人為同調『AS』
1
二人の名前は『紅葉』と『楓』。
彼女たちの両親は紅葉葉楓の花言葉『非凡な才能』に習って双子の名前をつけた。自分たちの子が偉大なる才能を持っているようにと願ってつけたのだ。
だが、その願いが叶う事はなかった。
二人とも、テストの点はいつも50点。芸術やスポーツも先生からの評価は毎回『B』。何をしても並レベルでしか行うことができず、突出した才能は皆無だった。
無理もない。彼女たちの親は平凡だったのだ。平凡な才能を持つ親から非凡な才能を持つ子供が生まれるのは稀だ。だが、彼らは自分たちが平凡であることを認めたくなかった。だから彼女たちに暴言を吐き、ついには暴力を振るうようになっていった。
しかし、彼女たちは決して平凡な才能の持ち主ではなかったのだ。
テストでは、二人の丸のつく場所は真反対で、足し合わせれば100点になる。
スポーツも二人が組んだダブルスは誰にも負けなかった。芸術も二人が共同制作したものは高く評価されがちだった。
紅葉と楓、二人合わせれば『非凡な才能』だったのだ。
だが、平凡な両親は二人の才能に気づく事はなく、暴力を振るい続けた。
どうにかして自分たちの才能を証明しなければいけない。そう思っていた紅葉と楓は名案を思いついた。
二人で教えあって勉強すれば二人ともテストで100点を取れるのではないだろうか。
思い立った二人は部屋に篭り、二人での勉強生活を始めた。
結果は大成功。先生からもらったテスト用紙には『100』という文字が刻まれていた。
二人は顔を見合わせ微笑み合うと、下校を告げるチャイムを楽しみに待った。
チャイムが鳴り、二人揃ってテスト用紙を両手で持ちながら一目散に家に帰る。
これでようやく両親に褒めてもらえる。自分たちの子には才能があったのだと喜んでもらえるに違いない。
だが、その願いが叶う事はなかった。
家に帰った時、彼女たちの視界に映ったのは『血塗れになった両親の姿』だった。
****
「(ビンゴっ!)」
ビルの屋上に設置された給水タンクに身を潜めながら、紅葉はやってくるフード姿の男に目をやる。彼はギターバッグを抱えながら屋上の隅の方へと歩いていく。
このまま座ってギターの弾き語りでもしてくれればいいのだが、そうはいかない。
腰を下ろした男がバッグを開けると中から出てきたのは『解体されたスナイパーライフル』だった。それを一つずつ組み立て、形を作っていく。
「(こちらにやって来た。今から鎮圧に入りまーす)」
紅葉は遠くにいる楓へと話しかける。無線での通信ではなく、彼女たちの脳に施された『BMI(Brain Machine Interface)』を使って、脳波で互いにやりとりをしている。いわゆるテレパシーである。
「(了解。何度も言うけど、気を抜かないでね。相手は何人もの人を殺めてきた極悪人だから)」
「(分かってますって。そっちも気を抜かずに私と同調しててね)」
拳銃を握りしめ、一人でに微笑むと、紅葉は給水タンクから離れて彼の背後に回った。銃口向けてゆっくりと彼の元へ歩いていく。彼は気配に気づいたのか、動かしていた腕を止めた。
「勘が鋭いね。でも、残念。動かないでね。動いたら、どうなるか分かるよね?」
紅葉はそう言って、ハンマーに力を入れる。小さな金属音が閑散とした屋上に響き渡った。これで相手も状況が分かっただろう。
「声を聞く限り、まだ幼いお嬢ちゃんだな。わざわざ自分の存在を教えるのは悪手だぜ。そのまま引き金を引けば俺を殺せたと言うのに」
「殺す事が目的じゃない。あんたには仲間の情報を洗いざらい吐いてもらうよ」
「それなら、麻酔銃で俺を仕留めるんだったな。考えが甘い」
「どの口がそれを言う? あんただって何の疑いもなく、ここで用意してたじゃん。もしかすると自分を狙う誰かがいるって考えてもよかったんじゃない? 考えが甘いわね」
「ふっ、面目ねえな。なあ、お嬢ちゃん。一ついいことを教えてやろう。知ってるか? 人って言うのは自分が安全だと分かった瞬間に油断するものだぜ!」
男はそう言うとバッグにしまっていたナイフを紅葉に向かって投げた。
不意に目の前に迫りくる物体に無意識に視線が映る。体勢をかがめ、ナイフを交わすと男の足に銃口を向ける。だが、男もまたスナイパーライフルをこちらへと向けていた。
紅葉は反射的に左に転がり、引き金を次々と引く。弾は男に命中することはなく、左の方へと抜けていく。男は右に逸れていく。それに伴って、紅葉も銃口を右へと向けていった。男の後ろを弾が次々と通り過ぎていく。だが、男の身体に当たる事はなかった。
構うことなく紅葉は乱射を続ける。彼女の目的は男に弾をぶつけることではない。男の走る先はビルの隅の方。もうすぐ彼の身動きは取れなくなる。そうなれば、再び形勢逆転だ。
しかし、紅葉の予想とは裏腹に男はビルの隅へと走ると段差を駆け上がり、ビルを飛び立った。
紅葉は眉をあげる。寝転がった姿勢を正して、彼が飛び立った方へと走っていく。
見ると彼は隣のビルへと飛び移っており、ビルの階段につながる扉へと向かっていった。『逃げられた』と思ったのか紅葉は眉を潜め、男を見ていた。
先ほどの男の言葉が脳裏をよぎる。
人って言うのは自分が安全だと分かった瞬間に油断するものだ。浮かび上がった言葉に対して、紅葉は微かな笑みを浮かべた。
男はビルの扉を開けると扉の前でしばらく動かなくなった。次の時にはゆっくりと前の方へ倒れ、ビル内に入っていった。代わりに一人の少女がビルから出てくる。ロングの髪を揺らした少女は紅葉に向けてピースサインを送ってきた。
同調してるんだから。こっちで言えばいいのに。
そう思いながらも、紅葉は隣のビルにいる楓に向けてピースサインを送り返した。
2
任務を終え、楓は武器の手入れをしていた。
現在、楓と紅葉は所属する機関の寮に住んでいる。
両親を殺された彼女たちはその後、施設送りとなった。しかし、それは束の間のことで、政府が秘密裏に設立した機関『アンμ』からの勧誘を受け、駒として働くことになった。
彼女たちの両親を殺した首謀者は逮捕された。だが、首謀者が取引したとされる『復讐代行人』の身柄は確保されていなかった。彼女たちは両親を殺した張本人が捕まらずにのうのうと生きていることに憤りを感じ、アンμからの勧誘を承諾した。自分たちが復讐代行人に復讐するために。
寮では紅葉と楓の部屋は分けられている。理由は二人の性格が真反対だからである。
陰気で、綺麗好きな楓。陽気で、お粗末な紅葉。二人の部屋は明らかに違った。楓の部屋は物が寸分狂うことなく整理されている。逆に、紅葉の部屋は物があちらこちらに散らばっており、終いにはゴミまで散らかっている有様だ。
こんな二人が同じ部屋に住むとなったら、大喧嘩になる事は間違いない。それを証拠に彼女たちの実家では、同じ部屋が割り当てられていたが、真ん中に大きな仕切りが立てられていた。おそらく自分たちで作った物だろう。
楓は武器の手入れをしながら、己の心と対話していた。
先の屋上で仕留めた男は、きっと自分たちが探している男の情報を握っているに違いない。両親が殺されて五年の月日が流れたが、ようやく敵が見え始めた気がした。
武器に注がれていた視線は自然と前を向いた。見えるのは白を基調とした額縁だった。額縁にはテストの解答用紙が収まっており、右上には100の文字が刻まれている。
両親に見せられなかった100点のテスト。紅葉は失くしてしまったみたいだが、楓は今も大事に保管している。
ようやく未練を晴らすことができる。楓は無意識に口元を緩めた。
「(かえでー、今なにしてるのー?)」
すると脳から直接、紅葉が語りかけてきた。
「(銃の手入れ。どうしたの?)」
「(末藤さんから招集かかってるよー)」
紅葉の言葉で楓は部屋内に鳴り響くアナウンスにようやく気がついた。すっかり自分の世界に浸ってしまっていた。楓にはよくあることだった。だからいつも、こうして紅葉に呼び出しをされる。脳内に響いた言葉はどれだけ自己に没頭していても聞くことができる。
楓は慌てて銃をしまうと、部屋を飛び出していった。
楓と紅葉は脳に施された『BMI』によってリンクしている。彼女のBMIには特別な仕様が組み込まれている。それが『ASシステム』、通称『人為同調システム(Artificial Synchronization System)』。
人間の脳波は各々に定められた波長があり、それがチャンネルの役割を果たしている。波長は規則的になっており、その規則に沿った数値を持つものは相性がいい。だが、その規則は未だに解明されていない。
紅葉と楓はミクロの差ではあるもののほぼ同じ波長を持っていた。そこで、人為的に各々の脳波を操作することで同じ波長を出すようにしている。それによって、二人は同じチャンネルを有する事になり、様々な感覚を共有することができる。まさに『AS』、二人は一体となっている。
「すみません、遅れました」
楓は焦ったような声でそう言うと、機関長室に入る。機関長室には椅子に座る女性の姿とその向かい側に紅葉の姿があった。楓は紅葉の横につき、彼女へと視線を送る。
黒髪のポニーテール、薄暗いサングラスによって彼女の目は遮られているため怒っているかの判断がつかない。それが逆に楓を恐怖に貶める。
「あまり自己に没頭しすぎないように」
彼女はそれだけ言うと、楓から顔を逸らした。「はい」と了承しようかと思ったが、口に溜まった唾液のせいでうまく声が出せなかった。代わりに唾液をごっくんと飲む。
「では、話を始めよう。その前に、先の任務はご苦労だった」
楓と紅葉が尽力した先の任務は復讐代行人の初捕獲だった。これによって、アンμの仕事は大きな一歩を踏み出すこととなった。
「君たちの尽力のおかげで彼らの情報交換場所『復讐代行屋』を探ることができた」
その言葉に楓は眉をひそめた。情報交換場所が分かったと言う事は多くの復讐代行人の居場所が特定できると言う事。その中には、両親を殺した奴もいるはずだ。
「ねえ聞いてよ楓。さっきのあの人、爪を二十本、歯を四本抜かれたらしいよ。それも一本ずつ。マジおっかなよね」
「自白剤は打たなかったんですか?」
「相手は何十人もの人間を殺してきた極悪犯だ。そんな彼に自白剤だけで済ませるなんて芸当をさせると思うか?」
芯のある彼女の声音に楓はたじろぐ。紅葉の言う通り、本当におっかない人だと楓は思った。でも、もし自分が親を殺された相手を前にしたら、そうする可能性は高い。であれば、自分も同類だ。
「それにしても、よくそんなに耐えましたね。私だったら、爪二本目でギブアップしそう」
「彼らは身柄を確保されそうになったら、自爆を選ぶ連中だ。痛いのは覚悟の上でやっているのだろう。だから、爪を二十本剥いだ後、自白剤を見せた後に、歯を抜き始めた」
自白剤を見せられた事で我慢しても、ダメだと言うことが分かったのだろう。それでも、四本も我慢できたのは相当忠誠心が高いに違いない。もし、他の仕事を選んでいたのならば、かなりの人財になっていたかもしれない。
「流石は機関長。ホント狂人ですね」
紅葉は軽々と彼女の悪口を口にした。楓は汗を流したが、機関長は鼻を鳴らすのみで特に何も言う事はなかった。こういう時、紅葉の素直さを楓は羨む。自分もそういうことができれば、もう少しは可愛がってもらえると思ったのだ。
「ここにいるみんなは大体狂っている。お前達も例外ではないぞ」
「はいはーい」「……」
「不服か? 楓」
「いえ、自分でも納得しております」
楓の言葉に機関長は口で笑った。どこが面白かったのか楓には分からなかったが、機関長の笑顔が見れてホッとした。
しかし、それは束の間のことであり、すぐに顔をしかめると二人に対して命令する。
「情報交換場所は分かった。これより次の作戦を開始する」
3
彼らの情報交換場所は都内に隣接する県の比較的人口の少ない地域だった。
そこにあるバーの裏部屋に復讐代行屋があるという。機関の人員たちがバー周辺に身を潜める。楓と紅葉は二人でバーへと入っていった。バーは未成年も入ることを許可しており、誰でも自由に入ることができた。復讐代行人には未成年もいるらしい。
階段を降り、地下に行くと木材で作られた扉がある。そこを開けると橙色の光に包まれた空間が顕になる。紅葉は初めて見るバーの景色に瞳を輝かせた。現在、紅葉はシステムの搭載されたサングラスをかけているため彼女の瞳の輝きは側から見えない。
「(楓、すっごいねー! なんだか大人になった感じ)」
「(あまりハメを外してはいけないよ。いつ気づかれるか分からないから)」
陽気な紅葉とは裏腹に、楓は終始神経質になっていた。
今回の作戦で、未成年である二人が潜入する事になったのは、互いに無言の元でやりとりを行うことができるからだ。何も喋らずコミュニケーションが取れるというのはこうした潜入捜査では重宝される。
バーに入ると席に腰をかけた。マスターがこちらへやってくるので、適当にドリンクを頼む。もちろん二人ともノンアルコールのドリンクを注文した。復讐代行人は深夜にも仕事をするらしい。そういう人たちに向けて用意しているのだろう。
「ずいぶん若いお嬢ちゃんだな。いくつ?」
特に何も話すことなくいると、不意に横にいるおじさんが声をかけてきた。頬が赤くなっていることから酔っている様が窺える。楓は悪絡みしてきた彼に対して、鋭い視線で威嚇した。彼はそれで怯んだのか目を泳がせると、何事もなかったかのように体を背けた。
楓はホッと一息つく。潜入前に一悶着起こしたくなかった。
ちょうどそのタイミングでマスターがドリンクを運んできた。楓はマスターがドリンクを置いた瞬間、左手の手の平を上に向けた後、手を横にして拳を握る。これが復讐代行屋に入るための秘密のアクションらしい。
マスターは楓に頷くと、そのまま二人の元を離れた。
特に何も起こらなかったが、本当にこれで良かったのだろうかと二人は顔を見合わせる。それからしばらくドリンクの味を堪能し、店を後にした。支払いを済ませ、レシートを握ると下に一枚のカードが添えられているのが分かった。おそらくこれが復讐代行屋に行くためのキーなのだろう。会計を終え、バーを出る。
「それ、どこの鍵だろう?」
「復讐代行屋はあのバーの中にはないってこと?」
「おい、嬢ちゃんたち。ひょっとして復讐代行屋は初めてか?」
二人で話していると不意に後ろから声が聞こえた。楓はドキッとしながらできるだけ平然を装って後ろを振り向く。視界に入るのは自分たちよりもひとまわり大きい筋肉質の男。目には切り傷があり、マントで身体を隠している。肩にはギターバッグをかけていた。
復讐代行人。一目見ただけで彼がそれである事はわかった。
「はい、そうなんです。ただ、バーの中にあると思っていたら、カードだけ渡されたので、ここからどうすればいいのか分からなくて」
紅葉は頭を掻きながら、男に返答した。
「そうだったのか。そのカードを持ちながらウロウロされては困る。俺が案内してやろう」
男はそう言うと彼女たちを抜かして歩き始めた。二人は一度顔を見合わせる。ここでついていかなければ、流石に怪しまれる。互いに頷き、男の後ろをついていった。
男が向かったのはバーのある建物の裏側。そこも地下へといく階段があり、降りると扉がある。木材の扉ではなく、コンクリートで固められた扉。黒色のドアノブの上部が四角型に白く塗られており、そこにカードをかざすと開錠される音が鳴る。
「「(おおっーーー)」」
心の中の感嘆する声が互いにリンクする。男は扉を開けると、紳士らしく二人を先に通した。中に入ると、先ほどのバーとは打って変わって酒場の雰囲気を纏った景色が見られる。古びた木製のテーブルと椅子。オレンジ色に包まれた明るい空間。
雰囲気とは逆に、今は人気は全くなく、店員すらもいなかった。
楓は酒場を見渡す中で、気になるものを発見した。木材で作られた掲示板だ。掲示板には同じような書式の紙がいくつもある。それら全ては上側をナイフで留められていた。紙に印刷された顔写真からおそらく依頼書である。
それを見て、とうとう『復讐代行屋』に来てしまったのだと実感した。思わず息を飲んだ。
「危ない!」
驚愕した紅葉の声と共に左側に衝撃が走る。楓は衝撃に耐え切ることができず、体勢を崩した。体勢を崩す中で、楓は視界に入った情報から状況を読み取っていく。
目の前に広がる赤色の液体。自分の左腕を襲った痛みは同調した紅葉の痛みだったようだ。そして、その原因となったのが、自分たちの後ろにいた男が持つ拳銃。銃口は先ほど自分が立っていた場所に向けられていた。
紅葉がいなければ、完全にやられていた。反省しつつも、次の行動に思考は流れる。
男の持つ銃口は左へと動き、倒れた自分たちへと照準が向けられようとしていた。楓は近くにある椅子の下部に手を添えると勢いよく男へと投げつけた。
不意の行動に男は身構え、銃口はあらぬ方向へと向けられる。その瞬間を逃すことなく、楓は腰部につけていた銃を手に取り、男に向けた。彼は向けられた楓の銃を見ると動きを止めた。代わりに落ちていた口角が一気に上がる。
男からは未だに殺気が流れている。そして、それが楓の記憶を疼かせた。
瞳孔が開いていくのが分かる。額からは冷や汗が流れる。心拍数は一気に上がり、自分が動揺しているのが分かった。
私はこの男を知っている。そして、この男は私たちを知っている。だから殺そうとしたのだ。
「随分といい動きをするようになったな。あの時は一歩も動くことができなかったのに」
答え合わせをするように男は言葉を口にした。
楓の記憶が徐々に蘇る。血塗られたリビング。血塗れの両親。自分が見たのはそれだけじゃなかった。全身に布を纏い、フードをかぶった男。彼は私たちを見ると、不気味に口角を上げ、その場を立ち去った。
「お前……」
動揺はいつしか憤怒へと変わっていた。
拳銃を握り締める手の握力が強くなっていく。
ようやく出会えた親の敵。引き金を引けば、未練を晴らすことができる。
だが、その前に楓の足元にカランッ、カランッと音を立て、金属で作られた丸い物体が転がってきた。
爆弾。それを認識する前に体は動いていた。紅葉を両手で持ち、一緒になって右側へ逸れると、テーブルの端を蹴り上げ、爆弾と自分たちの間に隔たりを作る。
しかし、いつまで経っても爆弾は爆発しなかった。
フェイク。そう気づいた瞬間、テーブルを貫通し、弾が自分の右腕をかすめる。
やられた。いや、そんなことを考えている場合ではない。楓はそう思うと紅葉を蹴る。
対して、紅葉も同じことを考えており、互いに互いを蹴って、左右へと別れる。その瞬間、自分たちのいたテーブルに二、三度穴が空いた。蹴られた反動で床を転がり、敵を欺く。
その中で、楓はようやく冷静さを取り戻してきた。感情ばかり動いていては敵は倒せない。アンμでよく言われることだ。
目を動かし、男の様子を見る。彼はこちら側に銃口を向けていた。
楓は寝そべった状態を、手を使って起こす。男の照準が自分に定まった瞬間に目の前にあった椅子を力強く蹴った。男の引いた引き金は椅子に当たる。一瞬訪れる静寂の間。それを見逃すことなく、楓は男に向けて発砲する。
弾は男の銃を持っていた腕を掠めた。反動か、男のバランスが崩れる。
それを見逃すことなく、紅葉が彼へと急接近する。彼がそれに気づき、銃を向けた瞬間に下にしゃがみ込み、銃口を蹴り上げる。
衝撃で彼の手から銃は離れ、上へと舞い上がる。
今度は紅葉の番。持っていた銃を彼の体に向けて発砲。しかし、彼は体を逸らして、銃口から身を外していた。そのまま体を回し、紅葉の横につくと、腕で紅葉の首を締め上げる。紅葉は苦しみのあまり銃を手から滑り落とす。男はさらに身体に取り付けていたもう一丁の銃を取り出し、彼女のこめかみにつけた。
その間、楓は銃口を彼に向けていたが、紅葉を撃ってしまう可能性があったので、引き金を引けずにいた。
怒涛の展開の後に訪れる長い沈黙。苦しむ紅葉に、歯を噛み締める楓、口角を上げて不気味に笑う男。この構図だけで形勢は明らかだった。
「銃を置け。さもなくば、家族をもう一人殺されることなるぞ」
彼のその言葉が楓の心を打つ。楓は彼の指示に従い、腰をかがめながらゆっくりと拳銃を持った手を下ろしていった。紅葉がいなくなったら、自分はきっともう生きる気力を失くしてしまうだろう。紅葉がいたからこそ生きることができた。彼女と私は一心同体。互いに『同調』している。
拳銃を地面に付け、そのまま手から滑り落とす。
その束の間、男が最後に油断する瞬間を二人が見逃すはずがなかった。紅葉は彼の拳銃を持っていた手に拳を突き当て、自分の頭から銃口を逸らす。
男の視線が紅葉にいく。そのタイミングで楓は銃を再び握り締めると男に照準を合わせ、迷うことなく引き金を抜いた。紅葉に気を取られていた男は発砲音で気づくが、時はすでに遅かった。弾は綺麗に男の頭を撃ち抜くと血を噴射させながら男は地面に倒れていった。
楓は一息つくと、その場に崩れ落ちる。紅葉は男の腕から擦り落ちるとそのまま仰向けになった状態で天井を覗いた。
二人は常に同調している。それ故に、互いの行動を寸分の狂いなく合わせることができた。
二人が一緒にいたからこそ、彼女たちは親の仇を打つことができたのだ。
****
自分たちの寮の屋上で楓は街の景色を眺めていた。
復讐代行屋には、その後人が現れることはなかった。あの店に仕掛けられた監視カメラか、それとも男が従業員に前もって知らせたのかは定かではないがどこかで情報が流れ、場所を映されてしまったのだろう。
楓と紅葉は彼らに顔がバレてしまったことで、活動することができなくなった。それ故に今日をもって、アンμを辞任。寮から離れることになった。
だから最後にとここから見える景色を眺めることにした。普段は嫌いな太陽の光は、今日ばかりは嫌いにはなれなかった。
「かーえで!」
景色を眺めていると、後ろから声をかけられる。見ると、紅葉がいた。
『BMI』も外され、人為同調を失った二人は声を使うことでしか気づくことができない。
紅葉は楓の横につくと、一緒に外の景色を眺めた。
「よーやく、終わったねー」
「うん。でも、なんだか虚しい気分。復讐ってこんなものなのかな?」
復讐を果たす前はあんなにも感情が奮い立っていたのに、復讐を果たした後はまるで嘘だったかのように感情が微動だにしなかった。どこか虚しく、どこか寂しい、そんな気持ちを抱いた。
「これで良かったのかな?」
「良いんだよ。心の中の蟠りがなくなったんだから、ようやくこれで自由になれた」
紅葉はそう言って、楓に笑いかける。紅葉につられるように、楓も笑みを浮かべた。
復讐を果たしたことで得られるのは達成感ではない。心を縛っていた鎖が切れ自由を得られたんだ。でも、できればもう二度としたくはない。
「これから何する?」
「そーだね。旅にでも出ようか」
「おー。良いね、それ」
二人は明るい未来について語り合った。
人為同調が解けても、二人の心はいつまでも繋がっていた。
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