖は(かん)といい、もとは陳の王族であったが、前六七二年に政変に巻き込まれ斉に亡命してきた。他国から来て現在の地位を確立したについては、代々並大抵の苦労ではなかったはず。情報によると恒の父親の乞は(はかりごと)をよくしたという。

 晏嬰が亡くなり十年後、年老いた景公は、重臣に安孺(あんじゅ)()()を太子に立てさせた。しかし、景公が亡くなると、乞は謀によって、その重臣を他国へ追い払い、魯に亡命していた荼の異母兄・公子陽(よう)(せい)を斉に呼び戻し、悼公(とうこう)として立てた。そのとき、晏嬰の息子の(あん)(ぎょ)も魯に逃れている。今回の魯出兵も、乞か恒の謀とも密かにささやかれている。

 悼公を(そそのか)して戦をおこせば、まだ残っている(ほう)(ぼく)(鮑叔牙の子孫)などの重臣が前線に

出て疲弊し、結果として、高齢になった乞から代替わりした恒の力が強まるという構図の

ようだ。


 子貢は、恒も狡猾(こうかつ)で欲深い可能性があると用心しながら話を切り出した。

「最近ですが、間もなく貴国が魯に出兵するとのうわさを耳に致しました。魯の国力は近頃とみに弱くなっております。貴国に攻め込まれたらひとたまりもありません。あなた様のお力で、何とか出兵をやめさせていただけませんでしょうか。それと、邾公(ちゅこう)のことで、呉に出兵要請を検討されているとか。私は、それもやめていただけるよう、哀公と季氏の命を受けてお願いに上がりました。二人は願いをお聞き入れくだされば、失礼とは存じますが、それ相応のお礼を差し上げたいと申しております」

と、お礼の内容はぼかして頼んだ。

 恒は、〈それ相応のお礼〉という言葉に一瞬反応したが、どうしたものか考えあぐねているようで、しばしの沈黙のあと、残念そうに口を開いた。

「呉への出兵要請はともかく、魯への派兵はなぁ。すでにみんなその気になってるし……」

 しかし、〈それ相応のお礼〉には未練があるらしく、しばらくして、また(ひと)(ごと)のようにつぶやいた。

「せめてなぁ、何かやめる理由でも見つかればなぁ……」

 子貢も恒と一緒にため息をついた。が、ふと、

「何としてでも、節を屈してでも、魯を救ってほしい」

と言った、師の真剣な顔を思い出した。

 そのとき子貢の脳裏にある案が浮かんだ。

 子貢はゆっくりと深呼吸したあと、期待を込めて恒にいった。

「このあと私は、(ちゅ)の件の申し開きのため、呉に行くことになっております。そこで呉に対

して、貴国に『魯を攻めるのは止めよ!』と命じてもらいましたなら……そのときは出兵を

取りやめていただけますでしょうか?」

「そのときにはな……ただ、よしんば呉王がそう命ずるとして、問題はその命令が出兵  までに間に合うかだ」

「はい。なるべく早く呉に行き、よい返事を取り付けてまいります。ですからそれまで、なんとか出兵を遅らせていただけませんでしょうか。」

 子貢は、恒を説得するために、もっと何か効果的なことはないかと必死に考えた。

 そのとき、ある考えが閃いた。それは上策(じょうさく)とは言えず、子貢にはあまり気乗(きの)りのしない

策ではあった。が、

「場合によっては(せつ)(くっ)してでも……」

と言ったときの、師の真剣な顔を思い出すと、心が決まった。


 どう切り出そうかと思案していると、子貢の心の変化を感じたのか、恒が(たず)ねてきた。

「どうした⁈ 何を考えておる?」

 いわれた子貢は、(とっ)()の機転で、わざと言うのをためらっているふりをした。

 ()れてきた恒は、

「何だ⁈ 言え!」

と、命令口調になった。

 子貢はいわざるを得なくなり言うような、神妙な面持ちで、つぶやくように言った。

「思うのですが、脆弱(ぜいじゃく)な我が国をお攻めになれば、貴国は大勝するでしょう。そうなれば、実際に出兵した(ほう)(ぼく)(さま)は、今よりさらに……」

と、いかにも恒の立場を案じるような様子を見せた。

 恒が一瞬ハッとした顔つきをしたのを見て取ると、しばらくして子貢は屋敷を後にした。


 そしていよいよ呉に出発することになった。

子貢は気が急いではいたが、途中邾(ちゅ)に寄ってみることにした。

 魯が連れ去った(えき)がいかに()(どう)で民を困らせたか、その実態を知っておきたいと思った

のだ。益は子貢の想像以上にひどかった。

 そのあとは、船で泗水(しすい)を下って(わい)(すい)を渡り、次の(ちょう)(こう)をめざした。

 泗水を下り淮水を渡るまでの船旅は、乗り換えがないので思ったより楽で時間も   かからなかった。が、長江(ちょうこう)までの間には、海と見紛うほどの大きな湖があったものの、馬車から船、そしてまた馬車と、乗り換えはなにかと手間暇がかかった。

 それだけに、ようやくたどり着いて長江(ちょうこう)を目にしたときは(かん)()(りょう)であった。

 それにしても大きい。こんなに大きな(こう)は初めてである。下流のせいもあるだろうが、

川幅は故郷の帝丘近くを流れる(こう)()の何倍か測れないほど広い。

                                       

 その長江(ちょうこう)を渡り、また馬車に乗り換え、ようやく呉の都に到着した。

 その呉の成り立ちについては、ある言い伝えがあった。

 周王朝建国前のことだが、武王と周公旦の曽祖父・()(こう)(たん)()には、(たい)(はく)()(ちゅう)季歴(きれき)

三人の息子がいた。その末弟の季歴に息子((しょう)、後の文王、武王と周公旦の父)が誕生す

る際に瑞祥(ずいしょう)が現れた。そこで、

「わが子孫のうち最も栄えるのは季歴の子孫であろうか」

と、()(こう)(たん)()は期待した。

 父の思いを察した太伯と虞仲は、季歴に後を継がせるべく、二人で国を出て南方の地に

移り住んだ。そこで、その地の人々に押されて国を建てた。これが呉の始まりである。   太伯と虞仲は、武王と周公旦の大伯父だったのである。

(たい)(はく)(たい)(はく))は()()(とく)()()きのみ」

 これは、孔子が太伯を(しょう)した(ことば)である。

 子貢は、もしかしたらこの話は、今回のこの交渉に役立つかもしれないと、密かに期待

していた。


 宿に着いた子貢は早速、大宰(だいさい)()に挨拶と付け届けをし、今回の用件の根回しを頼んだ。

 そして、途中立ち寄った(ちゅ)で、民から聞いた益の無道ぶりや、斉・悼公のよからぬ噂などを伝えた。さらに、中原を(うかが)っているのであれば、地理的にも魯と組んだほうがなにかと有利であると説き、謁見(えっけん)前に呉王・夫差の耳にそれとなく入れておいてくれるよう頼んだ。


 そしていよいよ謁見の日が来た。子貢としては情報収集、根回しなどできるだけのこと

はしたつもりである。あとは出たとこ勝負と腹を(くく)った。

 嚭のとりなしが功を奏したのか、呉王は機嫌が悪くなかった。

 旅の労いの言葉をかけられ、発言が許されると、子貢は決心した。

 嚭の場合と違い、呉王には小手先の駆け引きはやめて、ここは呉王の内に芽生えつつ  ある野心に訴えよう……と。

「まずは邾のことについて、深くお詫び申し上げます。益がいかに無道であろうとも、(しょう)の盟がある以上、我が国はまず貴国に相談すべきでした。深く反省しております。本当に申し訳ございませんでした」

と、深々と頭を下げた。                         

 そしてゆっくりと顔を上げて、王の反応を見てから続けた。

「実はこの件で、斉が王様に、魯への出兵を願い出るかもしれないとの噂を耳にいたしま

した。しかし、それは邾の民を思いやってのことではありません。斉の本心は、千乗(せんじょう)では

ありますが、昨今は国力が衰えた魯をいずれ乗っ取り、その後、貴国と()(けん)を競うつもり

です。————魯はその昔、周公旦が封ぜられ、その長子・伯禽(はくきん)が治めた国。そして呉は     さらにその昔、周公旦の大伯父であらせられる太伯様が建てられました国です。魯には、周公旦のお陰で、他国よりも有形無形の周の文化が多々残っています。由緒(ゆいしょ)はあっても力のない魯を救うことには(たい)()があります。斉に『魯を攻めるのは止めよ』と命じ、魯を救ってくだされば、呉の名が上がります。どうか魯をお助けください」

と、また深々と頭を下げた。        

 そしてゆっくりと顔を上げて、王のまんざらでもなさそうな様子を見ると、今まで考  えてもみなかったことが口を()いて出てきた。

「私の師・孔丘は『(たい)(はく)(たい)(はく))は()()(とく)()()きのみ』ということばで、後嗣の立場を末弟に譲るため、国を出て(こう)(なん)の地に来られた太伯様の徳を称揚(しょうよう)しております。そんな太伯様の血を引く王様にお願いがあります。今、中原諸国は、斉・魯・邾に限らず、どこも乱れに乱れております。王様におかれましてはまず、中原の盟主になってくださいますよう、そして『戦は止めよ。仲良くせい!』と、諸侯にお命じになってください。盟主として、周王をいただき、〈徳〉を施し、中原に平和をもたらしてくださいますよう、伏してお願い申し上げます」

と、最後のほうは一気に言った。

 が、言ってしまった後で、

(夫差は〈徳〉について、どれだけわかっているんだろうか。はたして盟主に相応しい()(りょう)を備えているんだろうか?)

と、(かい)()(てき)な気持ちになったが、それは(さと)られてはまずいと思い、しばらく頭を上げないでいた。

 子貢の一生懸命な訴えを聞いて、夫差は、                  

「なるほど。だが、斉はわしの言うことを聞くかな? もしいうことを聞かなければ、  わしは(めん)()にかけて出兵せねばならん。しかし斉に出兵し国の守りが手薄になると、越の 句践の存在が気になる。あやつは、わしに服従を装いつつ国力の充実をはかり、復讐(ふくしゅう)の機 会を虎視(こし)眈々(たんたん)と狙っている、という者がいる。わしはそこまでは思わんのじゃが……」

と、最後の方は独り言のようにつぶやき、傍らの嚭と伍子(ごし)(しょ)を見た。

 言葉を促され、嚭が、

「魯の願いを聞き入れ、まずは斉にそのように命じてみてはいかがでしょう」

と言うと、傍らにいる伍子胥は苦々しい顔をした。

 なぜなら伍子胥は、

〈呉は中原に介入するよりもまず、復讐のため恭順(きょうじゅん)を装いながら虎視眈々と呉を狙っている越を討つべき〉

というのが持論だからだ。


 その越と呉は、かれこれ二十年以上、双方の父親の代から攻防を繰り返している。

 まず、前五一〇年、夫差の父親である闔閭(こうりょ)が、句践(こうせん)の父親である(いん)(じょう)を攻めたのが   ことのはじまりである。たぶん越が、この頃から力をつけ始めたので、隣国の呉としては、

警戒心を抱き始めたのだろう。

 その五年後の前五〇五年、今度は允常が呉に侵入した。闔閭が楚に遠征し、国元が手薄になっていると見て、その隙に乗じたのである。

 そしてその約九年後の前四九六年、允常が亡くなり句践に代替わりすると、今度はその虚をついて闔閭が越に攻め入った。しかし、その闔閭はこの戦いで傷を負い亡くなった。

 闔閭の後を継いだ夫差は句践への復讐を誓い、二年後に句践を(かい)(けい)(ざん)で破った。

 そしてその後三年間、句践を呉に留め置いて屈辱的な日々を強いた。

 のちに越に帰国を許された句践は今、夫差に対しひたすら恭順を装いつつ、密かに国力

を蓄え、復讐の機会を(うかが)っているところであった。

 二千五百年を経た今でも有名な《()(しん)(しょう)(たん)》と《(かい)(けい)(はじ)》という成語は、まさにこの

ときの故事から来ている。


 そして今、伍子胥の懸念を見て取った子貢は、早く夫差の言質を取り付けなければとの

焦りもあって、またもや自分でも意外なことを口にしてしまった。

「こうしているうちにも、斉は魯に進攻するかもしれません。そんなことにならなければ

よいのですが、もしそうなりましたら、魯を併合した斉はますます強国になり、いつか呉

(きょう)()になるはずです。もし魯より弱い越が心配でしたら、私を越に派遣してはいただけませんでしょうか。そうしていただければ、もしものときには越の軍勢をば貴国の遠征につき従うよう、(えつ)(おう)の約束を取り付けてまいりたいと存じます。それでしたら、越の国力を実際削()ぐことになりますし、しかも諸国に対しては、呉は越を従え、強国・斉を討ち、弱い魯を救うという(たい)()名分(めいぶん)が立ちます」

 これを聞くと夫差は、斉が命令を聞かなかった場合に備え、子貢を越に派遣した。


 越に着き、謁見の間に通されると、句践を中央に、その左右にはかなりの側近が侍っていた。その場の雰囲気は、夫差のときより良い感じがした。

 子貢が型通りの挨拶をすると、句践も旅のねぎらいの言葉を返してきた。だが、夫差から派遣された子貢の用件が気になっているのか、すぐ子貢に次の発言を促した。子貢は句践の胸中を察し、早速本題に入った。

「先日私は呉王に会い、魯を攻めるのをやめるよう(せい)に命じてください————と、お願い致しました。しかしながら、呉王が言われるには『もし、わしがそう命じて、斉がいうことをきかないとなると、呉は面子にかけて兵を出さねばならん。しかし斉に出兵し国の守りが手薄

になると、越の存在が気になる。越王はわしに恭順を装いつつ国力の充実をはかり、復讐の機会を虎視眈々と狙っている、という者がいる』、と言ってました」

 子貢は、呉王の最期の一言、

「わしはそこまでは思わんのじゃが……」

には()えて触れず、話を続けた。

「————ですので、斉が言うことを聞かない場合、まず貴国を討ちにくると思われます。————そこでお(うかが)いしたいのですが、そもそも王様は、呉王に復讐するおつもりがおありなんでしょうか。もしおありなら、そうと知られるのは危険ではないでしょうか?」

「確かに! ————では、そなたはわしがどうしたらよいと思うか、ひとつ聞かせてはくれまいか」

「はい。私が思いますに、呉王は近頃、中原進出の機会を窺っている様子が見受けられ  ます。伍子(ごし)(しょ)はいつも、他のどこよりもまず貴国を滅ぼすよう進言していますが、太宰・嚭  が貴国のため、呉王と伍子胥の()(かん)をはかっているようです。今はひたすら恭順の意を表し、

貢物を呉王と嚭に贈り、もし斉と戦になった時には呉に援軍を送ると申し出て、呉王を油断

させてはいかがでしょうか。戦になり、斉に負ければ呉は疲弊しますし、勝てば次は晋に 向かうと存じます」

と、言いながら句践の反応を見た。

 句践はわずかにうなずきながら、次の話を待っているようであった。

「実は、私は斉に勝つことを前提に、呉王に『まずは中原の盟主になってください。そし

て、戦は止めよ。仲良くせい! と諸侯にお命じになってください。盟主として、周王を

いただき、〈徳〉を施し、中原に平和をもたらしてください』と、お願いいたしました。   民にとって、そうなればそれに越したことはございませんが、私が思いますに呉王の性格

は荒々しく、暮らしは贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)。民も群臣も疲れ切っています。とても〈徳〉を(もっ)て治め

ることができるとは思えません。斉に勝ち、晋に遠征しても長くは持ちません。斉に負けても疲弊しますので、復讐の機会はいずれ訪れると存じます」

と、言ったあと、また句践の反応を見た。     

 句践が今度は大きくうなずいたのを見て、子貢にまた新たな考えが浮かんだ。

「……実は私の師・孔丘はかつて、王様の(むすめ)婿(むこ)であらせられました楚の昭王に期待して、

遠く楚まで参りました。残念ながらお会いする前に昭王は亡くなられてしまいました。今 の(けい)(おう)に望みを託すにはあまりにもお小さかったので、とりあえず今は衛におります。

 私も、孔丘についていろいろな国を巡りましたが、思いまするに、王様のように民を  大切に思っておられる君主はいませんでした」

 句践が民を大事にするのは夫差への復讐のため、と考えている子貢であったが、そこは

まったく気がついてないふりをした。

 句践はそのまましっかり子貢の目を見て静かに聞いているので、子貢はさらに姿勢を正

して続けた。

「————いつか呉を討たれるでありましょう王様に、今、ぜひとも願いしておきたく存じます。『(まつりごと)()すに(とく)(もっ)てするは、(たと)えば(ほく)(しん)()(ところ)()て、(しゅう)(せい)(これ)(きょう)するが  (ごと)し』、これは徳による政を願ってやまない師・孔丘のことばです。楚の恵王は王様の外孫(がいそん)であらせられます。呉を倒しました(あかつき)には楚と協力して、今のように民を大切にし、徳を以て中原に臨まれれば、諸国は自然と王様に()(ふく)すると存じます。                    そうなれば、戦のない平和な世も夢ではないと確信いたします。なにとぞよろしくお願い申し上げます」 

 静かに聞いていた句践は、また大きくうなずいて、傍らの(しょう)范蠡(はんれい)に子貢をもてなすよ

う命じた。

子貢は内心、やっぱり! と思った。越に向かう途上でいろいろな情報を集めてきたのだが、そのなかで特に種と范蠡によい印象を持った。句践の近くに〈人品(じんぴん)(いや)しからず〉いうような人物が二人いたので、たぶんこの二人がそうであろうと見当をつけていたのだ。


 謁見が終わり、その(しょう)范蠡(はんれい)が一席設けてくれるというので、それを待つ間、子貢は自分の発言を思い返してみた。

 盟主になって中原に平和をもたらして欲しい————夫差に会ったとき、盟主・晋が(うち)()  ()めばかりで全く頼りにならない今、斉から魯を守れるのは強国・呉だけだとの思いを強く

した自分は、その延長で中原の平和を思い、あんなことを言ってしまった。なにしろ今の

中原には、他に晋に代わる国も見当たらない。

 しかし言ってすぐ、夫差が盟主に相応しいかどうか懐疑的になっていた。

 次に句践に会い、またもや同じようなことを言ってしまった。なぜか? まだ夫差より

句践のほうが、盟主としてふさわしいと思ったからか? 

 しばらく()(もん)()(とう)して思い至った。そのときは意識していなかったと思うのだが、今にして思えばたぶんそれは、傍近くに控えていた種と范蠡のせいだ。聞いていた情報とあわせて、子貢が思い描いていた通りの人物に見えた。少なくとも嚭や伍子胥とは違う。自分は、そんな人物を側近にしている句践に期待したのかもしれない、などといろいろ考えていた時、子貢は、今回の旅の本来の目的を思い出しハッとした。

 自分がはるばるここまで来たのは、何のためだったのか? それは、斉の侵攻を止めさせ、魯を救うこと、それだけで充分のはずだ。……もしかして、自分は余計なことを?

 そこに思い至ると、子貢は、一刻でも早く呉に帰り、魯を攻めないようにとの命令をすぐにも取り付けなければと焦った。それを持って斉に行き、何とか(こう)を説得しなければと。

 だがもし、斉が言うことを聞かないで魯を攻めるようなことになったらと考えるとぞっとした。そして、斉が呉の言うことを聞いて、魯を攻めることがないようにとひたすら祈るような気持ちになった。

 

 子貢は種と范蠡に、この後すぐにも呉に帰りたい旨を告げた。理由を聞いた二人の対応は早かった。一席は取りやめ、種はすぐさま夫差と嚭への献上品の準備、その後すぐ子貢を追い呉へ。范蠡は今後何かのために今日一日だけ越を案内させて欲しいと、遅れた分は責任をもって挽回すると子貢を説得した。その言葉通り、范蠡は効率よくいろいろな場所を案内した。そして最後は、商人である子貢のために市場でゆっくりすることにした。

 越は子貢にとって、これまでに旅した最も南の国である。その()(こう)(ふう)()がもたらす豊か

な恵みは、商人としての子貢の知識と想像をはるかに超え、珍しくも上質なものが多々  あった。市場に並んだそれらの品々を見て、子貢は思わず興奮してしまった。

 特に、初めて目にする果物は香りゆたかでみずみずしく、どんな味がするのか(きょう)()津々(しんしん)

であった。范蠡はそんな子貢の様子を見て、夏であればもっと多くの果物を味わっていた

だけるのに、と残念がった。


 さらに市場を見て回った後、お茶を飲んでいると、范蠡が話しかけてきた。

「子貢さん。子貢さんは、市場を見て回っているときが一番楽しそうでしたね。生き生き

してました。そこでひとつお聞きしたいのですが、子貢さんの本当にやりたいことは何ですか? 商いですか? それともどなたかの命を受けて他国と交渉する行人(こうじん)ですか?」

 意外な質問に、子貢は思わず、

「えっ? どうしてですか⁉」

と、逆に質問してしまった。

「子貢さんは魯のため、はるばる呉やここ越までいらして、あれだけの交渉をやってのけ

た。普通の行人であれば、この展開は会心の出来のはず。しかしあなたには()(しょく)がない。  むしろこの展開は不本意で、何か考えあぐねているように私には思えたのです。ですが、先ほどから市場を見て回っている子貢さんは、心から楽しそうでした。迷いも憂いもまったく感じられません。商売が本当に好きなのだと……。そこで思ったのです。子貢さんが本当にやりたいことは何なのかと……」        

「私はもともと商家の生まれですから……」

と言いながら、今までの范蠡の質問を頭の中で整理し、どう答えたものかと考えていると、

「ついでにもうひとつお聞きしてもいいですか? あなたは、もともと衛のひとですよね。

あなたの本当のご主人はどなたですか。魯公ですか? 季孫肥ですか? それとも孔先生

ですか? 今回はどなたの命でいらしたのですか?」

「何故そんなことを?」

「はい、実は私にも、心のどこかに迷いがあるのかもしれません。自分が本当にやりたい

ことはなんなのか……。子貢さんの答えは、私がこれまで思ってもみなかった、何か   とても大事なことを気づかせてくださるような、そんな気がしてならないのです。ぶしつけ な質問とは承知しているのですが……」  

 范蠡(はんれい)の眼は真剣であった。


 子貢はあらためて自分の気持ちと向き合った。

「そうですねぇ……、今回は表向きは魯公と季孫肥です。でも先生からも頼まれてます。『魯は(ふん)()の地であり、父母の地である。何としてでも魯を救ってくれ』と。実は『(せつ)(くっ)してでも……』とまで言われました。先生がそのようなことを言われたことはこれまでありませんでした。私はその時々で、魯公や重臣から命を受けますが、一生先生の弟子です」

「あなたをしてそこまで言わせる孔先生とは、どんな方ですか」

 子貢は、入門のいきさつから、自分が魅了された師の人となりやことばの数々、魯での師の()(さく)()(ほう)(じん)が贈ってくれた(はなむけ)のことば《世の人々を教え導く木鐸という師の使命》、そして、(ちん)(さい)(やく)での顔回の熱弁と、それを聞いた時の顔回に対する自身の心境の変化を、順序だてて話した。


 そして次、()(かん)の夜のことを話そうとして思い出した。昔、農山で語った自身の[志]

のことを。

 ————今にも戦いが始まらんとするまさにそのとき、使者となって、戦を止めさせる。これは私だけができることです————なんて、思えばあのころはまだ若く意気(いき)軒高(けんこう)だった。今回は、ただ、呉に「魯を攻めるのは止めよ!」と斉に命じてもらえばいいだけのことだった。

 それが、戦を止めさせるどころか、中原に興味を持ち始めていた夫差にハッキリと盟  主を意識させてしまったかもしれない。そして句践にも。それはもしかしたら、さらに  大きな戦に発展する火種になるかもしれないのだ。こんなはずではなかった。そんなことを考えて、子貢は落ち着かない気持ちになっていたのだ。

 子貢はそれを正直に話した。范蠡は、何と言っていいのかわからなかったのだろう。  黙って聞いていた。

 それから子貢はまた、負函の夜の顔回の[志]を思い出した。

(これは絶対范蠡さんの参考になる! 回さんの[志]を范蠡さんに話したい!) 

と思った。

 そこで、まず農山(のうざん)で語った子路・子貢・顔回の[志]から始め、そのあとの、負函の夜

の顔回の新たな[志]のことを話した。

 話しながら、思った。

 (そうだ! 三人の絆がこんなにも強くなったのは、あの夜からだ! 農山で語った[志]については、私と子路さんは農山のときで終わっていた。しかし、回さんは考え続け、その[志]は進化していた。『子路さんの勇も、子貢の弁才も不要な世の中にしたいです』から『そのためには、子路さんと子貢は私に協力してもらいます』、へ)  


「負函の夜、回さんはこういったのです。――子路さんには、兵器を()つぶして農具を作  ったり、田畑山林の開墾・整備、灌漑(かんがい)工事(こうじ)など、民の先頭に立っていただきます。この役は子路さんが適任です。子路さんしかできません、と。————そして私には正当な商売で金をいっぱい(もう)けさせます、と。儲けた金は、親のない子、子のない年寄り、身体の不自由な人たちのために使うそうです。————そして回さんはというと、食料の増産を図るそうです。天候に左右されない作物や果樹、薬草、それから畜産や、なんと魚介類の養殖まで考えてるんです。すごいでしょ⁉ そのうえ、専門家に命じてそれらの大全を編纂することまで考えてるんです。ホントにすごい人なんです」

 子貢は、顔回の話をしているうちに、だんだん自分の心が誇らしさでいっぱいになるの

を感じて、一息つくためお茶を飲み、さらに続けた。

「長くなりましたが、参考になりましたでしょうか。私も、回さんが言ったように、正当

な商いで金をいっぱい儲けるつもりです。儲けた金は、たぶん回さんが考えているような

ことに使うことになると思います。ですが、なにかこうワクワクするような、私の性に  合った使い方が、なにか他にあるような気がしてならないのです。先生や回さんの近くに その答えがあるような気がしているのですが……。もし見つからなければ、そのときは回さんと相談して決めようと思ってます」

と、締めくくった。

 話を終えて、子貢は改めて、よき師、よき先輩、よき朋友がいることを誇らしく思った。

 そして、それを素直に話せる自分がまたうれしくもあった。


 終始真剣に聞いていた范蠡だったが、子貢の話が終わると、改めて子貢の目をまっすぐ

見、手で制するしぐさをしたあとすぐ、「すみません……」と言って沈黙に入った。

 それは、今から自分の気持ちと向き合い、考えを整理しますのでしばしお待ちください、

という合図のようであった。

 子貢はにっこりとうなずき、范蠡の言葉を待った。

 しばらくすると范蠡は、あたりを(はばか)るような小さな声で、心のうちを明かした。

「私は、高遠な理想を抱く、素晴らしい人たちに囲まれた子貢さんが(うらや)ましいです。こんな話を持ち出したのも、私が心のどこかで、今の生き方に疑問を感じ始めたからだと思うのです。いつも、呉に勝つにはどうしたらよいかとばかり考えている今の生き方に……。ここだけの話ですが、私は、今は越王のもとにいますが、越王が生涯の主君とは思えなくなってきています。いつか越王のもとを去るかもしれません。その時には、子貢さんに商いの手ほどきでもしていただきましょうか」

と、最後は半ば冗談交じりで言った。

「はい、おかげで私も、自分が、いかに商いが好きかということが改めてわかりました。  これから先のことはわかりませんが、商いで得た利益で何をすべきか、よく考えてみます」

「あなたが何をするか、楽しみにしています。これからもよろしく!」

と、范蠡は握手を求めてきた。


 それからまたゆっくりとお茶を飲みながら、南国の果物や菓子を味わった。甘酸っぱいものやねっとりしたもの、スッキリした味わいのもの、どれも珍しく子貢は興奮してしまった。そして、呉にもきっと同じような品があるかもしれない、この交渉がうまくいったら、呉の街や市場ものぞいてみようかと考えた。范蠡は、南国の果物にかなりの興味を示している子貢のために、他の季節に採れた果物の砂糖漬けや乾燥品、果実酒なども用意してくれた。

 

「どれもこれも本当に美味しいですね。特に女性や子どもが喜びそうですね。これを北に

持っていったら、さぞやみんな喜ぶでしょうね……」

と、清泉と一花の顔を思い浮かべながら言った。

 しかし、乾燥品や砂糖漬け、果実酒はともかく、生の果物は水分が多く、重いうえ日持(ひも)

ちしない。(わい)(すい)を渡ってからの、馬車と船とに何度か乗り換える旅の大変さを思い出すと諦めざるを得ない。それでも商人としては、南国の産物はあまりにも魅力がありすぎた。果物だけではない。堅くて百年は優に持つといわれる(なん)。土が良いので焼き物もいい。米もうまい。特に今は新米の季節なので本当にうまい。他にも(ぞう)()鼈甲(べっこう)、真珠と数え上げればきりがない。

 問題は輸送方法だ。斉かどこかの港まで海上輸送し、そのあと、川船を使えば……。し

かし、海上輸送には危険がともなう。まあ、それだけに莫大な利益を当て込んで敢えて   船を仕立てるたくましい商人もいることはいるが……。

 そんなことを考えていると、范蠡がニヤニヤしながら

「どうしました?」

と聞いてきた。子貢はしばし范蠡の存在を忘れていたのだ。

 失礼しましたと、あわてて思っていることを正直に話した。

「越の物産があまりにも素晴らしいので、北に持っていったらみんながどんなに喜ぶかと、

つい考えてしまいました。輸送方法なんです、問題は。海は危険がともないますし……」

とため息をつきながら、それでも商人の性で、軽くて日持ちのよいものなら何とかなるか

とか、いろいろ考えていると、つい愚痴(ぐち)が出てしまった。

「言ってもしょうがないことなんですけれど、せめて(わい)(すい)(ちょう)(こう)が川で繋がっていれば、こんなに悩むことはないんですけどね。————ほんとに残念です!」


 われながら未練がましいと苦笑しながら范蠡を見ると、何か大きな衝撃を受けたような顔をしている。

 今度は子貢がそっとしておいた。その時間が長かったのか短かったのか……。

 范蠡は気持ちが固まり、今は話をどう切り出そうかと迷っているようだった。

 子貢は微笑みながら范蠡の話を待った。

 しばらくして范蠡の口からでた言葉に、子貢は仰天(ぎょうてん)した。

 ————なんと長江(ちょうこう)(わい)(すい)を運河で(つな)ごうというのだ。

(確かに長江(ちょうこう)(わい)(すい)を運河で繋げば、そのままいくつもの河を経由して、中原のほとんどの国に行ける。何より、海に比べて安全だ だが、直線距離にして優に三百里以上。()(やく)に駆り出される民は……。んっ? そういえば、長江(ちょうこう)(わい)(すい)の間に大きな湖があった。そうか、あの湖を利用すれば少しは……。それに、あの辺は地形も平坦で掘削(くっさく)も比較的楽かも……。それにしても……)

 子貢の頭の中は、いろいろなことが次から次へと浮かんできて、それこそ目まぐるしく

回転した。              

 范蠡は、子貢の一番の()(ねん)を見て取ったようで、

「子貢さん、この事業には、おそらく多くの民が()り出されることになるでしょう。しか

し、戦に駆り出されるよりは()(やく)の方がまだマシではないでしょうか」

と、言った後、居住(いず)まいを正して続けた。

「子貢さん、あなたの何気ない一言が、私に運河を通すことを思いつかせた。本当は、   あなたが呉に進言してくださればいちばん自然で、動機を勘繰られることもないでしょう。

ですが、私には、あなたにそれを言わせるのは酷な気がするのです。なぜなら、その動機は呉を疲弊させて倒すことにあるからです。しかも、開通すれば 戦にも利用されるでしょう。————しかし、運河はいずれ呉を倒したあと、越が必ず平和利用します。通行税を払えば、商人は南北の物産を安全に運べます。災害があれば南から北へ、北から南へ救援物資も運べます。————ですからお願いです。これ以降、運河のことは私に任せてください。今の私の目的は 呉を()(へい)させて倒すことですが、いずれきっと……」

と、約束するようにまっすぐ子貢の目を見た。

 子貢は仕方ないかと一度大きくため息をついたあと、何度か小さくうなずいた。

                                        

 翌朝早く、子貢は呉に向けて出発した。約束通り范蠡の用意してくれた馬車は速かった。(しょう)も、貢物の手配をした後で少し遅れて出発したが、それ以上に急いだのであろう、すぐ合流した。

 范蠡が軍事担当なら、種は内政と外交を担当し、二人の間には強い信頼関係がある。

 前にも述べたが、前四九四年、越は会稽(かいけい)の戦いで壊滅的(かいめつてき)な打撃をこうむり、句践は三年も呉に留め置かれ屈辱的な日々を強いられた。そのうえ、帰国しても莫大な貢物を何年も呉に贈り続けた。それでもなんとか国力をここまで回復できたのは、この二人の手腕によるものといっても過言ではない。


それなのに————である。実は、この二人には後日談がある。

 この後の前四七三年、ついに呉を滅ぼした范蠡は、なぜか越を去り、その後、斉と陶で商いをし、巨万の富を築くことになる。

 越を去った理由は定かではないが、もしかすると、何かの折に、(さい)()(しん)の強い句践の性格を(かい)()見て、ふと身の危険を感じたことがあったのかもしれない。范蠡は、種にも国を出るよう、亡命先の斉から密かに手紙を送っている。

 しかし、種の決心がつかないうちに、取り巻きの讒言(ざんげん)を信じた句践は種に自刃を    命じるのである。

 今でも成句として有名な『(こう)兎死(とし)して走狗(そうく)()られる』『()(ちょう)()きて(りょう)(きゅう)(おさ)められる』は、このときの手紙にあったことばだという。


 さて、今はまだそんなことは知る由もない子貢と種は、まず嚭と打ち合わせをしてから 夫差に謁見した。

「貴国が斉に遠征なさる時には、越王は三千人の兵とともに、貴国にお仕えしたいと申しております」

と、種がいうと、夫差は、どうしたものかと子貢と嚭をみた。

「王さまの()(りょう)をお見せするため、越王が従うことは遠慮して、三千人の兵だけお受け  してはいかがでしょうか」

と、子貢がいうと、夫差は、今度は嚭をみた。

「私もそれがよろしいかと……」

 (まいない)を受け取っていた嚭は、事前に打ち合わせをしていたことなどおくびにも出さず、  さりげなくいった。

 いつも、まずは越を討つべきだという伍子胥の気持ちを知っている夫差は、敢えて伍子

胥の意見を求めなかった。

 伍子胥は、苦々しい顔をしていたが、なにも言わなかった。


 ところがここで、夫差が驚くべきことを言い出した。

 なんと、今後のために魯に行ってみたい、と。しかも兵を引き連れて。

 びっくりしている子貢を見て、ニヤニヤしながら夫差が言うには、

「なに、兵は形だけだ。陳や宋は行ってきたが、泗水の東側、(しょう)より北はまだ行ったことがない。で、直接この目で見ておこうと思うてな。ついでに、実際軍を動かすとどうなるか、その辺のところも試してみようとな。そちに頼まれた『魯を攻めるのは止めよ!』というのはまだじゃが、魯に行って〈好悪を同じくせん〉と盟を交わし、それを斉に通知すれば、よもや斉も手出しはせんじゃろう。その辺の反応も見てみたい。形だけだから本気で反撃するではないぞ!」


 子貢は急いで魯に戻り、このことを報告し、その足で斉の陳恒のもとに向かった。

 翌三月、夫差は予告通り軽装で出兵してきた。              

 魯も本気で反撃をしなかったので大した戦にならず、呉は盟を結んで帰っていった。

 ところが、これでみな一安心と思っていた五月、斉の鮑牧が魯に攻め込んできて、(かん)

(せん)を占領した。                         

 そして秋になると、棹公がまた魯を攻めようとして、呉に出兵要請をしたとの噂が流れ

た。このため魯は、とりあえず益を邾に帰し、肥の妹を斉に送って、しばらく様子をみる  ことにした。するとそれが効を奏したのか、十二月、斉は讙と闡を返してきた。

 その際にわかったのだが、その少し前に悼公が鮑牧を殺していた。  

 子貢は、恒との別れ際に自分が言った言葉を思い出した。

「思うのですが、もし貴国が大勝利するようなことになりましたら、鮑牧様はさぞや……」

 そして恒の一瞬ハッとした顔を思い出し、もしあの一言が影響したとしたら、鮑牧さんには気の毒なことをしたと少し気がとがめた。


 年も改まり、しばらくは子貢のまわりは特にこれといったこともなく、比較的平穏な日

々が続いていた。

 そんなある日、子貢は、斉が呉に対し魯への出兵要請を断ったことを耳にした。

 子貢はこれを聞いてほっとしたが、同時に、

(夫差は、呉と盟を交わした魯に、斉はよもや手出しはすまい————と思っていた。それなのに 悼公は、肥の妹が嫁いでこないのに業を煮やし、鮑牧に魯を攻めさせたりして、夫差の面子を潰した。その上、そんなことをしておきながら、それでも肥の妹がまだ嫁いでこない  ため、ぬけぬけと呉に魯への出兵を要請した。そして肥の妹が嫁いできたとたん、今度はそれを取り下げた。なんと身勝手で厚かまい! 夫差はこれをどう思うだろうか)

と思った。

 案の定冬になると、呉から斉を攻めるため出兵の準備をするよう使者が来た。                                  


 そして翌年春、魯は、呉と邾・(たん)とともに斉を攻めた。 

 これに対して斉はなんと、国君・悼公を弑して呉に申し開きをしてきた。

 夫差は、礼として三日間哭(こく)(れい)をして引き上げた。  

 斉はこの後、悼公の息子の(じん)を立て(かん)(こう)としたということだが、子貢は一連の出来事に

恒の影を感じた。                  

 それから秋になると、また呉から斉を攻めるため出兵の準備をするよう使者が来た。

 しかし翌年三月、斉を攻める前に、斉の方が先に大軍を率いて魯にやってきた。去年の春の報復のためである。             

 このときはまだ呉軍がきていなかったので、魯だけで迎え撃つことになった。

 このときである。叔孫州(しゅくそんしゅう)(きゅう)仲孫(ちゅうそん)何忌(かき)が戦にしり込みしているなか、(じょう)(けい)である肥を、季孫家の宰として励まし支えたのは冉求であった。

 しかも冉求はこの戦いで大活躍した。

                                  

 それから二ヶ月ほどして呉軍が到着すると、魯は呉と共に(がい)(りょう)において斉を大破した。

 このとき呉軍は大船団を繰り出し、近頃開通したばかりの(かん)(こう)(うん)()長江(ちょうこう)(わい)(すい)の間を掘ってつないだ運河)を遡上してきた。            

 例のあの運河である。子貢は、あの時以来范蠡に会っていないので、范蠡がどのように

して夫差をその気にさせたのか、実際のところは知る機会がなかった。


 だが、相手の顔色をうかがうような、上目づかいのあのこずるい顔。さりげな~く夫差

の自尊心をくすぐり、野心を(あお)るあの物言いが思い出され、たぶん越から賄賂を受け、嚭が動いたことは間違いないと考える子貢であった。

 そして、おそらく運河建設に反対したであろう伍子胥。その意見を退けられたときの伍

子胥の苦々しい顔も想像できた。

 伍子胥にしてみれば、先王・闔閭(こうりょ)と夫差と親子二代、自分が呉王にしてやったという思

いがある。

 まず闔閭のときは、闔閭の従兄弟(いとこ)である先王・(りょう)の暗殺に手を貸した。

 夫差のときは、本当は夫差の性格と能力を危ぶんで、跡継ぎには末子をと考えていた闔閭に、長幼の順などを説いて夫差を跡継ぎにしてやった。それなのに夫差は今、(ねい)(しん)・嚭のお(ため)ごかしを信じ、諫言を重ねる伍子胥を疎ましく思うようになっているという。

 伍子胥の胸中はいかばかりかと、同情する子貢であった。

 しかしそれ以上に、自分の何気ない一言がきっかけでできたこの運河に、どれだけ多く

の民が駆り出されたかと思うと、もっと心が痛んだ。

 そして、魯が生き残れたのはうれしかったが、今後この運河によって、戦がより広範で

大がかりになることを考えると思わず溜息が出た。


 ところで子貢は戦に先立ち、州仇に従い、また夫差に謁見した。夫差はそこで州仇に(よろい)

と剣を授けようとした。州仇は、君主が剣を授けるということは、その剣で自害せよと  いう意味にもとれるので、動揺して何も答えられないでいた。

 子貢は州仇が困っているのを見て、従者として進み出て、

「州仇、甲をいただいて貴君に随行いたします」

と言って甲だけ拝受した。   

 子貢の機転で助けられた州仇は、この後、子貢を褒めんがために、あろうことか孔子を

引き合いに出し、

()(こう)(ちゅう)()より(まさ)れり」 

と、逆に孔子をおとしめる発言をすることがあった。そんなとき、子貢はいろいろな比喩(ひゆ)

を用いて懸命に反論し、師を()めたたえた。

 このころ、〖言語の子貢〗の名はかなり知られるようになっていた。しかし師は、子貢の(さい)()煥発(かんぱつ)(とう)()即妙(そくみょう)な受け答えの才は評価しつつも、(しゅう)()の過ぎること、そして、その   割には内観(ないかん)が足りないことを指摘し、あえて厳しく接していた。

 子貢も、他の弟子ならめげて立ち直れないような、辛辣で手厳しい師の叱責も、いつも

の指導と受け止め、傷つくことはなかった。

(なんであの子貢さんがあんな言われ方を?)と、周りの弟弟子たちは不思議そうにこの二人の関係を見ていた。が、それをほんの少し羨ましそうに見ている人間がいた。顔回である。顔回は、子貢に対する師の辛辣で手厳しい叱責の真の意味を理解していたのである。


 戦いが終わり、肥から魯を救った褒美を聞かれた冉求と子貢は、迷わず師の帰国を願い出た。しかし、肥は孔子の帰国は認めたものの、孔子の過激な言動をひかえることを交換条件

とした。

 子貢には、師が素直にこの条件を受け入れるとは到底思えなかった。

 どうしたものかと思案していると、隣にいた冉求がスッと顔を上げ、

「大丈夫です! ダメな時は、二人で全力で先生をなだめます。それでもダメであれば子

路と顔回にも説得してもらいます」

と、キッパリ言った。それから、お前からも頼め! とでもいうように子貢を見た。

「はい! よろしくお願い致します!」

と、子貢も精一杯の気持ちを込めて深々と頭を下げた。

 こうして、十四年ぶりの孔子の帰国が決まった。

 もちろん、この条件のことは師には言わなかった。

 このときはまだ二人とも、

(いざとなれば、子路さんと回さんと四人で説得すれば何とかなる)

と、希望的観測を持っていたのである。


 十六 帰国                             


 それから一ヶ月が過ぎたある秋の朝早く、孔子と弟子たちは、十四年ぶりの懐かしい魯に向けて出発した。

 もちろん子路・顔回・子貢も一緒である。

 楚より帰国してから生まれた一花は四歳、通は十三歳になっていたが、清泉は今回も気

持ちよく送り出してくれた。

 一行は皆、嬉しそうではあったが、どこか寂しそうでもある。特に子路・顔回・子貢、それに孔子までもが。


 実は、魯へ帰ることが決まってしばらくしたころ、子路は孔子に呼び止められた。

「由、おまえ衛に残らぬか? 昨日孔圉(こうぎょ)が来て、どうしてもおまえにこのまま宰を続けて

ほしいとゆうておる」

 孔圉がこう言ってきたのには訳がある。子路はここ何年か孔圉の邑で宰をやっていた。

 ここの民は昔から気性が荒く、代々の宰がてこずっていた。

 そこで子路は着任早々、邑の実力者を集め、腹を割って話し合った。そして使()(えき)の際は民

と共に汗を流した。そのため民から絶大な信頼を得て、邑はよく治まっていたのだ。

 師とともに魯に帰るつもりでいた子路は、それを聞いて驚きのあまり言葉がでなかった。

「孔圉は問題もあるかもしれんが、鋭敏で下の意見もよく取り入れる。何より孔圉の妻は、霊公の娘で、現君・(しゅっ)(こう)にとっては伯母(おば)じゃ。衛の中では政争に巻き込まれることもなく、

安定している家柄じゃ。おまえは千乗の国の指揮官にもなれる男じゃが、民にもよく受け入れられる。おまえの力量からするとあの邑はいかにも小さい。————じゃが、小さいからこそ、短い期間でおまえの政事の成果が目にみえたのじゃ。これからも邑のものたちと一緒に汗を流し、弱い者たちを守ってやれ。民のもめ事も、お前ならうまく裁いてやれる。立派な宰になって、いずれその邑をわしらが描く()(そう)(きょう)にしてみてはどうじゃ」

 子路は突然の話に頭の中が整理できないらしく、ただ「はぁ……」とだけ小さな声で返

事をした。

「わしは短い期間で、中都(ちゅうと)の宰から魯の(だい)()(こう)になった。早く理想の国を作ろうと焦った あまり、周りの状況も見極めないで性急(せいきゅう)に事を運ぼうとした。結果、三桓の反感を買い、定公にはもてあまされて失敗した。おまえは、わしのようには焦らず、気長にゆっくりとやるのじゃ。よく考えてみるがよい」

と言った後、返事をきかないままゆっくりと立ち去った。


 後に残った子路は、しばらくしてやってきた顔回と子貢にことのいきさつを話した。

 子貢は、子路さんはどうするのかと気になったが、何と言っていいかわからず黙って  いた。とりあえず自分は先生について魯にいくつもりなので、兄とも慕う子路さんと離れる

ことになると寂しくなるなと思った.

 しばらくして、顔回の穏やかな声で我に返った。

「私も子路さんが衛に残るのはすごく寂しいです。でも子路さんが、邑の人たちの先頭に

立って、田畑山林を整備するのが目に浮かびます。それから、民から訴えられるいろいろ

なもめ事を手際よく、なにより子路さんらしく裁く様子も。子路さん! 先生が仰    ってたじゃないですか。『片言(へんげん)(もっ)(ごく)(さだ)()(もの)は、()(ゆう)なるか。由の直感は侮れん』  と。子路さん! そこに私たちのめざす理想郷をつくって下さい。近隣の手本になるよう な邑を! 前に先生が中都の宰になった時、近隣の町はそれを手本にしてくれましたよ ね。子路さんならできます。私はそれを見てみたいです」

 子貢は、あの()(かん)の夜の顔回の発言を思い出した。

(そうだ、回さんはもうずっと前から、()と(・)とも(・・)に(・)という子路さんらしい生き方を    わかってたんだ。やっぱり、回さんは凄い!)

 黙って腕を組みながら聞いていた子路は、やはり負函の夜のことを思い出したのか、何度か小さくうなずくと、今度は手を腰に当て、

「そうだなあ……」

と言った。

 子路がその気になったようなので、顔回は、またにっこりして続けた。

「子路さん、衛と魯は近いです。何度でも、行ったり来たりすればいいじゃないですか」

 そういわれた子路は、

「それもそうだな」

と、()()りがついたように応えた。

 子貢は、(さすが回さん)とまた感心した。


 こうして子路は、孔子たちが魯に落ち着いたのを見届けると、衛に帰っていった。

 すこし寂しそうな様子で……。


 が、その後子路は、みんなの予想よりも早く、そして度々帰ってきた。

 子路が帰ってくると、みんなが学校に立ち寄るので、孔子もうれしそうだった。


そんなある日のこと。

 子路がまた帰ってきたと聞き、子貢は学校へと急いだ。

 校門まで来ると、子路がひとりの男を見送っているところであった。

「子路さん、あの人は?」

「ああ、あいつな、あいつは石門(せきもん)の門番だ」

「ひどく帰りを急いでるように見えましたが?」

「ああ、先生に会うためにわしについてきたのさ。急に休みをもらったんで、すぐ帰らねばならんらしい」

「どうかしたんですか?」

「ああ、あいつな、今朝、、石門でわしに『おまえは? どこから来た?』なんて訊くから、衛から来た。孔先生の弟子だと言うとな、『ああ、あの、そんなこと不可能だって知りながら、それでもやってるっていうあの先生か?』なんて言いやがった。いつもならわしも、あんなやつ、相手にせんのだが、何となく()(どころ)のあるやつに思えたんでな、言ってやったのさ。————ああ、そうさ。確かに先生が為そうとしていることは、今のご時世では無理かもしれん。だがな、おまえさんも一度、俺たちの先生に会ってみな。おまえさんのそんな考え、一変するぞ————ってな。そしたらあいつ、何を思ったか、今すぐ上役に休みもらってくるから孔先生に会わせてくれってな。それでさっき先生に会わせてやったら、あいつなりに何か感じるものがあったんだろうよ。帰るときには『これからはみんなに、絶対、先生に会うよう言います。たくさんの人に、先生に会ってもらうようにするのが、私の使命です』なんて言っておったワ」

と、うれしそうにカラカラと笑った。

 それから少し間をおいてから独り言のように言った、

「何てったって、先生に会ってもらうのが一番だからな」と。


 そのころの子貢は、自分たち孔門の思いをわかってもらうことにことばの限界を感じ、もどかしく思っていた。そのため今回は、直感で動く子路に一本取られた気がした。

(確かに! 孔門の理念を理解してもらうには、先生に会ってもらうのが一番だ。自分たちがいくらことばを尽くしても、それには及ばない。さすが子路さん!)と、感心した。    

 が、すぐ、子路の「いつもならわしも、あんなやつ、相手(・・)にせん(・・・)の(・)だ(・)が(・)……」の一言を思いだして、内心クスっとしてしまった。

 子貢はその昔、いろいろ聞いていたのだ。入門したての頃の子路の武勇伝を。

 当時の子路は、師の悪口を言う男たちに会うと、しっかり(・・・・)と(・)相手(・・)を(・)して(・・)いた(・・)のだ。

 子路にやられた男たちは、子路の姿を見るとあわてて話をやめ、こそこそと身を隠したという。

 それを伝え聞いた師にたしなめられる度、一応神妙なそぶりは見せるのだが、街中で師の悪口を聞こうものなら、またカッとなり同じことを繰り返す。たぶん子路には子路の、口には出さないものの、確固たる言い分があったのだろう。

(敬愛する)先生が悪く言われて、憤らない方がおかしい。ほかのやつらはどうして黙っていられるんだ! と。子路にしてみれば、これは()(ふん)だったのだろう。

 いくら(さと)しても聞かない弟子に、師はとうとう諦めて、苦笑まじり語ったという。

「由がわしのところへ来てからというもの、わしの悪口を言うものがいなくなったらしい」と。

 そんなことを思い出しながら、今は余裕と風格さえ感じさせる子路を見て、(子路さん、カッコいい!)と思う子貢であった、

 そして、「おまえは?」と訊かれて《衛の家老・孔氏の宰》と名乗れば、ことは簡単に済むのに、()えて《孔先生の弟子》と名乗る子路の真情がまた頼もしくもうれしかった。


 子貢はさっそくこのことを顔回に報告した。

 顔回も、はじめは子路の直感と門番への対応に感心していたが、その後の何てったって(・・・・・・)、先生(・・)に(・)会って(・・・)もらう(・・・)の(・)が(・)一番(・・)!(・) ということばを聞いて、何か思うところができたようだ。その後はいつもと違い、子貢と話していてもどこか心ここにあらず、という感じがしたのだ。子貢は、手短に話を切り上げ退席した。

                                                  道すがら子貢は、なぜか儀の封人の言葉を聞いた時の顔回の様子を思い出した。そして、 

もしかしたら……と期待した。それからあのときの自身の心境を思い出した。あのときは、顔回に対する自身の複雑な気持ちが邪魔をして、聞きたいのに聞けなかった。さっきは顔回の思考の妨げにならないようにとの配慮からそっとしておくことにした。あの当時の自分の若さが懐かしくもいとおしく感じた。

 

この後しばらく顔回は、何かを真剣に考えているようであった。が、何日かすると心が決まったのか、ますます師の側近くに控えるようになり、それ以外のときはいつも机に向かって書き物をしていた。

 その様子を見て子貢は、もういいかと考え、顔回にあのとき何を思ったのか聞いてみた。

 顔回もそろそろ自分の考えを聞いて欲しいと思っていたのか、うれしそうに話し始めた。

「確かに子路さんの言うように、孔門の理念を理解してもらうには先生に会ってもらうのが一番だ。なぜなら石門(せきもん)の門番が納得したのは先生のおことばだけではない。、先生の存在そのものに感じるものがあったからだ。だが先生にそうそうお出ましいただくわけにはいかない。その辺の兼ね合いが難しい。先生おひとりでは会える人数は限られる。だから私は自分なりに少しでも先生の代わりが務まるようにと努力した。だが先生の域に達するのは到底無理だと思い知った。先生に代わる人はいない。どうしていいかわからなかった。しかし、今回のことがあって、もう一度よく考えてみることにした。そこで思った。先生のおことばだけでなく人となりも併せて記録し、それをたくさんの人に読んでもらうのはどうだろう、と。先生のことを知れば、きっとみんな先生が好きになる。好きになれば先生のおことばもお考えも案外すんなりと受け入れてもらえるのでは、とな。それに思うのだが、先生だって舜や周公旦に直接会ったわけではない、それでも舜や周公旦をあんなに熱く信奉され、その業績を高く評価し称揚されるのは、史書やいろいろな書物をご覧になり感銘を受けたからだ。書物にはそれだけの力がある。だから私は、少しでも先生の偉大さが伝わるような、読んだ人が他の人にも広めたい! と思うような話をもっと記録しておこうと思う。……それでもしもだ、それが後の世にまで語りつがれることになったら、すごいと思わないか? かつて(・・・)()の(・)()に(・)こんな(・・・)すごい(・・・)()が(・)いた(・・)! な~んてな。」

と、最後は少しおどけたようなくちぶりだったが、眼は本気だった。

子貢は、やっぱり回さんは凄い! 自分の考えの一歩先を行ってる! とまた感心した。

だがその後すぐ、顔回がどこか遠くを見るような目をして呟くように言った。

「そうなれば本望だ……」

 子貢は、その言い方が何となく気になった。が、今は聞かない方がいい気がして、敢えて気がつかないふりをした。


十七 春秋編纂                     


 魯での生活も落ち着いて、しばらくたったある日の午後、子貢は腕組みしながら、考えるともなく遠く南の空を見ていた。

「どうした? 何を考えておる?」

 と、背後から孔子の声がした。

 子貢は振り向いて一礼したが、何と答えたものか迷っていると、

「なんじゃ? 夫差に言ったことをまだ気にしておるのか? たしか、中原の盟主になって『戦は止めよ。仲良くせい!』と、諸侯に命じて欲しい————で、あったな? あのとき、斉から魯を守れるのは強国・呉だけだと思ったおまえは、その延長で中原全体のことが頭に浮かび、思わずあんなことを言ってしまった。それが、中原を窺っていた夫差に、格好(かっこう)名目(めいもく)を与えることになり、さらには盟主という言葉を意識させることになってしまった。ためにこんな大ごとになってしまった。他にもっと戦を避ける方法はなかったか、と?」

 孔子は、黙って聞いている弟子をチラと見て、(なぐさ)めるように続けた。

「じゃがなぁ、もともと夫差は中原に興味があった。だから、魯の前に宋にいっておる。お

まえの一言がなくとも、夫差はすでに中原に野心を持っていた。だからその手始めとして、泗水の東、中原の端の魯と斉を従えようとしたんじゃろうよ。問題は、盟主の晋が頼りにならん今、それに代わる存在が無いことじゃ。これぞという人物もおらん。このあと、北に進出するのが、夫差になるのか句践になるのかはわからんが、おまえが本当に心配しているのは、この二人に盟主としての器量があるかどうかであろう? ————じゃがな、賜よ、人は変わる。それも、ちょっとしたきっかけでな。そこに期待しようぞ。少なくとも、おまえは二人に〈(とく)(もっ)(まつりごと)(おこな)う〉ことの重要性を真剣に訴えた。このことを意識しているといないとでは、その(ふる)()いは大きく違うことになるであろうよ。そんなところでよしとせんか? ……おまえの思いがあの二人に届くとよいのう」

と、最後は優しく言った。そして、今度はしっかりと弟子を見て、(さと)すように言った。

「今は状況が状況じゃ。大事なのはこれからのことじゃ。どうすればよいか、みなでよ  く考えようぞ。おまえも、もう自分を責めるのはやめよ」

 子貢はまた小さく「はぁ……」と答えた。

 それでも元気にならない弟子を見て、孔子は、わかっておる、という表情で続けた。

「他には(かん)(こう)(うん)()のことじゃな? ————ために多くの民が使()(えき)にかりだされた。そして、今 は戦のために大船団が繰り出されている。今後は、戦が広範(こうはん)で大がかりになる、とな?」

 子貢が、「はい……」と答えると、

「うむ。南の珍しい産物をみたおまえは、北の者たちにも味わわせてやりたいと思った。そこで、長江(ちょうこう)(わい)(すい)が繋がっていればなどと、何の考えもなく口にした。范蠡はその一言で長江(ちょうこう)(わい)(すい)を繋ぐことを思いついた。呉を疲弊させるためにな。いずれにしても、あれはおまえと范蠡の思惑を超えて、後世に残る一大事業となるであろうよ。今となっては、無くすことはできん。……なぁ賜よ、後のことは後生(こうせい)に任せようぞ。いつか平和な      世の中になったら、あの運河は、范蠡の言うように大いに役立つであろうよ。……早くそんな日が来るとよいのう」

と、いつになく優しく言った。

 子貢はようやく気が楽になり、「はい!」と大きく返事をした。

「そこでじゃ。後々のことは後生にまかせるとして、今のわしらに何ができるか? のぅ、賜よ。わしはこのごろつくづく思うのじゃ。戦といい運河といい、人間は何かをしないではいられない生き物だと。なかには、せっかくの先人の知恵と努力を台無しにする()(てい)(やから)もいる。世の中は様々な人間の思惑(おもわく)で動いている。今を生きるわしらにできることは、先人の知恵と()(せき)を受け継いで、後生(こうせい)に引き継ぐことじゃがな、そこに邪心(じゃしん)があってはならん。邪心があると、判断を誤り、いつかのっぴきならない事態に陥ることになる。邪心なく考え続ければ、いつだって改めることができる。それこそ引き返すこととてできる。————そこでじゃ、わしは考えた。これからは、よき後生を育てることに専念しようと。斉の桓公も景公も、管仲・晏嬰なきあとはあの(てい)たらくじゃ。後継者争いで国は混乱。管仲・晏嬰にかわる人材がいなかったせいじゃ。そこでじゃ、わしは後生のために、いつの世にも(しるべ)となるような〈人としてのあるべき姿〉を描いてやろうと思う。善を奨め、悪には筆誅(ひっちゅう)を加えてやろう。事の善悪を明らかにして、歴史の教訓となるようにな。そのためにまず、古代の文献を整理しようと思うのじゃ。魯の『春秋(史書)』のような、中原全体の『春秋』を編纂しようと思う。うむ。さっそく諸国の大史のもとに使いをだして協力を仰ごう。————さあ、これから忙しくなるぞ。ウジウジなぞしてはおれん!」

と、自分の言いたいことを言うと、さっさと教場のほうに歩いて行ってしまった。


 子貢は、はじめは呆気にとられたが、すぐ違和感を覚えた。

(今日の先生はなんかおかしい。いつものお説教とちがう。皮肉もなければ、辛辣さも  ない。なんか下手な芝居を見ているような……)

 しかし、すぐ気がついた。

 先生はものの考え方・進め方を順序だてて教えてくれようとしてくださったのだと。  自分のために、らしくもない芝居をしてくれた師の心づかいがありがたかった。

 そして思い出した。師が、諸国の大史のもとに使いをだして協力を仰ごうと言っていたことを。

 あわてて師の後を追いながら、

(やっぱり先生はすごい! 相変わらず切り替えが早い! そこへ行くと自分はまだまだ

だ)

と、苦笑した。


 しばらくして教場に主だった弟子たちが集められ、誰がどこの国へ行くか話し合いが始

まった。弟子たちはそれぞれ、自分の生国や縁のある国、興味のある国を希望した。

 子貢は晋に行くことを希望した。


 晋とは、前十一世紀後半、周の武王の息子の(せい)(おう)が、弟の()をして封じた国である。

 前六三六年には、紆余(うよ)曲折(きょくせつ)を経て晋の第二十四代君主となった(ぶん)(こう)が、即位四年後、周の(じょう)(おう)から中原の盟主に策命(さくめい)された。

 ()(らい)今日まで百五十年あまり、名ばかりの周王室に変わり、曲りなりにも中原の盟主の

座を保ち続けている。

 子貢は今回のことで、その盟主という存在が気になっていたのだ。今は頼りにならない

晋だが、その昔はどうだったのか? なぜ盟主になれたのか? 全盛を誇ったころは  どうだったのか? なぜこんなに衰えたのか? そもそも盟主とは? それを知ることは、 今後の自分たちの活動に大いに参考になるはず。そして、そこには第一級(だいいっきゅう)の史料がある  はずだと思ったのだ。


 そして晋に行く顔ぶれが決まると、みなそれぞれで情報収集し、ときに集まって情報の

共有化をはかった。

 史料を読んだり、晋について詳しい人たちに会って話を聞いたり。

 孔子のおかげで、魯の大史から『春秋』や様々な文献も見せてもらえた。魯の『春秋』には魯のことばかりでなく、魯に通告された諸侯の死亡と後継者の名(なかには弑された国君と犯人の名もある)や出奔した卿大夫の名、他にも他国への侵攻や会盟、天変地異等が記されている。当然、晋のこともあった。

 他にも、商を滅ぼして周王朝を建国したいきさつや、周公旦が定めた儀礼などもあった。

 そこで子貢が感じたのは、商の(ちゅう)(おう)の不善についてである。今読んでいるのは〈勝者で

ある周の歴史〉である。本当に伝えられているほど酷かったのか。〈勝者である周の権力者〉が、史にそう書かせたか、あるいは、(ふひと)が権力者を(おもんばか)って書いた可能性もあるのではないか……と。

 子貢は、そんな紂王の不善を端緒とした〈歴史〉というものに対する漠然とした疑問を、

ある日の会合で述べてみた。

 すると、おとなしく聞いていた弟弟子の中で、明らかに反応を示した若者がいた。

 名は(がく)、晋出身で二十五歳。孔子が衛で開いていた学校に通っていたが、孔子の帰国の

際、魯についてきた。貧しい家に生まれた苦学生だが、ある大史の話に感銘を受け、史に

なりたいという。

 子貢は、岳が何か言いたいことがあるのだろうと思い、発言を促した。

 高弟の子貢に発言を促された岳は、どぎまぎした様子で、

「はい、……確かにそのような史もいるとは思いますが、でも、なかには権力者の意向に

従わない史もいると思います。現に私が尊敬する董孤(とうこ)という大史ですが、死をもかえりみ

ず、ときの権力者の監督責任を記し、それを朝廷に告示しました」 

 最初は、高弟の子貢に自分の意見を述べることに遠慮があったようだが、話している  うちに誇らしさが湧いてきたようで、口調が熱を帯びてきた。 


 岳が語るその(とう)()とは、《(ちょう)(とん)()(くん)()(こう))を(しい)す》と記録し、朝廷に告示した大史である。そして国君を弑したと記された趙盾とは、楚の荘王のときにも述べたが、周王朝の盟主・晋の(せい)(けい)(宰相)で、当時十四年も正卿を務め、国君を決めるほどの権限があった。しかし自身が立てた国君は、霊公と(おくりな)されたように長ずるにつれ暴虐無道な行いが多くなった。度々諫めた盾は殺されそうになり、亡命を試みた。だが、国境に至り国君が弑されたとの報告を受け、国の混乱を思い帰国した。実際に手を下したのは盾の(じゅう)(せい)趙穿(ちょうせん)であった。が、盾は、霊公の後継を決めるなど事態の収拾は図っても、趙穿の処罰は行おうとしなかった。そのため董孤は、《趙盾、其の君(夷皐)を弑す》と朝廷に告示した。驚いた趙盾は、

「違う、私ではない」

と、抗議したが、董孤は敢然(かんぜん)と言い放った。

「あなたは国の正卿です。亡命を試みても国境を超えず、戻ってからも、賊(趙穿)を討とうとしない。事ここに至った責任は、あなたでなくて誰にあるというのですか!」

 こう言われた盾は責任の一端を認めたのか、弑君の悪名(あくみょう)を甘んじて受け、以後これについて触れることはなかったと言う。

 岳はここまで一気に話したが、ここで一息ついてから続けた。

「斉の(さい)(ちょ)は、実際に弑君の首謀者なのに《崔杼、其の君を弑す》と記した大史と、それ

に続く二人の弟の三人も殺しました。さすがに三番目の弟にまでそう記されると、とうと

うあきらめたそうですが……」


 朝廷に告示されるということは、それが諸国に通告され、それぞれの国の史書に記録  されることを意味する。

 確かに、前六〇七年の魯の春秋には《(あき)()(がつ)(いつ)(ちゅう)(しん)(ちょう)(とん)()(くん)()(こう)(しい)す》との

記録が、そして、前五四八年には《(なつ)()(がつ)(いつ)(がい)(せい)(さい)(ちょ)()君光(くんこう)を弑す(しい)》との記録が

あった。

 《趙盾、其の君を弑す》《崔杼、其の君を弑す》という短い記録のなかに、それを記し

た者と、記された者のそれぞれの思いがあり、物語がある。

 子貢は、それを記録した大史の董孤と、宰相としての責任を感じたがゆえに、大史を処

罰しなかった(とん)について(もっと知りたい!)と思った。

 そして、晋に行ったらどんな物語に出会えるかとワクワクした。


 十八 冉求破門                 


 そんなとき(ぜん)(きゅう)がやってきた。雰囲気からしてかなり深刻そうである。

「どうかしましたか?」

と、尋ねた子貢に対し、

「うむ」と言って、しばらく何か考えている様子である。が、

「じつは……」と切り出した。

 冉求は肥の使いで、増税についての意見を尋ねるため、師のもとを訪れたという。前

々から増税を考えていた肥は、孔子のお(すみ)()きを得てそれを施行しようとしたのだ。

 しかし、師は冉求が何度尋ねても、

「わしにはわからん」

と答えるのみ。冉求が困って、

「先生はこの国の元老(げんろう)です。なぜ意見を仰ってくださらないのですか?」

と食い下がると、内々のこととして反対の意見を話してくれたという。

 もちろん師が増税に賛成するはずがないのは冉求にもわかっていたし、冉求も本当は反対である。先生と肥で意見が合わないのは、帰国願いを出す以前から二人ともわかっていた。

 だが、よもやこんなに早くそんな日が来るとは……と、二人でため息をついた。

「そこでわしは考えたのだが、先生がわしを破門にするというのはどうだろう。もちろん

表向きだがな。おまえも知ってる通り、肥は強欲で狡猾(こうかつ)だ。これからも孔門として(かん)()できないことをいろいろとやるだろう。あのときの約束はあるものの、帰国が叶った今、少しは孔門の理念を主張しても大丈夫だろう。そうすべきだと思う。先生はそれほど大丈夫な方だ。だから今回の件では、わしも孔門(こうもん)()として発言し、季孫の宰をやめれば事は簡単だ。だが、これからも肥が上卿であることに変わりがない以上、このまま季孫の宰でいたほうが、民のためにできることはいろいろある。————今回、肥は必ず増税するだろう。とりあえず肥と折り合いをつけながら、その埋め合わせをどうしたらよいか考えようと思っている。わしは他のものよりそれができる方だと思っている」

 冉求はそう言った後、

「まぁ、わしのうぬぼれかもしれんがな……」

()(ちょう)気味(ぎみ)に笑った。けれども子貢は冉求のその様子に、昔の冉求には見られなかった自

信と自負を感じた。

「冉求さん! それ、うぬぼれじゃないです。その通りです」

と言いながらも、子貢は、どうしたものかと考えていると、ふと顔回の顔が浮かんだ。

「冉求さん! 回さんにも一緒に考えてもらいましょう」

と、冉求を誘い、二人で顔回のもとを訪れた。事情を聞いて顔回は、

「そうですねぇ。私も冉求さんの考えに賛成です。孔門としては、言うべきことは    言わなければいけません。さりとて、民のことを考えれば、冉求さんが季孫の宰でいたほうが絶対いいです。何といってもこの国を動かしているのは季孫氏ですから。季孫の宰である冉求さんができることは多いです。先生も冉求さんが季孫の宰でいることを望んでいるはずです。なぜなら、私は思うのですが、先生が敢えて冉求さんを魯に帰したのは、冉求さんを仕官させるためだったと思うんです。冉求さんは魯にいれば必ず重く用いられると見越して……。冉求さんは先生のお側にいたかったんでしょうけど……」

 聞いていた冉求は少し驚いたような、そして()(げん)そうな顔をした。

 冉求の反応をみて、顔回は説明の必要性を感じたようだ。

「前から思っていたんです。先生は何故、冉求さんを魯に帰されたのか? 確かに、魯に  残っている弟子たちとのつなぎ役は冉求さんが一番です。でもそれより何より、冉求さんは魯に帰れば、必ず重く用いられると……。冉求さんの仕官は冉求さんのためもありますが、魯のためでもあります。先生は魯のことをとても大事に思っておられます。ですから冉求さんにはずっと魯のために働いてほしいと思っておられるのではないかと……。先生は冉求さんをとても高く評価しています」

 褒められた冉求は、どう答えたものか迷っているようだった。

 そんな冉求を見て何を思ったのか、顔回に少し悪戯(いたずら)っぽい表情が浮かんだ。

「……もしかして冉求さん、先生のお気持ち、気がついてませんでした? 冉求さんの能

力に匹敵するのは、私の知る限り子貢くらいです。ですけど、子貢は季孫の宰に収まってはいられませんよ。もちろん、私にはお呼びさえもかかりませんけどね」

と、子貢を見てニヤッとした。

 ここまで(なるほど! そうかもしれない。さすが回さん!)と、心の中でうなずいて

いた子貢も、顔回の最期の言葉には苦笑いした。

 しかしすぐ(まったくだ! さすが回さん、よく見てる)と思った。

「先生はよく仰ってるじゃないですか。『政事には由(子路)、そして求(冉求)』と。子路さんの邑は今、とてもうまくいっています。あの邑は子路さんの気性によく合っています。子路さんでなければ務まりません。ですが先生にとって、子路さんを衛に残してくるのは、身を切られる思いだったと思うんです。子路さんの代わりは誰にも務まりません。それでも先生は、ご自分の気持ちより、あの邑の民と子路さんの生き方を優先させた。————冉求さんもそうです。冉求さんは政事に向いていて、仕官すれば必ず魯のためになると。実際、あのときの冉求さんの働きがあったから、斉との戦に勝てたんだし、先生の帰国がかなったんだと思います。冉求さんのおかげです。ですが今は、子路さんより冉求さんのほうが大変です。使える主があの強欲で狡猾な肥です。場合によっては危険も伴います。でも冉求さんは誰に仕えても、どんな役職についてもうまく収まります。あの肥と折り合いをつけながら、それでも民のために粘り強く対案を考え、何とかものごとをよい方向にもっていく。これが冉求さんの凄いところです。冉求さん以上にこれができる人間は他にいません。そうは思わないか? 子貢」

「はい! そう思います! まったくその通りです」

「……もしかしたら、冉求さんにとっても表向き破門の方が、かえって何かとやりやすい

かもしれませんね。要は民のためになればよいことですから。肥にもあらぬ疑いをかけら

れないでしょうし……」

 何か良い方法はないかと思案していた顔回だったが、突然何を思いついたかパッと明るい顔になった。

「そうだ! 冉求さん、もし私でよかったら、冉求さんの連絡係にさせてください。私ならいつでも先生のお側におりますから。子路さんがお側にいない今、冉求さんまで破門で連絡が取れないでは、先生が寂しくお思いになります」

 子貢は、冉求の安心した顔を見て(さすが回さん!)と、また感心した。すると顔回は、

今度は子貢を見て、

「おまえは出かけてばかりだからなぁ」

と言って、またニッと笑った。

「おまえら、諸国(しょこく)を回っている間にいい関係になったなぁ……」

と、冉求がうらやましそうに言った。

 子貢は(冉求さん、少し寂しそう)と感じた。

 顔回も何かを感じたのか、励ますように言った、

「冉求さん! 肥に仕えるのは大変でしょうが、頑張ってください。私と子貢は、いつ

でも、どんなときでも冉求さんを信じています。もちろん先生と子路さんもです」

 こうして冉求は表向き破門となり、増税は翌年施()(こう)された。


 十九 晋へ                        


 子貢は晋に行く途中、ほんの一時家に立ち寄った。

 一花はまだ四歳なので飛び付いてきたが、十四歳になった通は、どこかぎこちない態度であった。

 魯から衛、衛から晋への道中も、一行は会う人ごとに晋のことを聞き、情報を共有した。


 晋に着くとすぐ、子貢は師の書簡を大史のもとに届けた。

 大史は孔子の書簡を読んで、史として、なにか感ずるものがあったのだろう。大層好意

的で、直々に書庫を案内してくれた。

 子貢は、これまでかなりの予備知識を得たつもりではあったが、実際に目にした史料の

山に圧倒されてしまった。さすが盟主・晋と感心しつつも、これだけの膨大(ぼうだい)な量をどうし

たものかと気の遠くなる思いがした。

 大史はそんな子貢の気持ちを察したのか、部下を何人もつけるなど、できうる限りの協

力を約束してくれた。

 実は、この使いが決まってから今日まで、どうしたら晋という大国の、しかも大史と  いう高官の協力を得ることが出来るかと、子貢なりにいろいろ考えてきた。

 しかしそれは、孔子の書簡を読んだ大史の様子を見て、いらぬ心配であった! と、安

心するとともに内心苦笑した。

(とく)()ならず、(かなら)(となり)あり』という師のことばを思い出して、

(そうなんだ。先生の思いは、国を超え、立場を超え、わかる人にはわかるんだ! や   っぱり、先生はスゴイ!)

 あらためて、孔子という人間のスゴサを思い知った子貢であった。 


 次の日、子貢と弟弟子たちは書庫を案内してもらった後、会議を開いた。

その会議には、案内してくれた大史と何人かの部下たちも同席してくれた。

 双方一通りの挨拶の後、子貢は、実際に書簡の山を見、大史や部下たちの説明を聞いた弟弟子たちに、あらためてどの分野を担当したいか、希望とその訳を述べさせた。

 

 まず、弟弟子たちのなかで最も先輩格の弟子が手を挙げた。

「はい! 私は文公を担当したいと思います。国を追われ、十九年も諸国を放浪したあと、

帰国して国君となりました。そして、ついには晋を盟主にまで押し上げた文公と、長い間

文公につき従った多くの名臣達の、波乱万丈の物語を取り上げたいと思います」

 子貢はうなずきながらも、とりあえず皆の希望を聞いてからと思い、短く、

「うん。いいだろう」

と言ってから、その隣の弟子を見て、目で次の発言を促した。


「はい! 私は晋の歴史上、最高の宰相といわれる士会(しかい)を担当したいです。

 国君選びの混迷に巻き込まれ、その抗議のいみもあって秦に出奔すると、そこでも(こう)(こう)に信頼され、戦略の相談を受けるようになります。

 士会の智謀により強くなった秦に脅かされるのを心配した晋は、策略を用いて士会を取り戻します。晋に騙されたと知った康公は悔しがりましたが、それでも、士会の人柄に好感を持っていたのでしょう、妻子を士会のもとに送り帰してやります。帰国した士会は、今度は晋のため、数々の戦で大活躍します。

 上軍の将になったばかりの(ひつ)(たたか)いでは、終始、戦を避けることを主張しました。他に士会同様、中軍の将(正卿・宰相)になったばかりの(じゅん)(りん)()や下軍の将になったばかりの趙朔(ちょうさく)(趙盾の息子)など、多くは戦を避けるべきとの考えでしたが、開戦を望む一部の部下たちを抑えきれず、戦が始まってしまいました。中軍と下軍が壊滅的打撃をうける中、士会は負けを見越し準備をしたうえで、自ら殿(しんがり)をつとめます。結果、上軍だけは最小限の損害で済んだそうです。そして、士会が宰相になると、国内の盗賊は秦に逃げ出したそうです。私にぜひ、士会のことを取り上げさせてください」

 子貢はまた短く、

「うん。いいだろう」

と言ってから、その隣の岳を見て目で発言を促した。


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