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副島家にて

 スマホで時刻を確認する。


 午後六時三十分、練習時間をオーバーしてしまった。部活動の時間は午後六時までである。


 和人はちょっと気まずくなりつつ、職員室へ部室の鍵を返しに行った。担任の怜美がまだ残っていて、ややきつめに注意を受けてしまった。


 都立常盤台高校は放課後の部活動の時間を長くとらない方針である。限られた時間の中で無駄なく活動する習慣を身に着けるためにあえて制限を加えたらしい。それでもたいていの運動部は初戦を突破している。素質に優れた生徒が少なく長時間練習できないわりには上出来なのかもしれない。


 部員たちと別れて帰途につく。街中は日暮れの色が濃くなり、薄い橙色の日の光が道路に投げかけてある。下りの車道は混んでいるものの、和人の走る車道は空いていた。和人は脚に力を入れ心持ちスピードを上げ、ブレーキをかけることなく路上駐車の車をよけながら家路をひた走る。


 路地に入り、スピードを緩めながら家の近くまで来た。中学男子のグループが道に広がり、バカ話をしている。和人は彼らをよけて突き当りを曲がる。


 副島家は近所ではかなり目立つ家屋だ。立方体に近い二階建てでガレージがあり、地下室まである。外壁は打ちっぱなし風のコンクリートで造られ、丸い窓枠が点々と嵌められてある。元々はとある音楽家の自宅兼練習所で、和人が生まれてすぐに両親が元の家主から購入した中古物件だった。


 和人はガレージに自転車をしまい、シャッターを閉めようとした。


「なんだか個性的な家だね」


 と、女の声がした。


 嫌な予感がした和人はシャッターに手をかけたまま後ろを振り向いた。

 紗智が自転車のハンドルを持ったまま、副島家を見上げている。


「紗智、なんでここにいる?」


 ()けられていたのに全く気付かなかった。


「和人って自転車漕ぐの速いねぇ。おかげで巻かれそうになったよ」


「質問に答えろ。なんでついてきた?」


 和人は紗智に近寄り、目に力を入れて問い質した。


「ああ、和人に頼みがあってさ」


「頼み?」


 と訊いたとき、そのとき腹の虫が鳴った。

 思わず和人は腹を見るが、自分から鳴っている感触がない。


「ご飯食べさせて。うち、親が帰り遅くてさ。家になんもないの」


 紗智は腹を押さえて言った。


「だったら、コンビニとかスーパーに寄ってなんか買って行けばいいだろ」


 当たり前のツッコミをする和人。


「そんなつれないこと言わないでさ。ね、お願い」


 紗智が両手を合わせて拝む。だが手の奥に見える顔に、悪びれた様子のない笑みが浮かんでいた。


 ――なーんか企んでるよなぁ。


 晩飯をねだるだけではないと思った。これぐらいの頼み事なら練習終わりに訊けばいいはずだ。


 ここは断るに限る。


「ダメだ。うちには妹がいるんだ。来年受験だし、迷惑は――」


「おにいぃーちゃーん」


 と、いきなり背後から間延びした声が聞こえた。


「おわぁ!」


 和人は驚いて背後を振り向く。 


 無表情に佇んでいる女子が目に映る。紗智よりも背が低く、白地にアルファベットの描かれたTシャツを着、青のハーフパンツを穿いている。右手に袋を下げており、どうやらスーパーに行ってきたようだ。


 和人の妹、副島優奈である。


「なにしてるの?」


 と、優奈が顔一つ変えないで訊く。地声が低い上に、いつも眠たそうな目つきをしているせいか、兄の和人でさえどんな感情で喋っているのか想像できないときがある。


「いきなり声をかけるな。驚くだろ」


「驚いたのはこっちのほう」


 と、優奈は紗智に目を向け、言葉を続ける。


「おお、これは」


 優奈が感心めいた口調で言った。


「どしたの?」


 さすがの紗智も戸惑っている。


「お兄ちゃん。わたしは妹としてうれしい」


「なんの話してんだ?」


「朴念仁のお兄ちゃんが、こんなかわいい人を家に連れてくるとは。お兄ちゃんも異性に興味のある健全な男子なんだって安心したんだよ」


 優奈が紗智を見て言う。


「なにを勘違いしてるんだ。こいつが勝手についてきただけだ」


 きっぱり否定する和人。


「おおう、それは残念」


 なにを残念がっているかわからない。


「どうでもいいから、ちゃんと挨拶しろ。紗智、妹の優奈だ。優奈、こいつが鏑矢紗智」


 型通りに紹介した。


 と、紗智と優奈は見つめ合っている。

 優奈の無表情につられたのか、紗智も真顔である。


「よろしく」

「よろしく」


 二人はいきなり握手を交わした。無言の間に、女同士の友情が芽生えたのだろうか。なにが起きたのかさっぱり理解できなかった。


「よし、せっかくのお客さん。紗智さん、うちに入って。自転車はガレージに置いておいていいから」


「おうおう、妹さんは聞き分けがいいねぇ。兄貴とは違って」


 紗智は自転車を押してガレージに入った。


「一言余計なんだよ。とにかく、飯食ったらすぐに帰れよ」


 仕方なく紗智を家に入れるしかなかった。いつの間にか主導権を妹に握られ、兄としての面目がつぶれてしまったと考えてしまう。


 和人がシャッターを閉めている間に、二人はガレージ脇にある玄関に入って行った。


 後を追うように玄関に入ると、料理の匂いが漂ってきた。部活終わりにこの匂いは腹に堪えられない。和人は心持ち急いで靴を脱いでからリビングに入った。


 食卓テーブルにある鍋や食材に目が行った。


「優奈、鍋を作ったのか?」


 両親がいない間、食事当番は原則優奈の担当である。その代わり、食器の片づけ、ゴミ出し、リビングの清掃は和人が任されている。 


「うん。簡単な寄せ鍋だけど」


 と、優奈はヒーターのスイッチを入れ、手に持った袋から新品のポン酢を出して食卓テーブルに置く。キッチンの近くにある食器棚へ足を向け扉を開けた。


 食卓テーブルには二人分の食器が置かれている。優奈もまだ食べていないらしかった。白菜。椎茸、豆腐、白滝、一口サイズに切られた鶏肉が大量にある。これらの食材は両親が出張に行く前に、買い置きをしておいたものだ。


「おお、なかなか豪勢だねぇ」


 紗智は喜色を浮かべる。


「ちょっともったいないんじゃないか?」


 文句をつけるつもりはなかったが、贅沢しすぎじゃないかと気になった。


「あー、それ、消費期限が近いし手っ取り早くお兄ちゃんに処分してもらおうと思っただけだから。野菜はしなしなだし、鶏肉もそろそろ限界っぽくて。お母さん、うっかりしてたみたい」


 優奈が紗智用の皿を食卓テーブルに置く。


「俺は残飯担当かよ」


 はっきり言う妹に呆れそうになる。


「いいじゃん別に。わたしたちアスリートなんだし、これぐらい食べないと力つかないよ。なっちゃん、白米ある?」


 紗智は鍋に材料を入れながら白米をねだった。


 ――なっちゃん?


 馴れ馴れしさに戸惑う和人。


「だいじょーぶ。三合炊いてあるから。さっちゃんの分もあるよ」


 優奈が丼に白米をよそいながら言った。


 ――さっちゃん?


 この二人、よほど息が合うのだろうか。幼馴染のような空気を二人から感じる。


 優奈が白米の入った丼と茶碗を食卓テーブルの上に置いた。和人は丼で、紗智と優奈が茶碗である。


 女子二人は鍋をじっと見つめて煮立つのを待っていた。特に紗智は食欲を抑えきれず、目を輝かせている。ここだけ見ると食い気のある普通の女子に見える。


 蓋がカタカタ鳴り出した。


「おっと」


 和人が蓋を取る。


「もういいかな?」


 と、優奈が橋で鶏肉を一切れ取り出す。ちゃんと煮えているようだ。


「うん、いい感じぃ」


 紗智が箸を伸ばし、鶏肉と白菜、白滝を自分の皿に取り分ける。ポン酢の瓶を手に取って蓋を開けて、さっとかけた。この女、遠慮というものがない。


「うん、いただきます」


 優奈も自分の分を取り分ける。


 和人も負けじと鍋に箸を伸ばした。


「でさ」


 紗智がもごもご口を動かして訊いた。


「ん?」


 和人は咀嚼した椎茸を口に含みながら目を向ける。


「食べ終わったらもう一つ頼みがあるんだけど」


 と、紗智が切り出す。


 ――そらきた。


 やはり飯だけが目的ではなかった。


 和人は椎茸を飲み込み、紗智に耳を傾ける。


「なにが目的だ?」


 と、身構える思いで訊いた。


「いやあ、数学の宿題なんだけどさ、全然わからなくて。和人、教えてくれない?」


「それだけ?」


「それだけ」


 紗智が苦笑する。


「あのなぁ、別に難しくないだろ。基本問題だけじゃねえか」


 企んでいるほどの大げさな話ではなかったせいか、肩の力が抜けた。必要以上に身構えていた自分がバカみたいだった。


「だってさ、わたし体力回復に努めてたでしょ。だから宿題の内容全然わからなくてさ」


「都合よく言うな。ただ居眠りこいてただけじゃねえか」


「しょうがないじゃん。朝早かったし、放課後部活やらなきゃいけないでしょ。疲れたまま野球はできないよ」


「……高校生の本分、わかってるか?」 


 悪びれもなくのたまう紗智に、絶句しかけた。


「はぁーあ」


 紗智はわざとらしく首を振ってため息を吐く。口元が笑っていた。


「なんだよ?」


「和人さぁ、これでわたしが赤点とったらどうする気?」


「………」


「うちに学校、一つでも赤点あれば大会に出場できないの知っているでしょ。だからここはわたしを助けるしかないんじゃないかなぁ。今日やったところ確実にテスト範囲だしねぇ」


 紗智がニヤニヤしながら顔を寄せてくる。


 ――怒るな、俺。


 叱責をしたところで、この女には効果が薄い。時間の無駄だ。


「教えてあげたらいいよ、お兄ちゃん」


 と、優奈が割り込んでくる。


「ん?」


 和人は優奈に目を向ける。相変わらず無表情だ。


「さっちゃんがいないと、お兄ちゃん困るんでしょ」


「俺っつうか、野球部がな。認めるのも腹立たしいが、紗智がいなかったら一回戦すら危うい状況ってところだな」


「なら、今回だけ教えてあげたら? 次からはなしって条件で」


 優奈は平然と助言を送る。


「和人くぅーん、おねがぁーい、今回だけよぉー」


 紗智はいきなりアイドルのような甘い声音でねだり、目を輝かせた。


「むぐっ」


 言葉に詰まる和人。紗智の様子があまりにも胡散臭いので、怒りよりもシラけが勝る。


「ねえねえ、お願いったらぁー」


 紗智は和人の肩を揺すってくる。予想はしていたが、女のわりには力が強く、ぐわんぐわんと頭を揺すってくる。


「わーった、わーったよ。今回だけだからな」


 仕方なく了承するしかない。下手に断ると何しでかすかわからない恐れがある。


「にひひ、そう来なくっちゃ」


 紗智がいつもの態度に戻り、いたずらっぽい笑みを浮かべる。


「ふむ」


 と、優奈が声を漏らした。箸を持ったまま和人を見つめている。


「なんだよ、優奈」


「お兄ちゃん、なんだか楽しそう」


「バカ言え。こいつに振り回されて大変な思いをしてるんだ」


 なにを的外れなことを言ってるんだと思った。


「さっちゃん」


 優奈は紗智に向き直る。


「なに? なっちゃん」


 と、目を丸くする紗智。


「お兄ちゃんのこと、よろしく。こんな楽しそうなお兄ちゃん、久々に見た。さっちゃんがお兄ちゃんとつき合うかは別として、いい友達付き合いができると思うから」


 ぺこりと頭を下げる優奈。まるで母親気取りだ。


「にひぃ。任せなさい」


 紗智は自信ありげに言う。


 ――全っ然楽しくねえ……。


 紗智といい優奈といい、俺には女難の相が付きまとっているのかと自分の宿命を嘆きたくなる和人であった。


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