紗智VS一年生 2
打者があと五人控えているのにもかかわらず、紗智の入部テストはクライマックスを迎えている空気が漂っていた。
紗智が勝てば大希が土下座、大希が勝てば紗智が控え投手に回る。冷静に考えると、釣り合いの取れていない賭けのような気がする。
「あ、言い忘れてた」
紗智は足でマウンドを均しながら言った。
「あ?」
大希が不遜な声をあげる。
「あんたとの勝負、ストレートとカーブしか使わないから。あんたごときに他の球種なんて必要ないでしょ。それと和人はただの壁役。サインなしで投げるから」
紗智が怪しく微笑む。
先ほど、紗智が言っていたハンデとはこれのことだ。ここまで和人がリードし様々な球種を使って打者を押さえてきた。それだと部員たちが和人のおかげで勝てたと思うに過ぎず、納得させるまでには至らないと紗智は考えたのだ。それに加え、あえて投げる球種を制限し、打者に宣告することでハンデを与えた。
「ストレートとカーブだけ? てめえ、俺をバカにしてるのか!」
大希は怒りを隠そうとしない。一年生の中で随一のセンスを持つと自負している分、紗智の宣告には我慢ならないようだ。
「あんたさぁ」
紗智はわざとらしく首を振って呆れた仕草を見せると、言葉を続けた。
「自分の実力、わかってる?」
「あん? どういうことだ?」
大希の声が険しくなる。
「あんたの練習見てちょっとはわかったよ」
「はん、なにを言い出すかと思えば。さっきまでキャッチボールしてただけじゃねえか」
「それで十分。あんなキャッチボールやってるようじゃあ、到底うまくなれないよ。あんた、何も考えないでやってるでしょ」
「………」
「それに、さっき素振りしてるのも見てたよ。あんなへなちょこのスイングしてるようじゃ、わたしの球に当たるわけないっしょ。ろくにトレーニングしてない証拠ね」
どうやら、勝負の合間を縫ってベンチに目を向けていたようだ。たしかに大希たちは、ベンチ前で素振りをして紗智との勝負に備えていた。
「な、なんだと」
大希の身体が震えだした。
「バカじゃないの。練習をおろそかにする一年坊主がさ、エースだとか、ボイコットするだとか生意気な口を聞くなっつうの」
紗智の口調に嘲りの色が滲んでいた。
対する大希は押し黙ったままバットを構えた。
言い返せないのではない。
憤怒のあまり喉が動かないのだ。
バットを固めるようにして握り、紗智を睨みつける。
――よく見てるなぁ。
紗智の態度は褒められたものではないが、指摘は当たっている。キャッチボールや素振りだけで力量や練習態度を見抜く観察眼の鋭さに感心した。
たしかに大希は慢心しやすく、時おり気の抜けた練習をする。
キャッチボール一つとっても重要な練習だ。指、手首、肩、腕、肘、足の踏み込みにグラブの使い方。一つ一つの動作に気を配って行うものだと和人は考えている。そうでないと正確な送球や捕球ができなくなり、エラーにつながってしまう。
紗智はおそらく緩慢に練習する大希の態度を見抜いたのだ。その程度の投手がエースとしてマウンドに上がるのはおこがましいと仄めかしたのかもしれない。もっともあの性格だから挑発しただけな気もするが……。
「鏑矢、挑発はよせ。正々堂々と投げろ。大希、おまえも少しは言葉に気をつけて喋れ」
宏次朗が主将らしく叱責を飛ばす。互いに罵り合う部員たちを見かねたらしかった。
「はいはい。じゃあ、さっさと終わらせますか」
紗智はグラブに球を投げつけた。そして口角を上げて笑った。だが、眼差しは真剣そのものだ。言葉を弄し、相手を挑発することはあっても投球に関しては真面目な女なのだ。
一方、和人は気が張っていた。球が遅いとはいえ、ノーサインで捕球するのは高い技術と反射神経が要求される。球種がわからず、どのコースに投げるかわからない。後ろに逸らしたり、身体にぶつけてしまうかもしれない。無茶苦茶な要求とはわかっているとはいえ、彼もまた紗智に試されている気がした。
「プレイ!」
と、球審の佑が宣言する。
ひとまず、和人は真ん中にミットを構えた。
紗智が投球モーションに入った。いつものように上半身をねじり、握った球が丸見えになっている。
「っらぁ!」
紗智が球を放った。
「なっ!」
大希の読みと違ったらしい。紗智が投げたのはカーブだ。山なりの軌道を描きながらも向かってくる。
――外れるな。
真ん中高め、しかもちょうど球一つぶん外れそうだ。
ところがそれに大希は反応してしまい、バットを振ってしまう。
「くおっ」
途中でボールだとわかったらしく、必死でスイングを止めようとする大希。
「ストライク!」
球審の佑はハーフスイングと見たようだ。
「先輩、俺止めましたよ」
大希が抗議する。
「塁審」
と佑は塁審を務めている乃仁斗を指さした。
乃仁斗は非情にも右手を上げて拳を作っている。振っているとの判断だ。
和人は球を紗智に返球する。紗智はグラブを薙いでキャッチした。
「くそっ!」
大希は呪詛を吐いてバットを構え直した。
――ん?
和人は大希の構えが気になった。ラインに右のつま先が触れるほどベースに寄り、軸の左足を少し引いて構えていた。
あからさまな外角狙いだ。
簡単に読まれるようでは心許ないと、ため息を吐きたくなる。
――さて、あいつは何を投げるかな。
リードするなら内角高めにストレートを投げさせる。たとえバットに当たったとしても確実に芯から外れ、詰まる可能性が高い。
一方、紗智ならどうするかなと興味が湧いてきた。ひとまず真ん中にミットを構えた。
「へへ。俺、わかっちゃった」
と、大希が確信めいた口調で言う。
どうやら紗智の握りが丸見えだと気づいたらしかった。
握りを変えられると教えようと思ったが、余計な情報を与えてしまえば惑わせていると勘違いされるかもしれない。だからここは黙っていることにした。
紗智が投球モーションに入る。トレースしたかのような同じ動作だ。人差し指と中指を揃えてストレートに握ってある。
和人は大希を一瞥した。
もらった、と言わんばかりの笑みだ。
――かかったな。
余計なことをしゃべるから、と忠告したくなる。
「っらぁ!」
紗智が腕を振り抜く。
「もらっーーなっ」
スイングの途中で大希が顔色を変えた。
ストレートではない。またしてもカーブだ。しかも低め一杯に決まる理想的な軌道を描いてミットに吸い込まれていく。
完全にタイミングを狂わされた大希は、泳ぐように体勢を崩し、空振りを喫する。前のめりになり、たたらを踏んだ。
「さあて、次はどうしよっかな」
紗智の顔にうすら笑いが浮かぶ。相手を手玉に取る愉悦感に浸っているかのようだ。
「くそっ!」
大希は左打席に戻り、憎々しげな目つきで紗智を睨む。
こうなると完全に紗智のペースだ。大希は頭に血が上って明らかに身体が力んでいた。虎次のときと同じように、高めのつり球を放ればあっさり空振りが取れる可能性が高い。
――さて、なにを投げるんだ?
おそらく高めのつり球ではないと和人は考えた。
なら一球外して投球のリズムを整えるかとも思ったが、打者をねじ伏せたい紗智ならそれはないと思った。
三球で終わらせる。
和人はそう踏んだ。
大希がホームベース寄りに構えているのを考慮すると、内角高めのストレートを放ってくる可能性もある。カーブに目が慣れている大希には思いのほか速い球だと感じ、胸元を抉られると勘違いしてもおかしくなかった。
大希がバットを構え、紗智がプレートを踏んだ。
「っらぁ!」
紗智が気合を乗せて球を放る。
飛び込んでくる球に、和人は自分の目を疑った。
――ど真ん中のストレート!?
何を考えているんだと内心驚く。
ところが和人の心配とはよそに、大希はタイミングを取り損ねた。もう一度カーブだと思い込んだらしく、完全に振り遅れた。
結果、大希のバットは空を切った。
「ストライーク、バッターアウッ!」
球審の佑が高らかに宣告する。
和人は捕球体制のまま一歩も動けなかった。紗智のストレートに驚愕したあまり、身体が強張ってしまったらしかった。
――なんつう度胸だ。
明らかに抜け球ではない。ミットから伝わった感触は重く、意図的にど真ん中に放ったとわかる。遅いカーブに目が慣れてしまった大希に対しては、どのコースにストレートを投げても空振りを取れると読んだに違いなかった。
和人の目算ではカーブは90キロ前後、ストレートは130キロ前後。およそ40キロの差がある。カーブが来ると予測していた大希が振り遅れるのは当然だった。
――にしても……。
ど真ん中のストレートはないだろう、と思った。最後の一球だけを見れば、完全に打ちごろの甘いコースなのだ。もし大希がストレートに備えていたら、高確率でヒットを打たれただろう。
和人は、マウンドに駆け寄った。紗智に配球の意図を確かめたくなった。
「にひぃ」
と、紗智は得意げな笑みをこぼす。
「なんで、ど真ん中のストレートなんだ?」
「言ったじゃん。実力の無さをわからせるって。だからあえて打ちやすいコースに投げたの」
「打たれるって思わなかったのか?」
「ぜんぜん。カーブに目を慣れさせれば、どのコースにストレートを投げてもバットに当たらないって確信してたの」
「なんでそう思った?」
「素振りしているときにさ、あの小僧、同じように振れていない、つまりスイングに再現性がないってわかったの。たぶん下半身が弱いんじゃない? だから脚の踏ん張りも利かないし、強引にタイミングを合わせる力も技術もないって思ったの」
「………」
「あとさ、続けて遅い球投げたからおちょくられたと思ったんじゃないの? だから絶対カーブを打ってやるって頭に血が上って、ストレートを投げる可能性を放棄してたのよ、きっと。だってあの小僧、無駄にプライド高そうだもん」
紗智は大希に向けて顎をしゃくった。
小僧呼ばわりされた大希は、表情をなくしていた。打ちやすいど真ん中のストレートにバットを当てられなかった現実を直視できないようだった。
和人は改めて紗智の観察眼の鋭さに驚かざるを得なかった。紗智が言ったことは和人が常々感じていた大希の弱点をズバリ言い当てたのだ。
と、紗智はマウンドを降りて打席に向かった。
「紗智?」
和人が声をかけても紗智は足を止めず、ゆっくり大希に近づいて行く。
紗智は約束を守らせるつもりなのだ。




