きつい罰
「さあて、約束を守ってもらおっかなぁ」
マウンドを降りた紗智は、打席で立ち尽くしている大希の前で足を止めた。
「え、まあ、そうなん、っすけど」
大希がたじろぐ。あちこちに視線を飛ばし、なんとかして罰を回避しようと頭をひねっているようだ。
往生際の悪さを見せる大希に対し、紗智はそっと手を伸ばすと、彼の肩に手を触れた。
「ふふ」
と暗い微笑を漏らす。
「紗智?」
許す気になったのか、と思う和人。
もちろん、この女がそんなことを考えるはずがない。
紗智はにわかに目つきが鋭くなったかと思うと、いきなり大希の髪を掴む。
「な、なにを?」
大希の顔に狼狽の色が浮かぶ。
「さあ、約束を守ってもらうよ。土、下、座、しろっ!」
紗智は強引に大希の髪を下に引っ張り、額を地面に押し付けようとした。
「うわぁぁーー! すみませんでしたぁぁー!」
さっきまでの威勢はどこへやら、大希が情けない声をあげる。抵抗を試みるも、顔から血の気が引いている。敗れた屈辱と安易な取り決めをした後悔に苛まれているようだった。
「やめろ、紗智! やり過ぎだ!」
和人は紗智の手首を掴み、なんとか引き離そうとする。
「離して和人。約束を反故にしたら、示しがつかないわ。さっさとやれ、このガキ!」
意地でも土下座させようとする紗智。
大希は身体を振って抵抗するが、紗智の力が予想以上にあるせいか振りほどけなかった。
「鏑矢、もういいだろ。離してやれ」
いつの間にか乃仁斗も止めにきた。そして、佑と宏次朗も入ってくる。
紗智と大希を中心にもみくちゃになってしまった。紗智は意地でも土下座をさせようと躍起になり、大希は涙目を浮かべて抵抗する。
「すみませんでした」
いきなり大声が耳を打った。
いつの間にか紗智の入部に反対していた一年生たちが一斉に集まってきたのだ。
「あん!?」
紗智は大希の髪を掴んだまま、彼らに顔を向ける。未だに怒りが収まっておらず目を吊り上げていた。
「大希が打てないんじゃ、僕らに勝ち目はありません」
「それに、鏑矢さんがすごいピッチャーだって僕らもわかってきて」
「最初は気づかなかったんですけど、あれだけコントロールがいいのは驚異かなって」
「だから、鏑矢さんがエースの方がいいかなって俺たちで話し合ったんです」
一年生たちの顔が引きつっていた。
紗智の投球術を認めたのは確かだが、傍若無人な振る舞いに怖気をふるい、ここは素直にしたがった方がいいと判断したのかもしれない。
騒ぎが収まる。
みんなが認めた以上、紗智の入部テストは終わりだ。
和人はちらと紗智に目を遣る。怒りがすっと引いたようで、平然とした顔つきになっていた。
大希の頭から手を離した。
「紗智、もうこれくらいにしておけ。大希、おまえも謝れ」
「なんで俺が謝るんですか?」
大希が涙目を浮かべながら自分の頭を撫でる。
「自分が言ったこと、忘れたのか?」
和人の眉がぴくっと動いた。怒りそうになるも、必死に抑えてゆっくり喋った。
「ああ、いや、頭に血が上っちゃって。あはは……。鏑矢さん、すみませんでした」
ごまかすように笑ってから、謝る大希。和人の怒りを恐れたのかもしれなかった。
「ふーん、そっか。和人もこう言ってるんだし、勘弁してやるわ。けど」
紗智は上体を曲げて大希の顔を窺うように見つめる。
「な、なんです?」
大希の声が震えている。
「土下座の代わりに、わたしが普段やってるトレーニングメニューをこなしてもらうわ。それで勘弁してあげる」
「あ、そんなんでいいんですか?」
土下座を回避してほっとする大希。
「にひぃ」
と、紗智は邪に微笑む。
「紗智、なにをやる気だ?」
にわかに心配が過る和人。この女が生ぬるいことを考えているとは想像しにくかった。
「胃に汗がかくって言葉、知ってる?」
紗智は意味ありげに言う。
「どういう意味?」
「なんかの譬えか?」
「文学っぽいセリフだな」
「漫画かアニメじゃないか?」
「いや、実写ドラマっぽいぞ」
と、部員たちは口々に想像を言い合う。
「じゃあ、ちょっとこいつを借りるね」
またしても紗智が怪しげな笑みを漏らす。そして大希の手首を掴んで部室へ連れて行った。
――大希の地獄が始まるな……。
紗智の発した言葉に聞き覚えがあった。たしか大昔のプロ野球の監督が言ったセリフだったなと思い出す。
あのまま土下座させた方が良かったかもしれない、と大希への同情心が芽生えた。
◇◆◇
練習終了まで時間があったので、守備練習をすることになった。
和人がノックを打ち、代わりに佑が捕手を務める。佑は本来一塁手なのだが、和人が怪我をしたときの保険として捕手の練習も積んでいる。
常盤台高校は守備練習に力を入れていた。守備は練習すれば確実にうまくなるという監督の高梨の持論によるものだ。打撃や投球に関しては、専属コーチがいない関係もあって個人練習が主で、実力のある上級生が面倒を見ながら個人個人を見る習慣が出来上がっていた。
実際問題として、未熟な野球部だと守備の乱れで大量失点につながるケースが多い。たとえ投手が打たれても、守備さえちゃんとしていれば失点は最小限に食い止められる。あとは基本的な戦術を叩き込み、数人の打てる打者に点を取ってもらう。去年と同じやり方を踏襲していく方針だ。
今回のノックでは、守備についていないランナー役の部員が左打席の外に立ち、ノッカーが打った瞬間一塁へ全力で走るようにしていた。
練習時間が他の強豪校ほど取れない常盤台高校では、どれだけ無駄な時間を省くかが重要になる。なるべく暇な時間を作らず、鍛える時間を捻出するため去年の主将が提案して取り入れたのだ。さらに守備陣にも常にランナーを意識した守備練習をしてもらう意図もあった。
「宏次朗さーん、いきますよ!」
和人は宏次朗の左側に向けて強いゴロを打つ。ランナー役の虎次が地を蹴って一塁へ全速力で向かう。
宏次朗は前へ踏み出し、半身の体勢で捕球した。通常は身体を正面にして捕球するが、半身の体勢で取った方がスムーズに送球動作に移ることができる。もちろん、守備が上手くないとできないので、全員がそうしろとは和人も言わない。好守の宏次朗だからやっているだけである。
宏次朗は澱みない動作で一塁を守っている副主将の立木丞三郎へ送球する。虎次はあと一歩のところでアウトになった。
「ナイス! キャプテン」
「虎次、ナイスラン! 惜しかったぞ」
と部員たちから励ましの声が飛ぶ。
続けざまにもう一度ゴロを打つ。
次のランナーが一塁へ駆け出すのと同時に、二番手のマービンが腰を落とす。ところがグラブで球を弾いてしまい、出塁を許してしまった。マービンは申し訳なさそうに一塁へ送球した。
「惜しいぞ。次はできる。そら、もう一丁」
和人は同じ打球を打った。
練習の際、和人はミスを叱責するのをなるべく避けていた。次こそはと発破をかけることでやる気を促していた。すべて上手くいくわけではないが、和人の経験上、励ました方が良い刺激になると考えていた。
マービンは和人の励ましに応えたかのように、今度は捕球できた。だが、慌てて送球してしまい、球が逸れてしまう。丞三郎が目一杯身体を伸ばすもファウルゾーンへ球が転がってしまった。
その後、ランナー役と守備役を交代してノックを行い、さらにダブルプレーの練習、中継プレイの練習をこなしたあと、最後にキャッチャーフライを打って今日の練習は終了した。
「今年も、何とかやれそうだな」
グラウンド整備をしている最中、トンボを持った佑が話しかけてきた。
「ああ。なにしろピッチャーが埋まったのが大きい。大希の奴も心を入れ替えて紗智から学んでくれるといいんだけどな」
「他のポジションはどうするんだ?」
「さあな。監督次第だろ」
和人はマウンド付近を均しながら言った。
常盤台高校のスターティングメンバ―は完全に固定されていない。和人、紗智、乃仁斗、佑、丞三郎、宏次朗が当確しているぐらいで、あとの三枠は学年問わず競い合っている状況だ。
監督の高梨が公式戦の直前まで頭を悩ませてもおかしくなさそうだ。
グラウンド整備と片づけを終えてみんなが部室へ向かった。
先頭の乃仁斗がドアを開ける。
「おわぁっ!」
乃仁斗がいきなり喚いた。
「どうした?」
と、佑が声をかけ、他の部員たちも一斉に部室に入る。
遅れて和人も入ると、大希が仰向けに倒れている光景が目に飛び込んできた。口からよだれをたらし、顔が火のように赤く染まっている。
「大丈夫か? 大希」
と、佑が横に駆け寄り、大希の肩に腕を回して持ち上げた。
「う、うげぇ……」
力なく呻く大希。どうやら生きているようだ。
一方、紗智はマットの上に背をつけ、両手で左腿の裏を持ち上げてストレッチをしている。クールダウンらしく反動をつけずゆっくり脚を伸ばしていた。ヘアバンドを額に巻き、髪が振り乱れ、身体中から汗を流している。彼女もきついトレーニングをこなしたらしい。
「紗智、なにをやったんだ?」
さすがに法に触れそうな行為に及んでいないとは思うが、大希の尋常ならぬ姿を見てしまい、紗智に疑いの目を向けてしまう。
「特別なことはしてないよ。体幹トレーニングに筋トレ。これぐらいでへばるなんてね」
紗智は右腿に持ち替えてストレッチを続ける。
「た、佑さん」
大希は息も絶え絶えに声を出す。
「なにがあった? 誰にやられたんだ?」
なぜかサスペンスドラマ調に接する佑。
「犯人は鏑矢か?」
と、乃仁斗も悪ノリする。
他の部員たちも調子に乗ってわざとらしくざわめいた。
「紗智さん、マジで、バケモンっす。はあはあ……。休みなし、で、あんな、きついトレー、ニングやって平気、なんすから」
息を切らし、言葉を区切りながら喋る大希。紗智をさん付けで呼ぶようになったあたり、何らかの教育も施されたようだ。
「なにがバケモンよ。これぐらいできないでどうするの。ほら、あんたもクールダウンして」
と、紗智は立ち上がり、大希に近づく。
「さ、さち、さん?」
大希が目を丸くする。
紗智は横に膝をつき、ふっと微笑んだ。
「これを毎日やろうねぇ、大希くぅん」
ねっとりとした口調に、どこかしら悪意を感じた。
大希の身体がカタカタと震え、目から光が失せた。
――ま、調子に乗るよりはいいのかもなぁ。
和人はあえて紗智のやり方に口を挟まないようにした。
慢心しがちな大希の心根にちょっとした恐怖を植え付けるくらいでちょうど良さそうだと考え直したのだった。




