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OBからの誘い

 放課後の練習をしてから、和人はまっすぐ家に帰った。


 筋力トレーニングと短距離ダッシュを重点的にこなしたせいでくたくたに疲れていた。大会までまだ日があるので、今のうちにきつい練習をして身体を鍛えておく必要があると考えたのだ。


 家に着くと荷物を二階の自分の部屋に置き、制服を脱ぐ。着替えの下着とハーフパンツをスーツケースから取り出し、浴室に向かう。湯船にお湯を溜める時間が面倒だと思い、今日はシャワーだけにした。その代わりシャンプーやボディーソープ、洗顔フォームをふんだんに使い念入りに汗を流す。

身体を拭いて着替えてからリビングに足を運んだ。


「あっ、やべ」


 晩飯の支度をするのを忘れてつい頭を掻いてしまう。というのも、両親は今日から出張で家におらず、中学生の妹も部活と塾で帰りが遅くなる。ついそのことを失念していたのだ。


 幸いにも冷蔵庫には真空パックのチキンや、昨日の残りのカレー、あらかじめ母親が切ってくれたサラダが用意されてある。あとは、米を炊けばいいだけだ。


 冷蔵庫からチキンとサラダを出してテーブルに置いてから、米を研いで炊飯器を早炊きにセットした。近ごろの炊飯器は性能が良く、しかも十分も経たないうちに炊き上がる。メーカーの努力にちょっとした敬意を表したくなった。それからカレーの入った鍋をヒーターにかける。


 白米が炊けるまでの間、ニュース記事を閲覧した。政治と社会のニュース記事を読み、プロ野球の特集記事、日本人メジャーリーガーの活躍をチェックする。他の記事を読もうとしたとき、ある見出しが和人の目に入った。

 

 女子初のプロ野球選手を目指す 東仙(とうせん)学院高校三年 投手 頼本(よりもと)璃々(りり)


 ――またこの手の記事か。


 と思いながらも、ざっと記事を流し読みする。整った顔立ちの頼本璃々が恥ずかしげに微笑む写真が載っていた。記事の文章は、通り一遍の称賛を並べるだけで読む価値はなかった。


 今から数十年前、少子化に伴い野球の競技人口は減少の一途を辿っていた。そのあおりを受けたアマチュア球界はチームの数が漸減していた。


 競技人口が少なくなると競技レベルの低下は避けられない。人口の多い都市部はともかく、地方では練習試合もろくに組まれず、人数不足のために公式戦への出場を断念せざるを得ないチームも増えていった。このままでは地方にいる優秀な人材が埋もれてしまい、いずれ日本球界のレベルが落ち、野球人気の低下につながりかねないと危惧した。


 そこでアマチュア野球の公式戦に女子が男子と混合での出場を認めるという改革がなされたのだ。とにかく人数を集めて多数のチームが公式戦に出場できるようにしたかったという。


 苦肉の策の色合いが強かったものの、当初は思いのほか好意的に受け入れられたという。女子選手たちに脚光が浴び、もしかしたら男子相手にいい試合をする女子選手が現れるかもしれないと球界関係者やファンから期待された。男女の差を無くすためのルール作りや道具開発に着手し、女子選手の受け入れ態勢を整えた。


 ところが、現実は甘くなかった。地方大会の一回戦、二回戦レベルならともかく、上位に進むにつれて男女の差が明確になって行くのが目立った。打席に立つと空振りやゴロアウトが頻発し、守備においても男子が放つ打球スピードについて行けず、エラーが目立った。環境を整えても、身体能力の差は埋められなかったのである。


 心の無い者から「そら見たことか」と嘲られ、それに同調するかのように女子選手の存在は軽んじられるようになった。メディアにおいては、女子選手の努力を褒めたたえる記事がたまに掲載されるものの、どこか等閑な提灯記事の感がぬぐえない文章でお茶を濁しているのが現状だった。


 和人も女子が男子に混ざって試合をするのは現実的ではないと思っている。どう考えても、男子の向こうを張って女子が勝負できる絵図が想像できなかった。部外者から誹謗中傷を受けるぐらいなら、最初から公式戦に出場すべきではないと後ろ向きに考えざるを得なかった。


 ちょっとの間、物思いに耽ってからテレビを点けた。


 プロ野球中継にチャンネルを合わせたあと、スマホの音が鳴った。


「なんだろ?」


 鳴っている着信音は直電だった。


 スマホを手に取り、画面を見た。

 野球部監督の高梨秀太の名前が映っている。


 画面をタップし、電話に出た。


「おつかれさまです」


《おつかれ。いま大丈夫か?》


 高梨の野太い声の裏から騒ぎ声が聞こえた。たぶんどこかの飲食店から電話をかけたのだろう。


「はい、なにかあったんですか?」


《いや大したことじゃない。なあ和人、明後日の早朝、時間あるか?》


 一応都合を訊いているふうではあるが、命令を仄めかす声音だった。


「はあ、まあ大丈夫ですけど」


《このあいだ、野球部OBの牧野先輩と橋高先輩が寄付してくれただろ?》


「はい、おかげで助かっています」


 去年の東東京大会での活躍を喜んでくれたOBたちが硬式球、金属バット、グラブ、防具、ピッチングマシン、トレーニング器具といった用具を寄付してくれたのだ。部費が少ないので非常にありがたかった。常盤台高校はOB・OGとの繋がりが強く、なにかと現役生に目をかける風潮がある。


《その見返りと言ってはなんだが、和人と乃仁斗(のにと)に先輩方の草野球チームの手伝いをしてほしいんだ》


「試合に出るってことですか?」


《話が早くて助かる。今、先輩方と飲んでいるんだが、人数が足りなくて困っていたんだ。寄付のお礼も兼ねて行ってくれないか?》


「いいですよ。それで、試合開始は何時ですか?」


《早朝の五時、区営グラウンドに行ってくれ》


「わかりました。けど先輩方、仕事とか大丈夫なんですか? 九回までやると時間に余裕がないんじゃないですかね。俺たちも授業に間に合うかどうか」


《いや、延長なしの七回までだから心配ない》


「なら大丈夫ですね。ボールは軟式ですか?」


《いや、硬式だ。それと道具とユニフォームはチームで用意してくれるからスパイクとグラブだけ持って行けばいい》


「わかりました。あと、バットも自前で用意します」


《おいおい、まさか木製バットか?》


「いけませんか? 俺が公式戦以外で木製バットを使ってもいいって監督が言ってたじゃないですか」


 和人は高梨の態度がおかしいと感じた。


 普段の練習のみならず、練習試合でも木製バットを使っているが、公式戦では木製バットに近い反発係数、つまり同じぐらい打球が飛ぶ金属バットを使用している。


 これには一つ理由がある。メーカーが木製バットと同じ感覚で使えると謳っても、実際に使用した感覚では金属バットの方が鋭い打球が飛ぶのだ。それは和人のみならず、多くの選手が感じていた。


 金属バットでは自分の打撃力が誤魔化されると感じ、高い技術とパワーが必要な木製バットを使うことで正確な打撃力を普段から計っておきたかったのだ。


 そのことは高梨にも伝え、許可を得ている。なぜ草野球の試合で使うのを躊躇うのだろうか。


《それはそうなんだがな。相手は強豪野球部のOBが何人もいるし、油断はできないぞ》


「なら好都合です。それだけの相手なら俺の実力をある程度は知れるでしょうから」


 和人に引く気はない。高梨が正当な理由を言わないのならなおさらだ。


《ちょっと待ってくれ。すみません》


 高梨の声が遠くなった。周りにいるOBと相談しているようだ。一言二言相談する声が聞こえてから、わかりましたという高梨の声が聞こえた。


《木製バットの使用を許可する。その代わり、きちんと活躍してくれ》


 高梨は気取った声音で言った。


「わかっていますよ。先輩方の前で恥ずかしいバッティングはしませんから」


《ああ、よろしくな》


 と言われて一方的に電話を切られた。


「他の学校じゃ、こんなことしないよなぁ」


 和人の知る限り、他校ではOBの寄付はよくあるが、そのお礼に部員を草野球に参加させるなんて話は聞いたことがなかった。高校野球の規則に違反しないのかと一瞬思ったが、高梨が許可を出したのだから大丈夫だと考え直す。


「ま、細かいことは良いか」


 和人はソファに寝転がった。万が一規則に抵触するようなことがあれば、高梨に責任を取ってもらえばいいさ、と開き直った。


 それはともかくとして、相手は名門野球部のOBたち。それなりの選手とやりあえると思い、心が弾む。ほどよい緊張感で試合ができそうだ。


 一方で高梨の口調から何かを隠しているなとも思った。


 ――試合することには、変わりないか。


 気にしてもしょうがないと思ったとき、炊飯器の音が鳴った。


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