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助っ人投手

「なにやってんだぁソウタぁ! また打たれやがってぇ!」


 冨中は腕を組みつつ、怒鳴り声を上げた。


 二回表、『光龍デストロイヤーズ』は、また副島和人という高校生にホームランを打たれた。同じ相手に二発食らうソウタを情けなく思う。


 本来なら選手兼監督の冨中が投げているはずだったのだが、左足首の捻挫が治りきっておらず、チームの指揮を執ることに専念せざるを得なかった。


 ただ一方で、冨中は自分が投げたとしても和人を打ち取れなかっただろうと思う。名門の茗荷谷(みょうがだに)大学付属高校の二番手投手を務めた実績があるとはいえ、それは過去の栄光。現役の高校球児を相手に通用すると思うほど、甘くは考えていなかった。


「にしてもあいつ、なにもんだ?」


 相手チームの橋高と牧野は都立常盤台高校出身で、その後輩を連れてきたと言われた。元々あまり野球が盛んな学校ではなかったはずだ。和人は飛びにくいはずの木製バットを使ってフェンスを越える打球を軽々と打った。昨年の東東京ベスト8とはいえ、都立高校にこれほどまでの打者がいるのは信じられなかった。


 そんな心持ちを抱えながら、冨中は試合の行方を見守る。


「ねえ、監督ぅ」


 気怠そうな声が後ろから聞こえてきた。


 冨中はその声を無視してソウタの投球を注視する。


 声の主が言いたいことは冨中にはわかっていた。この試合、負けたくない思いが強い。しかし、奴に頼りたくない事情もはらんでいた。


「おらソウタぁ! ピッと投げろ、ピッと!」


 冨中が喝を飛ばす。


 ソウタは頼りなげな顔色を浮かべて頷くと、投球モーションに入った。


 だが、冨中の叱咤が逆効果だったらしく、ソウタの投球モーションがぎこちなく映った。

 結果、力のない直球を放ってしまった。


 相手の三番打者、宇田川がきれいなスイングで球を捕らえ、右中間に運んだ。センターがもたついている間に、宇田川が二塁に進出。相手ベンチが歓喜に湧いた。


「監督、このままじゃ負けるよ」


 また後ろから声がした。


 冨中は仕方なしに後ろを振り向く。帽子を目深にかぶった助っ人が脚を組んで不敵な笑みを浮かべている。


「ちっ、わかってる。けどソウタの奴、下位打線は抑えているからな。このまま行けるところまで行く」


「ああ、ムリムリ、あのヘボピッチャーじゃあ、あと五、六点は取られるよ。うちの打線で逆転なんてできるの? わたしが投げればまだ追いつけるかもよ」


 助っ人が嘲笑する。


 バカにされた『光龍デストロイヤーズ』の選手たちは助っ人を睨みつけている。


 だがこの助っ人、動ずることがない。ふてぶてしく口角を上げて笑っている。


 冨中は痛いところを突かれて、言葉に窮した。相手に長距離打者の高校生がいる以上、『光龍デストロイヤーズ』の打線では追い付くことができない。相手投手のスタミナ切れを待っている間に、どんどん点差が開くのは目に見えていた。 


 ――出し惜しみしてる場合じゃねえ。


 冨中は腹を括った。


「ソウタぁ! 交代だ」


 うなだれているソウタに声をかけた。相手をなめてかかっていた分、打ちこまれたショックが大きいようだ。


「抑えてもらおうじゃねえか。助っ人さんよ」


「はいはい」


 冨中の険のある声をいなすかのように、助っ人はさっと立ち上がった。グラブを手に取り、マウンドに向かう。


 ――さて、見せてもらおうじゃねえか。


 打たれたらただじゃおかねえ、と胸の内に呪詛を吐いた。


 ◇◆◇


 『常盤台ミニスターズ』の選手たちは今日の試合に手ごたえを感じていた。二回の表に乃仁斗が四球を選び、和人が本塁打、続く宇田川も二塁打、攻撃が止まりそうもなかった。五点先制し、先発ピッチャーをマウンドから引きずり下ろした。早くも勝負が決まった雰囲気が漂っていた。


 しかし、和人はそれどころではなかった。二回の表に打ったホームラン、スイング時の手の返しがイマイチに感じた。木製バットを持ち、ベンチに座りながらゆっくり手首の動きを確認する。


「和人」


 乃仁斗が声をかけてきた。


「どうした?」


「あのピッチャー、小っちゃくねえか?」


 乃仁斗がマウンドを指さした。


 二番手投手の右腕は、さっきまでベンチで偉そうに座っていた選手だった。160センチぐらいの身長しかなく、身体の線も細い。とても大の大人相手に投手が務まるとは思えなかった。


 和人はバットの先を地面に突き、グリップエンドに両手を乗せてマウンドに注意を向ける。


 二番手投手は身体の回転を利かせて球を放った。


「大したピッチャーじゃないな」


 と言う橋高の声がした。


「たしかに、スローボールですね」

「全部打ちごろの球ですよ」

「俺、ホームラン打っちゃおうかなあ」

「おお、いいぞ。こうなったら全員ホームランといこうじゃないか」


 投球練習を見たメンバーから侮る声が次々と湧いてくる。


 ――なんだ?


 調子づくメンバーをよそに、和人は違和感を覚えた。たしかにあの二番手投手の球は遅く、しかも打ちごろに見えた。

 ただ、フォームが全くと言っていいほどブレていなかった。緩い球を投げながらも、一球一球何かを確認するかのように慎重に投げている節がある。


「じゃあ、行ってくるか」


 橋高はヘルメットをかぶり、バットを持ってネクストバッターズサークルに足を向けた。ちなみに橋高は五番打者である。四番打者の牧野はすでに左打席の横で軽くバットを振っている。


 投球練習が終わろうとしていたとき、相手投手が帽子を取ってアンダーシャツの袖で額を拭った。


 そのとき、常盤台ミニスターズのベンチがざわついた。


「女?」


 誰かが声を上げた。


 そう、いまマウンドに立っているのは間違いなく女性だったのだ。


「あっ!」


 和人はベンチから立ち上がって彼女の顔を眺めた。


「やあ、和人」


 彼女は和人の視線に気づき、右手を上げて応えた。


鏑矢(かぶらや)、何してんだおまえ」


 そう、マウンドに立っているのは和人と同じクラスの女子、鏑矢紗智だったのだ。


「助っ人を頼まれてさぁ。うちの投手、みんなヘボいから仕方なくわたしが登板するってわけ」


 紗智は帽子で扇ぎながら言った。


「知り合いなのか?」


 と訊いたのは乃仁斗だ。


「同じクラスの女子だよ。まさか野球をやっていたなんてな」


 和人は戸惑いがちに答える。


 一昨日、紗智は良いピッチャーがいると言っていた。それは彼女自身のことだったのか。


「鏑矢、低反発球だ」


 相手の捕手が審判から新しい球を受け取り、紗智へ送球する。


 低反発球というのは女子投手が男子打者に使用する球である。通常の硬式球と比べ打球が飛びにくく作られてある。球速も球威も劣る女子投手が不利にならないようアマチュア球界で導入されたものである。手触りと重量は通常の硬式球と同じように作られており、通常の球と見分けるため青い糸で縫われている。


 ただ、低反発球を使っても男子打者相手では分が悪く、ほとんどの女子投手が打ちこまれてきた。

 稚拙な小細工にしかならならず、男子の打撃力には敵わなかったのだ。


「じゃあ、始めよっか」


 紗智はこちらの驚きをよそに、帽子を被って打者に向き合う。


 牧野の顔に嘲りの色が浮かんでいた。たかが女が俺を押さえられるもんかと言いたげな表情だった。


 二塁にいる宇田川にも余裕の笑みが浮かんでいる。隙があれば、盗塁を試みてもおかしくない。


 審判が試合再開を告げた。


 紗智は捕手のサインを見る素振りを見せず構えた。ショートとセカンドは牽制に備えて二塁に近寄っていた。


 だが、紗智は牽制する気配を見せずに、すり足気味のクイックモーションから球を放った。


「なにっ!」


 和人は思わず声を上げた。


 紗智の放った球が、鋭くキャッチャーミットに吸い込まれようとしていたからだ。とても女子が投げる球ではない。一直線の軌道が描かれた。


 牧野はバットを振ろうともせずに球を見送った。


「ストライーク!」


 審判が高らかに判定を告げる。


「どうだ? 和人」


 隣に座っている乃仁斗が声をかけてきた。


「かなりスピードが出ているな。たぶん、120キロは軽く超えてるぞ」


 と、和人は紗智から目を離さずに言った。


「マジか? 女でそんな球投げられるのかよ。それもクイックで……」


 乃仁斗が驚くのも無理はなかった。優れた女子投手でも120キロ越えのストレートを放るのは少数だと言われる。特別身体の大きくない紗智が、しかも球速の出にくいクイックモーションで120キロ越えの球を投げるのは信じ難かった。


 和人と乃仁斗の話に呼応したのかベンチ内は一層のざわめきが起きる。


「心配ない」


 ネクストバッターズサークルでしゃがんでいる橋高がベンチを振り向いて声をかけた。


「先生、どういうことですか?」


 北町という牧野の部下が訊いた。


「たしかに女にしては大したものだが、男相手ではあの球速は打ちごろだ。すぐに捕まえられるさ」


 橋高は自信満々に答える。


「そ、そうですね。あんな球、初心者でも打てますよ」


 北町はほっとした様子になる。


「ストライーク、バッターアウト」


 話している間に、牧野が三振に倒れた。苦笑いを浮かべつつベンチに戻ってくる。


「だらしないな、牧野。どら、俺が一発打ってやる」


 橋高は意気揚々と打席に向かった。


「頑張ってください。先生」

「かっこいいところ見せてください」


 ベンチから応援の声が飛ぶ。乃仁斗も手を叩いて橋高を鼓舞した。


 和人の視線は紗智から離れなかった。彼女はこちらの希望的観測をあざ笑うかのように、球を何度も上に投げて弄んでいた。そして薙ぐように右手を動かし、パシッと音を立てて球を掴んだ。


 ゲームが再開される。


 紗智の勢いは衰えなかった。緩急織り交ぜた投球を見せ、橋高をあっさり三球三振に終わらせると、続く六番打者も三振に仕留め、二回表の攻撃が終わった。


「ついてないなぁ」

「でも、捕まるのも時間の問題ですよ」

「ああ、あんな球投げているようじゃ、二巡する頃にはノックアウトできるでしょう」


 『常盤台ミニスターズ』のベンチは弛緩しきっていた。たしかに紗智に投げる球は男子に比べて遅く、経験者なら容易に打てそうに見えた。


 しかし楽観視するベンチをよそに、和人は首筋に冷や汗が伝うのを感じた。


「鏑矢のやつ……」


 和人はその後の言葉を口にできなかった。


 ――とんでもないピッチャーだ。あいつから点を取るのは無理に等しい。


 はっきりした根拠があるわけではない。


 だが、直感が警戒心を呼び起こした。


 正体の知れない感覚を抱き、和人の胸に緊張感が忍び寄ってきた。


 ただ、一つだけ確信している。


 持てる力全てを尽くして対峙しなければ紗智を攻略できないということだ。


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