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常盤台高校硬式野球部

 すでに部員たち全員がグラウンドに出て、ロッカールームはがらんとしていた。トレーニング器具を入口近くの壁際に配置され、椅子があちこちに散らばっている。ロッカーは奥と右側の壁際に配置され、部員一人一人に行き渡るだけの数がある。


「ええと、鏑矢のロッカーはどうしようか?」


 この部室には女子更衣室がなく、紗智専用のスペースを作る必要があった。


「それはあとにしよ。それよりもさ、一つ提案なんだけど」


 と、紗智は空いた椅子にリュックを置いた。


「提案?」


「和人さ、これからわたしとバッテリー組むんでしょ」


「まあ、そうなるわな」


「いつまでも名字で呼ぶと他人行儀っぽいから、わたしのこと、名前で呼んでくれない?」


 紗智は上目づかいで見つめてくる。


「別にいいだろ、どっちでも」


「良くないっつーの。バッテリーはコミュニケーションが大事、名前で呼び合える関係じゃなきゃつとまらないよ」


 紗智は不機嫌そうに口をとがらせる。


「そんなもんかね」


 議論するのは不毛だと感じ、ほんの少し譲歩する。


「そんなもん。さ、早いところ練習に行こ」


 と、紗智はいきなりスカートを脱いだ。


「か、鏑矢!? なにを?」


 和人は、ばっと視線を外して背を向ける。


「恥ずかしがらなくてもいいじゃん。大丈夫だってスパッツ穿いているから。ほら、こっち向いて」


 紗智の声音は平然としている。


 おそるおそる振り向いた。横目で紗智の姿を捉えると、確かに彼女はスパッツを穿いていた。太腿とふくらはぎが引き締まっており、しかもうっすら筋肉が浮き上がっている。余分な肉がついておらす、女性アスリートらしい理想的なラインを描いている気がした。


 ――この下半身が、あのピッチングを生み出すのか。


 女子離れした球速に、精密なコントロール。しっかり踏み込める強い下半身があるからこそ、あの投球ができるのだと感じた。

 性格とは裏腹に、紗智は真面目にトレーニングを重ねているようだ。彼女の身体の造りがどうなっているか興味が湧いてくるが、下手に身体つきのことを言うと後で痛い目に遭いそうなので口を閉ざした。


「どう? いい脚でしょ」


 紗智がいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「さ、さあな。ああ、ほら、俺も着替えるからこっち見んなよ」


 和人は動揺を隠せないまま、足早に自分のロッカーへ向かった。自分でも気づかないうちに紗智の身体を眺めてしまったようだ。


 ――早いところ、あいつ専用のスペースを造んないとな。


 女子を受け入れるのは思ったよりも大変だと思った。


「にししし」


 と、変な笑い声をあげる紗智を無視して素早く練習用ユニフォームに着替えた。


 Tシャツとハーフパンツを着た紗智と一緒にグラウンドへ出ると、部員たちがキャッチボールをしているのが目に入った。お互いに声をかけ合いながら基本通りに相手の胸に投げるよう心掛けている。指、肘、肩、脚など身体の使い方を意識するよう普段から口酸っぱく言っていた。それでも球が逸れるのはままあることなので、ときどきすっぽ抜けてしまう部員もいる。


「すみません。遅れました」


 和人は端でキャッチボールをしている主将の飯野宏次朗に声をかけた。身体の線が細く、和人よりも背が低いが、巧みなグラブ捌きのできる好守のショートだ。去年の東東京大会ではファインプレーを連発し、失点を防いだ。顎が尖り気味で、目が細い上に吊り上がっているため、狐を連想させる容貌をしていた。


「珍しいな。おまえが遅れてくるなんて」


 と、宏次朗はすぐに紗智に気づいて怪訝な色を浮かべる。


「ああ、こいつは鏑矢紗智。俺と同じクラスの女子です」


「マネージャーは募集していないはずだけどな」


「いいえ。俺がスカウトしたピッチャーです」


 和人の声が聞こえたのか、部員たちはキャッチボールの手を止めて、紗智に視線を向けた。


「女子を入れるのか?」


「はい。監督にも許可をもらいました」


「ちょっとみんな、集まってくれ」


 宏次朗が声をかけると、部員たちが和人と紗智を取り囲むように集まる。


「ほら、鏑矢。自己紹介しろ」


 と促す。


「紗智、でしょ」


 不満げに言うと、紗智はみんなに向き直る。


「マジで入れるのか」


 と、呟くように言ったのは乃仁斗だ。


「ああ。えーっと、紗智は女子とは思えないほどの球速、それに優れたコントロールの持ち主です。しかもバッターに狙い球を絞らせない投球術もありますし、こいつがいれば、今年はもっと上に行けると確信してます」


 和人は紗智の投手としての特徴だけを言う。


「鏑矢紗智でっす。和人がどぉーしてもわたしに入部してほしいっていうから入部しましたぁ。みんな、よろしくね」


 紗智はおどけた口調で自己紹介をする。


 腹の立つ言い方だが、和人は怒りを押し留める。

 紗智がこちらに顔を向けてニヤニヤしているのが横目に見えたが無視した。


 部員たちがお互いに顔を見合わせながらざわつく。和人が認めているのが信じられないらしかった。


「でもよ、本当に大丈夫なのか? そりゃあ和人が推すぐらいだし、力はあるんだろうけどな」


 と、訊いたのは地井(ちい)(たすく)である。和人と同じ二年生で、170センチに満たない身体ながらも、たくましい身体つきをしていた。坊主頭で四白眼の強面ながらも心根はやさしい。常盤台高校野球部では和人に次ぐ強打者だ。


 佑の言葉を受けて、他の部員たちが疑いの視線を和人と紗智に向ける。


「大丈夫じゃね。だって俺、鏑矢から打てなかったからな」


 乃仁斗が助け舟を出してくれた。


「え?」


 誰かが声をあげる。


 乃仁斗は今朝の草野球で紗智が投げたことを部員たちに伝えた。


「ふむ、乃仁斗と和人が打てなかったか」


 宏次朗の口ぶりに理解を示すニュアンスが含まれる。


「どうだかな。一、二打席で判断するのは早いんじゃないか?」


 佑が腕を組んで疑問を呈する。


「いや。たとえ五打席与えられたとしても、打てるかどうかわからなかった」


 和人は正直に言った。


「なら、鏑矢がエースってことか」


 佑が訊く。


「ああ。たぶん、二本柳や東仙学院を相手にしてもそう簡単に点は取られないんじゃないか」


 和人の言葉に、部員たちからどよめきが上がる。東東京地区の強豪相手でも渡り合える実力があるのを信じられないようだ。


「ちょっと待ってくださいよ」


 いきなり険のある声が飛んできた。


「どうした?」


 和人は声の主に目を向ける。


 一年生投手の則岡(のりおか)大希(だいき)がずいっと前に出てきた。不満げに顔を強張らせ一重まぶたの強い視線を和人に浴びせてくる。


「納得いきませんね。監督がうちのエースは俺だって言ってたじゃないですか? それが何で女に投げさせなきゃいけないんです?」 


 大希が右の親指で自分を指した。最大135キロのストレートとブレーキのかかったカーブを投げる。打撃にも自信があり、投打二刀流だと嘯いている。中学時代、軟式野球部で勝ち進んだ導いた実績もあり、今年入部した新入生の中では一番の実力者だ。入部時の自己紹介で「俺が常盤台を甲子園に連れて行きますよ」と高らかに宣言した自信家だ。


 ――さて、どうしようか?


 和人は、大希がまだ成長途上であると見ている。コントロールが甘く、ストライクとボールの見分けがつきやすい。強豪校との対戦で、甘く入った球を痛打されるのが目に見えていた。彼らは甘い球を見逃したり、凡打で終わらせたりはしない。きっちり芯でとらえて大希を炎上させるに違いなかった。


 それでも大希以上の投手は常盤台高校にいないのもあってエースに抜擢せざるを得ない事情があった。部の方針として大希を鍛え上げて夏の大会に臨む計画を立てていたところだ。


 ぽっと出の女子投手にエースの座を任せられないと大希が考えても不思議ではない。いくら和人や乃仁斗が紗智の凄さを力説したとしても納得できないのは当然である。


 和人はどう説得しようか考えるも、いい案が浮かんでこなかった。


「おい、おまえ。どうやって和人さんをたらし込んだんだ」


 大希がまた一歩近づいて紗智に顔を近づける。


「大希、一応先輩だぞ。敬語使えよ」


 一年生の寒川(さむかわ)マービンが大希の肩を掴む。彼も乃仁斗と同じ東南アジア系の三世である。名前がカタカナなのは本来ミドルネームにするはずだったのが、親が出生届を出す際に間違えて記入してしまったせいらしかった。つぶらな瞳を携えた童顔の持ち主で、女子から人気があるらしい。初心者ながらも身体能力が高く、ちゃんと鍛えれば来年にはレギュラーを取れてもおかしくない。


「いいって。どうせそこらへんの女子選手みたいに野球やってちやほやされたいだけだろ。こいつ、顔は良いってんで、ちょっと試合に出てマスコミからアイドル扱いされたいって下心が見え見えなんですよ。で、そのために美人局(つつもたせ)でもやって和人さんを脅して試合に投げさせてもらおうとしたんじゃないんすか?」


「大希、言いすぎだぞ」


 宏次朗がなだめる。


「和人さん、納得できる説明してもらえませんか。でなきゃ俺、ボイコットしますからね」


 大希は宏次朗の注意を無視して和人に目を向ける。


「あ、ああ、それはな」


 いよいよ追い詰められた。和人は額に指を押し当てて考えをめぐらす。まだ考えがまとまらなかった。


 と、紗智が足を動かして大希の横に近づいた。


「ふーん。そっかぁ」


 紗智は笑ってから、にわかに眉をひそめた。

 すると、鋭い回転の利いた蹴りを大希の尻に放った。

 ヒュッと風を切る音がしたかと思うと、肉を叩く重い音が響いた。


「ぐぎゃっ!」


 大希の身体がのけ反り、膝を地面についた。


「おお、ムエタイ式のケツキック」


 と、興奮して大希に駆け寄る佑。


「ワーン、ツー、スリー……」


 乃仁斗も悪ノリし、カウントを取り始めた。


「ふざけてる場合か。紗智、何してんだおまえ!」


 和人は乃仁斗と佑を諭してから、紗智の肩を掴む。


「誰が美人局をやっただって?」


 紗智は和人の制止を無視し、暗い影を帯びた目で大希を睨んだ。


「大丈夫か? 大希」


 マービンが大希に寄り添う。


「てめえ、なにしやがるんだ!」 


 目に涙目を浮かべて抗議する大希。どうやら尻の奥の急所らしきツボを撃たれたらしい。


「はあ? あんたが好き勝手言うから、こっちは怒るんでしょうが。ちょっとは考えて喋りな、クソガキ」


 よっぽど腹に据えかねたらしく、紗智の口調が荒くなる。


「やめろ、おまえら! 大希、紗智に謝れ。紗智、おまえもだ」


 周囲がざわめく中、和人は必死でこの場を収めようとした。主将の宏次朗も割って入り大希を制止する。


「ねえ、あんた」


 と、紗智はいきなり言うと、大希を指さした。


「なんだ、コラ」


 大希は凄んだ。ただ、尻を押さえているせいかどことなく情けなさが漂う。


「わたしがエースになるのが不満なんでしょ?」


 紗智は顎を引いて眉根を上げて大希を見据える。


「当たり前だ。なんでこの俺が女にマウンドを譲らなきゃならないんだ」


「なら、あんたを納得させようか。それと、他の奴らもね」


 紗智は周囲を見回した。場の主導権を握った紗智を戸惑いがちに見つめている。


「なにする気だ?」


「ねえ、わたしがエースになるのに反対な人、手を上げて」


 紗智は和人の言葉を無視して右手を上げた。


 すぐに手を上げる大希、そして他の部員たちも次々と手を上げた。全員が一年生である。紗智からヒットを打つのは簡単だと思っているようで、彼らの顔から自信が滲み出ている。


 去年ベスト8に進出したおかげで、大希以外にも粒ぞろいの一年生が入部してきた。勉強と野球の両立を目指せるということで、常盤台高校に進学して野球部に入部したのがほとんどだ。


「ひい、ふう、みい……ふーん、9人ってところか」


 紗智が一人ずつ指をさしながら数を数えるとまたポケットに手を入れる。


「紗智、なにをする気だ」


 和人がもう一度訊く。


「和人、キャッチャーやって」


「質問に答えろ、どうする気だ?」


「わたしの実力を見せつければいいんでしょ」


 紗智は大希たちに顔を向ける。


「な、なんだ?」


 大希が怪訝な色を浮かべる。


 すると、紗智は手のひらを返して大希たちを指さした。


「今すぐ勝負してあげる。手を上げた十三人、全員シャットアウトしてやるから。そしたら嫌でも納得するでしょ。それにこんなザコ相手に、わたしが打たれるわけないし」


 紗智は顎を上げて嘲笑する。罵られたせいかどこか剣呑な色が滲んでいる気がした。


 部員たちの怒りが紗智に向けられる。殺気に似た危険な雰囲気が満ちつつあった。


 ――結局、こうなるのか……。


 初対面からこの有様ではチームワークを育むのは困難な気がし、ため息を吐きたくなった。


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