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嗤う女子投手

 その後も紗智の好投が続いた。それも圧巻と言っていいピッチングだった。


 三回表、七番八番と続けて三振に仕留めた。しかもファウルすら打たせない投球だった。


 続く九番打者、伊山は1ボール2ストライクに追い込まれていた。緩急を自在に操りカウントを整える投球を紗智は心掛けているようだった。


 だが、追い込まれているのにもかかわらず伊山から余裕がうかがえる。いや、気持ちが弛緩しきっている感があった。


 相手は女子。

 野球経験者にとっては打ちごろの球速。

 だからいつでも打ち返せる。


 それらの思考が伊山の油断を生じさせているのかもしれない。


 紗智はプレートを踏み打者を見据えた。


 そのとき、彼女の口角が上がっているのが見えた。


 両腕を振りかぶって左脚を高く上げる。上半身をねじり、右脚を曲げて右手をマウンド近くまで下げた。左脚を強く踏み込んで一気に右腕を振った。前に大きく倒した独特な投球フォームだが、紗智の身体に一切のブレがなかった。おそらく見た目よりも下半身が強く、体幹もしっかりしているのだろう。

 伊山はタイミングを合わせてバットを振った。だが伊山のバットは無様に空を切り、三振に仕留められた。


「伊山、走れ! 振り逃げだ!」


 牧野は声を張り上げた。捕手が球を落としたのだ。


 伊山はその声に反応し、一塁へ向けてひた走った。しかし、そう上手くいかずに、捕手が丁寧にファーストに送球し、アウトになった。


「くそ、もう少しだったのになぁ」


「なあに、いつか捕まるさ」


 と、『常盤台ミニスターズ』の楽観的なムードは変わらない。


 和人は守備につく準備をしながら、紗智の投球を思い返してみた。球種はストレート、チェンジアップ、カーブ、そしてあと一種類落ちる球がある。おそらくスプリットかスライダーのどちらかだと思わるが、ベンチから見ている限りだとよくわからなかった。


 ただ一つだけわかったことがある。クイックモーションのときと比べ、ワインドアップでは明らかに球速が上がっていたのだ。


 特にストレートは130キロを超えて見えた。女子がこれだけの球を放れるのは驚嘆に値する。紗智の卓越した才能に加え、凄まじいトレーニングを積まないとこれだけの球は投げられないはずだ。明らかに女子のレベルを逸脱していた。


 しかも、ストレートに加えバットから逃げるような変化球も操る。攻略するのは容易なことではない。


 ――打席に立って見極めるしかないな。


 この守備が終わったら和人に打順が回ってくる。そのとき、ギリギリまで球を見極めて打っていくしかないと考えた。


 三回裏、投手の牧野の失投が重なり、二点を取られ、リードを三点差までに詰められた。ベンチに戻った常盤台ミニスターズの選手たちはまだ余裕がうかがえた。


 ――呑気な人たちだ。


 これから点を取ればいいと、まだ紗智を舐め切っている空気がある。


乃仁斗(のにと)


 と、和人は打席に向かう乃仁斗を呼び止めた。


「どうした?」


「鏑矢のピッチング、どう思う?」


 和人は真剣な口調で訊いた。


「ちょいと、手強そうな感じだな」


 一応の警戒心は見せるも、楽観的な口調だった。


「ちゃんと球を見ろよ」


「わかってるって。じゃ、ヒットでも打ってくるか」


 乃仁斗は明るく答え、左打席へ向かった。


 ――大丈夫か?


 和人は不安がぬぐえなかった。楽観的な性格は乃仁斗の長所であると同時に、欠点でもある。常に肩の力を入れずリラックスした状態でプレーをしている反面、たまに気を抜いてとんでもない大ポカをしてしまうときもあるのだ。


 ネクストバッターズサークルに戻り、紗智の投球に意識を向ける。


 紗智は初球、乃仁斗の足元近くのインコースにカーブを放る。低め一杯に決まり、ストライクがコールされる。


 二球目、紗智はストレートを投げたかのように見えた。


 乃仁斗のバットは球の上辺を掠めた。セカンド真正面に転がるゴロになる。乃仁斗の俊足をもってしても間に合わず、一塁に送球されあえなくアウトになった。


 ――なんとか行けそうか?


 少なくともストレートとカーブならタイミングを合わせそうだ。あとは初球になにが来るかで配球を読んでみるつもりだ。


「和人」


 乃仁斗が駆け足で近づき、声をかけてきた。


「どんな感じだった?」


「手元で変化してるぞ。たぶん、カットボールだな」


 と、乃仁斗が顔を近づけて囁いた。


「きっちり芯を外してきやがる。こっちの考えが読めているかのような配球だったぞ」


「わかった。ありがとう」


 和人は労いがてらに乃仁斗の肩をポンと叩いた。


 今までの投球内容、それに乃仁斗の言葉から察するに、紗智は巧みな投球術を持っている可能性が高い。アウトを取る術に長けているのだ。


 ベンチから声援が飛ぶ中、和人は軽く素振りをして右打席に入ろうとした。


「和人」


 不意に紗智が声をかけてきた。


「ん?」


 和人はヘルメットのつばを上にあげて紗智に目を遣る。彼女の癖なのか、右手で球を何度も上に浮かせていた。そして球をパシッとキャッチする。


「一塁に行って」


 紗智は親指で一塁ベースを指さした。


「なに?」


 信じられないことを聞いた心地になる和人。


「だから、申告敬遠。和人とは勝負しないよ」


 紗智は平然と言ってのけた。


「鏑矢ぁ! どういうつもりだ!」


 相手チームの監督、冨中から怒号が飛ぶ。ベンチからも動揺の声が漏れた。


「わたしが打たれるとすれば、和人だけだもんね。それにこれ以上点差を広げられたくないし、ここは敬遠が一番。ホームランを打たれる可能性はゼロだよ」


 紗智は冨中に向かって意図を伝える。


「ずいぶん、俺を買ってるんだな」


 和人は紗智の真意が読めなかった。たしかにこの場面、強打者の和人を敬遠するのは戦術としては正しい。しかし、今までの紗智の投球内容に何の問題もない。ランナーを溜めていない状態なら勝負してもおかしくはないはずだ。


「まあね。だって、和人ってわたしのこと、ずっと観察してたでしょ。どうやって打ってやろうか、塁に出るにはどうしたらいいかって」


「………」


「投げているときもずっと思っていたよ。和人は絶対油断しない人だってね。その代わり――」


 と、紗智は『常盤台ミニスターズ』のベンチに向きなおり、言葉を続けた。


「和人以外は全員ザコじゃん」


 紗智は手のひらを返して指さした。その表情には嘲るような微笑が浮かんでいる。


「安い挑発だな。そんなもんで大の大人が――」

「なんだと、この女ぁ!」


 牧野が和人の言葉を遮る怒声を上げた。今まで紗智にいいようにやられている上に、雑魚呼ばわりされて頭に来たようだ。『常盤台ミニスターズ』のベンチにいる全員が紗智を睨みつける。


「だってそうでしょ。あんたら、現にわたしから一本もヒットを打てていなんだし、いくら怒っても事実は変えられないよ。いつかは打てる、どうせ小娘が相手だって人をなめる前にさ、わたしからヒットを打ってみなよ。そしたら少しは認めてあげる」


 紗智は笑い声を交えながら言った。


「きさま! 人をおちょくるのもいい加減にしろよ!」


 と、大声を飛ばしたのは宇田川だった。とても議員秘書とは思えないほどのドスの利いた声だ。いつの間にかネクストバッターズサークルから出て打席に近づいてきた。


「へえ。じゃああんた、わたしからヒットが打てるんだ」


 紗智は宇田川に向き直る。


「当たり前だ。俺は清明大学でクリーンナップを打っていたんだ。おまえのような女が打ち取れるはずがないだろう」


「へえ、清明大学ねぇ。たしかに名門だね」


 紗智は顎を上げて口元を歪める。まるで宇田川を心底バカにしたかのような笑みだった。


 そして紗智は言葉を続ける。


「いちいち大学の名前出すあたりがダサいね。過去の栄光に縋っている奴が、わたしからヒットを打てるわけないっしょ」


「なにぃ」


 宇田川は眉根に深い皺を刻んで紗智を睨みつける。バットを握る手に力が込められた。


「なら証明してあげようか?」


 紗智は宇田川を指さした。


「証明って、なんだ?」


 和人が訊いた。


「この宇田川って奴、ダブルプレーに仕留めるから」


 紗智の予告に、両チームがざわついた。『光龍デストロイヤーズ』の選手たちはお互いに顔を見合わせ、『常盤台ミニスターズ』のベンチ内が剣呑な空気に包まれた。


「ふざけんな! このやろう!」

「やれるもんならやってみろ!」


 『常盤台ミニスターズ』のベンチから怒号が飛んでくる。とても国会議員と実業家が率いるチームとは思えない口の悪さだった。


 和人は女子高生の挑発に乗ってしまう大人たちに呆れ果てていた。鳴りやまない怒号から逃げるように一塁に歩を進めた。


 ――鏑矢なら、やりかねないな。


 一塁ベースの上に片足を乗せてから紗智を見つめた。ヤジを浴びながらも平然と構えていた。ここまでふてぶてしく振舞う投手も珍しい。


 対する宇田川は怒り眼のまま紗智を見据えていた。議員秘書ともあろう者が、こんな安易な挑発に乗っかるようでは日本の将来が心配になる、となぜか飛躍した考えが和人の頭に浮かぶのだった。


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