紗智VS一年生 1
「おまえら、いい加減にしろ!」
と怒号を飛ばしたのは主将の宏次朗である。
「しかし、宏次朗さん。このままこの女を帰すわけにはいきませんよ」
大希が言い寄る。もう尻の痛みは引いたらしく、尻から手を離していた。
「そうだ。バカにされたまま引き下がれるか」
「誰がザコだってぇ?」
「俺たちを舐めやがって」
と、部員たちから次々と不満の声が上がる。
「へえ。じゃあ自信があるんだ?」
紗智が嘲るように煽る。
「当たり前だ。宏次朗さん、勝負させてください。この女、ノックアウトしてやりますから。な、みんな」
と大希が右手を上げて一年生たちをアジった。
「ああ、そうだ」
「言われっぱなしで済むか」
「あとで泣いても知らねえぞ」
倒すべき敵ができたせいか、一年生たちは妙な結束感を生み出していた。
――反社じゃあるまいし。
和人は胸の内でツッコんだ。仮にも進学校に在籍しているならもう少し語彙力を養えと、どうでもいいことが思い浮かぶ。
「宏次朗さん、これはもうやるしかないですね」
和人はしょうことなしに言う。この事態を予測できなかった自分が甘かったと胸の内で自省する。
「仕方ない。試合形式の練習にするか。鏑矢、アップを始めろ」
「はいはい。和人、球を受けて」
紗智はグラブを一度叩いて、ネット際にあるブルペンへ足を向けた。
「和人」
と、乃仁斗が声をかけた。
「こんなことするはずじゃなかったんだけどなぁ」
和人は肩を落としてため息を吐く。
「しょうがねえさ。ま、じっくり見させてもらうとするか。和人が認めたピッチャーをな」
佑がフォローする。
「和人ぉー、はやくぅ」
紗智は和人の気持ちはお構いなしに、手招きする。
――ま、紗智の実力を見せる機会にはなるか。
鼻で大きく息を吐き、考えを切り替えた。
和人は防具一式を身に着けてブルペンに向かった。紗智は上半身のストレッチをしているところだ。
「紗智」
と、和人は声をかけた。
「なに?」
「本当にやる気でいるのか?」
今さらだと思うが念のため訊いてみた。
「もちろん。これぐらいのことしなきゃ、わたしのことを認めてくれないでしょ」
「すべて計算ずくってわけか」
と、和人は言う。
おそらく紗智は自分が歓迎されないのを予測していたらしい。女子部員を入部させるだけでも異例だというのに、ましてやエースの座を奪い取ろうとしているのだから反感を買うのは当然だ。だから紗智に不満を持つ部員が勝負を挑んでくるよう仕向けたのだろう。
「徹底的に叩きのめすのが一番効果的よ。特にあいつらみたいな生意気な奴らはね」
と、紗智はベンチに顔を向けた。
和人はちらと振り向く。一年生たちが素振りをして対決に備えていた。
ただ、気になる光景が目に映った。紗智を女と侮っているのか、余裕の表情が見え隠れしていた。容易く攻略できると高を括っている節がある。
和人は腹を括って紗智を勝たせると心に決めた。怖いもの知らずの一年生の鼻っ柱を叩き折って、性根を入れ替えるいい機会だととらえる。現実を知ってもらい、試合に臨む心構えを説こうと思った。
「紗智、サインの確認をしよう。投げられる球種も教えてくれ」
「りょーかい」
二人はサインの確認をしたあと、ブルペンで投球練習に入った。
和人がサインを出し、紗智がその通りに投げる。
適度に紗智の肩が温まってからテストに臨んだ。
◇◆◇
紗智の入部テストは中盤を迎えた。
迎える打者は一年生の藤林虎次。三振が少なく、ミート力に優れ、しかも俊足なので内野安打が期待できる。守備も上手く、ライトのレギュラー争いに加わっている。
紗智は虎次をカウント2-2まで追い込んだ。マスク越しに見える彼女の表情からあと一球で決める気なのがわかる。
和人は虎次をちらと見た。肘や肩に余計な力が入っていて、バットを強く握っていた。
――打ち気がバレバレだぞ。
注意したくなるが、この場面あくまでも虎次は敵である。和人は高めのつり球のサインを紗智に送った。
紗智はこくりと頷いてからモーションを起こした。和人の意図がわかっているようだ。
「っらぁ!」
気合の入った球が投げられる。要求通り高めのボール球になった。
虎次はそれにつられバットを振ってしまった。
「あっ」
虎次から声が漏れた。バットは空を切ってしまう。
「ストライーク、バッターアウッ」
球審を務める佑が三振を宣告した。
虎次はがっくりと肩を落としベンチへ戻って行った。
2ストライクに追い込んだあと、打ち気を出したバッターに高めに外れるつり球は有効だった。打者の視覚的には打てそうな球だと勘違いして手を出しがちになる。虎次はそれに引っかかったのだ。
これで打者三人を打ち取った。
紗智の球を受けていた和人は、身震いしそうになった。打席で紗智の球を見ているが、捕手の視線から改めて紗智の凄さを肌で感じた。
――やっぱり、こいつは……。
とんでもない奴だ、と確信した。
一流の投手でも思い描いたコースに球が投げられる割合はせいぜい六割がいいところだという。
ところが紗智は球種を問わず、和人が要求したゾーンに寸分たがわず投げてくる。ここまで精密なコントロールの持ち主は初めてだった。
ところが紗智は憮然としていた。ここまで打たれていないのになぜか不服そうにマウンドを蹴るのだった。
「タイム」
和人は球審を務めている佑にタイムを要求し、紗智の許へ駆け寄った。
「どうしたんだ?」
試合さながらに口元をミットで覆いながら訊いた。
「なんか、面白くない」
「は?」
何を言い出すんだこいつは、と訝る和人。
「このままじゃ、わたしがただ勝つだけになるじゃん」
「別にいいだろ。ちゃんと投げて打ち取ってるんだからよ」
和人は紗智の意図が読めず、「ただ勝つだけ」という言葉が理解できなかった。
「あいつら、全然わかってないみたい」
紗智は顎をしゃくってベンチを指した。
和人はつられてベンチに目を向ける。
「どうだった?」
「所詮女だな。球が遅くて打ち損ねちまった」
「だな、いつか捕まるよ。あれは」
「それに、和人さんのリードが上手いんだよ」
「そうそう。じゃなきゃ俺たちが打ち取られるなんてありえないよ」
「大希なら余裕だろ」
一年生たちは負けている自覚がなく、緩み切っていた。
「緊張感ねえなぁ」
これまでいいところなしに打ち取られている意味がわかっていない。今朝の草野球と同じだ。
所詮女。
球が遅い。
いずれ捕まる。
リードのおかげ。
勘違いも甚だしい。なぜ自分たちが打ち損ね、紗智がアウトを積み上げているのか考えようとしないのか。自分の実力を省み、相手をよく観察するという当たり前のことが全くできていない。相手を舐める前に、よい結果が出なかったら今後どうするべきなのか反省すべきなのだ。
「だからさ、ちょっとしたハンデを与えてやろうと思って」
「そんなのいいから、さっさと片付けるぞ。約束は取り付けているんだ。文句は言わせねえよ」
「それじゃあ、意味がないの。いいから耳を貸して」
紗智が手招きをする。
耳を近づけると、紗智がハンデの内容を囁いた。
「マジで言ってんのか?」
和人は絶句しかけた。
「あとは和人次第だよ。それともできないのかなぁ?」
紗智が挑発じみた笑みを浮かべて和人を煽る。
「そうじゃない。いくらなんでも相手を舐めすぎだろ」
「一年坊主に身の程を知ってもらうにはこれが一番だって。大丈夫、きっちり仕留めるから」
紗智が自信満々に言い切る。
「しょうがねえな。どうなっても知らねえぞ」
ああまで言われたら引き下がるしかなかった。和人はくるっと背を向けて戻った。
次の打者は大希。油断していると手痛い一発を食らいかねない。
「和人さん」
左打席に入った大希が声をかけて来る。
「なんだ?」
「この打席で終わらせますよ。ベンチで見てましたけど、あの女、大した球投げてないじゃないですか」
大希はにやけ面を浮かべてバットを構えた。
「へえ。わたしの球、大したことないんだ」
紗智は球を上に何度も浮かせていた。顎を引いて挑むような目つきで大希を見据える。
「ああ、俺ならホームランを打てるね。ま、少なくとも長打にはできるわな」
「そこまで言うんならさ、一つ賭けでもしようか」
「賭け?」
「そう。あんたが勝ったらエースの座を譲るわ。わたしは大人しくベンチを温めてあげる」
「言うじゃねえか。で、おまえが勝ったらどうするんだ? えぇっ!」
大希が恫喝まがいの声をあげる。
すると、紗智は上に浮かせた球をパシッと取ると、人差し指を地面に向けた。
「わたしの足元に額をこすりつけて土下座して。そしたらあんたの失礼な態度、許してあげる」
紗智が低い声音で言った。
「ちょっと待て。そんな非人道的な行為、見過ごすわけにはいかないぞ」
と、ショートの守備についている宏次朗が叱る。
「いいんですよ。キャプテンに尻を拭いてもらうとは思っちゃいません。責任は自分で取りますから。よっしゃ、その賭け、乗ったぁ!」
大希は気合の入った声を発し、再びバットを構えた。
そのとき、紗智が口角を上げた。前に和人が盗塁を仕掛けたときと同じように、罠にかかった獲物をあざ笑う感じがあった。大希が挑発に乗ってしまい、紗智のペースで事が運ぼうとしていた。
――ヤバいことになった……。
和人はこの無茶苦茶な取り決めをどうやって破棄させるか頭を悩ませた。このままでは紗智が勝つと睨んでいる。
大希の鼻っ柱を折るのは賛成だが、これはやり過ぎだ。紗智の思い通り土下座させるようなことがあれば、大希の精神的ダメージが大きく、屈辱に打ちひしがれて二度と立ち直れなく恐れがある。
――ひとまず、この勝負を片付けるしかない。
紗智を止めるのはそれからだ、と腹を決めた。




