1話 すり抜け
俺が住んでいるのは、東京の下町エリア。高層ビルが立ち並ぶ都会の喧騒から少し離れた、のどかとも言える場所だ。
目覚めれば見慣れたアパートの天井、窓を開ければどこか排気ガスが混ざったような風。ここでの暮らしに不満はない。いや、正直言えば、不満なんて考える余地もないくらい日常に埋もれている。
それが、世界が変わり始めたのは去年のある日だった。
最初のダンジョンはブラジルのアマゾン川流域で発見された。そのときのニュース映像が、今でも頭に焼き付いている。
大地が突然、光とともに崩れ落ち、代わりに青白い輝きを放つ巨大な洞窟が現れたのだ。その瞬間から、世界はもう元には戻れなくなった。
ダンジョンはそれから数週間のうちに世界中で発生した。東京にも例外なく。
最初のダンジョンは多摩地域の山中、次に江東区の埋め立て地。続いて、新宿や渋谷といった繁華街の近くにも現れた。
政府や学者たちが原因究明に乗り出したが、結論は出ないままだ。
唯一わかったのは、ダンジョン内部には「モンスター」と呼ばれる未知の生物が存在し、その空間内では現実世界とは異なる「ルール」が働いていること。
すぐに政府や国際機関が動き、「ダンジョン協会」という組織が設立された。
協会は世界中のダンジョンを管理するため、各国に支部を作り、ダンジョン探索士の育成やアイテムの取引を行うシステムを整えた。
また、ダンジョンの難易度はSからFまでの7段階にランク付けされ、ライセンスを持たない者の立ち入りは禁止された。
このライセンスは協会認定のギルドで講習を受ければ取得可能だ。だが、金も時間もかかる。
そんな制度が整った一方で、俺の生活は相変わらずだった。
「…このままでいいのか?」
俺は変わり映えしない毎日を過ごしながら、時折ダンジョンのニュースを見てはそう思うようになった。
そして先週、足を踏み入れるきっかけとなるニュースが流れた。
「東京・日野市に新たなFランクダンジョン出現」
地図を確認すると、ダンジョンの位置は近場の丘陵地帯。周囲は金網で囲まれ、警備員が配備されているらしい。
「…見に行くだけなら問題ないよな。」
そう思い、翌日の夜、俺は現地へ向かった。
丘の上に立つと、遠目からでも異質な存在感が伝わってくる。
青白く光る洞窟の入口。周囲の景色とは完全に切り離された、異世界そのものだった。
俺は警備員に気づかれないよう、少し離れた場所からその光景を見つめた。
「これが…ダンジョン。」
胸の中に奇妙な感情が渦巻く。怖さと好奇心が入り混じったような感覚。
それ以来、俺は毎晩この場所を訪れるようになった。そして、次第に一つの考えが頭をよぎる。
「…入ってみたい。」
モンスターや未知の空間。ニュースやネットで見るだけじゃなく、自分の目で確かめたい。
もちろん無謀だとはわかっている。
だが、このまま日常に埋もれて生きるだけの人生も、無謀に思えた。
数日後、俺はついに決断した。
今、俺はそのダンジョン協会の受付窓口に立っている。
「登録、初めてだよね?」
受付に座る女性は、俺より少し年上くらいだろうか。黒いスーツがキリッと似合っている。後ろにはデジタル掲示板が光っていて、最新のダンジョン情報や注意事項が流れている。
「はい、そうです。冒険者になりたいです」
「じゃあ、登録手続きを始めましょうか。まず、身分証明書を出してください。それと登録料が5,000円かかりますけど、大丈夫ですか?」
頷いて財布を取り出し、身分証とお札を手渡す。彼女は手際よくパソコンに入力を始めた。
「ちなみに、冒険者ランクは全員Fからスタートします。これはどんな能力値でも共通ですから、焦らなくて大丈夫です」
「これで登録完了です。もうダンジョンに行ってもですが、初心者講習を受けるのもおすすめですよ。無料でダンジョンの基礎を学べますから」
俺は迷ったが、「ダンジョンに行きます。」と答えた。講習もいいけど、俺は早く動きたかった。
ダンジョンの中に足を踏み入れると、外の世界とは空気がまるで違っていた。
湿り気を帯びた冷たい風が肌を撫で、微かに耳に響く低い振動音。洞窟内の壁や地面は異様に滑らかで、自然の産物とは思えない形状だ。
「なんだここ…。本当に現実か?」
周囲を見回しながら慎重に進む。洞窟内は青白い光で満たされており、特にライトなどを使わなくても視界を確保できた。
気味が悪いほど静かだ。俺は手探りで奥へ進むしかなかった。
しばらく進むと、突然目の前に文字が浮かび上がった。
水島 健斗 レベル:1
HP:100 / 100
MP:50 / 50
「…なんだこれ。俺のステータス?」
まるでゲームの画面を見ているかのような感覚だった。これがニュースやネットで見た“ダンジョンのルール”なのか?
訳がわからないまま進んでいくと、奥からカサカサと音が聞こえてきた。
「…なんだ?」
音のする方向に目を凝らすと、小さな生物がこちらに向かってきた。
『スモールスパイダー レベル:1』
目の前に現れたのは、拳大の蜘蛛のようなモンスターだった。足は長く鋭く、動きは素早い。
「モンスター…!」
俺は咄嗟に足を引いたが、相手は一切躊躇せず飛びかかってくる。
「くっ…!」
必死で腕を振り回し、なんとか蜘蛛を払いのける。幸い、相手の動きは予想以上に単純だった。
俺は拾っていた石を武器代わりにして反撃を試みた。モンスターの動きをよく観察し、タイミングを見計らって石を投げる。
「当たれっ!」
ゴツン!
蜘蛛の体に石が直撃し、そのまま動かなくなった。
「経験値を獲得しました。」
「レベルが2に上がりました。」
またしても目の前に文字が浮かび上がる。
「レベル…2?俺、強くなってるのか?」
身体のどこかに力がみなぎるような感覚がある。どうやら、ここでは戦うことで強くなれるらしい。
先に進むと、さらに大きな空間が広がり、今度は二体のモンスターが現れた。
『スモールスパイダー レベル:2』
『スモールスパイダー レベル:2』
数が増えても、動き自体は単純だ。俺は冷静にそれぞれの間合いを取りながら対処した。石や周囲の岩を武器にしながら、なんとか二体目も倒す。
「よし…!」
そして、再び浮かぶ文字。
「スキル『突進』を習得しました。」
「突進?どうやって使うんだ?」
頭に意識を集中させると、スキルの発動条件や動作が自然と理解できた。
「なるほど、これで一気に相手に突っ込むってことか…。」
俺は少し安心し、さらに奥へと足を踏み入れる。
だが、その次のエリアで俺を待ち受けていたのは、これまでとは比べ物にならない状況だった。
『スモールスパイダー レベル:2』×3
『スモールスパイダー レベル:3』
「4体…かよ。」
俺は息を呑んだ。次々と蜘蛛がこちらを取り囲むように動き出す。
「突進で一気に抜けるしかない!」
スキルを使おうと意識を集中させるが、モンスターの一体が俺の背中を鋭い脚で叩きつけてきた。
「ぐあっ!」
その勢いで俺は前方の壁に投げ出される。
「くそ、終わったか…?」
だが、その瞬間――。
バグ発動
壁に激突する直前、突進スキルが発動した。しかし、スキルが通常通り動作しなかった。
俺の体はそのまま壁をすり抜け、モンスターのいるエリアとは完全に隔離された空間に転移するような形になった。
「…今、何が起きた?」
壁の向こう側にいるモンスターたちは、俺を追うことができない。どうやら、意図せず特殊な現象を引き起こしてしまったようだ。
「これは…バグなのか?」
俺は状況を整理する暇もなく、再び奥の道へと進むことを決めた。この力が一体何なのか確かめるために――。
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