第7章:夜明けに咲く未来(前半)
7月初旬、東京。
季節は梅雨明け間近、湿気の多い空気が街を包み、蝉の声が日ごとに力を増していた。事件の終息から数週間が過ぎ、校内ではようやく日常が戻りつつあった。
だが、梨華の心の中には、まだ決着のついていない思いが渦巻いていた。
母・椿の死の真相は明らかになった。
公安の闇と、それに立ち向かった者たち──
だが、それだけでは終わらない。文書を託された平次警部の働きにより、公安の粛清は進んだものの、影にはまだ残党が潜んでいるという情報が小鳥祐介からもたらされたのだ。
「まだ“全て”終わったわけじゃない」
その言葉が、梨華の胸に深く刻まれていた。
一方、勇輝はと言えば、日々の生活の中で変わらず明るく、誰よりも梨華を気遣っていた。放課後の部活後、彼女の家に立ち寄っては夕食を共にし、言葉少なに過ごす時間が増えた。
その静けさの中に、ふたりは確かな温もりを見出していた。
「梨華、無理すんなよ」
「……うん。ありがとう」
梨華の返事はいつも短い。
けれど、その短い言葉の奥に、勇輝は確かに愛を感じ取っていた。
* * *
7月10日。
文化祭の準備が本格的に始まった。
2年C組は演劇『ロミオとジュリエット』をやることに決まり、クラスの女子たちは大盛り上がりだった。勇輝がロミオ役に抜擢されたのは、言うまでもない。
「で、ジュリエット役はもちろん──」
「梨華で決まりやな!」
クラスの声に押される形で、梨華も承諾した。
「はぁ……なんでこんなことに」
「ええやん、台本では悲恋でも、実際はハッピーエンドにするつもりやし」
勇輝のその言葉に、梨華は思わず吹き出した。
舞台の稽古を重ねるたび、ふたりの距離はより自然に縮まっていった。
けれど、梨華の心の奥底には、いつも影が揺れていた──母の遺志、命を懸けた選択、そして今も狙われるかもしれないという恐れ。
* * *
7月15日、夜。
梨華のスマホに、一本のメッセージが届いた。
『文書のコピーを渡せ。さもなくば、次は君の“家族”だ』
送り主不明。
そこには、弟の通う塾の前で撮影された写真が添付されていた。
梨華の身体から、血の気が引いた。
勇輝に知らせるべきか迷ったが、彼を危険に巻き込みたくないという想いが勝った。
「私一人で……終わらせる」
翌日、梨華は一人で指定された場所──新宿の高層ビルの一角へと向かった。
だが、そこで彼女を待っていたのは、公安の残党ではなかった。
「よく来たね、白井梨華さん」
姿を現したのは、公安の元内部監査官・九条一誠。
「君の母親とは旧知の仲だった。……だが、彼女は“理想”を追いすぎた」
九条は、淡々と語った。
「私はね、理想よりも秩序を選んだ。たとえその秩序が、腐っていてもだ」
梨華は胸の中にあるUSBメモリを握りしめた。
「……母は、そんなの、許さなかった」
「だから死んだんだよ」
その瞬間、梨華は九条の頬を思い切り打った。
空手黒帯の鋭い一撃だった。
九条はよろめきながらも笑った。
「君は本当に彼女の娘だな……面白い」
彼の背後から、複数の黒服が現れた。
梨華は一気に囲まれる。
「USBを渡せ」
絶体絶命のその瞬間──
「待たせたな!」
廊下の奥から走ってきたのは、勇輝だった。
「なんで……」
「心配させやがって。お前ひとりで背負うなって言ったろ」
勇輝は梨華の手を握り、前へと立った。
「オレがロミオなら、死んでも守るのがジュリエットや」